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お金で買えるものと買えないものの比較
- お金で買えるものと買えないものの比較について考えます。実際にはお金で買える物が多いと考えていますが、それでも相対的なものであったり、人の価値観や人間関係によって重要ではないこともあります。
- お金を持つ者と持たない者が感じる寂しさや虚しさを比べると、どちらが重いかという問いについて考えます。また、お金と人間関係やお金と幸せについても自由な意見を聞かせてもらいます。
- お金の必要性のために自らの心や価値を変えることについても議論されます。人は生き甲斐のために働いているのか、金も生き甲斐も欲しいのか、企業は金のあるところにしか営業しないのかなど、さまざまな視点から考えられています。しかし、お金では買えないものも存在し、相対的なものであることも指摘されています。
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どこからどう考えたって、お金で買えるものが圧倒的に多いです。 私などは、たいしたお金をもっていないので、お金で買えるものはすごく多いです。 お金があれば、お金を稼ぐための仕事をやめることが出来ますから、つまりは時間だってお金で買えます。そして、お金を目的としない仕事をすることが出来ます。 ヨーロッパの貴族は「お金を稼ぐことは卑しいこと、お金を使って社会貢献することが高貴なこと」としてきました。一番贅沢な生き方なんでしょうね。 お金で買えないのは、私が思いつくのは「才能」とか「心」の分野です。 ある程度までは「買えたように見える」ことはあると思います。 たとえば「才能」は、お金を積んでよい先生につけばある程度伸ばすことができます。同じ才能を持っていても、お金がなくて才能を花開かせるチャンスがつかめない、ってことはあります。 だけど、そもそも人が産まれ待った「才能の量や質」は買えません。お金で他人の才能を自分に移植することはできません。 私がどんなにお金を積み、努力してもオリンピック選手にはなれません。ノーベル賞もとれません。 元になる才能を買ってくることはできません。 若い女性が金持ちの老人に「心」を売るかどうか、については、 「心」を「愛」と置き換えると、これも「買えたように見える」だと思います。 質問の例では、心でも愛でもなく、代償を求められたのでやむなく「からだ」で払った。ということです。「からだ」はお金で買えます。これは古来人間社会に存在する「売買」です。 でも「からだ」が買えても、「心」や「愛」が買えたのではありません。 もちろん、お金が大好きで、お金を愛してやまない人もいますので、「お金をくれる人」に心からの感謝をささげる人もいます。この場合も愛しているのは「お金で買えるモノ、生活、満足感」です。そしてその源泉の「お金をくれる人」に感謝をしているわけで、人間としては誰でもいい、「お金を出してくれる人」であればいいのです。 別に「本物の愛」とか「本心」とかはいらない、「からだ」と「全面的な感謝」があればいい、という考え方もあります。それならばお金で十分幸せが買えます。 今の日本では、「買えるもの」より「買えないもの」方が価値があるように言われ過ぎてる気がします。 人が幸せに生きるには、まず買えるものが十分に手に入ることが必要です。 「金があっても不幸」という人より、「金がなくて不幸」な人の方が圧倒的に多いです。 普通の人の普通の人生では、金があった方が幸福になりやすいです。 ただ、「金」しかなかったら、幸せとはいえないです。もっとも「金」しかない人、っていうのもあまりいません。幸せのためには、「金」のほかに、「心」や「愛」や「運」や「人柄」などビタミンのような微量要素が必要だし、たいていの人はそれを持っています。 「金では幸せになれない、金で買えないものの価値が大きい」的な表現が最近多いのは、現代社会はあまりに拝金主義な傾向が強いので、それに対する反動、警告かもしれません。 「お金で買えないものなんて無い」と豪語したホリエモンが「無罪」を買うことができませんでした。 象徴的だな、って思います。 でも、もしかすると、「無罪」を買える人もいるかもしれませんね。それには、「金」だけではなく「力」も必要なのでしょう。 そういう「力」も金で買えるのかどうか、わかりませんが。
