• 締切済み

「日本」という国家の歴史について

tyr134の回答

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.5

現代の歴史に対する考え方は2つに分けられます。 一つ目は科学・学問としての歴史です。 もう一つは国家としての歴史,言い換えれば「正史」と呼ばれる歴史です。 皇紀~年というのは,後者,「日本の正史」と呼ばれる歴史です。 「正史」というのは,ある国の為政者が権力の正当性を主張するために編纂された歴史のことです。 特徴としては,国家の成り立ちとして神話や伝承などの現代科学の知識からすれば明らかに「フィクション」とわかるものも正当性の根拠として組み込まれることです。 また,為政者にとって都合の悪いことは当然無視されたりねじ曲げられたり捏造されたりしています。 これはやはり「正史」の目的が為政者の権力の正当性を主張するという目的上の必要性です。 >つまり、「日本国」という「国民国家」が成立したのは明治以降の話であって、それを神武天皇にまで話を広げて、「日本国」の歴史は2600年以上あるというのは大変無理のある議論だと思うのですが、どうでしょうか? 日本の正史としては最も古いものに『帝紀』というものがあります。 天武天皇の治世である6世紀末頃に編纂されたと言われており,後に『古事記』や『日本書紀』の基礎となったと考えられています。 『古事記』や『日本書紀』といえば,日本の正史に欠かせない基礎史料です。 神武天皇より今の皇室が続いてきたという説も,この2つの書に拠っています。 つまり,「正史」としては2600年以上続いてきたと述べているわけです。 >しかし、天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していたことは別の話ですよね。 確かに,鎌倉時代前後から武家が力をつけて実際の権力を行使するようになっていきました。 しかし,その「権力の行使」の正当性は「天皇から任された」という理由に拠っていました。 具体的には,天皇より征夷大将軍に任命されることに拠っていたわけです。 神聖ローマ帝国についても,同じような構図はあります。 いわゆる,「王権神授説」というやつです。 神聖ローマ帝国の帝冠はローマ教皇から授けられます。 それによって,権力が神より授けられたという正当性を得るわけです。 まぁ,権力を得るには建前が必要で,それが天皇や教皇の存在であったり,正史であったりするわけです。 以下は参考に科学としての歴史についてです。 歴史学というのは、基本的に誰かが書き残した文章記録から、「過去にあった出来事」を明らかにしようという学問なんです。 しかし、この「誰かが書き残した」というのがくせ者で、「誰かが書き残した=真実そのもの」とは限らないからです。 さらに、この「誰かが書き残した文章から、過去に○○という出来事があった」と解釈する人が居ます(これが主に歴史学者です) これを分かりやすく言うと 1・誰かが書いたのだから、その時点で書いた人の主観が入る。(一次史料) 2・そして、その情報を読んだ人(研究者)の主観が入る。(二次史料) 3・最後に、その研究者の論文を読んだ人の主観が入る。(私) 「真実(出来事)→一次史料→二次史料→私」、という風に情報が加工されていくことになるんです。 言い換えると、この順番でそれを書いた人・読んだ人の「主観」が入る。 果たしてこれは(科学で必要とされる)「客観」的なのかという疑問が提示されています。 これは主に「歴史哲学」と言われる分野なのですが、悲しいかな日本ではあまりはやりません。 >このような理屈から、天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか? 科学(歴史学)の面から言えば,皇紀や神武天皇というのは創作である可能性が高いと思われます。 しかし,「正史」としては現在の天皇家の存在意義の根拠となっています。 とまぁ,「科学としての歴史」と「国家や権力者の為の歴史(正史)」があるというわけです。

関連するQ&A

  • 日本の歴史について・・・

    私は今学校の授業で歴史について調べています。 日本が成立して何年か、ということを調べました。 初代の神武天皇が即位されたのは、西暦で紀元前660年です。 ですから、660+2014=2674、日本国家は何歳? の答えは2674歳となるのです。 という記述をみつけたので、とりあえずこれを元にすることにしました。 ここからが質問です。 これを数直線で表して考えた時にパニックになりました。 (1)この足した660年がよく分からない (2)時代を1年ずつ同じ幅にして年表に表したいときは、どうなりますか?   はじめ、何も考えずに1年を1ミリにして2674ミリだ、と思いました。   しかし、そうすると当然のことながら今2014年なので計算が合いません。 (3)紀元前とか西暦とかもよく分かっていません・・・ 分かりやすく教えてください・・・!!

  • 皇紀の根拠になている紀元前660年はどういう年?

    来年は皇紀2679年と聞きました。神武天皇即位が西暦前660年なので 神武天皇即位から数えた歴が皇紀なので西暦に660を加えると皇紀が分かる そうです。 神武天皇が西暦前660年に即位したことの根拠をお教え下さい。 古墳や土器からの推測ですか。古事記には出てないと聞きました。戦中には歴史学者はどう説明していたのですか。 お教え下さい。

  • 【歴史・日本史】なぜ神武天皇のことをミサンザイと言

    【歴史・日本史】なぜ神武天皇のことをミサンザイと言うのですか? ミサンザイってどういう意味ですか? あとなぜ日本で最初の初代天皇の神武天皇のお墓が奈良県にあると分かったのですか?

  • 世界で一番長い歴史をもつ君主は日本の天皇でしょうか

    世界で一番長い歴史をもつ君主は日本の天皇でしょうか? たしか、天皇は紀元前700年、つまり2700年前に神武天皇が初代で 現在の平成(今上天皇は125代)のはずですが・・・ あと英国 エリザベス女王は国民からの信頼が絶大ですが何故、 これまで絶大されるるのでしょうか?

