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なぜ法則性を創出しなければならないのですか。

馬鹿文系みたいな回答は止めてください。例えば(キリスト教の)神の御意志を知り尽くすためみたいな。それは(自己欺瞞も兼ねたりする)建前ですよね。 もはや利便性のための研究(日常や現場の問題解決や原因究明をストレートに研究)するのは軽視され成されない傾向にどっぷりですよね。学問のための趣味的研究みたいな有り様で。 仮に単にそういう社会力学があるからなどとまとめられる場合はそれが変更されない理由を知りたいです。 どいつもこいつも芸もなく、無理無理、法則性に取りつかれてそればかりでどうするのかと思います。 ご教授宜しくお願いします。

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noname#221368
noname#221368
回答No.10

 #7です。 >・・・無関心素人層には私側の意見が支持される方が自然なはずです。そうならない理由です。というか実質趣味研究や真実保身作業への全面肯定が正当ヅラしていられる理由です。  理由はいくつか思いつけます。ただ決定打はないですね。 (1)お爺ちゃん,お婆ちゃん世代の影響  100年ほど前の大正末期や昭和初期の話ですが、当時大学出は「学士様」と呼ばれていました。この人達を親に持つ団塊世代と、その子供たちである三無主義の世代(注:新人類やニュータイプの二世代くらい前です(^^;))が、今やこの国を切り回しています。安倍晋三だって、その一人です。その雰囲気の中では大学出は、基本的に「学士様」なんですよ。 (2)戦後日本の科学運動  学問や科学の活動に、価値判断を挟んではいけないという意見があります。価値判断の中には、実用的か否か等の判断基準も含まれます。  その根拠は、学問や科学は自然を記述するべき活動なのだから、人間の都合(価値判断)は絶対に考慮すべきでないという考えです。ありのままに記述せよと。これはこれで正しいと思います。  価値判断で最大に影響するのは、政府の政策です。人間の都合を学問に含めたら、この世は御用学者の天下になるよと(なってる気もするが)。  戦後日本の科学運動とは敗戦も考慮した結果、政府の言う実利的政策には絶対に従うものか!、という宣言です。  学生運動華やかりし頃、こういう考えは流行し、その雰囲気下で育った人たちは今でもたくさんいると思います(年配に)。 (3)法則  やっぱり法則は欲しいんですよ。なぜなら本質的に妥当な法則があると(現象論的なものでもOK)、それ以外は何も考えなくて良くなるからです。仕事が加速されます。 (4)科学技術がなければ戦争に勝てない、という話  ナポレオンはそう思っていたと思います。実例としては、世界に先駆けて産業革命行ったイギリスは、七つの海を制覇しました。  別に戦争じゃなくても良いんです。ウォシュレットは今やAKBの売れ筋商品の(輸出商品の)トップ近くにいますが、ウォシュレットは日本の電子産業とIT業界とTOTOの工芸技術がなければ、あり得なかった話です。  革新的な施政者みな、科学技術に対する意識をどこかで持っていたようで、小田信長の行った度量衡改革を、豊臣秀吉は全国的に普及させます(同時に刀狩もしましたが)。メートル原器を作らせたのはナポレオンです。  我々は今も実質的には20世紀に生きています。20世紀くらい科学工学技術が爆発的に発展した世紀は他にないんですよ。なのでその根拠を作る基礎研究にも、甘くなるのだろうと思います。 (5)基礎研究はあやふやだ、という話  とは言うものの、基礎研究は何が当たるかわかりません。そしてどうやったら効率的になるかもわかっていません。自然が相手ですからね。  次善の策としてできるのは、「数打ちゃあたる」です。これと(1)~(4)を合わせたのが、現在の状況ではないですか?。そして(1)~(4)の理由により、国民は「猛烈には反対しない」。  こんなところではなですか?。

