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消えた装身具
わが国の装身具について調べていたところ、あるページに「奈良時代以降、明治時代に至るまでの約1100年間、これらの装身具は忽然と姿を消した。」と載っていました。 (1) 諸説あるかと存じます。皆さんの自由な推論を理由を添えてお聞かせください。 (2) 装身具が「消えた」もしくは発達しなかった他文明や他国の文化はあるのでしょうか。 ご存知でしたらご教示下さい。 どうぞよろしくお願い致します。
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少し前にこのご質問を拝見してから、とても面白いなあと思って少し考えていました。 でも特に結論めいたアイデアは浮かびません。 けっこう根の深い問題に見えてきました。 玉石や金属の採掘と加工の技術は貴重なので権力や神秘とむすびついたでしょうが、そのぶん、人々一般の装身具の発達からは除外して考えた方がいいように思います。 問題は、狩猟と農耕の二つの時代から中世までの文化の発達なのですが、はじまりに、植物と虫類の色素によるボディペイントと、獣骨、そして鳥の羽で身を飾るかどうかは、大きな分かれ道だと思います。海洋民族では貝を含むでしょうか。 これらのうち、色彩の刺激を得られるのは、ボディペイントと鳥の羽だと思います。湿度の低い地域でしたら、おおいに楽しんでセンスや技術に磨きがかかっただろうと推測できます。また、立体的な装飾ですので、色彩を使って立体的に造形する素地になったかと思います。 アフリカ大陸やヨーロッパ大陸、アメリカ大陸の鳥の羽って色彩や模様が多くて華やかなのではないでしょうか。渡り鳥も多いでしょうし、凝りはじめたら切りがなさそうです。 そして、獣骨ですが、時間がたっぷりあるかどうかが重要だと思います。狩猟に出るまでのあいだが長く、暇があるというのが獣骨の装身具作りにうってつけです。貝殻より硬いですから時間がかかりそうです。たぶん、日本の人々はわりと食糧確保やコロニー整備に忙しかったのでは? なんて考えたりします。狩猟時代そのものも短いですし、狩猟道具を装飾的に楽しむ文化も出来あがりませんでしたね。 装身具の発達の事を考えれば早い段階で染色について考えねばなりませんでしょうね。 はじめ、日本独自の文様の発達と染色の発達のことを考えていたのですが、 アフリカやケルトも文様を持っていますし、どういうところに差があるのかなと不思議でした。 でも、ボディペイントや鳥の羽による立体的な造形のセンスを考えてみると、アフリカの文様って躍動的で多色だと思い当たりました。 また、ケルトは巨石文明の地域なので、石の文様ほうに興味が行っていて、人々はさほど布を美しく染めることに熱心ではなかったように思います。やはりこの人たちも長い暇な時間を持つと石や獣骨の彫刻を楽しんだように思われます。 ひょっとすると哲学的思考もこのあたりから? 焚火文化でしょうか、まあそれはおいといて。 日本の湿気のなかで、色彩で身を飾るには、布を染めて楽しむのが一番よかったのではないでしょうか。 驚くような模様の羽飾りを集めることを知らないかわりに、驚くような模様の布を作って楽しんだのではないでしょうか。 そうすると、きっと貝殻や真珠や珊瑚は、身を飾るというよりも、それらそのものを重宝して持ち歩くような形になると思います。宝貝などはお金だそうですが、真珠や珊瑚も、ときにはその交換価値によって高い技術で染められた布と交換されたのではないかと推測します。 むしろ、螺鈿などもそうですが、小物への用途があって、あのもろもろの大陸の人々の、身を飾りたてる喜びというのとは違っているのかもしれません。日本人の、身の回りの小物への愛着というかたちが見えてきます。立体物への美の欲求は小物でかなえて、ひたすら平面美へ傾倒していったのではないでしょうか。 最後にもうひとつ、考えなければならないかもしれないのは、指輪や首輪や腕輪なのですが、 特別な束縛感をあたえるあれらの装身具は、契約だとか、目印だとか、労働のない生活の誇示だとか、いろいろ理由はあるのでしょうけれども、たしかに、飾り甲斐のある目立つ場所にあります。 