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親を亡くす悲しみ

私の親友は、若くして親を亡くされています。 最近、会いましたが、やはり、ぽっかりと開いた穴はいつまでも癒えることなく、埋められない、と言っていました。 彼女は母親っ子でしたし、最期の最期まで看病していましたから、余計に、衰えていくお母様を見てて、辛かったと思います。 けれども、私は、理解し共感しようと思うのですが、真に最愛の親を亡くした悲しみ、というものを理解していないと思います。彼女の思いを共感したいです。 私は、両親とあまりうまくいっておらず、もう情のようなものしかありません。今、私の両親が亡くなったとしても、それは運命だったのだから、と思い、ありがとう、と思う以上のことはない、と思っています。 冷たい人間なのかな、と感じたりします。 実際に愛している親を亡くされた方の心は、どんな感情でいっぱいになっているのでしょうか。 僭越ながら、ご意見いただくと、ありがたく存じます。

みんなの回答

  • doolelle1
  • ベストアンサー率20% (77/381)
回答No.6

こんにちは。私もあなたと同じで、両親と上手くいっておりませんでした。亡くなったらそれでいいと思っていました。でも母が倒れました。しかもガンで手遅れで、余命を宣告されました。いつも口うるさくて厳しい母でした。倒れるまで痛みを我慢し、私たちの世話をしていました。いずれ私たちが困らないよう厳しくしていたんだと、今だから思います。母親は大きな存在です。いなくなって初めて気付かされます。絶対超える事の出来ない存在です。あなたもいずれこう思う時が来ます。後悔しないよう今のうちに優しくしてあげて下さい。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.5

こんにちは。 私の父親は35歳の時に、東京大空襲(昭和20年3月10日)で一夜にして両親を亡くしてます。 父親から聞いた限りでは、3月9日深夜から10日未明にかけて、米軍B29爆撃機から雨の如く降り注ぐ焼夷弾で東京の下町は瞬く間に火の海になり、父親と祖父は懸命な消火活動を行う一方で、祖母は火の海から逃れるため隅田川に避難したそうです。 しかし、最後まで消火活動に残った父親と祖父は逃げ場を失ない死を覚悟したそうですが、泣き叫ぶ幼子を庇うように焼け死んで行く若い母親を目の当たりにして「俺にも幼子が居たんだ」と我に返り、頭から防火用水を被りながら必死で上野寛永寺方面に逃げて一命を取り留めたそうです。 そして、空襲火災が収まった頃に戻ってみると祖父は黒焦げの焼死体、祖母は隅田川下流で溺死体となって見付かったそうです。 この事を、自分だけが助かってしまったと父親は悔やんでましたが、戦時中のことで火葬場で荼毘に付すことも出来ず、遺体を自ら荼毘に付して遺骨を菩提寺に埋蔵後に、父親の妻である私の母親が幼い姉達を連れて避難してた母親の実家を訪れた時は放心状態だったそうです。 ですから、暫くは無気力状態になってしまい、母親の実家に世話になりながら終戦を迎えたそうですが、幼子の父親としていつまでも遊んでる訳にはいかないと終戦後は休日も返上して懸命に働いたそうで、私は戦後に生まれた長男です。 ですが、文字通り生き地獄のような修羅場を潜って来た父親の頑固さに思春期時代の私は反抗的になり、父親と取っ組み合いの喧嘩をするような親不孝息子になってしまいましたが、高校卒業と同時に親元を離れてアルバイトをしながらのアパート住まいから専門学校に通い、親の苦労と有り難みが理解出来るようになりました。 そんな矢先に、父親が持病を悪化させて急死してしまった時は、何も父親には親孝行らしいことが出来なかったことが「悲しいよりも情けなくて」思わず涙を流しましたけど、若冠20歳の若僧ながら長男として父親の葬儀の喪主を務めさせてもらい、父親が果たせなかった祖父母の50回忌法要の供養まで執り行ったことで父親には懺悔してるつもりです。 なお、父親と早くから死別した母親は今年で93歳になりますが、長男として母親を経済的に扶養し精一杯の親孝行は行ってるつもりなので、母親が天寿を全うしても悲しいとは思わないでしょう。

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.4

 あなたの文書を拝見していて何んか違和感があります。言葉が適切でないのか、或いは言葉の意味を勝手に解釈されているからなのでしょうか。言葉に対するイメージを独自に意味づけていらっしゃるのかな・・・。 【けれども、私は、理解し共感しようと思うのですが、真に最愛の親を亡くした悲しみ、というものを理解していないと思います。彼女の思いを共感したいです。】 ↑これは、母親を亡くされた彼女は未だに憔悴しきっている。それは、悲しみが癒えないので心に穴が空いたようである。と、いうことでしょう。しかしあなたは、「私は、理解し共感しようと思うのですが、真に最愛の親を亡くした悲しみ、というものを理解していないと思います。」 彼女は、親を亡くされて心に隙間が出来たように憔悴しきっているのです。ここは、彼女の気持ちを分かってあげて、慰め励ますのが友達の役目ではないでしょうか。理解し共感するとは少しおかしいですね。彼女の悲しみですので・・・。理解し共感のさきには同化、一体化が予定されています。そうなると、あなたは限りなく「うつの世界」に入って行くことになります。 更に、ご自分の両親とは上手くいっていないのか、「もう情のようなものしかありません。」と、おっしゃっています。これも何だか変です。親子は「情」で結ばれています。「親子の愛情」お互いを思いやる「心情」喜怒哀楽を自由に表現しあえる「感情」などを自由に表せるのが親子です。これらの気持ちを簡単に「情」と表現します。「親子に情」があればなによりです。 親が亡くなったとき、「ありがとう」といえるのはいい親子関係の証です。嫌っていた親とか憎んでいた親、イヤだなぁ、と思っていた親が亡くなると「スッキリした」「よかった」と、いう衝動が起こります。あなたは冷たい人間ではありません。芯に寂しさを抱えていらっしゃる女性なのです。手探りで社会と関わっていらっしゃる状況なのでしょう。 あなたに説教がましく、失礼なことをいったのは、あなたは本当はものすごく向上心のある人の様に思ったからです。そして、周りのこと、人について一生懸命分かっていこうとされる姿をイメージしたので失礼を顧みずに書いてしまいました。決してあなたを劣っているとかの意味で書いたものではありません。失礼致します。

回答No.3

あなたが親を亡くしてみないとわからないです。 どんな親でも亡くしてみて本当の親というものがわかります。 親孝行したい時は親はなしとはそのとおりです。親が亡くなれば生きているときはうるさいと 思っていたことが世話を焼いてくれる人がいなくなります。 私は母の死後毎月1回は墓参りに6年通いました。6年過ぎた頃から一年に4回になりました。 愛していても愛してなくても親を亡くした気持ちは同じです。 一番悲しいです。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

>彼女の思いを共感したいです。 なんで共感したいの? お友達は質問者さまの共感を望んでいると思う? 質問者さまの想像、他の人から聞いた意見で、そのお友達と同じ気持ちになれますか? 共感しないと冷たい人間だと思われるから? それとも友達の不幸に共感している私、カッコイイ!と思いたいから? ハッキリ言って、共感したがるのも、共感を求めるのもエゴです。 傷ついたのなら、それに寄り添うのが友達ってもんでしょ。 傷を共有する必要などありません。

noname#183132
noname#183132
回答No.1

親が死んだと言うより、家族が死んだって 考えた方がわかりやすいのかな 4人家族なら3人になり 3人家族なら2人に 2人家族なら1人に そして居なくなった人とは二度と会えない それだけです

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