customar
質問者

お礼

ありがとうございました。

customar
質問者

補足

なるほど×5。 研究学問という詐欺がしぜんに進化して社会の中で複雑な平衡関係にあるわけですね。右の根っ子が左から出てくるように。 反権力や独立性を大義名分にして保身でしかない労働組合ですね。労働組合の方はまんまだから見捨てられたが科学畑にはつまり高尚な権威集団ならば労働組合的な批判を受けにくい。権威主義ジャパンの思考停止。教育は権威主義による統治(文治ならぬ理治)。かっこよく言えばですがともかく批判がないのですよね。これまでの回答を観てもまさに実態を反映していますでしょ。科学が宗教であるとう。 (5)あやふやだからハズレまくっていいという先生や良識人はパチンコや宝くじを否定しない人らなんですかねえ。あやふやだから放置はまずいというのが正しいのでは。ましてや第三者ならなおさら。 いずれにしてもいわゆる戦後左翼でまとめるのが一番通りがいいとは、うかつでした。しかし精神的にはどうしょうもない世代ですな。原爆や9条や二酸化炭素や赤字財政ではなく戦後の左翼的インテリ思考が原因ですよ。役人はそのエリートです。その天国のヒエラルキーですかね。下天のうちを趣味研究すれば。 評論家趣味はないのでどうにかなりませんかね。戦後世代が敷いた社会資本のレールになっていますが。

その他の回答 (9)

  • Mathmi
  • ベストアンサー率46% (54/115)
回答No.9

何というか、技術者的な考え方(直接役に立たないものは不要)だな、と感じました。 自分からすれば、貴方が切り捨てた各種法則や様々な物理データがなくて、一体何の研究ができるのか、という考えなんですが。それとも、他の分野(歴史とか心理学とか)の事を言ってらっしゃるのかな? 基礎研究の有用無用は、他の方もおっしゃっていますし、自分は論じないことにします。 質問されているのは『貴方が不要だと思う事(法則の研究等)を他の人たち、特に学問に関わりのない一般の人々が必要だと考えているのは何故か?』ですよね? 「有用だの不要だの考える事すら無駄、自分には関わり合いのない事だし」と無関心であるか「偉い学者さんが研究してるorテレビで何か凄いって言ってるから凄いんだろう」って所じゃないですか? 少なくとも『どんな研究をしているのか興味を持っていて』『それが無意味であると感じていて』『その上で賛美している』人はいないと思いますが。 あ、それとも「ろくに知りもしないことを何故盲目的に信じられるのか?」っていう話なんでしょうか?

customar
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご指摘だとクラゲ先生も山中先生も技術者的という事になりますね。数学者に限らず要らないものを研究している人は趣味です。基礎とか応用ではなく要らないものを研究している人だらけです。民間のメーカーも同様です。否定されない集団陶酔の成功でありリアルな成功ではありません。それが日本メーカーがダメになった理由であり研究が非効率の実態です。端的には首にならない人らの自己満足。 趣旨はおっしゃる最後の段落ですね。「貴方がいう」ではなく事実だし、無関心素人層には私側の意見が支持される方が自然なはずです。そうならない理由です。というか実質趣味研究や真実保身作業への全面肯定が正当ヅラしていられる理由です。

回答No.8

理系の研究とは仮説を立てて、数えきれないほどの実験を行い、仮説に反する部分を探し、訂正を重ねる作業だと言えます。 だから、しばしば仮説がくつがえりますし、仮説の訂正と撤回を繰り返す研究の過程は知識のない人達にとっては不毛で意味のないものに見えるんですよ。 しかし、経営者や政治家はそうした意味なさげで不毛に見える研究への、投機ともとれる投資も行います。 研究というものが100万件の実験データに対して1件の結果を出すような非効率的で忍耐を必要とするものであり、進展と後退を繰り返しながらゆうに数十年をかけて進行する、成果の実り難いものであることを理解しているからです。 経営者よりも巨額の資金を操れる政治家は高度な研究の過程ではしばしば1基数億円という高価な測定機械やほんの僅かな試料を得るのに公共事業クラスの予算を使いきってしまうことも踏まえつつ、成果の有意義さと天秤にかけて予算を算出します。 (この場合の「有意義さ」とは民間で役に立つこともさることながら、その技術を持つことによる国益とか、投じた税金が再び関連技術を使用した製品によって回収できることだったり、様々な基準があるでしょう。グレーな話で言えば、政治家引退後の行き先の一つである独立行政法人などが新設できるかどうかも、かなり重要なのではないでしょうか?) 巨額の費用を投じた分、実った時の恩恵は国家的・世界的なものになることも多いのですが、そうした高度な研究は難解で意味が理解され難いので、それへの投資はよくバッシングの対象になります。 りんごの種を食べても美味しくありません。 しかし、植えて育てたところで美味しいりんごにありつけるという保証はありません。 それでもヒトと金と時間の投資を行い、根気強く栽培し続けることでノウハウが蓄積され、美味しいりんごに到達できる可能性は高まっていくのです。 研究もこれと同じ。 収穫時期の見通しが立てづらいだけで他に違いはないと思います。

