• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「ほんとうの意味」において人間が評価されるとき)

人間の評価の真の意味とは?

danceokの回答

  • danceok
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.11

補足ありがとうございます。 助けたことで感謝されたなら、それは評価されたことになります。 すぐに彼氏・彼女はできないかもしれませんが、まず困っている人を助けて信頼を得て、互いに頼れる関係を築いていくことで、将来そのような関係に発展する可能性も出てくるのではないかなと思います。

noname#189117
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 誰かのために何かをして,感謝をされることはありましたが,それがすぐに恋愛につながる,ということは,一度もありませんでした。必要以上に,悲観視しないように,自分自身に言い聞かせるようにしていますが,やはり,「未経験」ということもあって,「負い目」を感じるようになりました。高齢恋愛+高齢結婚+高齢で子供を育てる,これは必至なので,深刻に考えてしまうときがあるのです。 ひとつひとつの人間関係を大切にしています。そして,いつかは,そういった人間関係から,ロマンスにつながることを願いたいものです。

関連するQ&A

  • 恋愛に悩む人々への,ほんとうの解決法

    この場では,数多くの人々が,恋愛や人生に悩む人々のために,さまざまなアドバイスを提供しています。(なかには,単にポイント稼ぎのため,宣伝のための「書き込み」をしている人々も少なくありませんが。) 恋愛に悩む人々による質問には,パートナーを見つける方法にかんするものが少なくありません。わたし自身も,確実にパートナーを見つけることのできる方法を,過去に質問したことがあります。 しかしながら,パートナーを見つけることにかんする質問への回答の多くは,「身だしなみを綺麗にしなさい」,「趣味を持ちなさい」,「合コンやオフ会に行きなさい」といった,あまり具体的ではない回答が多くみられます。(わたし自身のことですが,清潔な身だしなみを心がけていますし,収入源にしてもいいくらいの「趣味」があります。また,合コンやオフ会などの「場」に行ったとしても,参加者によるつまらない話題ばかりで,「自分の世界」をもたない人々が集まることが少なくありません。つまり,ありきたりの回答に,わたしは納得しないのです。) 「何月何日の何時に,どこに行って,どんな人に,どんなことを話しかければ,必ずパートナーになってくれる。その場で,ふたりの関係がはじまる。別れることなどない。」 そのような回答を,今まで一度も,いただいたことがありません。そして,ほんとうにパートナーが欲しいと思っている人々は,「具体的なアクション」を求めているものと思います。(同時に,わたしは,ほんとうに信頼できる人物であれば,パートナーとして受け入れる「覚悟」ができています。)

  • 言葉の意味の違いについて・「推論・推理・仮説」「原理と法則」

    こんにちは。 大学院で研究活動を行っている者です。 科学に関連した文献を読むと、よく推論・推理・仮説とか原理・法則といった言葉が出てきます。 僕自身、それぞれの言葉の意味はなんとなく わかるのですが、科学の方法論について論じる本では これらの言葉は厳密に定義し、使い分けているようです。 僕自身、科学の研究を行うものとして厳密な考え方を身につけたいと思っているのですが、これらの言葉の微妙な意味の違い、どのような場面・文脈で使う言葉か、要するにどういう概念のことを言うのか、などをはっきり理解しているわけではありません。 辞書で調べると意味は書いてあるのですが、どのような文脈で用いられるのかまでは書いてありません。 どなたか、これらの意味の違いを教えていただけたら幸いです。

  • パートナーの「ほんとうの姿」を知る

    パートナーのいる人を対象にした質問になりますが, いくらパートナーとの人間関係が長期のものであっても,パートナーのすべてを知ることは,難しいようです。 ならば,パートナーの体温やら脈拍,心電図やら脳波,さらには,パートナーをポリグラフにかけてみたら,どうでしょうか? あなたが気がつかなかった,パートナーの「本性」があらわになることでしょう。 わたし自身のことになりますが,パートナーができたら,定期的に,パートナーのことを「検査」したいと思います。いつ,裏切られるか,わからないですから。それは,たんに,わたし自身のことではありません。離婚する人々だって,その「対象」になるでしょう。

