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アクセントが複数ある語に関してなんですが・・・

  • 質問No.8368173
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お礼率 65% (3120/4748)

例えば、「案外(あんがい)」ですが、高低低低(頭高[1])と 低高高高(平板[0]) の2通りあります。

これは、頭高で発音するグループと 平板で発音するグループの2つがあるという意味ですか?

それとも、一人の人間が時と場合によって、2つを使い分けるという意味ですか?

私は今、人為的に東京アクセントを学んでいる者ですが、間違っているのかも知れませんが、案外という言葉を使う時の状況は色々あると思います。
「彼がそんな酷いことをしたって!? フーンそうかい。案外そういう人間かも知れないな」の時は頭高。
「彼がそんな酷いことをしたって!? う~ん僕は信じられないなあ。でも、案外そういう人間なのかもなあ」のような時は平板で発音しそうなんです。

実際はどうなんでしょう? 頭高で発音する人は、心理状況の違いはあっても、いつでもどこでも頭高で発音するのですか?

次に「父」のアクセントも頭高と尾高の2通りあります。
昔の電報文によく使われた、「チチキトク(父危篤)」 は頭高で発音したくなります。

ところが、「父ありし頃」は尾高で発音したくなります。ちちのち と ありしのあ にアクセントを付けると
アクセントの山が2つもあって、非常に不自然に感じるのです。

ところが、市の音訳教室では、どのアクセントで読むか決めたら、そのアクセントで全編を読めと言います。ページによって、違うアクセントで読むな、と言うのです。

「父らしい」の場合だったら、名詞+助動詞で父を尾高で発音することは決まっているようなんですが、
名詞「父」+動詞の「ありし」どんなアクセント規則があるのでしょう?

色々と書きましたが、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.7
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ベストアンサー率 89% (25/28)

回答6に対する「補足」へのお答えです。
声を大きく出すことでもちろん強調できますが、それとあわせて、音の高低によっても強調できます。その方法は、もともとその単語をそれだけで発音したときに現れる上昇や下降の幅を大きくするといういことです。
ウツロノ低高高高、ハナガ低高低を強調したければ、低から高へ移るときの音程差を大きくすればいいわけです。ハナガでは、ナからガへの下降幅も大きくします。
サイテイル低高高高高は、その全体やサイテの部分を強調したければ、サからイへの上昇幅を大きくすればいい。イルの部分だけを強調したければ、先の回答に書いたように、イルをそれだけで発音したときのように、イからルへ上昇し、かつその上昇幅を大きくすればいいわけです。
平板型を起伏型になど、アクセントの型そのものを変えてはいけません。
こういったことも教室で教えてくださるといいのですが。
お礼コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

回答ありがとうございます。

英語のアクセントは強弱、日本語のアクセントは高低とどこかで読みましたが、やはり、強調したい時も、日本語の高低機能を使うわけですね。音程差を使うということですね。

>平板型を起伏型になど、アクセントの型そのものを変えてはいけません。

これを鉄則と心得ておきます。

教室では、質問しても私の知りたい答えが返って来ませんね。私の質問が細かいのか、質問の意味が理解出来ない、とかも時々言われます。

今回の質問に関しても、大分に色々と知識を得ることが出来ました。どうもありがとうございました。
投稿日時:2013/12/03 11:06

その他の回答 (全6件)

  • 回答No.6

ベストアンサー率 89% (25/28)

前の回答への補足です。
「「い」を「中」くらいのアクセントを付けて読む」というのは、もしかしたら、「咲いている」を「低中中高低」のように読むということなのかもしれないと今思いつきましたが、このアクセントもやはりありません。イルは平板型ですから。
補足コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

何度も済みません。

もっと正確にアクセントを書くべきでした。
実は、「咲いている」を「低中中高低」のように読むということです。しかし、「いる」は平板であるから、そうは読まないということですね。

「そこに虚の華が咲いているからである」という文ですが、
ある事象の原因理由を述べている文章です。
「実は、コレコレこういうのが原因なのだよ!」と気持ちで読むと「咲いている」を強調したい気持ちが起こって、「低中中高低」のように読みたくなる(多分)のだと思うのですが、こういう強調の仕方は無いということですね?

