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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「ほんとうの意味」において人間が評価されるとき)

人間の評価の真の意味とは?

noname#191700の回答

noname#191700
noname#191700
回答No.13

こんにちは。 お礼をありがとう、回答10です。 基本的に働く行為は、衣食住を獲得するためのものですから、確かに勉強というか探究心が最優先というのは少しズレていると言えなくもありません。 でも、そのような向上心とも取れる話は、別に研究やっている人だけ限定ではないですよ。 研究に没頭するあまり寝るのも食べるのも忘れて考え続ける、というのはよくTVドラマなどにでてくるステレオタイプな研究現場ですが、こういうのはどこにでもあるんです。 営業成績を上げるためにプライベート時間にその筋の本を探して回り自己学習するホワイトカラー。 いわゆる生産現場においても自身のライン稼働率を上げようと寝るのも惜しんで改善研究するブルーカラー。 こんな話は、あげたらキリがありません。 こういうのは普通にどこの職業でも存在しているのが日本人の特性です。 米国人も世界的な標準から見ると働き者ですから、特にホワイトカラーの職種では日本以上に活発だと聞いたことあります。 質問者様のような研究系統の人が他と違うのは、そういう普通にあるものを特別だと感じるところです。 忙しくて恋愛できないとか、権威やオカネのために働いているわけではないとか、そういう人は他の職種にだって沢山いるんです。 僕は服とか興味ありません。 美味しいものは好きですけど、行列に並んで大金出して食べようとも思いません。 仕事が趣味というわけでもない。 でも自分の仕事はキッチリやってパーフェクトでないと嫌。 仕事のためにいろいろ研究したり勉強もしています。 資格とか取得するのも好きですし・・・。 質問者様はもっとディープなのかもしれませんが、僕くらいの奴なら普通に沢山生息していますよ。 感謝祭については欧米人の人種差別の極みではないかと思っています。 トウモロコシの作り方を教えてくれた優しい現地人に「会えた事を神に感謝」する祭りですよ。 その後、現地人は排除されていくのが米国の歴史ですがそういう事を無視して祭りする行為、僕的には少し変だと思っています。 もともとがおかしいのだから、別にTV見ていようがパーティーしていようがいいんじゃないでしょうか? その程度の薄っぺらい信仰です、都合の悪い事は隠してしまうのですから、 TVでも見ていてもらったほうが都合いいんじゃないでしょうか? 勉強させない意図・・・なんだか陰謀論みたいで面白いですね。 僕もそういう事を考えていた時期ありますよ。 でも、実際のところはカネカネカネの結果です。 とにかくオカネです。 勉強もオカネになるならやるでしょうね。 でも勉強よりももっと効率的に儲けるものがあるから民衆をそっちの方向に誘導するんです。 アメフト好きがTV見るから広告できる。 広告できたらいろいろ買ってもらえる。 最近のオリンピックが真夏の時期にやるのはなぜか知っていますよね? 米国で、アメフトとバスケやってない時期だからなんですよ。 最近は愚民もパラエティーとか飽きてきて、相応の勉強番組を見たがります。 でも、作っている側がそういうのを理解してないのでくだらないパラエティーに変えてしまう。 民放の番組なんか本当につまらない。昔からくだらない。 僕の話になります。 僕は子供の頃からNHKスペシャルとか大好きでした。 BBCの特番などもよく見ます。 残念ながら日本の政治はちょっと稚拙なのでつまらないのですが、時事についてのお話は昔から興味あります。 ついでに言うと、民主党が圧勝した選挙が過去にありましたがそれを見て僕は「日本は終わった」と感じました。 高速道路無料につられて投票する連中があまりにも多いので本当に「日本は烏合の衆」だと思いましたよ。 冒頭で日本人は仕事に熱心みたいなこと書きましたが、それと同時に愚民がたくさんいるんです。 働き者1割に、普通が5割、怠け者が4割が日本人の実態です。 国として知られると都合が悪いのではなく、知ろうとしない奴があまりにも多いのが現実なんです。 「近づきがたい」件ですが、もし質問者様が天才ならばここでこのような会話はできないと思います。 「○○と天才は紙一重」といいますが、本当にズレていて会話が成り立たない。 でも、質問者様は努力型の秀才であるのは間違いないです。 そういう人は時々立ち止まって周囲を見る。今回の質問者様もその結果、ここに投稿したのでしょ? 他の人が質問者様をどのように扱っているのかは知りませんが、僕的には秀才だけど普通の人と思っています。 むしろ、感覚が似ているので同性なら良き友人、異性なら恋愛の対象と捉えるかも知れません。 陰謀論を展開するくらいですから、質問者様は非常に面白い人だと思います。 でもまあ「やっぱり研究畑」って感じもあるのですけど、全体としては魅力的な雰囲気ですね。 「うわべ」だけになるのは仕方ないです。 特にリアルの出会いの場合、相手の情報は外見だけですからそこから良い人悪い人と仮定しないと話は進められない。 ただ、そこは工夫するところなんです。 外見が悪ければ、外見以外から導入する場面で頑張ればいい。 具体的にはネットとかでの出会いでしょう。 ネットでは美男美女よりもどれだけ素敵な文章を沢山送信できるかで価値が決まります。 もちろん、その文章もうわべだけになる。 だから、ネットにおいてもリアルと同じような現象は出ます。 だけど、外見とは違いこちらは勉強すれば向上するかもしれない。 質問者様は沢山のお礼を投稿してくれたけど、おそらく僕を議論するに値すると評価した上での事だと思うけど、そういうやり取りからだって恋愛はスタートするのですよ。 僕は男なのでエッチはしたいといつも思ってますよ。 でもそれはただの排泄行為じゃない。 エッチするにしても例えば丸々一日かけてしっかり優しく気持ちよくしてあげたいと思うし、 それで疲れたら抱き合って寝てしまいたい。 当然それだけじゃつまらないから旅行して美味しい食事を二人で楽しんで、 それでも足りないから一緒に住んで、手をつないで近所のスーパーに買い物とかしてみたいです。 接着剤ですが、それは言い過ぎだと思うよ。 たとえ好き合って一緒に暮らしても、たまには息抜き必要ですから離れて行動することもあると思う。 そこでリフレッシュして、改めてパートナーの存在をありがたいもの、と認識する。 そういうのを潰してしまうと慣れてしまい、相手をありがたく感じなくなり、そして破局します。 質問者様はきっととても純粋なんだと思いますが、恋愛においてあまりにも純粋の度が過ぎると 束縛などのネガティブな方向に進みます。