customar
質問者

お礼

おっしゃることを分かりますがそれは自民党にも共産党にもあるような大義名分の内容です。 そういう目的意識で研究しているのはりんごの育種研究家でして、そんな目標のない研究についての質問であり、二律背反する大義名分のうち科学者が喜ぶような物に対する信仰の動機についてです。 そういう理屈で肯定できるだろうではなくて、知識のない人やそういう理屈のない人やそういう理屈を否定する批判精神のない人らが支持している現象の理由です。 詐欺オリンピックはどの種目も愚民から応援されるという事でしょうか。 おっしゃるような理想が現実であれば捏造などは絶対に存在しないと断言出来ることにもなりますし、また中途半端なコストより一気に投資した方がいいとも言えます。投機ならば亡国です。山中先生は効率良さを研究された結果、実用化の成果を出してそれがノーベル賞です。投機ならば投機の勝率を上げる研究すべきはずです。その反対の研究が多いのですよ。当たらないギャンブルの必勝法を研究するのは趣味であり保身です。つまり無価値でも研究産業として予算がつけばいいという生存方法です。がんや健康食品など実学的に思われても実態はまるで成果のない研究産業です。

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 #5です。  まず漠然とした雰囲気(共通認識?)として。 >・・・基礎研究(者)不足が起こるというのが理由の一つだと思いますが、それをもっと実学的に維持しようと批判されない理由です。  ちなみにスパコン競争はパソコン系ではないですよ。あれはスパコンの基礎研究です。で、実学的に「なぜ一番じゃないと駄目なんですか?」と言った人がいた訳です。  一番じゃないとたぶん駄目なんですよ。スパコン競争は実学じゃないので。何を言いたいかというと、次のような例はどうでしょう。  例えばコンピューターウィルスは迷惑極まりないものですが、検挙された内のけっこう多くの動機は、やってみたかったとか、腕を試したかったとか、他愛もないものです。 (職業的な人達も、もちろんごまんといますけど、そういう人達は捕まらない(^^;))。  迷惑極まりないが、気持ちはわからないでもない。人間は可能であれば、何でもやりたがる動物ですからね。しかし迷惑だ。そこで取締りを強化した結果、ウィルス犯罪が一つもなくなったとします(プロも含めて)。その時に、天国が来るんでしょうか?。  そんな事になった暁にはその国は、某北の国みたいになってるというのが、自分の意見です。その辺の匙加減は皆さん、漠然とですがわかってる気がします。これがミニマムに観た、基礎研究に甘い理由です。  アインシュタインはこう言っています。「知的興味というひ弱な植物が育つためには、少しの水と日光で良いのだが、なかなか得られない」と。大学の助手にすらなれなかったアインシュタインが、今日生まれたらニートになってただろうという意見には、けっこう賛成です。現在は当時より、じつは実学よりだと感じます。  次に文系詐欺についてです。  予算を策定する文系官僚は、どうやって基礎研究を評価するのか?。現在では理工系の専門家でも専門領域以外は全くわからないという事態が、ふつうです。そこで官僚は、(第三者なる)何々調査会や委員会を企画します。圧縮して言うと、有識者です。でも有識者も、専門領域を持ってますからね。  ひどい言い方ですが、有識者も自分の専門領域に都合の良い事しか言いません。有識者の中には専門職だけでなく、企業人だっています。そして官僚は、目的に沿うように有識者の組み合わせを企画します。