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日本語の乱れについて

最近、テレビや雑誌などで日本語の乱れについての記事をよく見かけます所謂若者言葉、ら抜き言葉と言ったものです。何なんですかね?。正しい日本語?なにそれ。まるで今の日本語がおかしいみたいですが。明らかにおかしい日本語ならよいのですが。大抵そう言うことを言う馬鹿はダイヤモンドのような頭を持つ人です。要するに頑固な爺かおばはんです。 いつも思うのですが正しい日本語は誰が決めるのですか? 言葉遣いと云うものは今まで庶民の使い方により変化しました。 僕は言葉は皆が普通に話す物が正しいと思います。言葉は経年変化です。今の日本語は、乱れているのではなく、流れているんです。其れを受け入れずああだこうだと批判し、何十年も前の言葉が正しい等屁理屈を言って何が楽しいのでしょうか?そんなこといったら、言葉の乱れを主張する人々の言葉も、明治時代の人から見れば、変に思われるでしょう。でも、そんな事言い続けたところできりがない。結局、日本語の乱れ等頭の堅い人達が言葉の経年変化を受け入れずに作った屁理屈に過ぎません。何でもかんでも屁理屈を云ってしまえば、お終いなんですよ。もう話が進められません。いや、話になりません。 逆にこういう奴が居ると、日本語がそれこそ本当の意味で「乱れ」るといってもよいでしょう。 皆さんは、どう思われますか?

みんなの回答

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (659/1691)
回答No.9

最近? もう20~30年前から言われていますよ。そして同時にこのような意見も手垢のつきまくった、言い古された議論で、目新しくない。これまでの流れを知らないのかな? …と思われます。

noname#248129
質問者

お礼

質問するきっかけは、街中で「若者言葉使った」などという人が居て、マスコミだけではなく、一般人まで言い始めたからです。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.8

私はむしろ方言は徐々にすたれ。標準語に近い言葉に変わっていると思います。 20年ぐらい昔奈良に住んでいましたが、、云っていた。~いっとてやった。していた=しいてやった などと云う方弁が使われていました。、今では世代が変わり、外部から移住する人も多くなり、 通じなくなったという事でした。

  • customar
  • ベストアンサー率17% (68/392)
回答No.7

屁理屈を言うしか能がないまま大人になってそのままの人が多い。 そして責めやすいところは馬鹿にでも責めやすいから馬鹿はそれを責める。 言葉と政治は馬鹿でも批判できるんです。だから騒いでる大半は馬鹿なのです。馬鹿の好物が言葉と政治の批判。 脳ミソが楽してる奴らという事です。 言葉の乱れよりも嘘つくなが道徳心です。 嘘つきほど有害な物はありませんよ。 本題はマスコミや雑誌は馬鹿に受けるネタを提供する商売という法則と整合します。なんであれマスコミがネタにし始めたら馬鹿注目ですからそれは末期症状でお仕舞いだと察した方がいいです。政治に関心を持とうとかね。政治を健全化するのと政治に関心を持つのは別だろうに。つまりご指摘のように日本語はどうしょうもなく流動的であり手遅れに近くそれもまたマスコミのマッチポンプ。

noname#248129
質問者

お礼

確かに。僕はマスコミは嫌いです。 貴方は河原美代子さんを知っていますか? 昔、マスゴミが一方的に騒音おばさんと称し悪者として、被害者夫婦がただの被害者として報道されていた 人です。 彼女は若い頃、相手が障害を持つ人とだということを隠され見合い結婚させられ.その後三人の子供が産まれたそうだが三人とも障害を持ち. 娘二人は亡くなり今ご主人は入院中だそうです。 そして障害を持つ息子さんと一緒に暮らしていました。 そのような家庭環境の中、今回被害者とされる「老夫婦」が隣に引越ししてくるわけで、ミヨコは原告夫婦が越してくるまでは明るい楽しいおばさんだったとされています。近所でも評判の。 しかし原告夫婦が引っ越してきて、庭にミヨコの家を照らすような明るい照明を設置。自宅に重病患者のいるミヨコは、せめて囲いをして、窓から光が入らないようにと原告夫婦に頼んだ。しかし原告夫婦はそれを無視した上に、わざと早朝 からの布団叩きを開始。おまけに ミヨコの家の茶碗を洗う音がうるさいとか 病気の息子さんの「うー」いう声を「キチガイがうるさい」と自治会の班長にいう など悪行三昧。家庭内の会話にも聞き耳を立てられ言い触らされる。 そこでミヨコも布団叩きで対抗する。原告夫婦は周辺の信者を20人も集めビデオを撮りつつクスクス笑う。ビデオでの監視は24時間やってたらしい。嫌がらせは、彼女が家族の介護のために自宅前に止めていた車にまで及ぶ。 ミヨコは昔からのご近所の方には、いつもお菓子を持ってうるさくして申し訳ないと謝っていた常識人で、日ごろから被害者夫婦以外の者には親しく接しており、近所の住民に笑顔で挨拶をする様子も見られた。マスコミのインタビューに応じた近隣住民も「普通の人だったと思います」などと答えて居ます。 マスゴミは 事件が起きればワアワアガヤガヤ騒ぎ立てる癖に、いざ其れが間違いだと分かっても何もしません。 結局、日本語の乱れという考え方はマスコミが作ったのかもしれません。