どうも、自分自身の耳の底に我流のアクセントが潜在していて、勝手に判断して、しかもそれが自然に聞こえると言う障害があるようです。

もし、「その理由は、そこに虚の華が咲いているからなんだよ」と原因理由を強調したい場合は、最早アクセントでは強調出来ず、「そこに」や「虚の華」や「咲いて」いるなどを大きく声を出して強調するということになりますか?

しつこい補足で恐縮ですが、宜しくお願いします。
投稿日時:2013/12/03 01:18
  • 回答No.5

ベストアンサー率 89% (25/28)

回答4に対して頂いた「補足」への回答です。

>低中中中中だと京阪式の中中中中中と殆ど同じなので、東京っぽく聞こえないから、間違っているのでは?と思ってしま
>いました。「いる」の「い」を「中」くらいのアクセントを付けて読むと、東京っぽく自然に聞こえたのですが、これは、間違って
>いたようですね。つまり、「いる」の「い」にアクセントが付くことはない、でよろしいでしょうか?

「「い」を「中」くらいのアクセントを付けて読む」というのは、「咲いている」を「低中中高高」のように読む、ということでしょうか。これはないと思います。「低中中中中」が普通だと思います。

もし、かりに「(まだ咲き終わってはいない。)今も咲いているのだ」のような文でイルを強調しても、「咲いている」「低中中中高」のようになるのが普通かと思います。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 89% (25/28)

回答3に対して頂いた「補足」への回答です。

問題を一般的に言いかえると、「前の単語が起伏型(下降あり)の場合に、次に来る平板型の単語の最初の「低高...」がどうなるか」ということですね*。

一般には、前の単語の下降の位置(高から低に変わる場所)が次の単語に近いほど、また2つの単語の意味的・文法的なつながりが緊密であるほど、次の平板型の単語は「低低...」になりがちです。
逆に、前の単語の下降の位置が次の単語から遠いほど、また意味的・文法的な繋がり具合が緩いほど、次の平板型の単語は「低中...」や「低高...」になりがちです。

彼が・見ている  高低低・中低低低 
(「彼が」と「見ている」を切って発音すれば高低低・高低低低も可)
華が・咲いている 低高低・低中中中中~低高低・低低低低低
(「華が」と「咲いている」を切って発音すれば低高低・低高高高高も可)

ここで「見て」と「いる」は意味的・文法的にとても密接に繋がっているので、「いる」が低中や低高になることは普通はありません。
一方、「華が」と「咲いて」は主語と述語の関係で繋がり具合が緩いので、「咲いて」の「い」以降が中になった、「咲いている」低中中中中でも不自然ではありません。

また、「華が咲いている」と「チューリップが咲いている(チューリップはかりに頭高型で発音することにする)」を比べた場合、「華が」より「チューリップが」のほうが下降位置が次の「咲いている」から遠いので、一層「咲いている」を低中中...または低高高...で発音したくなるのではないでしょうか。

「意味的・文法的なつながりの緊密さ」というのはかなり漠然としていてますが、これは具体例を通して先生が教室で教えてくれるといいと思います。

なお、ある部分だけを強調する場合は、また音の高低が違って来ることがあります。

このようなことを考えるときには、別の表記法を使ったほうが良い場合もありますが、とりあえず高中低の3段階で。

*頂いた補足にある、“「咲いている」の「い」”を前のほうの、「咲いて」の「い」と判断して回答しましたが、もしちがっていたらおっしゃってください。
補足コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

済みません!

