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漱石は『虞美人草』を嫌っていたのか

ghostbusterの回答

回答No.3

書き始めるとキリがない領域なので、できるだけ要点を絞って回答してみたいと思います。 わかりにくいところ、さらに詳しく知りたい部分などがあれば、補足お願いします。 ☆漱石が『虞美人草』を嫌っていたか、ということについて まず、漱石が作家生活を送ったのは、わずか十年間です。 その間にあれだけの密度と深さを持った作品を、次々に発表していった。これは国内、海外を通してみても、あまり類を見ません。 漱石の評価の一つに、日本の文学者としては、「自我」の問題を、最初に意識的に極め尽くした、というものがあります。 言い換えれば、当時「自我」という認識そのものがなかった日本において、自分の内側に「自我」を発見し、真の意味で自分になることを模索していった、ということになるかと思います。 現代の私たちから見れば、「自我の探求」という言葉によって簡単に要約できるこのことがらを、漱石は、暗闇のなか、素手でトンネルを掘っていくように、ただひたすらに自身の奥へ奥へと掘り進んで行ったのです。 『猫』から『明暗』にいたるまで、次第に暗さと深さを増していく彼の作品の色調はその証左といえると思います。 さらに、漱石はたえず現在に不満であり、端から見れば病的と思えるほどの不安と焦燥につきまとわれていたといいます。それが同時に漱石を駆り立てるエネルギーでもあった。 おそらくは自分の作品に満足する瞬間もあったでしょうが、いつしかまた不満と飽きたらなさにかられ、次の作品、またその次、と書き継がれていく。作風も、ある時期ごとに著しく変化していきます。 『虞美人草』は漱石の作品中、唯一の失敗作、と見なされることの多い作品です。 その根拠としてかならず上げられると言って良いのが正宗白鳥の批判(後述)と、作品の執筆を開始してから1ヶ月半ほどが過ぎた明治四十年七月十六日付高浜虚子宛の書簡 「虞美人草はいやになつた。早く女を殺して仕舞いたい。熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。是インスピレーションの言なり」(書簡番号七七一) および#1さんがあげられた小宮豊隆宛の七月十九日付書簡です。 けれどもこうした書簡は執筆時の苦悩の発露であって、作者による作品批判とは、いささか質を異にするものでしょう。 漱石にとって『虞美人草』は初めての本格的なストーリーを持った作品であり、大学教授の職をなげうって就いた専業の作家としての初めての作品であり、また同時に初めての新聞小説でもあった。 手探りしながら執筆している当時の苦悩の発露を、晩年、作品として嫌っていたことの根拠とする見方を私は取りません。 #1さんの参考URLからリンクしてあるビョンチャン・ユー論文に出てくる >一九一三年には漱石はこの小説を芸術的な失敗と呼び、書棚から消えてくれるように望んでいると書いた。 が具体的に何を指しているのか、ちょっと手持ちの資料だけではよくわからないのですが、それを言うなら『虞美人草』だけでなく『それから』も晩年には好まなかった(中村光夫全集第三巻 「夏目漱石(夏目漱石の作品)」)ようですし、逆に漱石が満足した作品があったのだろうか、と思うのです。 作家の中には、あきらかにピークとなる作品を発表した後、「余生」に入る人もいます。 そのような作家ならともかく、漱石のように成長し続け、しかも短い歳月を文字通り駆け抜けた作家が、自作を「鑑賞」することはなかっただろうと思います。見るとすれば、常に批判の対象でしかなかったはずだ。 『虞美人草』の小野と甲野は、『それから』では代助となり、さらに『明暗』の津田へと変化していくことは、複数の研究者が指摘しているところです。 代助は甲野の人格主義が我執にほかならないことを知っている。 漱石の人間観の発展に伴い、作中人物も深化していっているのです。 そういうとき、深化を遂げる以前の作品を「完成品」として見た場合、粗が目に入らないはずはない。 特に『虞美人草』には固有の問題点がいくつかあったんです。 それをどこまで書けばいいのか、自分ではまだ見極めがついていません。 #2さんの補足欄で質問者さんがあげられている小宮豊隆宛書簡と関連させながら、書いてみたいとは思っているのですが。 このことと、内田百閒のことに関しては、明日帰ってからまた書きます。 ということで申し訳ないのですが、以下次回に続く、ということにさせてください。

noname#9152
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんだか自分の身の丈に合わない質問をしてしまったようで、また回答者さんにはたいへんな苦労をおかけしているようで、恐縮しております。 質問者(私)を意識すると、レベルを落としたくなるかもしれませんが、この際その辺は気にせずおもいっきりお書きください。(って、私の言うことではないか。失礼。) 回答者さんのお許しをいただくまで、締め切りませんので、安心してゆっくりお書きください。明日でなくてもかまいません。お仕事、お体の負担にならないようお願いします。では。

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