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日本語の乱れは放任するしかないのか

コンビ二言葉を初めとして、最近、日本語の乱れが目だっています。しかし、自分のように日本語の乱れを憂いているのは少数派で、乱れた言葉はウイルスのように蔓延していきます。そこで、思い出すのは「誤用でも多くの人が使えば市民権を得る。」という言語の宿命です。しかし、「言語はその民族にとっての最大の守るべき遺産」という考え方もあると思います。国語に興味のある皆さんは、このことについてどう思いますか。

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  • higejii3
  • ベストアンサー率27% (159/568)
回答No.5

ワシもね、老人ですから国語の乱れはかなり気にはなるのですが… おそらく無理な話です。 「民族の…」などといっても、万葉時代の言い回しをいまだにする人間はいませんし、言葉はどんどん変化して行くのが普通です。 上の行に“など”と書きましたが、ワシが子供の頃この言葉に「等」と言う字を充てていました。 しかしその字の「など」と言う読みが使えなくなって後、教育者や閣僚、官僚に至るまで、「など」と言う意味で「等」を使い「○○とうは…」などと使います。^^; 「とう」と言う読みに「など」という意味などありません。 ことほど然様にこの国の人間は言葉にいい加減です。 それに「美しい国」などという人が「再挑戦」といえばいいものを「再チャレンジ」などと言ってみたり…。 話は飛びますが、一番の問題は礼儀や言葉遣いを商売として教えている人たち、その人たちの言葉がなっていない。 あるラジオ番組で、礼儀や言葉遣いを教える会社を設立した女性が「企業さん」「個人さん」と何度も言う。 彼女の経歴をネットで調べてみたら「百貨店販売員」と言うのがあった。 さもありなんと、思ったしだい。 もう言葉の変化は個人にはどうすることも出来ないんですよ。

kokutetsu
質問者

お礼

昔はNHKのアナウンサーは厳しい国語教育を受けていたと思うのですが、最近はそうでもないらしく、ヘンなしゃべりをするようになってしまいました。ワシも老人じゃ。

その他の回答 (9)

  • boke-chan
  • ベストアンサー率22% (137/604)
回答No.10

>「言語はその民族にとっての最大の守るべき遺産」 とありますが、言語なんて意思を伝える只の道具です。 より良いものに変わるべきでしょう。 若者が良いと思うものは次の世代で流行るでしょうし、 言葉の乱れを嘆いているのは、いつの時代でも 年寄りの方だと思います。 良い悪いの論議はありますが、それは将来に判定が出るでしょう。 自然界の法則(使われる言葉が生き残る)により、 残った言語は、結果として良い言語だと思います。

kokutetsu
質問者

お礼

なるほど、進化論のようですね。皆さんのご意見は、総じて乱れ、変化に対して寛容な方が多く意外でした。このQandAをごらんになった年寄りは、若者言葉に寛容となって、大いに若者と語り合ってください。そうすれば日本は美しい国になるでしょう。年寄りの再チャレンジはまず若者言葉をマスターすることだ。でも、これって削除されるかも?

  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.9

(1932年3月の朝日新聞の見出しは)「團琢磨男射殺さる-犯人現場で即時捕縛」と(同年3/5に起きた)團氏の暗殺を伝えていますが、(2006年1/30)現時点なら、差し詰め『団琢磨氏射殺さ"れ"る-"容疑者"現行犯""逮捕"』となるでしょうね。 上記例は75年前でも言葉乃至表記は変遷している典型だ、と思いますが、乱れではないにせよ、流れを止めるのは日本語がある限り、粗不可能です。 又、乱れ(or流れ)が言語学史的に絶無で推移し続けて来たのなら、学校で古文を教えないでしょう!! 何故ならば、古文即現代文の関係が成立する訳ですから・・・

kokutetsu
質問者

お礼

時代の流れに従って、言葉も変化せざるを得ませんね。たとえば、敬語が絶滅しても、それが時代の要請なのかもしれません。

回答No.8

さあて、言葉なんざ乱れるならどこまでも乱れるがいいですな。大歓迎。年寄りは相対的に賢くなったかのような錯覚が得られるのでね。

kokutetsu
質問者

お礼

でも、あまりに乱れてしまうと意思の疎通が出来なくなってしまうような気がします。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.7

