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新聞(マスメディア)の公平性
新聞が自己の主張をすることはある程度仕方がないことですが、その公共性ゆえに最低限の公平性・信頼性などなどが必要だというのは恐らく誰もが異論は無いのではないでしょうか。では、2月20日の産経新聞のコラム「産経抄」はどうでしょう?友人には「右寄り」と言われる僕でも完全にアウトだと思います。ネットで簡単に見られますのでどうかご意見をいただきたいです。 以下一部抜粋します >アメリカの方に大義がないとするとイラクに大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい 誰がそんなことを言っているのか?「アメリカに大義が無い→フセインの「抵抗」に大義がある」となるならわからんではないですが、記事が言っているのは「アメリカに大義が無い→フセインの「平時における独裁・虐殺」に大義がある」などとふざけたことを言っている・・。 >大義があるかないか、どっちに大義があるかなどという議論は意味がない。戦争はどっちもどっちなのさ。だれもが自分の方に大義があるという。 これは結果のみを述べているだけだ。結果としてはそりゃあ湾岸戦争におけるイラクにだって理屈はあっただろう。しかし過程の段階で大義を一切考えないというのはあり得ない話だ。だいたい明日北朝鮮が「占いで今日は何事もうまくいくって言ってた♪」なんぞの理由でテポドンを打ってきてもそれを当然だと受け止めて一切の抗議をしないのか?? というわけでかなり情けない気分になっているんですが、皆さんはどう思いますか?念のため産経新聞のサイトで確認してからお考えをいただきたいです。http://www.sankei.co.jp/news/040220/morning/column.htm
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大変遅くなりもうしわけありません 質問→この主張を多数派の子供読者は理解できないので『逆効果』ではないか?「新聞」たるものそこを最も意識すべきではないか? 私の考えは「そうは思わない」です。でも質問者さんのような意見もアリでしょうね。要は人によって見解が分かれる問題ということでしょう。 当初の質問から波及して「メディアはどうあるべきか」論ですね。これも興味のつきない重要なテーマですね。 まず質問者さんの次の指摘 >現に回答をいただいた方は「ほとんど」「このコラムのみ」では「大義は全く不要だ」と解釈されている(またはそういう理解も可能であるとの解釈)ものと思う 現に#14の方は「大義は不要」と解釈されていますよね しかし、回答の多数派はどうでしょう。「大義は不要との理解も可能である」といっているだけ(あくまで可能であって「そう理解するのが自然」ではないですよ)で、むしろ以下のような論調が主流ではないですか emsdさん (このコラムが大義は不要といっているのか必要といっているのかと問われれば)「建前の大儀を論じても仕方ないが、コラムには書いていないものの、戦争目的という本音の大儀は必要です 」:()内は私の補足「」内はemsdさん 私 「大義を議論するのは意味がない(大義そのものに意味がないといっているのではない)」 多数決でどちらが正しいか決めようというのではないですよ。いいたいのは、質問者さんは「このコラムは逆効果であり、新聞として最も意識すべき「現実の厳しさに触れにくい主婦やおっちゃん」を惑わすのではないか」と感じ、私は「多数派の読者に逆効果を与えるほど有害なコラムであったとは思わない。主婦やおっちゃんも含めて読者の多数はコラムの主旨を理解したと思う」ということです メディアの質を問うことは、国民の質を問うことです(#13の回答も同主旨と思いました)。民主主義が根付いていない国ではメディアは国家が統制します。民主主義が確立すれば「報道の自由」「表現の自由」が守られます。また、民主主義は多様な価値観を相互に認め合い、議論するものでもあります。いろいろな主義主張をもった論説、硬軟さまざまな表現があってこそ民主主義が成立し、メディアの受け手である我々もまた、いろいろな解釈をする人や理解度の優れた人、劣る人がいてこそ民主主義が成立するのではないでしょうか。 「しかし新聞は公器であるから、誤った極論をふりかざすのは社会への害悪である」ことはいうまでもありません。だが、今回のコラムが「誤った極論が世間の無知な大衆の反感を買い、彼らを左寄り(というより理想主義的エセ平和?)に向かわせてしまうのではないか」というのは杞憂でしょう。私はそんな心配はないと思いますし、今回のコラムの表現は新聞として許される範囲でのおちょくりや態度であると思います。 私は「メディアリテラシー」が重要だと思います メディアリテラシーとはメディアの受けて側に必要な選択眼や情報分析力といったらいいでしょうか 民主主義を維持するにはメディアの役割は不可欠ですし、表現の自由がある以上、いろいろなメディアが乱立し、中には低俗で誤った情報を流す場合もあります。だからこそ、受け手側には、優劣さまざまな質の報道を選別し、咀嚼し踊らされることなく自分の考えを持てるような能力を身につける必要があると思います。 その意味で、一般の、ごく普通の人々がもっとメディアリテラシーに関心をもってくれたらいいと思います。今回のご質問者さんも、きっとメディアリテラシーについてご興味があるのではないかと思います。なぜなら、今回のこの質問&回答のような議論こそ、メディアリテラシーを身につける最も実践的な方法のひとつだからです。
