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天皇の権威の変遷

大化の改新以前、平安時代、武士政権の時代、近代国家。 天皇の権威の及ぶ地域、また実質的な権力の及ぶ地域などの変遷を知りたいのですが。 詳しい方お願いします。 大化の改新前の権威や平安時代、武士政権時代の実質的権力を特に知りたいです。

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  • fujic-1990
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回答No.1

 私は単なる歴史好きですが、学術的な知識をお持ちの方には、どのような状態をもって「権力が及んだ」と言えるのかが、まず難しい問題だろうと思いますよ。  質問者さんにはご不満だろうと思いつつ、素人の気安さで言えば、天皇が権力を持っていた時代なんてないんじゃないかと思いますよ。  大和朝廷の前身だったのじゃないか、との説もある邪馬台国が、権威は卑弥呼に、権力は男王にあった(らしい)のはご承知と思いますが、これは小さな国。  蘇我氏は天皇を殺していながら、なんの処罰も受けていないようで、そこから、蘇我氏も複数ある大王系の一つなんじゃないかと言う説もあったりしますが、とりあえず、天皇を殺しても処罰できないほどの大勢力があったのは事実のようです。  大化の改新以前の天皇の一人、継体天皇は、即位後もかなりの期間大和地方へ入れなかったそうです。反継体勢力に妨害されていたようです。  つまり平安時代以前の政治の実体は、大豪族の集団政治(中国の古語で言うところの「共和政治」)だったのだろうと思われます。天皇は、支配者ではなく、御神輿。  平安時代は、藤原氏の天下。この世おば、わが世とぞ思う・・・ ほどだったわけです。  実際、天皇は皇居にいて、どこにもほとんど行けませんでした(行くとしたら、熊野詣でのようなすごい行列になった)し、会えるのは、「雲上人」などごくごく一部の人だけ。  藤原氏の気に入らない情報は阻止され、手足になる人もいない。そういう体制で権力を行使することなど不可能です。  それでもまあ、天皇の名で各地に国司や郡司が赴任した形(実際には、高級貴族は在京のまま)になっていたので、天皇の権力は全国に及んだ、なんて言えなくもないですが、言いたければ言えばぁ的な、実体のない話です。  武士の世になれば、いっそうそうだと言えます。  そもそも貴族たちの権力さえも奪われてしまったわけですから。  明治期になると、いちおう権力を持ったわけですが、憲法に制約された立憲君主です。  陸軍大臣などが好き放題やっている(陸軍が大臣を出さないと組閣できない制度を利用してごり押しした)ところを見ると、対して「実質的」な権力があったとは思えないですけど。  天皇にあったのは「権威」です。  神話時代に出雲の神々が国譲りしたとか、長野県の諏訪神社のご祭神が降伏したりしていますので、大化の改新ころまでには西日本から越後-信州-遠江ラインあたりまでは、天皇の権威が及んでいたのではないでしょうか。  平安初期に、坂上田村麻呂が征夷大将軍になって蝦夷討伐に行って勝っているわけですから、形式的には平安初期には東北地方の一部にまで天皇の権威は及んだ、と思われます。  源頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼした際、武士を全東北にも地頭として送り込みますので、鎌倉幕府の権力は(北海道、沖縄を除く)日本全土に及んだわけですが、その頼朝も、天皇から征夷大将軍に任命されて行動しているわけですから、天皇の権威も(北海道、沖縄を除く)日本全土に及んだ、と言ってよいのではないかと思います。  以後の武家は、すべて頼朝のやり方を踏襲しています。  戦国時代も、いろんな大名が上京して日本全土に号令しようとしたのは有名ですね。  松前藩ができたあたりで北海道の一部も天皇の権威の下に入ったと言ってよかろうかと思います。  薩摩が琉球王国を攻略した時、天皇の権威を利用したわけでもないし、むしろ貿易の必要性から清かな、皇帝の権威を認めていたので、琉球が天皇の支配下に入ったのは、明治の「琉球処分」の時。

nanashinanashi
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 とてもわかりやすかったです。

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