noname#196137
noname#196137
回答No.6

>皆さんは、どう思われますか? いや、最近は随分と減ってきましたよ。 「日本語の乱れ」云々の話は。 少なくとも、NHKと文部省は「変化」と捉えてて、「乱れ」なんて言い方はしていないはず。 Cjmjmaさんの質問も、頑固頭の若者の反抗って感じ。

noname#248129
質問者

お礼

新聞や雑誌には、いまだにありますし、街中で「若者言葉」などと言っている人はいました。確かに、前よりは減りましたが。

回答No.5

頑固な爺かおばはんも案外日本語を間違って使っていますよ。 文化庁が毎年「国語に関する世論調査」と言うのを公表しています。 なかなか面白いですよ。 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/ ご指摘の通り言葉は生き物で、時代とともに変わってきます。 IT用語やコンプライアンスに関わる用語などは以前無かったものなので カタカナ言葉を中心に新たに日本語に加わる単語も多いです。 文化庁が日本語の乱れを決定しているとは思わないですが、 世論調査にあるよう、年代や性別を問わず多くの人が「誤用」している物から 晴れて正しい日本語として市民権を得ていくのでは? 以前は全然+否定文でないと怒られたものですが、最近は寛容という印象を持ちます。 ただ飲食店で良く聞く「ご注文の方は以上で宜しかったでしょうか」 「一万円からお預かりします」は今もまだ市民権は得ていないのでは? 私はとても変だと思いますし、そう指摘する人も結構見ます。 私や周囲がダイヤモンド頭なのでしょうか。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.4

私も日本語は必ずしも乱れているのではなく流れているのだと思います。つい数日前にも「こないだ」とか「1つづつ」が辞書に載っていると知って驚きました。 そうやって、どんどん辞書が更新されればわかりやすくなると思います。例えば、「ら」抜きなどは、「ら」が抜けたところで意味は必ず通じるし、失礼にもあたらないし、強いて言えば、一部の人にとって聞き苦しいだけなので、もうそれならそうと、「ら」抜きも日本語ってことにしちゃえば、みんな、すっきりすると思います。 ただ、日本語って、ものすごい速さで変化していくので、久しぶりに違う世代の人と話したりすると、通じにくかったりするんですよね。やはり存命の世代間で通じる程度には、統一感があったほうがいいとは思います。 それから、誤った敬語は問題だとは思っています。例えば、いつぞやも店員に「商品についてのご説明だったんですが」と言われたので、「え? どれがですか? 私、ご説明を聞き逃しちゃいました」と本気で言ったら、これからする説明のことでした。急いでいたので、ちょっと時間の無駄でした。あるいは、「私は帰りますが、先輩は、まだここにおりますか?」とか言われると、あんたはナニサマか、何のための敬語だと思ってしまいます。 とにかく、言葉はコミュニケーションツールですから、意味も気持ちもすんなりと伝わるなら、いいですよね。

  • Cupper-2
  • ベストアンサー率29% (1342/4565)
回答No.2

多くの人はそんなことを気にしないので、   別にどうでも良い 的な意見なんですけど…。 古い言葉で申し訳ありませんが、「だらしない」は正しい日本語じゃないんですね。 正しくは「ふしだら」と言う事です。 「ふしだら」は「しだら ではない」「しだらない」と言う意味です。 …はい。その通り。「しだら」を「だらし」と読み替えて使ったんですね。 当時はきっと言葉が乱れたとかなんとか言って「言葉狩り」をしようとした人もいた のでしょうけど(いたのかどうかは定かではありませんがw)結局現在に至っています。 そんなわけで気にするほどのことでは無いと思います。 今流行っていてもいずれ使われなくなることもありますからねえ。 (いわゆる死語ってやつ)

  • auagcu00
  • ベストアンサー率37% (166/447)
回答No.1

 質問者様の意見も一理あると思います。テレビや新聞雑誌などで「乱れ」を論じてる人はたいてい専門家でないような気がします。図書館などでそういった関係の本を読むと、著者や国語学者や元アナウンサーだったり納得できる人で、おおむね若者が使う新しい日本語について肯定的な意見だったりするものが多いです。  「見られる」と「見れる」の二つがあることによって受動の意味か可能の意味かが判別しやすくなったともいえる、という事実を淡々と報告する人もいます。

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