たぶん渡来の習慣にはあって朝廷文化になれば目にもしていたでしょうに、身につけようとは思わなかったのでしょうか。ピッタリ填めるのを嫌うとしたらやっぱり湿気でしょうか。 ネックレスは数珠がありますからよいのでしょうけれど、指と手首が気になります。一番それらしく思うのは、日本には湯水が豊富にあるので指や手首を濡らす機会が桁違いに多いだろうということです。 推測ばかりでごめんなさい。でもとっても楽しいご質問だったので、折々に考えてわたしも楽しい思いをしました。結局凡庸な答えしか浮かばなかったのですけれど。
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- amaguappa
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あら。ユーラシアと書くところをヨーロッパと書いてしまいました。^^;
お礼
amaguappaさん、お久しぶりです。 いつも丁寧なご回答に感謝します。 今週日曜日の夜にお礼を書かせていただきますね。 もう少々お待ちください。
- tanuki4u
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WIKIPEDIAの元資料は浜本さんの著作のようですね。 個人攻撃するわけではありませんが、教授だろうと博士だろうと研究分野以外ではだれでもが基本的には「素人」です。 櫛にみるデザインと漆の文化 Designs and Lacquer Culture Seen in Combs 阿 部 万里江 清 水 久美子* (Marie ABE) (Kumiko SHIMIZU) 同志社女子大学生活科学 Vol. 45, 1~11(2011) 出土品への可能性として菅原道真が使っていた装飾品ではないかともしています。 上記の論文から妄想すると、工人(富)と記録の地方拡散の時差のようなものを感じます。 平安時代までは 富と記録は京都の貴族の独占物 富を元に工人に作らせた装飾品を貴族が持っており、その記録を貴族が行った 鎌倉から 工人の地方分散(富の分散)が起こったが、記録者自体は京都の貴族の独占だった。 鎌倉時代の個人的な記録というのは貴族あるいはその周辺しか残っていない。 装飾具を作る工人が京都に少なければ京都の装飾具自体も少なくなり、装飾具の記録も減る 北条政子の装飾具が残っているらしいです。 右大将の正室なので、最上層とはいえなくても、上層貴族並の装身具を揃える財力と地位があったのではないかと思われます。 安土桃山以降、江戸時代 貴族以外も個人的な記録を残すようになった なので、実際に装飾具を持っている 非貴族の状態がわかる
お礼
tanukiさん、だいぶ以前にご回答を頂きまして、お礼がすっかり遅くなってしまいました。 ごめんなさい。 お詫びとともに改めてお礼を申し上げます。 お礼を書いては消し…を繰り返し、収拾がつかなくなりました。 お恥ずかしいかぎりです。 焦って結論を出さずにゆるゆると考えていこうと思っております。 本当にどうも有難うございました。
補足
tanukiさん、色々とご教示ありがとうございます。 調べるのに時間がかかっております。 もう少々お礼をお待ちください。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
http://blogs.yahoo.co.jp/karasawa0901/21893081.html?newwindow%253Dtrue 個人ブログですが画像等は 総合博物館「群馬県立日本絹の里」で企画展「源氏物語の雅な世界」 ということなので、それなりの歴史考証はしているはずです。 ちゃんと「平額・釵子・櫛」を使っているようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「源氏物語の雅な世界」 >ちゃんと「平額・釵子・櫛」を使っているようです。 tanukiさんの的確で貴重なご指摘に感謝します。 