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物の大概は金で買えます。 だけど買ったものから何を得るのかは金では買えないのです。 それはその物にどれだけの価値を見出すかって自分自身の問題です。 これが金で買えないのですよ。 金で買えるのは「物」であってそれに付随する「価値」では無いのです。 価値は金では買えない。 なんでもお金で買えると思っている人はその価値に気が付かない人です。 むしろなんでも金で解決できる環境にある人とほどその価値に気が付かないものです。 何にどれだけの価値を見出すかは人それぞれです。 うちは繋がってると思いますよ。 だって、介入するべき金が無いのですから…残るは価値だけです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「価値を見出すかって自分自身の問題です。」 「金で買えるのは「物」であってそれに付随する「価値」では無いのです。 価値は金では買えない。」 その通りだと思います。 下の回答者様へのお礼にも例を書きましたが 月16万円の収入のバイト君が毎月の生活費からせっせと貯めて 欲しかった18万円のPCを買った時の喜び・満足感・達成感・・・ 一方 高額所得者である日産自動車のゴーン氏が同じPCを購入した後の喜び 満足感達成感はバイト君には遠く及ばないどころか もしかすると買ったことすら忘れてしまうかもしれない・・・・ ゴーン氏の秘書が「ダイナブックが良いですよ」とアドバイスしていたとすれば 「それでいきましょう!」と簡単にそちらを選択していたかもしれません そこに至るプロセスや思い入れ 憧れ等 そしてそれを得た時の喜び満足は金を持ってるから得られるというものではない ありがとうございました。
質問者に聞きます。お金で買えるものとお金で買えない物の意味しっていますか? 単なるお金で゛買える物が多い少ないと.言う事ではないのです。 お金で買えない価値があるもの there are some teings money .can buy クレジットカ-ドの国際ブランド「MASTACARD」のキヤチヤコピ- お金で買えない価値がある買える物は「マスターカ-ド」 資主義社会ではお金があればどんな物でも買える。 名誉・信用・資本・さえあれば.クレジットカ-ドは1般の人が見ることが出来ない様なカ-ドに変わる そんな人にも人たちにも買うことが出来ないものかあると言う表現したものである。 日本人の悪い癖で意味も解らず..お金で買えるもの買えないものと比較する様になった。
- hekiyu
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”お金で買える物と買えないものはどちらが多い と思われますか?” ↑ お金は何か、というと、人を動かす道具なんですね。 だから、お金さえあれば、人間がなし得ることは 可能になる訳です。 反面、人間がなしえないことは、お金でもダメだ、と いうことになります。 こう考えてみると、お金で買えるものの数は多いが、 重要なものになればなるほど、お金ではどうしようも 無いモノが増えてくる、ように思えます。 重さを加味して考えると、お金で買えないモノの方が 多いと思います。 ”日本人は特にお金のことをいう人をあまりよく 思わない傾向にありますね 私はそれはお金の苦労をしたことがないからだと考えてしまいます。 建前で生きてこれたからじゃないかと思ったりしています。” ↑ それは違うと思います。 御指摘の通り、お金の力は偉大です。 人間の悩みや欲望の多くはお金で解決できます。 だから、本当は誰もがお金は欲しいのです。 だからこそ、お金は卑しい、ということにしたのです。 お金は欲しいという当然の欲望をそのまま肯定してしまったら 皆がお金に群がります。 お金を持っている人が偉い、尊敬されるようになり、人生の 目的はお金になってしまいます。 事実、そうなりつつあります。 こういう風潮に、少しでも歯止めをかけようとして 「お金は卑しい」 というブレーキを設けたのです。 こういうブレーキが無ければ、アクセルだけの自動車 になってしまいます。 お金の為ならなんでもやる人ばかりになってしまいます。 お金は卑しい、とするぐらいでちょうど良いのです。 こういうのを「知恵」というのです。 ただ、私もお金には苦労してきましたので、 お金の大切さは身に染みているつもりです。 今でも、夫婦で使うお金は年60万もありません。 お金の大切さを知らない人間は子供です。
- hirotan1879