それがプロの管理職です。しかも本当に優秀な官僚は、本当に信じられないくらいの量の仕事をします。結果は見えますよね?。  最後に、歴史的に観た国立大学・・・。  自分の知る限り、国立大学を最初に創ったのは18世紀のナポレオンです。今もあるエコール・ポリテクニークがそれです。それはナポレオンが、学生(新兵候補)の洗脳目的で創ったのは間違いないですが、科学技術がなければ「戦争に勝てない」と思っていたのも、たぶん本当です。  それまで自然科学(基礎研究)は金持ちのサロン活動で、本当に趣味だった訳ですが、そこに実学志向が加わりました。  「お前はどんなに趣味の研究だってして良い。だけど最後には、その結果を世の中の役に立たせろ!」となった訳です。この真綿で首を締めるような体制は、その後もどんどん発展します。  産業革命で工業化したイギリスは、19世紀に国立大学を乱発(?)します。ファラデーではないですが、ファラデーと因縁浅からぬ電磁気学の開祖であり、最初の国立大学の最初の学長にもなったマックスウェルも、電磁気学の研究当初、研究助成金を分捕るために、役人と折衝しました。  役人に「これは何の役に立つのかね?」と言われた時に彼は、   ・「10年後、これに税金をかけられますよ」 と言ったそうです。けっきょく金を出したのは、篤志家でもなんでもなく、役人と政府と国民だったんですね(^^;)。  その後さらに厳しい20世紀の研究体制が確立されます。20世紀には全世界で、どこもかしかも国立大学を創設します。真綿で首を締める競争は、もっともっと激しくなります。  例えばノーベル賞の指標は、その人の論文がどれだけ参照,引用されてるのかが、客観的な判断基準の一つです。すごく妥当な基準だと思いますが、そのためにノーベル賞近傍の人達は、論文数レースに出走する訳です。   ・その論文数レースの圏外者でありながら、勝っちゃった人が田中さんなんよね、きっと(^^;)。  という訳で全世界的に観て、政府肝いりの国立大学が出来てから、まだせいぜい(まるごと)200年です。200年って、「何代目?」で数えると京都とかには沢山ありますよね?。  なので個人的には、楽観もしていませんが、悲観もしていません。なんとかなるさぁ~。 >どいつもこいつも芸もなく、無理無理、法則性に取りつかれてそればかりでどうするのかと思います。  どんだけの奴らが、そこまで行けたんだろう?。  個人的には、そう思います。

customar
質問者

お礼

一部、読み間違えて補足に書き込んでました、すいません。アインシュタインの頃に比べて現在の方が実学的というご回答ですね。 アインシュタインは彼の(^^)性格的な問題ですから。当時から出世欲の強い大科学者の方が多かったでしょうね。アインシュタインの語りは上質なエッセイです。 学者のプロ化を国家が教育的に奨励した、その洗脳ですかね。 高名だろうが無名だろうが信者は口をそろえて幼稚な夢物語を言うばかりという。 日本の場合、その信者人口の激増は、第二次大戦の反動があるかも知れませんね。ご指摘の歴史的時間ではないが浮かれ騒ぎ的な余興覚めやらない時点とも言えます。しかし反省の仕方が間違っていますね。官主導で亡国してまた官主導を支持では。 実態はどうかという事。 何でもかんでも科学万歳の正当性(科学ならば客観的評価)。 そしてその万歳が軽いタブーのように批判対象にならない理由です。 なんだか、理系離れはサイレンスマジョリティによる本題カトリックからの逃亡活動にも思えてきました。 お付き合いして下さる皆さんのお陰様でいろいろ考えを深められます。ありがとうございます。