確認したところ、おっしゃる通りに当時の装身具には「「平額・釵子・櫛」等の髪飾り、そして扇がありますね。 それらはハレの場(儀式や宴など)において主に用いられた装身具のようです。 また、特別な機会においては、舞を披露する際にも装飾性の高い装身具を着けていたのかもしれませんね。 とすれば、やはり装身具の神格化ともみなせるでしょうか。 ところで、平安時代以前に特筆すべき装身具と言えば、大陸文化に由来する生花の髪飾りや腰飾りがありました。 万葉の頃には四季折々の花を手折り髪に飾った… …何とロマンチックなことでしょう。 何だか「消えた装身具」などと思うこと自体、気恥ずかしく思えてくるような気がしてきます。 「奈良時代以降、明治時代に至るまでの約1100年間、これらの装身具は忽然と姿を消した。」とwikiには載っていましたが。。 あらためて振り返りますと、 現代の価値観や物質性に囚われない自由で豊かな「(1100年間続いた)消えた装身具」の文化こそが、むしろ「消えて」しまってとても残念なことなのかもしれませんね。。
- eroero1919
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単なる素人のあてずっぽうです。 奈良時代以降は、朝鮮半島や中国に対する交流がかなり疎遠になってきます。白村江以前は朝鮮半島との交流は活発で、おそらく交易もかなり行われていましたよね。いってみりゃある種の鎖国状態となり、いわゆる政府レベルで知識人が行き交う程度になってしまっていますよね。 んで、そういう中で耳飾りや腕輪などの装身具を身に着けている人たちはアイヌ民族などの大和朝廷の人たちからすれば「未開の蛮族」だったわけですよね。おそらく、当時のオシャレで文化的な人たちからすると「耳飾りや腕輪なんて蛮族のダサいファッション。身に着けないのが都会的でオシャレ」となっていったのではないでしょうか。当時の文化の発信地は京都ですから、そこから少しずつ地方に「京都のオシャレトレンド」が伝わって「おい、今は都会(京都)のオシャレは装身具を身に着けないことらしいぜ」となったんじゃないかしら。 んで、外国からの文化的刺激がないわけですから、独自路線がそのままいったのではないでしょうか。 ちなみに私は近年世界中で「タトゥーが復活」していることに対して非常に興味を持っています。タトゥー(入れ墨)というのは古代人は世界中でどこでもやっていたのですが、いつ頃からか廃れていました。だけどここ数十年、急速に世界中で復活していますよね。サッカー選手なんて、1980年代はやってる人は滅多にいなかったのに、今はやってないのは日本人選手くらいじゃないかって思うほどです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >耳飾りや腕輪などの装身具を身に着けている人たちは…「未開の蛮族」 >「耳飾りや腕輪なんて蛮族のダサいファッション。身に着けないのが都会的でオシャレ」 上述のご指摘はまさに現代の私達にも通じる感覚ですね。 消えた装身具は野蛮。つまり当時は凄くダサかった! …そう思えば、たしかに身に着けたくないですよネ。 >「おい、今は都会(京都)のオシャレは装身具を身に着けないことらしいぜ」となったんじゃないかしら。 >独自路線がそのままいった その独自路線が十二単に代表される重ね着ファッションなのですね。 しかも都人は粋な風流人であり、四季折々の季節感と色合わせの心得を重んじ愛でた。 かなり高度で知的な嗜好ですね。 また、当時の装束(絹織物)は、装身具と同等かそれ以上に貴重な贅沢品だったのかもしれません。 そして何より時代的にも平和だったと言えるのではないでしょうか。 父に同行して香港や台湾を訪れた際、現地の方々から、キッチュなモチーフがじゃらじゃら付いた金細工のブレスレットを頂戴しました。 有事を想定しての一財産としての装身具という発想が隣国にはあるのでしょうか。 一方、さほど城壁都市が発達しなかった我が国では、城主の首が交代する程度に平穏な時代が続いたということでしょうか。 >ちなみに私は近年世界中で「タトゥーが復活」していることに対して非常に興味を持っています。 >タトゥー(入れ墨)というのは古代人は世界中でどこでもやっていたのですが、いつ頃からか廃れていました。 そうですね。 これもやはり日本人の身体観、そして服装が装身具の役目を果たしていったことと関連が深いように思われます。 古代の入墨は呪術性を帯びた身体加工であり装身方法だったと推測されます。 「魏志倭人伝」にも「男子皆黥面文身」との記述があります。 後には刑罰としても用いられたようです。 いったんは廃れたものの(アイヌや琉球を除く)、江戸寛永時代に刑罰上の「入墨」が復活し、それ以降他方で「彫物」、今でいうタトゥーが流行り出し、浮世絵と等しく刺青の文化が発展していきます。 そしてそれは明治政府が禁令し戦後に至るまでの僅か数十年の間にまたすっかりアングラ文化の象徴とみなされるようになってしまうのですけれども。 >だけどここ数十年、急速に世界中で復活していますよね。サッカー選手なんて、1980年代はやってる人は滅多にいなかったのに、今はやってないのは日本人選手くらいじゃないかって思うほどです。 はい、上述の理由によって、今なお(かつて江戸時代に刺青文化を謳歌した祖先をもつ)日本人がどの外国人よりも、ファッションというよりも反社会的な意味合いとして抵抗感や忌避する心情が強く感じられるのかもしれませんね。 たしかブラピの奥さん、アンジェリーナ・ジョリーは刺青マニアで、映画トゥーム・レイダーの裸体シーンではCGで上手に消したとか。 でも今は美容整形で跡形も無く消し去ってしまっているのかもしれません?!
- moto_koukousei
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ただの想像です。 いまでいう宝石などは磨き上げたところでただの石ころです。 いくらきれいにみえても、その程度のものに価値があるとは、当時の日本人社会の上流層には思えなくなってしまったのではないですか。 工芸品ならば、技術の粋を凝らしとてもきれいになるし、石ころなどとは違い、高い価値があると思ったのではないでしょうか。 石や珊瑚、琥珀、鼈甲、貝などでも、たた磨くだけでなく、技術工芸を込めた細工をするとか、螺鈿にするとかすれば、留め具、根付け、櫛や笄、扇や刀の柄や鞘、器や机、家具などとして価値を認められるものになったでしょう。 瑪瑙、翡翠、水晶、真珠、ガラス、珊瑚そのものは、きれいなものでもただそれだけのものでしかなく、大きさや光沢だけを価値があるとは考えられなくなったでしょう。そうしたものでも、形や景色の状況で楽しむようなことになれば、水石のような価値評価になるのではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%9F%B3 金銀や象牙や瑪瑙、翡翠、水晶、珊瑚などでも、衣服や持ち物でも、意匠と工芸を凝らしたものに価値が認められる文化になったのだと思います。 他の文明でも、ただ大きくきれいであればそれで装身具に使うというものではなくて、工芸・意匠を凝らした物品にしつらえることで初めて価値があるものになったのでしょう。冠や首飾り、杖の飾り、腕輪にしても、工芸品としての美感が重視されているように思います。 「奈良時代以降、明治時代に至るまでの約1100年間、これらの装身具は忽然と姿を消した」という文章は、「装身具は呪術的な意味を持つシンボルとして縄文時代から古墳時代にかけて広く普及し、指輪、耳飾、腕輪、首飾、足飾など多数の形状の装身具が各地の墳墓より出土している」に続いていることから推定して、【これらの装身具】は【呪術的な意味を持つシンボルとして普及したもの】を指しているでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%A3%85%E8%BA%AB%E5%85%B7%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 飛鳥の頃に仏教が宣伝され、奈良の頃には豪族は仏教帰依が進み、平安末からは密教や修験も流行ります。祈祷や納経も盛んです。仏教は葬式をやるようになるので、各人が呪具を用意する必要もありません。