  • もしも、彼女ができたとしたら…

    年齢=パートナーがいない、という立場において、もしもパートナーができた場合、どのような「態度」をとるべきでしょうか? <経験者>を装うべきでしょうか? 少し恥ずかしいことですが、わたしは勉強に時間をエネルギーを費やしたことから、恋愛とは無縁でした。 年齢=パートナーがいない、ということになると思います。同世代の人々のなかには、すでに結婚をして、子育てをしている人々が多くいると思います。(わたしの年齢ですが、30代の前半です。) これまでの人生において、勉強から得たものはたくさんありました。しかしながら、恋愛から得たものは、ひとつもありません。なぜならば、恋愛を経験したことがないからです。 数年前、ケネス・ブラナーによる「フランケンシュタイン」を観ましたが、あの作品は表向きにはホラー映画ですが、ロマンチックな、恋愛映画のようなものだと思いました。やっぱり、恋愛は人間には不可欠な要素だと思い、パートナーのいない自分自身が、とても恥ずかしい存在であると思いました。 正直なところ、もう、死んでもいいのかな、生きなくてもいいのかな、と思うこともあります。ほんとうに人間が欲しているものは、勉強からは得られないことに気がついたからです。勉強とは、知的な欲求を満たすものであり、パートナーが欲しいといった、性欲を満たすものではありません。こんなとき、宗教に傾倒する人々もいるようですが、ほんとうに人間が欲しているものは、宗教では得ることもできないと、わたしは考えています。 勉強ばかりやって、15年くらいが経ったと思います。15年の「ブランク」があるので、相手をする女性の方にとっても、もしもわたしがパートナーであれば、さまざまな「苦労」をすることと思います。

  • 「ないものねだり」の恋愛観

    パートナーを選ぶにあたって,「条件」ばかりをつけることは,パートナーをつくることにならず,他者を遠ざけてしまうことになりませんか? 参考までに: パートナーを選ぶにあたって,「ないものねだり」をする人々は,少なくありません。これは,パートナーを選ぶにあたって,「多くの条件」をつけることでもあります。 ・カッコイイ人,可愛い人 ・お金を稼ぐことができる人 ・背の高い人 ・筋肉質の人 ・積極的にスキンシップをしてくれる人 ・外国語ができる人 ・スポーツ万能な人 ・楽器が演奏できる人 多くの人々は,自分にはできないことができる人をパートナーに選ぶ傾向にあると,わたしはおもいます。自分にはできなくても,彼氏や,彼女ができれば,ある種の満足感,あるいは,満足感のようなものを,得ることができるからです。「トラの威を借るキツネ」のごとく,ということです。当の本人にしてみれば,迷惑千万,ということになるでしょう。 パートナーがいなくて困っている人々の多くは,上に挙げたような「条件」ばかりをつけてしまうので,パートナーになってくれる人がいなくなってしまい,「悩み事」になってしまうと,わたしはおもいます。 わたし自身は,いわゆる恋愛にかんしては,未経験なので,どんな人でも受けいれるつもりでいます。交際してみて,いろいろなことがわかるからです。そういった「経験」をとおして,パートナーの魅力や,良いところが見つかることは,素晴らしいことだと,わたしはおもいます。 わたし自身がよくおもうことは,わたし自身は,「誰でもウェルカム!」なのにもかかわらず,そういう人々に関心をもたずに,みずからの「条件」ばかりを高くして,パートナーが見つけられないと,愚痴をこぼす人々がいることです。そういう人々の周囲にも,わたしのように,「誰でもウェルカム!」という人がいることでしょう。 「条件をつけすぎ!」 「選びすぎ!」 「ワガママがすぎている!」 ということにもなります。 たとえば,彼氏を探している人にたいして,「地味にみえるかもしれないけど,目立つようなタイプではないけれど,パッと見は良くないけれども,実は,パートナーのことを第一に考えてくれる人」がいたら,どうしますか?,とわたしは問いたくなります。 「理想像」ばかりを追い求め,気がついたら,何も得ていない…ということは,よくあるとおもいます。

