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教職員団体の日教組が行って来た自虐史観授業とは
中高大と私立の学校へ通っていた私には、皆様方がご指摘される教師による教育指導要領を逸脱したであろうアジアに対しての反省を促せる自虐史観を植えさせるような授業を体験した覚えが、ほぼ無いのですが、ただ、高校時代の科学の授業で科学の話そっち除けで日本軍による中国戦線の経由を延々と熱弁を語っていた教師しか見当たらないのですが、教育指導要領や教育理念は私立と公立に違いがないと思いたいのですが、公立では、日常的に自虐史観を植えるような授業が行われていたのでしょうか?どのようになされていたのでしょうか? また、左派的と呼び名の高い日本教職員組合(日教組)と保守的な思考で日教組に反旗を掲げて出来た日本教職員団体連合会(教団連)の異なる思考で所属する教師より教育方針が違うと言うのは法の元での平等を唄う我が国では、問題が有るように感じます。どちらが正しいと白黒つける気は有りませんが、どちらの側に付くかで歴史の試験で点数が変わる危険性を伴うこの重大な問題を政府や文部省や現場にいる教師たちは、真摯に教育現場を見ているのでしょうか?改善をしていく気があるのでしょうか?
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- TANUHACHI
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前回のご質問で「歴史の見方や評価の仕方と歴史事実との関係」について、少しばかりお話しさせていただきましたが、今回のご質問もいささか挑発的でしかも前回よりも強烈なようですね。 歴史学及び歴史教育に携わる者の立場からすれば、質問者様が仰る「学校現場での有利不利」などは関係のない問題です。 こうしたご質問でよくありがちな表現として「正しい歴史認識」などの抽象的な文言がありますが、この「正しい」との言辞そのものが既に「何らかの価値観に基づく」として評価の基準からも外されます。「何を以てして『正しい』」と評価できるのか、が明示できない限り一つとして合理性に基づいた説得力がないことになります。 また、なぜここに「左派や保守的との選り分け」とのイデオロギーに基づく記述があるのでしょうか。「どちらが正しいと白黒つける気は有りませんが、どちらの側に付くかで歴史の試験で点数が変わる危険性を伴うこの重大な問題」と仰っていますが、そうした事実があるのでしょうか。 少なくとも現場で使用されている教科書は文科省検定済みのものばかりです。そして高校に関して言えば、受験との問題がありますから、「それに即した形でのスタンダード」が学校毎の採用基準ともなります。 「点数が変わる」などの不利益を児童生徒に及ぼす可能性も先ずはありえません。当たり障りのない記述しか「検定合格の基準」とはなりもしません。もしそんなことをしたなら、歴史教育そのものが崩壊してもしまいます。 教科書記述も殆どは戦後歴史学の成果に基づくものであり、オーソドックスなものばかりで、一つの事象に対し複数の見解がある場合にはその複数の見解を併記することも求められています。先日は「江華島」に関して少しばかりお話しもしましたが、それに対する奇想天外な反論も寄せられこれに同調された模様ですね。けれども「史料」を読む限りでは、そうした奇想天外な見解を導き出すことはどうしても不可能です。最初に結論ありき、しかもイデオロギーに基づく色眼鏡で見たならば別問題ですが。 とはいえ、先日明らかにされた「新たな基準設定」の問題が新たに登場もしました。「近代以後の歴史において『定説』がない場合には政府見解を載せる」との政治による歴史叙述への干渉です。これは従前の検定制度に覧られた「これは書くな」から一歩進んだ形の「これを書け」との文字どおりの検閲行為そのものと変わりありません。歴史学も近代科学の一領域ですから、「定説」とはあっても、それはあくまでも「相対的な真理」の域を越える質の存在ではありません。 こうした部分で、質問者様のご意見は一方的ではなかろうかとの危惧を抱いております。質問文の中ですら、矛盾も来たし、そして事実誤認の部分も多分に見えますので、回答させていただいた次第で少し冷静になられることをお勧めします。 公立であっても私立であっても大学以前の課程では、歴史の授業の殆どは受験目的ですから、そんな「歴史認識」の領域にまで踏み込んでいる教員はごく稀な存在でしかありません。 もし大学でウルトラナショナリズムに感化された時代錯誤の教員の講義を受けたなら、なるほどと頷ける質問内容ですが。