武士などは、実力と神仏習合の祈願と禅でのメンタル保全に進みます。呪具などはさほど重要ではなくて、武具・防具などに荘厳さ・強さを表現させようとするので、単なる金銀や宝石では意味がないのでしょう。 女も、服や髪型などを競うようになると、腕輪や指輪のようなものはジャマなものでしかなくなるでしょう。女が腕輪、指輪、首輪をしているのは、男にとって不都合としか思えないことが多いのではないでしょうか。被ったり脱いだりする貫頭衣式の服装は飛鳥頃には富裕層ではなくなってしまうでしょう。前で重ねたり開いたりする形式の服装なら、修験や祈祷などの念珠を別にして、首輪形式のものは不便でしょう。袖が手の先まである服装では、腕輪、指輪は不都合なものでしかないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ただの石ころです。 >価値があるとは、当時の日本人社会の上流層には思えなくなってしまった >工芸品ならば、技術の粋を凝らし…高い価値がある いずれもやはり鋭いご指摘だと思いました。 当時の上流階級の価値観の変化があったという点。 あるいは工芸品として加工する技術上の問題点。 >細工、螺鈿 >留め具、根付け、櫛や笄、扇や刀の柄や鞘、器や机、家具 >形や景色の状況で楽しむ…水石のような価値評価 >意匠と工芸を凝らしたものに価値が認められる文化になった >工芸品としての美感が重視 はい、上述こそは先のヴァリニャーノ如きには理解し得ない日本人の工芸の美意識の源泉だったのかもしれませんね。 >飛鳥の頃に仏教が宣伝され、奈良の頃には豪族は仏教帰依が進み、平安末からは密教や修験も流行ります。 >祈祷や納経も盛んです。 >仏教は葬式をやる…各人が呪具を用意する必要もありません。 呪具を必要としなくなった。 つまり、金色に輝く仏教世界に信心を置き、その煌びやかな世界に装飾の美を見い出していったのかもしれませんね。 (=工芸技術の粋が仏教美術装飾に特化していった時代) 飛鳥時代と言えば、かの聖徳太子による冠位十二階の制が地方豪族等の豪奢な金銅製の冠を抑え追いやったとの説もありますね。 >女も、服や髪型などを競うようになると、腕輪や指輪のようなものはジャマなものでしかなくなるでしょう。 >女が腕輪、指輪、首輪をしているのは、男にとって不都合としか思えないことが多いのではないでしょうか。 たしかに! そもそも平安時代の寝間着は一体どうしていたのでしょう。 >袖が手の先まである服装では、腕輪、指輪は不都合 はい、十二単自体も重量がありそうです。 その上更に装身具を着けると想定すれば、かなりキツいかも。。 ここまでのご回答を拝見しておりますと、やはり服装と装身具とは切っても切り離せない関係があるように思われます。 服装の変化による装身具の不要説ですね。 >武士などは、実力と神仏習合の祈願と禅でのメンタル保全に進みます。呪具などはさほど重要ではなくて、武具・防具などに荘厳さ・強さを表現させようとするので、単なる金銀や宝石では意味がないのでしょう。 たしかに刀は切れてナンボの世界ですよね。 剣と言えば三種の神器。 一説には装身具が神格化したせいで下々の装身具が姿を消したとも考えられているようです。 どうでしょうね。
- PopoAmin
- ベストアンサー率50% (70/138)
日本の装身具で不思議に思うのはブレスレット、腕輪です。 弥生時代にはあったみたいなのですがいつの間にか消えてしまいました。 これって仏教のお数珠が代わりを務めたのでしょうか? 首飾りも消えてしまいましたが、安土桃山時代にはキリシタン風のファッションで ロザリオを付けた絵があったような気もします。 首飾りは和服の着付けの邪魔になったんでしょうか?十二単など襟の美しさを 重視するようになったので消えたのかもしれませんね。 指輪は弥生時代にあったのでしょうか? 博物館でも指輪はあまりみた記憶がないですね。最初からなかったのかな?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >腕輪 >いつの間にか消えてしまいました。 >指輪は弥生時代にあったのでしょうか? はい、腕輪も指輪も特定の時代以降に姿を消してしまうのです。不思議ですね。 指輪に関しては、例えば登呂遺跡で弥生時代の青銅製の指輪が、福岡県沖の島遺跡で古墳時代の金製指輪(国宝)が発見されています。 時代考証として後者は朝鮮半島由来で騎馬民族との関連性が指摘されます。 ところがそれ以降、新しく様々な大陸文化を導入したであろう飛鳥時代から奈良時代にかけて、出土品や古墳の壁画からも腕輪や指輪、首飾りなどの装身具が姿を消してゆくのです。 >これって仏教のお数珠が代わりを務めたのでしょうか? 鋭いご指摘ですね。 仏教の導入とわが国の消えた装身具との間には何らかの関係がありそうです。 奈良東大寺の廬舎那仏をはじめ多くの仏像は鍍金され金色に輝いていましたね。 また、薬師寺の国宝・吉祥天女像(部分)は唐風の装いに瀟洒な首飾りや腕輪が見い出せます。 が、それとてあくまで仏画として描かれたものであり、当時の我が国の上流貴婦人等が真似たとまではみなせないとも推測されます。 >首飾りも消えてしまいましたが、安土桃山時代にはキリシタン風のファッションでロザリオを付けた絵があったような気もします。 はい、当時の日本人と南蛮人との価値観や嗜好の比較は非常に興味深いものがあります。 ロザリオを日本人大名達がこぞって欲しがる一方で、ヴァリニャーノが著書「日本巡察記」において、金銀製ではないたかが土製の茶入れやら鉄製の刀の鍔にこそ大金を投じて珍重していることに対して驚きを禁じ得ない旨を記しています。 >首飾りは和服の着付けの邪魔になったんでしょうか? >十二単など襟の美しさを重視するようになったので消えたのかもしれませんね。 たしかに重ね着(しかも多色遣い)の場合、貌に近い襟元の美しさを際立たせる上で首飾りは装飾過多、邪魔なだけかもしれません。 では、そういった服装の変化が首飾りなどの装身具を不要へと追いやったのか。 あるいは、装身具が何らかの事情で入手し難くなったがゆえに、服装が装身具の役目をも担っていったのか。 いったいどちらなのでしょうね。
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
「これらの装身具」の「これら」は、何を指しているのですか? 装身具は、「髪飾り」など使われていましたので、装身具全てを指すことは無いと思います。
お礼
ご回答有難うございます。 「髪飾り」ですね。 kanzasi.co.jpというサイトに「かんざしの歴史」が載っています。 大陸文化を遮断した平安時代以降、古来の装身具は影をひそめ黒髪そのものの美しさを愛でるようになっていったそうです。 古来、多くの文明や文化において装身具は富や権力の象徴でもありました。 この点において、いかに黒髪の美を湛えたにしても、装身具そのものをも不要とみなすようになっていったことについて不思議に思うのです。 また、他の装身具についても姿を消した、あるいは不要とみなされていったのは、いったいどうしてなのか。 このように考えております。
補足
大変失礼しました。 私が見かけたページはwiki「日本における装身具の歴史」の序文です。 どうぞよろしくお願いします。
お礼
amaguappaさん、ご回答を頂いてから随分時間が経ってしまいました。 ごめんなさい。 お詫びとともに改めてお礼を申し上げます。 週末にお礼を書いては消し…を繰り返したものの、どうにも収拾がつかなくなりまして。。 お恥ずかしいかぎりです。 私は浅はかなので、つい頂戴したご回答をもとに、文章を言い換えて理解したつもりになったり、それで満足しきってしまう悪い癖があります。 このたびのお礼もその範疇から抜け出すものではありませんでした。 さらに、仰せの通り、想像以上に奥深いものを湛えているようで、またしても私の手に余る難問でした。 この質問は時間切れということで締め切らせていただきます。 ですが、このたび頂戴した数多くのご意見や素晴らしい気付きを活用させていただきつつ、更に考え進めていくつもりでおります。 本当にどうも有り難うございました。 まだまだ厳しい暑さも続きます。 御子息におかれましても御身お大事に。。。