  • 「既製品」のようなパートナーを見つける意味

    わたしはこれまで、恋愛にかんする質問を多くしてきましたが、わたし自身が理解に至ったコメントをいただいたことは、ほとんどありませんでした。わたし自身の理解力によるものではなく、一部の回答者の説明不足によるものでした。 回答者の皆さんには、建前のコメントは一切お断りすることを、あらかじめ申し上げておきます。 パートナーを探している人々にとって、パートナーの学歴や収入を重要する人々は少なくありません。 一方で、パートナーとの人間関係は、毎日の積み重ねが重要とされます。 高学歴や高収入の人をパートナーにしたい人々は、パートナーとの人間関係が積み重ねによるものであることを軽視しているのでしょうか? 交際開始当初、あるいは結婚当初は、例えば、無職であったが、その後就職して、財産を築く人物であっても、パートナーとして立派な存在であるはずです。 この質問は、回答者がパートナーの本質、あるいは付加価値、どちらを重んじているのかがわかる質問だと思います。

  • 人間不信のための恋愛法

    あなたには,パートナーがいるとします。 そのパートナーが,何らかの原因で人間不信になったら, あなたは,彼(彼女)に,どのような態度で接しますか? ・パートナーとの関係を終わらせますか? ・カウンセラーを紹介して,その人に,彼(彼女)の「治療」を託しますか? ・あなたが自力で,パートナーを立ち直らせますか? ※ この質問は,パートナーがいる人を対象にした質問となります。わたし自身につきましては,やや強い人間不信の傾向があります。ほんの,ひとにぎりの,とても親しい人でない限り,本音を語りません。そして,家族や職場の人々には,わたしはみずからの本音を明かしません。信頼していないからです。わたし自身が,心を閉ざしているわけではありません。心ない日本人がいたので,このようにせざるを得なかったのです。

  • お人好しは賢明、それとも愚者?

    正直なところ、わたしはパートナーになってくれる異性以外の人々とは、関わりたくないと思うときがあります。 そのような人々と関わったとしても、得にならない、利益にもならない、時間やお金のロスではないかと思うときがあります。パートナーになってくれないのですから。 社交辞令であっても、人前でペコペコする人々は多くいると思います。なんてお人好しなのだろう。そう思うときがあります。そして、不思議なことに、そういった人は魅力的であるとされます。アウトゴーイングなところが良いのでしょうか。 パートナーさえいればいい。そう思う人は少なくないと思います。そのほうが、パートナーの方にとっても、色々とメリットがあると思います。 恋愛という文脈ではありますが、お人好しであることに、どんなメリットがありますか?

  • 他人の評価と人間関係の仕組み

    いくら検索しても解決する文献も情報も無かったので質問させていただきます。 問い:「私たち人間は、人として価値のある人間と関わりたいと思うのに、なぜ他者評価 を気にして成長や努力をしている人の人生は、結果的にうまくいかないと思いますか?」 "私にとって、人生でもっとも大事にしたい事は人間関係です。" ただ、自分も含めて、多くの人は心理的にも現実的にも、自分にとって「意味」 のある存在との関わりを求めますよね。 だから、私は人生の伴侶や、一生の親友を得る為に、一人の人間として価値がある存在。 一人の男として価値がある存在、社会人として価値がある存在、友人や親友として価値 のある存在を目指しています。 ただ、そうなると必然的に他者評価を強く意識する生き方になってしまいますよね。 「他者の評価」については過去の質問やネットの関連サイトなどは読んでいますが、しっくり ときません。 なぜなら、人間関係の仕組みが、「評価の高い人と関わりたい」になるからです。