「咲いている」には2つ「い」があったんですね。「いる」の「い」のことなんです。

低中中中中だと京阪式の中中中中中と殆ど同じなので、東京っぽく聞こえないから、間違っているのでは?と思ってしまいました。
「いる」の「い」を「中」くらいのアクセントを付けて読むと、東京っぽく自然に聞こえたのですが、これは、間違っていたようですね。つまり、「いる」の「い」にアクセントが付くことはない、でよろしいでしょうか?
投稿日時:2013/12/02 16:05
  • 回答No.3

ベストアンサー率 89% (25/28)

1講師の方がおっしゃるような、「どちらか一つのアクセントにむりやり決めてしまう」ということは、私も必ずしも必要ではないと思います。
目の見えない方にとって、一つのテキストの中で同じ単語を2回以上聞くときに、1回目と2回目が同じアクセントのほうが聞きやすいということがあるのかもしれませんが、あまり神経質になるのも大変なように思います。
単語のアクセントは大事ですが、聞きやすい音読にするためにはアクセント以外にも気をつけないといけないことも多いのだろうと思いますし、少しぐらいなら、東京人のアクセントからずれていても許容範囲かもしれません(講師の方に叱られるかもしれませんが)。

2不注意で、回答2にミスがありました。本当にすみません。

>「(どうも、おそらく)父らしい[父のようだ]」では、上と同じ
>アクセントと、父を▲尾高(低高中低低)または頭高(高低中低低)▲
>にしたアクセントの、合計3つがあります。

の▲~▲部分は以下が正しいです。
尾高(低高低中低)または頭高(高低低中低)

なお、これはアクセント辞典では簡略化して、
尾高(低高低低低)または頭高(高低低低低)
のように記されています。

3「父ありし」のアクセントについて追加。
ついでなので、「父ありし」についてもう少し。これは、主語(父)と述語(ありし)の繋がりです。目的語と述語の繋がりでも似たようなアクセントになるので、それで考えると、以下のようになります。助詞のヲを省略した文です。本当は高中低の3段階ではきちんと表せませんが、とりあえずこの記号ですませました。

a平板+頭高 鳥食べた  低高・高低低
b尾高+頭高 犬食べた  低高・中低低
c頭高+頭高 蜘蛛食べた 高低・中低低

「父ありし」のアクセントはb・cの2つのアクセントと同じ、ということになります。
補足コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

ついでの質問で申し訳ないのですが・・・

そこに虚の華が咲いているからである。
彼が見ているからである。

上記2つの文で、「咲いている」と「見ている」の部分ですが、「咲いている」の「い」を「中」くらいにアクセントをつけたくなるのは何故でしょう?正しくはどうなるんでしょう?

「見る」や「歩く」のような頭高、中高の動詞の「~ている」の「い」はアクセントを付けたら間違いとはっきり感じますが、

「咲く」や「教える」のような平板動詞だと、「~ている」の形になった時、「い」に「中」くらいのアクセントをおきたくなるのですが、法則に照らすとどうなるのでしょうか?

いつも迷っています。
宜しくお願いします。
投稿日時:2013/12/02 11:11
お礼コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

再回答ありがとうございます。

a平板+頭高 鳥食べた  低高・高低低
b尾高+頭高 犬食べた  低高・中低低
c頭高+頭高 蜘蛛食べた 高低・中低低

「食べた」は高低低で、「た」は高です。
犬も蜘蛛も、直後の拍は本来は低になるはずですが、
食べるの「た」が高であるため
低+高=中 となるわけですね。前の拍に引っ張られて下がるんですね。

よく分かりました。
投稿日時:2013/12/02 10:54
  • 回答No.2

ベストアンサー率 89% (25/28)

書き忘れました。
「(いかにも)父らしい[父にふさわしい]」では、父のアクセントは尾高ではなく、低高高高低という、父を平板にした、というかチチラシイ全体を1つの単語のようにしたアクセントです。
「(どうも、おそらく)父らしい[父のようだ]」では、上と同じアクセントと、父を尾高(低高中低低)または頭高(高低中低低)にしたアクセントの、合計3つがあります。
なお、アクセント辞典では、低高中低低のような音調は低高低低低と簡略化して表示しています。『新明解』の辞書本体のラシイの項目を参照。
さきほどの私の回答、誤記が多かったですね。
お礼コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