customar
質問者

補足

私としては、おっしゃる通りに思います。私の言う文系詐欺の第一は、ならばそうおっしゃればいいのにそれとは別の基礎研究万歳、基礎研究真言宗で、同意し合っている反厳密的な姿勢についてです。 アインシュタインのシャレた話は面白かったですが、その当時が実学的でありそこで(演出として)不遇のアインシュタイン博士が大発見(創出)されたのならば実学的にシェイプアップすべきと結論できます。 マクスウェルの例も成功事例であり黎明期です。その奇形や詐欺について評価されなければ、イエスキリストは善人だったからカトリック教会に寄付という愚昧です。 スパコン議論についてはやめておきましょう。せっかくのお話がぶれてしまいますから。私としてはいずれキャッチアップできる種目のコンテストより補修すべき穴はいくらでもあるだろうという指摘などです。つまりニュートン力学ではダメだ何もかも相対性理論で計算だは馬鹿すぎるという。そしてどちらにせよモデルと計測の妥当性がまだまだ課題だろと。 本題ですが、日本人は真似の民族だと言われます。端的には自己批判なき真似でしょうね。成功例を見て、僕も私もデリバティブ申し込みという。 どいつこいつも法則性にまつわる仕事ですよ。報告書や論文数のためにしかならないケンキュー。 民間の場合は好きにすればいいです。もはや、おもちゃばかりになって日本メーカーダメだこりゃになっていますしそれはサラリーマン的な大企業利権社会が崩壊するまであきらめもんでしょう。政治がダメを保護的に!いくら投じても間抜けな文系詐欺でありサラリーマン麻雀で公務員一人勝ちです。

  • windwald
  • ベストアンサー率29% (610/2083)
回答No.6

まず科学・工学の場において「創出・創作」といった無から生み出す作業は御法度であることはご理解いただけているでしょうか。 法則性を勝手に作り出すことなどできません。 かつて科学者と哲学者は同義でした。 この世に存在する普遍の理を探求する徒です。 つまり、いずれにしてもを現にあるものをあるものとしてとらえ、 その背景を読み解こうとするのが哲学であり科学であるのです。 法則性を勝手にでっち上げる(=創出)のではなく、自然界の中に隠れている法則を見いだす(=発見)が大切ですね。 さて、ファラデーの逸話を紹介いたしましょう。 ファラデーはイギリスの科学者で、米村でんじろう先生のような講演会をしていたことでも知られます。 そのファラデーが磁石によって電気をわずかに起こすことを聴衆に示していました。 ある聴衆から質問がありました。 「ただそんな研究をしても意味がありませんよね?」 ファラデーの答えは非常に奥深い物です。 「生まれたての赤ん坊が今何の役に立つのですか?」 基礎研究とは生まれたての赤ん坊のようなもの。今すぐに役に立つものではありません。 しかしその未来に広がる可能性までも否定されることではないでしょう。 基礎研究とはそのようなのものです。 十年後、二十年後、五十年後……どのように役に立つかはわからない赤ん坊のような。 しかし、ファラデーの研究がなければ電気が切り開いた現代社会は存在せしませんでした。 何の役に立つか、ではなく、何の役に立たせることができるか、と言う視点で我々は見なければならないでしょう。

customar
質問者

お礼

参考になりました。 哲学カテゴリを望んでいません。残念ですが創出は創出で変わりません。アインシュタインも似たような価値観を主張していたと思います。自然の中に法則性が隠れていてそれを見つけ出したのが発見ならば不完全だったり部分的にくつがえされることも有り得ません。 ファラデーの研究に金を払っていたのは誰ですか。その人の動機は何ですか。 質問に対する答えになっていないのです。是非ではないのです。支持される理由です。 それと天才の成功例を出すのはレースの後の予想屋ですからやめてください。そして保証のない話は占い師と変わりません。 何の役に立たせることが出来るのかを誰が考えるのですか。 ペットボトルで家を建てましょうか。ペットボトルはその物で役に立っています。未来にではなく。