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今更ベタな説明で恐縮ですが、通貨というのは政府が作って管理する公共物です。 各個人や法人が所有する資産やサービスを評価して市場に流通させる事です。 つまり(資産)(サービス)として流通可能な物は値段が付き、流通不可能なものは値段が付きません。 例えば (洗練された)技術を持った女性が居て お店に来るお客さんに仕事として供給する(サービス)は流通可能ですが 個人的に自分の自宅で彼氏と行う(個人的な行為)は流通が困難です。 つまり 元々性格が異なるものですから(どっちが多い)とか(強い)とかの議論は元々意味がありません。 「お金で買えるかどうか」ではなく「流通に乗せたくても困難、売りたくても売り物に出来ないもの」がどうしても(特に個人の部分で)売れ残ってしまうのです。 (洗練された女性)が(彼氏にしてるのと同じ気合いの入った行為)を一般のお客様に同じように施して商品化しようとしても 逆に信用されず(どうせパチものだろう)と馬鹿にされてしまいます。 頑張って食事制限をしてジムに毎日通って見事な体になったとしても、(自制心とか忍耐力)はそのままでは商品化できません。体験を元に他人をコーチするといった(二次的な加工)を加えないと(サービス)として商品化できませんし、其れを購入した人も(加工後)のサービスを参考として得る事が出来ても 本質的な(精神力や忍耐力)を買う事はできません。 もともと本質がちがうので優劣を付けても意味が無いのです。
- kimamaoyaji
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どっちもどっちでしょう、例えば、国は金では買えません、又美術館所蔵の目玉の美術品は基本的には変えません、幾らでもと言うなら別でしょうけど、10兆円とか出して美術館ごととなれば別ですが、だからといって、その絵を自分の家には飾れないので、買った意味があるかは不明です。 また法律上買えない物も有りますよ、原発など個人では買えませんからね。 命も買えない事は無いですよ、死ぬ前に人工冬眠させれば、医学がその病気を治せるようになってから目覚めさせればよい訳ですし、クローン技術を使えば自分のコピーを作りそれから必要な臓器を取って移植するればよだけです、無論倫理的問題はありますがお金が無限にあり数十兆円とか使えば可能でしょう。 どっちが多く買えるかなんて、どこまで金を出せるかで決まるでしょう、100円しか出せないなら買える物は少ないですし、100兆円まで出せるなら買える物は多いです。 決まりごとの無い比較は無意味かもしれません。
- sunsowl
- ベストアンサー率22% (1025/4491)
>お金で買える物と買えないものはどちらが多い 単に数でいえば、買えるものでしょうね。 >「金を持つ者が味わう寂しさや虚しさ」と「金がない者が味わう寂しさ虚しさ」を秤にかけたらどちらが重い 問いの意味がよく分かりませんが、どちらがより深刻か?ということを聞きたいのでしょうか。 当然、金がないことによって生じる物理的問題の方が大きいでしょう。 金がないために餓死する人も、最近は増えていますし。 金持ちが抱える金銭面の悩みもあるにはありますが、生死には関係ありません。 それを考えると、カネはないよりあったほうがいいという結論になるでしょう。 こういう意見もあるということで受け取っていただければと思います。 回答に対するお礼・補足は要りません。
- ka28mi
- ベストアンサー率41% (969/2315)
40過ぎの会社員です。 お金で買えるものと買えないものでは、買えるものの方が多いと思います。 「お金」の桁によりますけれどね。 これは、当然のことだと思います。 「お金」つまり貨幣というのは、交換のためのツールとして発展したのですから、買えるものが少なかったら、ひろまらなかったでしょう。 ただ、本当に欲しいものは、私の場合はお金では買えません。 学生時代の記憶力とか体力とか、とっさの判断力とか、センスや教養とか。 自分が本当に面白いと思うもの、素敵だと思うもの、美味しいと思うもの、これも金がなければ手に入りませんが、金だけでも手に入りません。その時のめぐりあわせがあります。 病気は金で助かる可能性が高くなりますが、死んでしまった人間は金で生き返ってはくれません。 「金がないのは頭がないのと同じこと」と言いますが、アタマだけあっても仕方がないように、金だけあっても意味がない、というのが本心です。
お礼
