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続 価値の哲学 蛇足 生産論

mondo04の回答

  • mondo04
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回答No.2

>「生産と消費」に関して、何を作り出し、何をなくすことが出来るのか、「本当の事を教えてください」 非常に難しい問題ですが、「本当の事」を私なりに考えてみましょう。 それは、貴兄の >物質に対する観念的な欲望の、生産消費があるのかもしれません、 と暗示されているところの「観念的な欲望」がヒントになると考えます。 私たちは物を生産し消費します。 そして、その物には必ず価値があります。 価値とは何でしょう? 思うにそれは、存在性、優越性、利益性、利便性、快適性など刺激的な快感をもたらす物の性質でしょう。それらの快感物象性は消費によって表れます。 さらにその快感物は、実験や試行での失敗錯誤をつうじて発明、改革、改良され、忍耐努力での勤勉励行や緊張疲労の労働行為で生産されます。即ち快感物の生産には不快感となる行為が不可欠とされるのです。 したがって、価値物とは不快感と快感の合成で成り立っていることになります。 私たちはその合成体から快感性だけを取り出(消費)して価値と呼んでいるに過ぎません。 問題は、私たちの快感と不快感(喜怒哀楽)が観念で表れていることです。 その観念とは、優劣損得を思考判断する合理能力としての価値観です。 私たちは価値観によって自他の間に物事をとおして快感と不快感をつくりだしています。 しかも価値観は相対的ですから、価値物や価値行為のもたらす快・不快も相対的であることになります。相対的な快感はその相対性によって快感欲望を刺激するでしょう。なぜなら、自己の存在性は他者の価値を優越することで表れるのだからです。 こうして、より大きな快感が際限なく欲望され、それを満たすためにより刺激的な価値物が生産されて消費されることになると考えます。 >「生産と消費」に関して、何を作り出し、何をなくすことが出来るのか 上記の考え方からすれば、基本的に価値物は自然物を人工物に変えることで作り出されます。つまり、私たちは原理的に自然を破壊することで快感を作り出していると結論することになります。 独断と偏見に満ちた「本当の事」です。

noname#15238
質問者

お礼

いつもお世話になります。 感覚のいい加減さには、我事ながらあきれます。 ここニ・三日の寒さが身に応えますが、ほんの2ヶ月前は、今ぐらいの気温に暖かいと感じていたはずです。 人間に絶対温度が感じられないように、絶対的価値は感じることも、認識することもできないのでしょう。 そういえば、「ゆでガエル」理屈、誰か実験した人いるのかしら、ぎもんだなぁ~ 人に自然を破壊する力があるのか、これも疑問にしておきましょう(笑。 有難うございました。

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