  • 闇にひそむ「朝廷の裏歴史」とは?

    日本史の教科書・参考書どれを見ても武士の時代(鎌倉・室町・戦国・江戸)は 朝廷・天皇家に関する記述が極めて少ないです。 「天皇家の家系図」を見ても、江戸時代の天皇は聞いた事のない名前ばっかりです。 武士の時代における実質的な政権は、朝廷ではなく幕府にあり、天皇は名目上の 最高位でありながら、陰の存在だったという点は理解しておりますが、この時代、 朝廷内ではどんな動きがあったのか気になります。 幕府では新井白石・徳川吉宗・田沼意次などが活躍している間に 朝廷ではひっそりと血みどろの権力争いが行なわれていたのかもしれません。 摂政・関白の座をめぐって、あるいは天皇の擁立をめぐって、五摂家が覇権争いを 演じていたのかもしれません。 「次の関白の座はわが近衛家の物ぞ。一条の手に穢されてなるものか」 「近衛の横暴極まれり。いざわれら一条家の再興を」 みたいな感じで、何か面白そうなストーリーが闇に潜んでいそうな気がします。 私は権力争いの話が大好物で、戦国時代の群雄割拠、現代史で言えば 戦後の政党・派閥抗争なんか面白いと思っているので、江戸時代の朝廷でも 権力争いでもあれば面白いかと思ってみました。 朝廷の権力闘争の歴史についてのサイトや書籍を御存知の方はいらっしゃいますか? また、この歴史について何か御存知の方は何でも教えて下さいませ。

  • 天皇の権威の変遷

    大化の改新以前、平安時代、武士政権の時代、近代国家。 天皇の権威の及ぶ地域、また実質的な権力の及ぶ地域などの変遷を知りたいのですが。 詳しい方お願いします。 大化の改新前の権威や平安時代、武士政権時代の実質的権力を特に知りたいです。

  • 大日本帝国憲法下の天皇の輔弼機関について

    大日本帝国憲法では、天皇が主権者として権力を総覧していましたよね?しかし、実際には  ・天皇の権力の行使には、必ず「諸国家機関の助け」が必要である  ・天皇は政治には口を出さない慣習がある ことから、天皇は、諸国家機関の行動に対して、ただ「いいよ」 とOKサインをするだけの役割を担っていたと理解しています。 そこで、伺いたいのは (1)まず、以上の理解であっていあるかどうか。 天皇=権力を保持している人(形式上) 諸国家機関=「実際に」権力を行使する人 つぎに、天皇のもつ権力を実際に輔弼していた機関についてです。 天皇大権として、統治権の外に、国務大権、統帥大権(軍の最高指揮権)、皇室大権(憲法によらず皇室典範で規定)があると思いますが、 実際にこれらの権力を輔弼していたのはだれでしょうか? (2)以下の理解であってますか? 統治権 司法権 →裁判所に一任     立法権 →帝国議会の協賛     行政権 →内閣 国務大権→内閣 統帥大権→陸軍参謀本部、海軍軍令部 皇室大権→元老、枢密院 (3)(2)の質問と関連しますが、内閣は天皇を輔弼する行政機関といわれますが、 それは天皇の持つ行政権+国務大権を輔弼しているととられてよいのでしょうか。 それとも、司法権と統帥大権を除く権力すべてと考えるのでしょうか? 以上3点よろしくお願いします。

  • 日本の歴史における時代区分と戦後の日本について

    日本の歴史のことを、ボーと考えていて、旧石器時代と縄文時代は気が遠くなるほど長いのですが、日本の歴史って、時代区分すると「平安時代までの天皇の時代、鎌倉時代から江戸時代までの武士の時代、明治以降の天皇の時代」という区分の仕方もあるのではないか???という疑問がわいてきました。 質問なのですが、下記の3点です。 1. 上記の「平安時代までの天皇の時代、鎌倉時代から江戸時代までの武士の時代、明治以降の天皇の時代」という区分の仕方もあるのではないか???という疑問についてご意見をお願いいたします。 2. 戦後70年というのは、「天皇の時代」でもないし、「武士の時代」でもない、「新しい時代」と位置付けてよいのでしょうか??? 3. 戦後を「新しい時代」と位置付けるとしたら、「何の時代」と表現したらよいのでしょうか??? なお、蛇足ながら私は天皇制を非難・否定する人間ではありません。

  • 歴史上、最も貧乏だった天皇は?

    日本の歴史は天皇の歴史と言っても過言ではありません。 歴史を通じて、天皇は日本の最高権威であり続けました。 しかし、天皇家にも権力・権威の失墜した闇の時代もあった事かと 推測されます。 歴史上、最も貧乏だった・不遇だった天皇はいつの時代でしょうか?

  • 国際法上、日本という国家は太古から継続?

    国際法、あるいは政治学から見て、日本は飛鳥時代から現在まで一つの国家が継続しているのでしょうか?それとも、いくつかの国に分けて考えられるのでしょうか? 飛鳥時代以降1945年までは天皇主権の国家が続いていましたが、戦後の憲法では主権在民となって政体が根本的に変わっていますね。 そこで、私は新憲法施行以前と以降とでは別の国家ではないかと思うのですが、どうなのでしょうか? あるいは、明治維新でも別の国家に移行したのでしょうか? 別の国家に移行していたとしても、新国家は前の国家の継承国家として機能してきたので、対外的には飛鳥時代以来ずっと実質的には同一国家であったのでしょうが、ここでは、後続の国家がどう振る舞ったかには関係なく、国家が(少なくとも)一旦は途切れたのか、否かを教えて下さい。