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尊厳死に自殺は入るのか?
自殺は尊厳死に入るのでしょうか? 尊厳死というのは延命措置や痛みの伴う治療を拒否して人間としての尊厳を保ったまま死を選ぶことだと思っています。 では、いじめによってそれこそ人間の尊厳などないような状況で周囲から助けてもらえない人が死を選ぶというのは尊厳死ではないのでしょうか? 皆様がどのように考え、どう思うのか沢山の考えや思いを教えて下さい。
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- demerger
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自分個人の考えですが。 ある状態に於いて、 究極の状態で「何かの価値」「何かのリスク」で「何か」を判断しなければならない時 優先順位を考える時に使う指標があります。 「人工的なものを一切排除した状態」です。 単なる「本人の意思」という点から見れば、 いじめによる死を選ぶ事は、尊厳死に見える側面は、 有るかもしれない。 だが。 命の選択の時に。 人工的圧力、人工的暴力、人工的悪意。 死に対峙した時に、そんなものが介在するならば、 そんなモノを「尊厳死」などと呼んではいけない。 そんなもの「尊厳死」などではない。敗北だ。 決して、そんなモノを、「尊厳死」などと呼んではいけない。 あらゆる集約した力で、排除すべきものだ。 そんな死は、 敢えて言う。 本人の未熟。周囲の大人の未熟。地域社会の未熟。 解決すべき問題が、あるだけのことで、そんなものを「尊厳死」として認めてはいけない。 一方で。 人の力ではどうしようもない・・天の配剤ともいうべき、 偶然の災難とも言うべき 「無作為」に、誰かに降りかかった不治の病や障害。 それによって自分の人生を粉々に砕かれた人が、自らの死を、どのように受け入れたいか。 そんなことを。障害や病に苦しんだことも無い人々が、 軽々に、その選択を忌むべきか? 自分個人としては、医療の発達と発展は、善なるモノと思う。 しかし。 医療が発達する前の昔なら、もっと楽に死ねた不治の病だったかもしれない。 不治なままに、単に、苦しみを長引かせるだけの「存命重視医療」ではないのか。 今の医療実態には、多大なる疑念がある。 余りに「人工的過ぎる」故に。 天から降ってきたかのように、ふりかかる不治の病の闘病(科学の限界)と。 周囲から人為的にもたらされるイジメ(解決の方法は幾通りもある) こういうことを、不治の病の苦痛を何も知らず、軽々しく一律に語る事について、 実に 遺憾の念がある。
- hekiyu
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尊厳死をどう定義するかによるでしょうね。 尊厳死を延命や治療を拒否するだけと定義すれば 自殺は含まれません。 なぜなら、その定義では、自然の死期を縮める、という 行為が含まれないからです。 寿命を縮めないで、ただ痛みや苦痛を拒否するという のが尊厳死と定義したからです。 自殺は、死期を縮める行為です。 自然の死期を縮めないで、人間の尊厳を保つ為の死 と定義すればどうでしょう。 いじめられ、追い込まれて、ヤムを経ず逃避の為に 死を選ぶ、というのは、人間の尊厳を保つ行為と 言えるでしょうか。 そこにあるのは、尊厳ではなく、惨めさではない でしょうか。 自殺を尊厳死と言いたいのなら、名誉の為に切腹する ような武士の姿を想像してしまいますが、どうでしょう。