「日本語の乱れを憂いているのは少数派」ではないでしょう。当サイトを初め、新聞の投書欄、テレビ、ちまた、などなどで、日本語の乱れを憂う発言はたびたび耳にします。もちろん、義務教育の中でも、正しい敬語を学ぶ時間が設けられています。 また、今、軽く調べても裏が取れなかったのですが、確か、この乱れた接客用語を正すべくマニアルが配布されたかされる予定だかですよね。内容の一部が数ヶ月前でしたでしょうか、新聞紙上に載っていましたが、かなり高度でした。 とはいえ、「現基礎」の類いが毎年出版されているのでもわかるとおり、日本語はどんどん変わります。ただ、「変わる」のはいいとしても、やはり「鼻につく表現」というものはありますから、そう簡単に急変してもらってもねえ、と私は思います。下手すると、世代間で通じなくなりますしね。実際、セールスの電話で、謙譲語・尊敬語・過去形・現在形をごっちゃにしているので、何言ってのかわかんないもの、たくさんあります。 いずれにせよ、若者の言葉を憂うのは今に始まったことではありませんよね。私など、学生時代には、随分と厳しくしつけられましたが、おそらく平安の昔から、日本語は“乱れ”続けてきたのではないでしょうか。

kokutetsu
質問者

お礼

そうなんですよ。いい変化もあるんですが、鼻につく変化というのが多いのです。これも、私が年寄りだからでしょうか。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.6

ある時代の会話 : 「今のやつらの言葉には困ったもんだ。NEWのことを<あたらしい>だなんていう奴らがいる。妙にひっくり返しやがって、背中がムズムズする」 「そんなこというねい。言葉は変わるもんだ。あんた一人のものでもあるまい」 「<あたら>だなんて、肝心のとこまでひっくり返しやがるから癪にさわるんだ」 「おいおい、<あらたしい>なんてもう古いんだよ。これからの時代はな、<あたらしい>っていわなくちゃいけねえんだ。若けえ奴らがしょっちゅう使ってるだろ、<あたらしい、あたらしい>って。それでいいんだよ」 「そういうもんだろうか」 「ああ、そういうもんだ。いいか、考えてみろよ。これからあと、100年もしたら、おれたちの方がヘンな言葉使ったるなんて、言われかねねえぞ」 「まさかあ、そんなことはあるまい」 「いや、ある。ことばというのはその時代で決まるもんだ」 「じゃ、何かい。ま、その、<あたらしい>ってヘンな言い方がフツーになる時代が来るってのかい?」 「ああ、そうかもな」 「おらあ、そんな時代にゃあ、生きていたかねえや」 「大丈夫だよ。死んじまえば、どうでもいい話だ。<あたらしい>だろうと、<あららしい>だろうと、<たたらしい>だろうと。勝手に言ってくれってなもんだ」 「そうだな」 「おい、もう字数制限じゃねえか」 「かもな」 「じゃあ、ここらでやめとくか」

kokutetsu
質問者

お礼

あたらしい、のほかにも何か字の順番が入れ替わった言葉があるような気がするのですが、今思い出せません。うらやましい、もいつかは、うまやらしい、に変わるかもしれません。

  • aired
  • ベストアンサー率16% (9/54)
回答No.4

私はあまり危惧するほどの問題ではないと思います。 言葉はたえず変化していくものです。 質問者様が子供の頃に使っていた言葉も、 その50年も前から比べると全然違うでしょう。 「誤用でも多くの人が使えば市民権を得る。」 とありますが、これも当然のことでしょう。 たとえば、本来は「全然~」という言葉は本来否定の時にしか使えませんが、 最近では「全然いい」などのように肯定の場合にも使われるようになりました。 私はそれも「全然いい」と思います。 言葉の変化は止めらないし、止める必要もありません。 そもそも「とても」だって、元々は否定の時にしか使えなかったそうですが、 今では肯定否定どちらの場合でも使えます。 使われ始めた頃は乱れとしか思えないでしょうが、 それが残るものならいつかはそれも普通になっていくでしょう。 逆にギャル語などは実際ギャルと呼ばれる人にしか使われていないように、 この先残る気配はないと思います。 まあ確かにコンビニやファミレス言葉は変だと思いますが、 それも最近指摘する人が増えて直ってきているように思います。 使いやすい言葉や、なじみやすい言葉はきっと残っていくでしょうが、 あまりに変な言葉は結局は残らないでしょう。 そのようにして言葉は変化していくのではないかと、私は思っています。

kokutetsu
質問者

お礼

ちょうどいただきます、という所を、ほとんどの人が、ちょうどおあずかりします、と言っています。あずかる、という語が、いただく、という意味で定着してしまうと、あずかる、という本来の意味を埋める言葉が無いような気がします。

