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漱石は『虞美人草』を嫌っていたのか

ghostbusterの回答

回答No.4

☆『虞美人草』の一般的評価について 『虞美人草』に対する批判のなかで、もっともよくとりあげられるのが正宗白鳥の『明治文壇総評』の一節、 「宗近の如きも、作者の道徳心から造り上げられた人物で、伏姫伝授の玉の一つを有(も)ってゐる犬江犬川の徒と同一視すべきものである。『虞美人草』を通して見られる作者漱石が、疑問のない頑強なる道徳心を保持してゐることは、八犬伝を通してみられる曲亭馬琴と同様である。知識階級の通俗読者が、漱石の作品を愛誦する一半の理由は、この通常道徳が作品の基調となつてゐるのに基づくのではあるまいか」(正宗白鳥「夏目漱石論」) という部分です。 犬江・犬川というのは滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の八犬士の最初からふたり、つまり、馬琴が造型したような人物と少しも違わないじゃないか、と言っているわけです。 実はこれには元ネタがあって、それは白鳥の先生、坪内逍遙が書いた『小説神髄』だった。 「小説の主脳は人情なり、世態風俗これにつぐ…彼の曲亭の傑作なりける『八犬伝』中の八士の如きは、仁義八行の化物にて、決して人間とはいい難かり」 いまでもよく批評家が言いますよね。「人間が描けてない」。 白鳥は『虞美人草』は人間が描けていない、勧善懲悪の、古くさい作品だと批判したんです。 現代の私たちから見れば、わかりにくい点なのですが、逍遙や二葉亭らにとって、江戸期の文学というのは、否定し、葬り去るべきものだった。 だからこそ、新時代の文学は、新しい言葉によって書かれなければならない、と言文一致体の模索をしていったのです。 けれども、現実の社会は、過去とのつながりを決して断絶させることはできません。いくら江戸が明治に変わったとしても、社会が急激に変わったとしても、人々の生活は続いていく。 過去を切り捨て、拒否したところに文学は生まれるはずがないんです。 そうして二葉亭は『浮雲』の途中で筆を折り、逍遙はシェイクスピアの翻訳に着手する。正宗白鳥はそうしたか細い系譜の最後にいる人だった。 その白鳥が、勧善懲悪を許し難く感じたのも、無理はありません。 ただ、ここで考えなければならないのが、『虞美人草』が新聞小説だったということです。 江藤淳は『漱石とその時代 第四部』で、このように書いています。 「手はじめに、書き馴れた写生文から書き出すことはできる。その写生文を突然“文章”に転調して、文才を誇示し、鬼面人を驚かせることもできる。しかし、小説記者、つまり新聞小説の作者は、何よりもまず読者本位に筋立てのある「小説」を書かなければならない。そして、筋立てのある小説ということになれば、『野分』只一篇しか書いたことがない。つまり、このときの漱石にとっては、筋立てとはとりも直さず勧善懲悪、即ち「流俗より高い」場所に話者の視点と発話点を置いて、「賢愚、真偽、正邪の批判」を行うこと以外ではあり得なかった」 勧善懲悪をストーリーの大筋としつつ、英文学を学んだ漱石は、プルタコスの『英雄伝』に見られるクレオパトラ像を藤尾のモデルとし、甲野さんのイメージは『ハムレット』、誇り高い女が傷つけられて死ぬイプセンの戯曲『ヘッダ・ガプラー』、そして作品技巧的にはジョージ・メレディスの『エゴイスト』の低徊調が用いられている。 作家としてはまだ若葉マークだった漱石は、古今東西の文献的知識をもとに、このような作品からあちこちを借りながら、作品を綴り合わせていったのです。 さらに『虞美人草』の特徴のひとつでもある低徊調は漱石を大変苦しめたようです。その様子を弟子の森田草平はこう語っています。 「発端からクライマックスまで一直線に進んで行つて、更にクライマックスから大団円まで逆落としに落ちて行く――なら何でもない。少なくとも、どんどん片が附いて行く。が、あの小説はさうではない。低徊趣味で、最初は外郭の大きな輪を描きながら進んでいく間に、だんだんその輪が小さくなつて、最後にそれが一点に集中した時、大破綻を将来する――さういふ趣向である…『書簡集』を見ても、この作品の執筆中程、先生が人に向かつて執筆の苦痛を訴へてゐられることはない。が、これは文章と云ひ、作の構造と云ひ、これ迄に類のないやうな、アムビシアスな案を自分で立てられたのだから、どうも仕方がない」(『漱石先生と私』上 森田草平 東西出版社) では、漱石が朝日新聞に連載していた当時の評判がどうだったか。 江藤の本によると、読者はまごついていたらしい。講談調の、毎日山場があって、人物が入り乱れるような新聞小説が紙面をにぎわしていた中にあって、 「漱石はこともあろうに“文章”による別乾坤を建立しようと腐心している。その努力は痛ましいのを通り越して、ほとんど徒労の域に近づいているというべきであった」 質問者さんが#2の補足であげていらっしゃる小宮宛書簡には、このような背景があったのです。 こうしたことを見ていくと、作品として完成させていくための内実が、このときの漱石の内側には未だ成熟していなかった、と言えるかと思います。 天性としか言いようのない、圧倒的な筆力で、古今東西の作品のさまざまなモチーフを綴り合わせていったにしても、たとえば『猫』や『坊っちゃん』のように、隅から隅まで自分のもの、それを自由自在に操っていく闊達さからはほど遠かったのです。 後年、「極度に嫌った」といくつかの文献に見られるのも、そのためではなかったか、と思います。 ところが『虞美人草』は作品として、こうした欠陥をもちながら、魅力を失っていない。 冒頭部の有名な京都の描写、「春はものの句になり易き京の町を…」など、陶然とするしかないような文章(江藤の言葉を借りると「写生文」)だけでなく。 さて、なんといっても一番書きたかった百閒にまだ到達できません(汗)。 大変申し訳ないのですが、以下はまた明日ということにさせてください。 内田百閒と漱石の繋がりについて書きたいと思います(うう、回答で連載をやってしまった)。

noname#9152
質問者

お礼

ありがとうございます。 ※「隅から隅まで自分のもの、それを自由自在に操っていく闊達さからはほど遠かったのです。」嫌っていた理由はこれですね。すっきりしました。 ※小野と甲野が『それから』の代助になるというのはおもしろい。甲野→代助は、言われてみるとなるほどと思う部分もありますが、小野と甲野が結びつかないので、ちょっと意外でした。 ※その後ある方面から示唆があって、私が孫引きした書簡は明治四十年のものだとわかりました。ということは、虞美人草執筆中になるのでしょうか。自分で書簡の件を持ち出しておいて、こんなことを言うのも何ですが、書簡というのは本来私的なものなので、書いてあることを必ずしも真に受けなくてもいいのではないか、アレなんかは勢いで書いただけではないか、と後になって思いました。自分で自分を卑下していても人から批判されたらムッとする、というのはよくあることですから。 ※私が持っているのは新潮文庫の古いものなのですが(ウン十年振りの再読でした)、これにある本多顕彰という方の解説に、漱石自身の言葉として、「スパイラル(渦線状)形式」という言葉が出ています。 以上、補足要求ではありませんので、私の言葉を気にせず、残り十八回の連載を続けてください。 >さて、なんといっても一番書きたかった百閒 やっぱり…。

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