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「千の風になって」は、靖国批判の歌ですか!?

「そこに私はいません。眠ってなんかいません。」 千の風って、千の鳥、千鳥ヶ淵の事ですよね!?遺骨がただの一本も無い靖国には、誰も眠っていない、千鳥ヶ淵にこそ、戦死者の魂がある、という、靖国批判の歌なのでしょうか!?

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  • Lescault
  • ベストアンサー率40% (947/2331)
回答No.7

こんにちは。 千の風と千鳥ヶ淵は直接的関係はないと思いますよ^^;。 話すと長くなるので詳細はネット等でお調べいただければと思いますが、千の風の歌詞の意味するところは「アミニズム」という独特の霊的な考え方で、この考え方はキリスト教どころか全ての宗教と相容れないものです。 これもネットで検索してみれば分かりますが、千の風の歌がヒットしていた当時においては、著名な仏教関係者も危機感をあらわにしていました。 そういうわけで、当然ながら靖国神社を含む神道の考え方も含めて、どんな宗教とも異なる考え方だと理解していただくのがよいかもしれません。

その他の回答 (7)

  • tarohkaja
  • ベストアンサー率29% (66/221)
回答No.8

≫≫骨の一本も無いのですよ。拒否してるも同然ですよね? あなたご自身が、 なにか特定の答、 特定の観念に縛られた答を求めていらっしゃるようですね。 骨の有る無しは無関係です。

回答No.6

>「千の風になって」は、靖国批判の歌ですか!? そうです。 キリスト教徒が作った歌ですから、靖国神社は勿論、イスラム教や仏教など、キリスト教以外の全ての宗教を批判・否定した歌と考えるのが順当です。 なんせ、キリスト教は、仏教などの寛容な宗教とは異なり、キリスト教以外のすべての宗教を否定する排他性が強い宗教ですから、日本神道なんて認めるわけがありません。

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2712/13696)
回答No.5

日本古来の神道、神社は神様を祀るところです。神様は目がありません。拝むとき二礼二拍手するのは、音を出して神様にこちらを向いてもらうためです。もちろん骨なんかありません。仏教やキリスト教はやたら遺骨を大事にしますが、神道はそう言う俗っぽいことは超越しています。うちの爺さんは昭和19年にフィリピン、ミンダナオ島で戦死したそうですが、遺骨なんてありません。フィリピンのジャングルの中に埋もれているでしょう。でも靖国にいます。神様なのです。毎年拝みに行きます。二礼二拍手で。 千の風か何か知りませんが、そう言うちゃらちゃらした西洋かぶれとは関係ありません。

noname#185504
質問者

お礼

骨の一本も無いのですよ。拒否してるも同然ですよね?

回答No.4

原詩は20世紀の前半(第二次大戦前)にアメリカで作られて、それを和訳したものです。 キリスト教徒が「神様は教会にはいない」と偶像崇拝を批判することがあります。教会は人間が建てたものだからです。「墓も人間が建てたものなので、魂の居場所ではない」という気持ちを歌ったものだと解釈しています。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.3

 瀬戸内寂聴さんも言っていましたが  すべての宗教を否定してしまうって言っていましたね。  お墓は必要ないっていうならお寺や墓地は要らないですから経営が大変です・・・・と言ってました。  面白い解釈ですが、  靖国批判にはなりえないと思います。  

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.2

みんな海外で悪霊化してますから・・・

  • villa36
  • ベストアンサー率24% (96/399)
回答No.1

こじつけにしても なかなか面白いお考えです。 個人的な想いの歌詞ですから、そう思ってる英霊の遺族の方も中にはいらっしゃるかも知れないですね。 まあ遺族会の総意で無い事は確かです。

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