noname#221368
noname#221368
回答No.5

>もはや利便性のための研究(日常や現場の問題解決や原因究明をストレートに研究)するのは軽視され成されない傾向にどっぷりですよね。  そうは思いませんが。日常や現場の問題解決やストレートな原因究明の研究は、今も昔もけっこう盛んです。だって即効で役に立ち、金すら儲かるケースもあるのだから、やらない訳がない。ただ余り話題にはならない(マスコミが取り上げないから)。  法則性の追及について言えば、昔は工学屋で、現在はアプリケーション開発をやってるので思うのですが、工学の研究もだんだんアプリケーション開発ににじり寄ってる気がします。使い勝手の良さとか・・・(ユーザビリティーと言います)(^^;)。そういう方向では、新事実や新しい経験則の発見とかはとりあえず二の次で、既存の成果の活用しやすい形を目指します。これはこれで正しいと思う。原理的に可能でも使えない技術なんて、絵にかいた餅ですからね。工学は答えを出せてなんぼ、使えてなんぼの世界、は半分くらい本当。 >学問のための趣味的研究みたいな有り様で。 を全面禁止すると、恐らく基礎研究不足が起きる。何故なら、基礎研究をやりたい連中は概ね、学問のための趣味的研究みたいのをやりたい人達だからです。またそうでなければ、基礎研究は無理だ(根気とかが続かない)。  で自分は、学問のための趣味的研究みたいのも、たぶん好きだ(やってないけど(^^;))。  一般相対性理論によって時空間は重力場と関連付けられ、重力レンズ効果などが計算され観測されたが、けっきょく時間,空間の正体なんて、これっぽっちもわかっちゃいない。  アスペの実験とその追試により、波動関数の波束の収縮と長距離相関は現状では避けられない事態となり、長距離相関に関連するEPR効果は、今や量子CPUを導こうとしている。分子レベルの量子CPUの試作品なら、現実に既にある。しかし量子力学の量子の正体なんて、けっきょく、これっぽっちもわかっちゃいない。  にも関わらず一応計算できて、それは常に実験結果と一致する。  あんまり言われませんが、現在でもけっこう、「この世は不思議のカタマリ」なんですよ。  だったらそこで、「その物理機構はどうなってるんだ?」と思ったとしても、そんなに変な話ではないと思います。  突き詰めるとその辺りが、学問のための趣味的研究の基本的動機だと、自分は思っています。

customar
質問者

補足

回答ありがとうございます。 本人はいいですよ。その本人の趣味にしかならない趣味的研究を個別ではなく社会原理として支持される理由です。 ご提示されてる、基礎研究(者)不足が起こるというのが理由の一つだと思いますが、それをもっと実学的に維持しようと批判されない理由です。 そしてそういう動機が人間原理ならばそれを提示して予算なり評価なりがなされない議論の様子(←文系詐欺)の理由です。文系の詐欺論理が科学者を含む社会の宗教だからでしょうか。その宗教的気質がほとんどすべての全体主義的な不条理の元凶に思います。 科学の議論なのに(科学的であるべき科学支持者自らが文系的に不正直な非事実の)インチキ(動機)を挟む、その理由です。 応用実戦的な研究についてですが研究は成立しても役に立ってないでしょう。いわゆる過剰な機能。土台を不安定にさせるほど。例えば日本はなぜウィンドウズに対抗しないのかとか。それだけOSの消費者負担を軽減できる極めて経済利益(ユーザーの実利)に直結する公的研究です。馬鹿だからオモチャ作りだからと批評したくなりませんかね。 話をパソコン系に絞るつもりはありません。パソコン系はひどすぎて話が終わってしまう感じがします。パソコン系は統計学の研究みたいなものでスパコン競争なんかよりもソースやモデルが決定的になるのだから根本的に頭を冷やせ産業だと思います。

