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「日本」という国家の歴史について

noname#224207の回答

noname#224207
noname#224207
回答No.4

>「国家」という概念が「国民国家」という近代的な概念に由来するものであり、古代に「日本国」という国家意識を持っていた人など皆無であったと思います。 国家を国民国家と定義すれば、仰られるとおりです。 「国という意識」に書き換えるとやや違ってくるのではなのでしょうか。 論語やらなにやらで孔子が国と言っているのは、現在でいえば村に相当します。 国をどう定義するかで変わるでしょう。 有名な金印の「漢委奴国王印」の国をどう考えるかです。 室町時代に足利義満が「日本国王」という言葉を使いましたが、江戸時代に、国というのはあくまでも大名領のことを指しました。 藩というのは、全くと言っていいほど使われませんでした。 藩を公文書で使うようになったのは明治以降です。 通常は○○家と言っていました。 例えば、加賀は前田家の領国で、庶民は前田さまのお国と言っていました。 お国訛は通行手形などという言葉もありました。 今でも年寄りは「お国はどちらですか」と聞いて「広島です」とか「青森です」とか答えていませんか? >「日本国」の歴史は2600年以上あるというのは大変無理のある議論だと思うのですが、どうでしょうか? 「現在の日本国」の、と言葉を補えば余り無理はないのではないのでしょうか? >天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していたことは別の話ですよね。 この点が、外国人に説明するときに一番判り難い点です。 幕末に来日した諸外国では、大君(Tycoon)と帝(Mikado)と呼び分けて使っていました。 >鎌倉幕府~江戸幕府末期の武士政権の頃など、天皇は全く政治的権力を行使していなかったといえます。 征夷大将軍というのは、あくまでも朝廷の家臣です。 家臣が朝廷の命に従って列島内の統治を請け負っている、ということになっていました。 幕府と言う言葉も戦場の参謀本部を意味する言葉です。 実力のない会長をやりての社長が担いでいるようなものです。 結果として、幕末に大政奉還という儀式が行われました。 薩長がクレームを付けたのは、外交権までは征夷大将軍に委任していない、という点でした。 幕府が締結した通商条約は越権行為で無効であるという主張です。 明治に入って天皇が東京に移りましたが、あくまでも行幸(即ち旅行)です。 まつりごとを行う紫宸殿は移しませんでした。 現在も京都御所に紫宸殿は残されたままになっています。 >戦後「象徴」になってからは権力としては再び解体しました。 現在でも、内閣総理大臣は国会の議決により指名され、その国会の指名に基づいて天皇によって任命されます。 各大臣は認証を天皇から受け取ります。 天皇が辞令に親署するという形式で認証が行われます。 新任の特命全権大使や特命 全権公使は、派遣元の元首からの信任状を、天皇に対して捧呈します。 内実はどうあれ、天皇は一定の権限を持っています。 >天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか? 昭和21年11月2日までは存続していたという理屈は成り立ちます。 さりとて、皇紀2600年云々は如何なものでしょうかね~ 神話でやるか史実でやるか、ということでしょう。 史実も定義次第では、縄文時代までさかのぼりますから8000年ということになりますかね~ もともと、日本のように自然発生的に国が出来上がった国に対して、ヨーロッパの歴史を基準とした建国だの独立だのという議論をすること自体に無理があります。 国だの国家だのという概念もヨーロッパを基準としたものです。 西アジア一帯で、アフガニスタンとかカズフスタンという際の末尾のスタンは○○が住んでいる地域という意味でです。 概念としては境界線のはっきりしない縄張りという、広大な大陸特有の概念です。 ペルシャもオスマントルコも、せせこましいヨーロッパのようにいちいち線引きなどしていませんでした。 現在イスラム過激派が自由に往来しているのもこのためです。

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