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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:合意について)

合意についての重要性と確認方法

urigadai2013の回答

回答No.6

例えば数学を用いて未知の物質の存在を予測し、実験によって実際にその未知な物質が発見され検証されたならば、合意形成は必要ではありません。 実験結果がそれを正しいことを示しているのだから、科学者が合意形成、つまり「パラダイム」というのは必要ではありません。 問題はその実験結果の判断が分かれる場合です。 どっちが正しいか、どっちがより妥当かの判断が分かれる場合、つまり正しいという確固たる基準がない場合に、正しいという根拠は無限遡行に陥ります。 例えば、中世にトマス・アクィナスは神の存在を証明してようとして「この世界に動くものがあれば、それを動かしているものがなければならず、また動かしているものがあればさらにそれを動かしているものがなければならず、世界の原因は無限にさかのぼってゆき、第一原因に突き当たる。その第一原因こそ、神といわれるものである」といいました。 そのように検証手段がないものは、その原因は無限にさかのぼらねばならなくなります。 何が真理か、と言われれば、それは感覚が底なので、感覚で検証されたものはそれ以上さかのぼることはありません。 そして科学的に検証されたものは感覚によって確かめられたものですので、科学者間の合意形成を必要としません。 しかし、同じ科学でも人文科学、例えば社会科学などでは自然科学のような確固とした検証手段がありませんから、何が妥当で、何が妥当でないかという見解が分かれることがあります。 その場合は、自己の主張の正しさを述べるときに無限遡行が起こることもあります。

feeders
質問者

お礼

--丁寧な回答ありがとうございました。 --何が真理か、と言われれば、それは感覚が底なので、感覚で検証されたものはそれ以上さかのぼることはありません。--とのことですが、検証ということはできるだけ客観性を高めようとすることだと思うのですが、感覚での検証が客観性を持つとすればそれはどのようなしてなのでしょうか。  人が持つ感覚器官がほぼ共通の身体的基盤を持つので、環境世界から感覚器官を通じて何かを感じ取る際に、あたかも法則性があるかのように感じ取るので、その法則性が客観性を帯びると考えればよいのでしょうか? --もう一つお聞きしたいことがあります。私としては、実は、自然科学ではなくて、人文科学での合意形成についてお尋ねしたかったのです。 そこでは、妥当性の拠り所として感覚を頼りにするわけにいきませんから、どうしても合意形成が必要になるのかなと思った次第です。  その場合、あっさり合意がなされれば問題ないでしょうが、合意が容易でない場合はどうすることもできないのではないかと思います。正しさを主張しようとすれば無限遡行が起きる可能性が常にあるように思います。  そこで、お聞きしたいことがあります。いっそのこと、無限遡行をくい止める基盤を置いて、そこから反転して論理展開なり実証なりを行った方がいいのではないかと思うのです。例えば、ヒュームの言うような共感を基盤として据え、そこを出発点として、各分野に分かれてゆくように展開してゆくというのがありそうに思うのですが、いかかがでしょうか? そのようにして、自分の学問的基盤を据えた研究者はいないのでしょうか?

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