回答No.4

利便性が直ぐにでも得られない研究は禁止なんてなったら日本は終わりでしょうね。 デジタルカメラも生まれなかったでしょう。 #CCDの基礎理論から、製造方法の確立まで10年以上かかったはず。 電気も発見から実用化まで2千年。息の長い研究が必要でした。

customar
質問者

お礼

ありがとうございます。 CCDなら目標に向かう研究でしょ、それは例になりません。そうじゃないのを、公的に支持する事についての質問です。 ご意見の原理が馬鹿文系的なんです。保証ないんだから。極限値はみんな偉人という事ですか。 世界をリードする米国はご意見の原理と真逆です。その緩さは西洋文化とも逆です。 ~になったら日本は終わりです、の因果関係が馬鹿文系です。終わりじゃなく思考を終わりにされただけの間違いですよね。 なんでそう宗教化するのかの理由が質問です。来世のために研究してるのならば中世の大義名分です。 電気も発見から二千年とか、そういうのアジアン。エッセイや前書きにあるような歴史ロマンを本論にしたらダメでしょ。二千年前にどういう発見があったのですか。 そういう意味ない話で説得させられちゃうようではすでに日本人は終わりです。 日本語として、利便性が直ぐに得られない研究は禁止とは誰の話ですか?それはレッテルです。利便性を得る予定のない研究を支持しないというのとも大分違います。カトリック権威に洗脳されたイケイケ修道士が魔女狩りでは困ります。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

最近のこぶりな日本人には分からなくなっているようですが、かって存在した滅亡貴種武士の精神には効率という観念はなかったとどこかに書かれてありました。 理解できないものは出来ないのでしょうが、>利便性のための研究(日常や現場の問題解決や原因究明をストレートに研究)するのは軽視され成されない傾向にどっぷりですよね こういったじじつはどこにもなく、世の中そればかりになって大学から公立研究所にいたるまで貨幣経済にどpっぷりひたって儲けの種探しに走り回っている状態だと私は理解していますが、どうなんでしょうか。 >なぜ法則性を創出しなければならないのですか。 確かに発見でなく創出という言葉のほうがいいのかもしれません。いずれ人間の創造的な精神がそうさせているのだろうと思います。先年ノーベル賞を貰った長崎大学出身の博士の発見されたくらげの青色発光原理もそういった法則性探求の成果だとおもわれますが、単純な知的探究心の基礎的成果が後年大きな実効的利便性を生み出すという事例は枚挙に暇がないということです。もちろんそういった先見性をもってなされたものもあるでしょうがそうでない場合もある。そこらあたりが人間という高度な無目的活動生物の面白いところではないでしょうか。まあ冷徹な理系の貴方には面白くもなんともないのかもですが、私は貴方のBA点数とBA回答数とのみかけ非法則性にいたく関心を持ったものです。

customar
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たぶんですが長崎大学の先生は反骨の人であり東大京大以外からノーベル賞とってやる的な意気込みで自らに具体的な結果を課したと思います。山中先生もそうでしょう。発見内容が人類の福利に直結しています。その程度が科学においてというのがノーベル科学賞です。 ノーベル賞が良いと話でもありません。 趣旨は、身のある研究を馬鹿にせずにしろという事です。ペットボトルの蓋の縦じまを研究しているような研究が多いのです。それは全く違う。もっともノーベル賞から遠い人らですし社会的にも無価値です。そういうのは元来誰の目にも無駄の一言だったはずです。しかしその馬鹿以外には間違いなく無駄な精神活動が、現代に逆説的に支持されるのは何故か。そのための屁理屈が持ち寄られるのは何故かです。事実の是非ではありません。非科学的な説得を科学的な感じで平然と教えるんです。まさにトンデモじゃないですか。