  • 「ワケアリの彼氏」になってしまうけれど・・・

    もしも,あなたの「パートナー」が,何かしらの「ワケアリの要素」があったとき,あなたはどのようにして,彼,あるいは,彼女に接しますか? すぐに別れますか? それとも,パートナーとしての関係は保ちつつ,応援したり,フォローしていきますか? あるいは,恋人→友達,というように,関係のレベルを変えますか? これまでに,さまざまな「アドバイス」をしてくださった方,ほんとうにありがとうございます。 これまで,さまざまな恋愛にかんする「やりとり」がありました。 恋愛にかんする「言説」のみならず,これからそれを「経験」する人々への,何かしらの「ヘルプ」になると考え,わたし自身のことについても触れながら,まとめてみました。 わたし自身が,恋愛関係において,あまり,わたし自身から「アクション」をとることがなかった「理由」として,わたし自身の「複雑さ」が挙げられます。ひとりひとりが,複雑な面を持っていますが,そのなかでも,わたし自身は,「語れない辛さ」,「耐えられないもの」が,いろいろとあります。マイナスなイメージがつくものではありますが,「ワケアリ」の彼氏になってしまうのかもしれません。 1.親が「ガイジン」 参考(http://okwave.jp/qa/q7949289.html) 仮にでも,わたし自身が誰かと交際しているとします。そして,わたし自身の「出自」を理由に,結婚を断られた,あるいは,今後の交際を断られた,という「事態」は,考えられるものです。 わたし自身の「キャラクター」が嫌だから・・・,などという「理由」は,理解のできるものでしょう。しかしながら,もしも,「出自」を理由に,「別れ話」を持ちこまれたときには,その「ショック」は,大変大きいものです。避けたいくらいのものです。 わたし自身,「出自」,「民族的バックグラウンド」を理由に,「いじめ」を受けた「過去」がありました。<別れる>こと,<拒絶される>こと,これらは,多くの人々が使う「別れる」,「拒絶される」という言葉とは,大きく意味が異なります。「社会的な文脈」が含まれるのです。そして,わたし自身にとっては,それは「社会から拒絶された経験」になります。 単なる「別れ」を恐れるということよりも,<拒絶>の<恐ろしさ>があるからこそ,そういった「過去」を繰りかえしたくないという「気持ち」があるのです。 *このようなことを,気にする人は,あまりいないのかもしれません。しかしながら,いまだに「世間体」があることから,多くの人々は,「タテマエ」では,「ガイジンでもOK」といいながら,その「ホンネ」とは,「親戚づきあいのこともあるから・・・」というものがあって,「ガイジンは嫌だ」というものです。 2.体に隠された<バクダン> 参考(http://okwave.jp/qa/q7950999.html) わたし自身,現在も,いわゆる「聴覚過敏症」に悩まされるときがあります。 たとえば,家の近くで体育祭をやっているとか,花火大会があるとか,そういうときには,外出を控えるようにしています。どんなことがあっても,外に出ないようにしています。 いまでも,クラッカーを持っている人,風船を持っている人には,近づきたくありません。言葉では表現しにくいものですが,ある種の「恐怖症」を,わたしは持っています。 わたし自身は,自分自身が「嫌い」というわけではありません。しかしながら,いろいろと「とんでもないクセ」があるので,そういうところが「露呈」されることによって,他人から「悪い評価」を受けるのではないかと,そのことを恐れるときがあります。 好きで,望んで,ピストルの音が怖くなったわけではありません。小さいときから,ほんとうに,怖かったのです。昔は,いまのように,イヤーマフなんてありませんでした。どれだけ,「みっともない思い」をしたのでしょうか,数えられないほどです。 しかしながら,「負の要素」はありますが,「正の要素」もあります。 参考(http://okwave.jp/qa/q7947491.html) わたし自身,「さまざまなこと」と向きあう必要があります。ですから,その点においては,ほかの多くの人々とは,違った面があると,わたしは思います。 「勉強」ばっかり,「理論武装」ばかり,そうであっても,「心の内」では,「弱点だらけ」であることは確かです。それらと真摯に向きあいつつ,恋愛についても考えています。