回答No.3

 言語とは変遷するものです。それを否定する人間は,言語発生当時の下等言語を使っていなさい。  というような反論をする人がたまにいます。たしかに変遷というものは許容すべきではありますが,また同時に,その変遷は可及的抑制すべきものでもあると思います。  然にあらずば,「日本語はローマ字表記にすべきだ」などというふざけた主張が実現せられてしまうかもしれません。恐ろしい。  以下は蛇足です。  揚げ足を取るようで恐縮ですが,誤謬とおぼしきものを見つけましたので指摘させていただきます。  ――×「憂(うれ)いている」(「五段活用」に引きずられて間違える方がたまにいらっしゃいます)→○「憂(うれ)えている」(本来は「下一段活用」です)。  さらに余計なことですが,いわゆる康煕字典体・歴史的仮名遣い・文語の復権を庶幾しております。  いかんせん,あまり人前では使えませんから。「可読性に欠ける」と^^;

kokutetsu
質問者

お礼

憂えているが正しいとは知りませんでした。ありがとうございました。

noname#26098
noname#26098
回答No.2

議論のための質問は原則的に禁止では?(一応) ほとんどのものは放任するしかないと思います。 私も、へんな敬語を使われるとんっ?と思ってしまうタイプですが、 だんだん慣れてきてしまっています。 質問者さんも自分でおっしゃっていますが 私たちが、今「正しい」としている言葉の中にも、辞書を紐解けば 古くは○○の誤用だった、とか、△△という言葉が変化したもの、 ということがままあります。 日本語に限らず、どの言語も、時間とともに常に「乱れつづけ」ているのではないでしょうか? 中には、言葉遣いを違うよ、と注意しても「そっちのほうがわかりやすい」と言って聞かない子もいます。 しかもそういう子は一人ではないな、と最近感じるのです。 そう感じる人がいる以上、少しずつ変化するのはやむをえない、と思っています。 しかし、「ヤバイ」というような言葉はよくないな、と感じます。 いいことも悪いこともなんでも「ヤバイ」で済ませられるので 語彙がなく、表現力が貧困で、心が貧しいと思ってしまうからです。 言葉の乱れ自体より、新しい言葉ばかりによりかかって、 ほかの日本語を使いこなせない人がいることのほうが、よっぽど私は問題に感じます。 (しかし、こういった場だから言いたくなるだけで、 普段は言葉の乱れにしろ、語彙の貧困さにしろ、他人事なので無頓着です)

kokutetsu
質問者

お礼

そうですね。もしかしたら削除されるかもしれません。とくに敬語は若者には難しく絶滅しそうです。これでいいのかどうか?

  • osyo3
  • ベストアンサー率56% (35/62)
回答No.1

はじめまして。osyo3と申します。 私も、古き良き「日本語」を愛しています。 乱れた言葉、誤用、親しい人には指摘しています。 金田一秀穂先生が、「言葉は生き物で、生まれ、死に往[ゆ]くものだ」という趣旨の事を仰しゃっていました。 私達、そしてもちろんkokutetsu様が今使っている言葉も、今は昔の人々からすると恐ろしく汚い言葉かもしれませんし、なんと乱れている事か!と驚嘆なさるかもしれません。 有名な言葉に、「新しい」がありますよね。 これを「あたらしい」と読むのははやり言葉から来ており、元々「あらたしい」をかっこよく間違えて読むことが定着したようです。 新しいをあたらしいと読んで、美味いを「まいう」と読んではいけない道理は無いのだなと感じています。(無論私自身は馴染めませんが) 私もkokutetsu様と同じように美しい日本語が失われていくのは哀しいと思っています。先生はこうも仰しゃいました。「使われなくなった言葉は死んでいる。今生まれつつある言葉は、耳慣れないが確かに生きている言葉だ。」 私は乱れた日本語を容認できない気持ちになった今、自信が老いたのだなと理解しています。 これからも私が正しいと思う方法で言葉を使い、自分の中では旬な言葉として生かしていきたいと思っています。 全く回答になっていないかもしれませんが、自分がどう感じ、どう思っているか勝手ながら述べさせて頂きました。

kokutetsu
質問者

お礼

ありがとうございます。かくして、年寄りと若者は言葉の上でも断絶していくのであります。

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