noname#189117
質問者

お礼

活きていて,「あたりまえ」ほど「おかしいもの」はないのかもしれません。「あたりまえ」を疑うことは,社会のなかで活きていくためには,必要なスキルだと思います。ただし,こういうことを主張するたびに,「集団の意思にあらがうつもりか!」などと思われてしまうことがありますので,注意を払う必要があります。 格差社会という言葉がさけばれるようになりましたが,とりわけ,ある大学教授の提唱した「希望格差」は,いろいろと批判があるものの,いまの日本社会の状況をあらわしていると思います。そのひとつの見方として,知識を得るための意欲の格差や,人生設計における格差など,さまざまな事情があげられると思います。これほど,「悲惨なもの」はないと思います。これを中学生や高校生にたとえると,「不景気だけど,一生懸命勉強して,ひとつでも上の学校に入ってやる!」と意気込んでいる人々がいる一方で,「どうせ,どんなに良い学校を卒業しても,俺たちは所詮,社畜だ」と<悟って>,努力を「放棄」する人々がいます。「努力をしない」ことこそ,「賢い判断」だと思う人々も,多くいるのではないでしょうか? では,努力をしている人々は,どのような気持ちでこのような日本社会の「事情」を受けとめようとするのでしょうか? 場合によっては,「努力すら特権」になっているのかもしれません。 あとは,「寄らば大樹」的な体質についても,あまりいい思いを,わたしはしません。「バスに乗り遅れるな!」的な体質でもあると思いますが,そうではなくて,「俺は俺なんだ!」という,「強い気持ち」をもつことが大切だと思います。「ちょっと工夫をすれば,こんなに美味しくなる!」,どこかの著名な料理人の言葉のようですが,ほんとうに,そのとおりなのです。一度でも良いので,眉につばをつけてほしいと思うのですが,そうしないのは,なぜでしょう? 周囲の人間と同じことをする,同じようになること,こういうことをやるから,「心の病」という問題が,あるのではないでしょうか? 主因ではなくても,遠因のひとつであると思います。 「質問者様はきっととても純粋なんだと思いますが、恋愛においてあまりにも純粋の度が過ぎると束縛などのネガティブな方向に進みます。」 これが一番ひっかかるのです。 恋愛における<純粋>とは何なのか? ひと昔前の日本のトレンディ・ドラマのような人間関係? はたまた,中高年女性に大ウケした韓流ドラマのようなもの? たしかに,多くの女性からみたら,わたしは非常に嫉妬深くなる傾向のある人間であると,みなされると思います。「危ない」と思われるのかもしれません。確かに,パートナーがほかの異性と会話をしているだけでも,わたしはカンカンになるかもしれません。それは,良くないことだと思います。 <純粋>であることは,メリットになるのか,デメリットになるのか,それは,ケース・バイ・ケースだと思いますが,どんな<純粋>が適切なのか,これは,パートナーになってくれる女性の方からいろいろと「質問」する必要があると思います。 「面倒くさい人」だと思われなければ,いいのですが。 そして,パートナーとの「距離感」。これは,知っているアメリカ人の方が,わたしよりもずっと年下なのに,それを熟知していたことには,驚きました。そして,「未経験」である自分自身を,ひどく責め,深い後悔の念にかられたことは,いうまでもないことでした。でも,どうやれば,好きな人って見つけられるのだろう? 今でもナゾです。

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