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直参と陪臣について
funoeの回答
- funoe
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御三卿の家臣は直参です。 御三卿は、将軍家の別家である御三家とことなり、「将軍家の家族扱い」なので、その家臣も同じ家に勤めるものとして直参です。 同じように、将軍嫡男付き(二の丸付き)や大奥付き(**院様御付)なども直参です。 直参の名簿である武鑑にももちろん記載されています。 直参旗本の最高格は「江戸城留守居役」と「御三卿家老」です。 現代風にいえば、御三家や諸大名を独立した法人である子会社とすれば、御三卿は親会社の事業本部くらいの位置づけ。 なので御三卿の家臣は、あくまでも親会社の社員。 細かく例えると、御三家・親藩は、親会社のオーナー社長の親族が社長を勤める由緒正しい子会社、譜代はかつて親会社の一部門から独立した子会社、外様はある時期に協定を結んでグループ入りした関係会社。 水戸藩士で馬廻り役の500石・・・ 暮らしぶりについてはわかりませんが、上士です。家老級の次のクラスと思われます。役員ではないが部長級。 水戸徳川家の家臣団についてはわかりませんが、たとえばよく知られている赤穂浅野家(5.3万石)でいえば500石は上から5~10番目くらいの禄高です。 後日であれば紀州徳川家の家臣団との対比によるポジショニングなどお知らせできるかもしれません。(いま手元に資料がないもので)
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お礼
御三卿は家族扱いで、御三家は親戚扱いなのですね。 う~ん、なんだかずるいです(笑) 現代風の例えが大変わかりやすく、 御三卿と御三家の将軍家との位置関係等わかりやすかったです。 >水戸藩士で馬廻り役の500石 家老級のの次のクラスですか・・・ 思った以上に上で当惑しております。 ご回答ありがとうございました。