それは「自虐史観」との造語を創り出したN氏とF氏でしょう。でしたら、あの組織は内部対立の末に空中分解し、今では両氏も除名されています。 僕ら「戦後歴史学に携わる者」は一つの流れに自らの身を委ねるほど愚かな行為をするつもりは毛頭ありません。それがウルトラナショナリズムであろうが極端なマルクス主義史観であろうが、もしそうした立場で歴史に対峙してしまうなら、歴史が持つ全体像認識を歪めることになりもしますから、一つのイデオロギーに与する事など決してありもしない事実です。それをF氏やN氏はどこでどう勘違いしたかあるいは歪めたのか。そのバックには京都学派の流れを汲むグループの存在が厳然として働いてもいます。
- sutorama
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お礼ではないお礼 笑いました、楽しかったです ありがとございます(お礼) 礼儀は守りましょう さて、ネトウヨに関しては他の方が説明されていたじゃないですか また(まだ?)、ご自分で調べてもいないのですか? 無知をさらけ出しての自己主張はダメですよと、前回も書きましたが、今回もですね 前回の回答になってしまいますが、相手のご友人が間違った使い方であなたを馬鹿にしたのですから、それに対して怒りを感じる方も愚かであるということです >公立では、日常的に自虐史観を植えるような授業が行われていたのでしょうか?どのようになされていたのでしょうか? この点についても書きましたが、読み取れないのはあなたの力不足です もっともっと調べましょうよ 「ネトウヨ」で検索すればその意味がわかるのですが、検索の仕方までも教示する気はありません
- sutorama
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まず、左翼的な歴史観といよりも、昭和に入ってからの戦争の近代史を教えるために、時間を割いていません そのことと同じくして、敗戦国である日本は戦争の総括をする立場にはなく、たんたんと歴史として教えるだけで、善悪には触れませんし、触れることができません また、書かれているように 平等である・努力すれば叶う・・・といったタネを植え付け、それができないのは誰かのせいであるという左翼思想に至ります 格差問題は政治の責任とか、そのようなモノですね 誰もが100点を取れるわけではないし、誰もが運動会で1位になれるわけでもない 学校はテストの点で順位をつけるくせに、誰もが平等で格差が出るのはおかしいと矛盾な洗脳を繰り返します 本来であれば、格差はあって当然であり、その中で何ができるのか、どのような夢を持つのか、それに向けてどのような力を身につけていくのかなど・・・生きる力を考えさせる教育が必要です(これは学習指導要領に書かれていますけどね)が、それをしないまま卒業し、社会に出た人の中から、左翼思想の人間がポコポコ生まれています しかしながら例えば、ゆとり教育ですが、あれは「完全週休二日制導入」と「開かれた学校」がワンセットでした 土曜日を使い、地域に学校を解放して、子どもたちを地域の産業や農業や高齢者の方々と触れあい学ぶものでした しかし、学校の不審者が乱入し児童を殺傷した事件や個人保護法やモンスターペアレントの乱入などが重なり、「開かれた学校」が計画半ばで、閉じられました で、残されたモノが「完全週休二日制導入」だけになり、教育の低下につながってしまったことなどを、行政もマスゴミも触れません >改善をしていく気があるのでしょうか? このようなゆとり教育の失敗から、がんばろうとする力は閉ざされているかとは思います
お礼
なぜか?お聞きしたい事を読み取れないのですが ありがとうございました
補足
以前の質問でネトウヨの意味を解っていないと回答された方ですよね?ネトウヨとはなんですか?ネトウヨの定義も語らずに回答を進めるのには無理が生じないですか?文章に
お礼
分かり易く説得力のある回答ありがとうございます。 私学に通っていた私には到底、理解しがたい事柄が 公立校では、日常的に多くの回答者が答えて来る ような自虐史観なる授業や教えがなされているのか と不思議に思い質問をさせて頂きました。 多くの日本を憂う者が、自虐史観という言葉に惑わされ、 国際的な歴史認識の相違で問題化され、日本のカラーを 打ち出す事を諦めさせた原因がそこに有る。 日本が外交上弱いのは、自虐史観はたまた、日教組の責任 だとする今の風潮は何なのでしょうね? 公務員でありながら国旗掲揚時の起立や国歌斉唱をしない、 それを生徒や父兄にも求める姿勢が自虐史観と何か密接な 関係があるのでしょうか?