「らしい」も色々あるんですね。

「らしい」が付くと、私は自然に、「父」を頭高では読まなくなります。

講師が「ここも頭高で読むべき」と言ったんですが、別の講師が「らしいが付いた時は尾高で読んでいいのだ」と助け舟を出してくれました。講師たちに翻弄されている感じがします。
投稿日時:2013/12/01 09:01
  • 回答No.1

ベストアンサー率 89% (25/28)

アクセント辞典に複数の型がのっている場合、普通は先に書いてある方が、古くからある、より一般的なアクセントです。だから、基本的には先に載っている方で発音するのが無難だと思います。
ただ、アクセント辞典にのっているのはどちらかというと古いアクセントですから、今の若い人が聞くとかえって変だという場合もないわけではありませんが、そこまで気にしなくてもいいのではないでしょうか。
あるいは、辞典にそのアクセントが載っている限りですが、御自身のアクセントからの類推で発音しやすいほうにしてしまう、というのもやりやすくていいかもしれません。

「案外」のように、とくに意味による使い分けに関する注記がなければ、Aさんはいつも頭高、Bさんはいつも平板、Cさんは頭高と平板を口から出任せに?混ぜて使っている、というようなことだと思います。一人の人が意味用法によってAとBを明確に使い分けている可能性は低いと思いますし、かりにあったとしても、そこまで気にしてもきりがないと思います。

「父」の頭高と尾高ですが、これは『新明解アクセント辞典』のアイクセント習得法則の「音韻とアクセントの関係の法則」のC(8ページ)を参照してください。尾高が古いアクセントで頭高が新しい(もっとも『新明解』は後者を認めてない?)。

なお、「父ありし」は、「父」を頭高で発音した場合も、二つ目の山をあまり目立たせないように控えめに発音すれば、不自然ではないと思います。なお、チチが尾高型の場合は、たとえば、○低高中低低のようになります。チチを平板型にした×低高高低低はよくありません。
お礼コメント
0123gokudo

お礼率 65% (3120/4748)

私の回答にいつも時間を割いて戴きありがとうございます。

私も既に相当、歳を食ってますし、人為的に標準アクセントを獲得するのは大変な作業ですので、出来るだけ、努力が少なくて済むように、1つのアクセント法則があれば、それ一本で出来るだけ多くのものをまとめてしまいたいような、それが私の基本的姿勢になっています。

そういう私の姿勢を分かって戴いているようなので、有り難いです。

言語学者が調べたアクセントというのは、表面に現れたものからの判断ですね。前に修飾語が付く場合と付かない場合とか、あるいは「らしい」のように意味の違いによるアクセントの違いとか。

私は同じ人間でも、その時の自分の心理状態の違いによってアクセントが変わることもあるんじゃないかと感じているのです。これは誰も調査研究していませんから仮説に過ぎませんが。誰か心理学者が大規模にこの方面の研究をしてくれることを期待しています。

私が標準アクセントに慣れた時点でどうなるかは分かりませんが、少なくとも現時点では、「案外」などの言葉は使われている場所によって、自然に頭高で読んだり、平板で読んだりしてしまうわけです。

それに対して音訳教室の講師が、アクセントを統一しろというのを「おかしい」と思っているわけです。貴方はどう思われますか? 仮説を根拠に異議を唱えるのはおかしいと思われますか?しかし、逆に「そうではない」とも証明されていないのですから、ここは両様を認めるべきでは、と思います。将来仮説が正しかったということが証明されれば統一したのが間違っていたということになりますから。

>なお、「父ありし」は、「父」を頭高で発音した場合も、二つ目の山をあまり目立たせないように控えめに発音すれば、不自然ではないと思います

こういう方法があったんですね!これなら不自然ではないですね。ありがとうございます。
投稿日時:2013/12/01 08:51
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