customar
質問者

補足

今や使い走り化してんのではという貴方の冷徹だわ。ご指摘で補完されます、有り難うございます。それはあくまでも新しい傾向ですね。つまり量的に少ない成功例。例えば東大A教授が今度B社と共同!研究始めましたというのは冷やし中華始めましたでありメニューのたった一つです。しかも共同とは大学の設備・人件費・光熱費・国財である試薬などなど別の予算、科研費からの持ち出しも含めた共同出資作業です。そしてそれはアルバイトです。基本給を増やしたいのは旧態依然ですから、使い走りの危機説はよくあるプロパガンダの一つです。その火付け役のマスコミはむしろ公的機関が民間の宣伝していいのかって批判すべきだが日本のマスコミは裏では役所べったりの増税運動です。 おそらく指摘された貴方も含めた科学側の理想ではない傾向の独立芽を古き良きとの幻想的理想論で摘みとってしまう運動論理がそれです。 クラゲ先生はアメリカで成功したんですよ。そこを忘れたらあべこべになります。あの人も物理の米国籍の先生も空想教の日本を好んでいないと思います。クラゲ先生はクラゲは好きじゃないと怒っていましたが(^^)チョー即効性で実用化された例です。ものすごい効率性でありそれはどこの国で成されたか。受賞が後年になっただけです。 すぐに出来ないものはずっと出来ない確率が大きい。極めて少数派の天才と多数派を逆転評価したら宝くじ馬鹿ですから理系なら恥ずかしい限りです。山中さんは予算が足りないと愚痴ったようで、馬鹿が予算使いすぎのニュアンスだと思います。異例のスピード受賞の山中さんは効率性でノーベル賞ですよ。日本の科学をダメにしているのはどういう思想や希望なのか。ダメな人の言い訳原理の方でしょ。それが支持!される理由です。山中先生は誉めるのに効率性批判は日本人は馬鹿だからという事?その馬鹿は外国にない大ハンディキャップでしょ。 今日死ぬかもの武士はチョー合理主義です、武士と役人貴族の思想を逆転させたら、日本人の日本文化知らずです。その傾向も凄まじいが今回は趣味的科学の成果は趣味的にもつまらないのに夢想論理してまで支持される理由です。

回答No.2

法則性とは、我々の目にする現象的な存在の奥に、 原理的な存在を把握する事である。 それは、日常的な物体の内部に分子を、分子の奥に 原子を、素粒子を、クォークを、超弦(量子定常波)を、 といった具合に、現象的多様性を、より少数の原理的 実体の相互作用(法則性)に還元する事です。 超弦理論において、我々の日常の法則を支配している (先入的)と思われた多くの物理定数を、量子=プランク 定数というただ1つの定数の現象的相互作用の結果と して、二次的に導く事に成功しました。 それはつまり、我々の目にする、多様で理解しがたい 現象的存在を、たった1種の素粒子の集まりとして理解 できたという事なのです。

customar
質問者

お礼

創出する理由です。その傾向が続く理由。 優先順位と言ってもいいです。 知的資源の効率性。 ハゲも水虫も散歩するペットの寄生虫の卵もスーパーのカゴの中の微生物も街路樹の野鳥の糞も、糞の雨も卵の風も幼稚園バスの排ガスも眼科の試着コンタクトレンズも、超弦なんですね。

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率25% (1960/7602)
回答No.1

法則性は創出する物ではなく、実際にそうした結果が得られることから、法則性があると認めることです。 法則性がわかるなら、今後同等の結果が得られることを期待して物事を進めることができます。 これが科学です。 科学から説明できないことは空想であったり、宗教であったりします。 もっとも、最近では都合の良い条件下で結果を出して功績としるやからもいますから、信用できない法則性もあると思う。

customar
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。参考になったが1日目現在で五件。 大前提に関して異義は申し上げたいのはぐっとこらえまして最後の一文は賛成するしかない事実でして、しかし事実はそんな例外的なものではなく(ちょっと見つかった不正は大量に埋蔵されてる的に)、99%が輩の自覚の輩ではないのですか、科学界、研究世界の真相は。 その法則性に基づいて今後先に進めるというのは理想論であり科学史の大局観です。そういう文系チックな希望的理念は分かった上での現実の質問になります。今後も何もない趣味的法則性の創出が多いじゃないですか。てめえしか進まない道の地ならしというか。その道が現実にある道かどうかなど関係なく。 人間の大義名分の所在について分かってきた気がします。 これ飲んでみたら症状が良くなった医学は科学ですか。ちなみにキラリティでしたか医者でも生物学者でもない野依さんとかも話されていたんじゃないかと思いますがサリドマイドは一方の鏡像体に毒性があるのですね。 私は「電子レンジの加熱原理と学者」についても質問していますが現在回答は2つです。その議論に関して法則性が正しく応用されていてそれによって科学が前進していると思えますか。

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