ご回答ありがとうございました♪ こんな夜更けに起きておられる人がいて こんなに早くご回答下さる方がいるとは正直驚いております。 「素敵だと思うもの、美味しいと思うもの、これも金がなければ手に入りませんが、金だけでも手に入りません。その時のめぐりあわせがあります。」 そうですね 私のような下種な者は上記のところはすぐに女性を連想してしまいますが 仮にそうだと仮定すると 世間で言われる素敵とか綺麗な女性が又は自分にとって素晴らしいと思う女性が必ずしも金を持ってる者に付く訳でもなく また逆に そのような女性が「持たざる者」につかないという保証もない 女性との関係において 出会いは「持てる者」は「持たざる者」より、その機会は多いが 機会の多さは同時に選択肢を増やすだけで逆に空回りも多いようにも思います。 (相手の女性の寄ってくる目的が違ったり・・) 金はその機会を与えるが相手を得る為の決定打にはならないということでしょうか♪ 決定打になるのであれば 高額納税者である芸能人等に離婚等が生じる訳はないし・・・ 失った時間・・・これもいくら金があっても戻りませんね 貴重なご意見ありがとうございました♪
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
お金で買えないものはごくわずかしかないが、お金で買えないものほど人の心に響くものである。
お礼
夜中の貴重なお時間に回答下さりありがとうございました♪ なるほど 短い文章の中に考えさせられるものを見ました。 「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も相手の耳に響かない」聖パウロの言葉より を読んだ時と同じ位の思いを持ちました。 ありがとうございました♪
お礼
素晴らしい回答だと思いました。 またあなた様の頭の回転の良さに脱帽致しました。 ありがとうございました♪ 例えば バイト料月13万円の給料で生活している人が以前から欲しかった最新型のPCを購入したとします。 その金額は16万円でした。 (勿論、クレジットカードなどは持っていないか持てないということで仮定します。) それは彼が少ないお金を毎月コツコツと貯めて買ったPCです。 その彼がPCを手に入れて自分の部屋に持ち帰った時の気持ちはきっと何にも勝る満足感だったでしょう。 もしかすると興奮してPCの箱も上手く開けられなかったかもしれません お腹が空いていることも忘れてしまったかもしれません バイトに行く時間になっても行きたくない・・・・そんな気持ちでいたかもしれません 一方 彼が購入したのと同じPCを日産のゴーン氏のような高額所得者が購入した場合どうでしょう 上の彼の得た深い満足感や達成感というものはないはずです もしかすると数日間箱は開かれないかもしれません そのPCを買ったことさえ忘れてしまうかもしれない 物はお金で買えますが(彼もゴーン氏もPCを手に入れという事実は同じです) その物によって得られた満足感・幸福感というものは確かにお金では買えないと思います。 つまり その人の置かれている環境と現在の心の在り方によって物や金に対する見方は変わるってことでしょうか PCの操作方法の分からない人にとっては16万円もするPCなんて必要ないと思うでしょう 何でも鑑定団という番組がありますがその中で掛け軸の評価額が数百万円 ゲストの祖父が友人の借金のかたに預かったものらしいですが・・・ 仮に 私の家の近くにあるごみ収集場にその掛け軸が落ちてたとしても私は拾わない以前に その存在も分からず ただごみを置いて去るのみだと思います。 骨董などの価値の分からない人は目にも止めないはずです・・ 但し 100円玉が落ちてたなら すぐに足で踏んづけてポケットにしまい込んでしまうでしょう 「金しかなかったら、幸せとはいえないです。もっとも「金」しかない人、っていうのもあまりいません。幸せのためには、「金」のほかに、「心」や「愛」や「運」や「人柄」などビタミンのような微量要素が必要だし、たいていの人はそれを持っています」 その通りですね 考える価値は異なっても金を持っていようがいまいが人にはそれぞれ心がありますね 健全な心も不健康な心も・・・・ しかしいくらお金を払っても 人の心の底は見ることが出来ません 出来るのは推測だけです。 多分あの人はこう考えてるだろう・・・・ 多分彼は私を愛してるだろう・・・・ あいつは・・・・だから信頼できるはず・・・・ 人の心が分からないから良いのかもしれませんね♪ そして色んな価値をを持ってる人がいるから世の中はうまくいってるのかもしれませんね ありがとうございました。