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- ranx
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「意見の表明」だと、質問ごと削除されてしまうかもしれませんね。 感想としては、古典落語の世界を舞台にして茶化しているような話の細部に こだわっても仕方がないだろうという気がするのですが、それはさておき。 物事の評価の仕方に合理主義的な立場と経験主義的な立場とがあります。 合理主義的な立場というのは、ある絶対的な基準があって、それに即して いるかどうかですべてを判断できるという立場です。経験主義的な立場と いうのは、物事に絶対的な基準などは無いので、その場その場で判断して いかなければいけないという立場です。(合理主義という語は他の意味でも 使われますが、ここでは経験主義に対立する立場のことを指しています。) 合理主義的な人が経験主義的な人を見ると、あやふやでいい加減に見えます。 経験主義的な人が合理主義的な人を見ると、杓子定規で融通の利かない人に 見えます。どっちもどっちなのですけど。産経のコラムは、後者のケースに 近いと思います。その限りで、私としては受容可能なものです。 経験主義の立場を採るとしても、判断の際には判断の基準が必要です。 (もちろんその基準は絶対的なものではありませんが。)産経の経験主義的 コラムの中で、その暫定的基準の役割を担っているのが「国益」です。 この語をどう理解すべきか、コラムには何も書かれていません。質問者さんは 産経新聞の言う国益=質問者さんの言う狭義の国益と決め付けておられますが、 そう解釈しなければならない理由は、とりあえずは無いと思います。 (もちろん、質問者さんの解釈が正しい可能性もあります。) イラク戦争を支持する人の中には、こうした経験主義的な立場の人とは別に 「隠れた大義」があると感じている人もいると思っています。「隠れた大義」 というのは、「独裁的・抑圧的な政治権力は打倒されるべきだ。そのための 軍事力の行使は正当なものだ。」というものです。こうした立場は明確に 主張されることはありません。世界を臨戦態勢に置くことになってしまう からです。この立場の人にとって、「大量破壊兵器の保有」というのは 大義でも何でもなく、単なる攻撃の口実に過ぎません。 ひょっとしたら、米国の攻撃は単なる強盗に類したものであったのかも しれません。また、あるいは産経新聞の主張は硬直した国益至上主義で あるのかもしれません。いずれにせよ、イラク戦争はこれまでの国際社会の ルールを大きく流動的なものにしてしまいました。この状態が好ましいとは 思いません。普遍的なルールは確立されるべきだと思います。ただ、当面の 状況に対応するには、経験主義的立場は有効だと思います。
お礼
返信が遅れて申し訳ありませんでした。 >私としては受容可能なものです 端的に答えをありがとうございます。 >合理主義的な人が経験主義的な人を見ると、あやふやでいい加減に見えます。 経験主義的な人が合理主義的な人を見ると、杓子定規で融通の利かない人に 見えます。どっちもどっちなのですけど。 なるほど、「合理主義的な立場と経験主義的な立場」ですか。面白い表現ですね。それに応用も出来そうな分類です。余談ですが、この記述を見て最初に思ったのは「あー、与党と野党だ・・」ということです。全てあやふやだと批判される自民党(小泉総理)と大義大義と杓子定規で融通の利かない民主党・・。ちなみに僕は「一応合理主義を追いかけるが、必要とあらば即座に経験主義へ」。これは節操が無いというよりは弾力的と評価すべきなのかなと。まあ理想ですけどね。 >普遍的なルールは確立されるべきだと思います。ただ、当面の状況に対応するには、経験主義的立場は有効だと思います。 そうですね。国連も未だに問題が多いですしね。
- nes_
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#3です。 ちょっと余計なことですが、 「産経の従来どおりの主張だと思います」の部分を 「産経の従来どおりの主張に過ぎない」に訂正しておきます。 つまり、「大儀があるかないか、どっちに大義があるかなど という議論は意味がない。」と言っているわけで、 それはそれでいいのではないか、 今回に限って、ちょっとオーバーリアクションじゃない? と私が思っている、ということを言いたかったのです。 新聞のコラムとか社説というのは、 新聞の「主張」そのものだと思います。 主張するということは、中立性を犠牲にすることでもあるし、 それにかかわる信頼性というのも、 読者の主観的判断によるものだと思います。 もちろん、間違った情報を書いていれば問題ですが、 今回の産経抄も、石井さんが産経の見解を代弁しているだけなので。 まあ、これは回答とはずれた私のつまらない意見ですので、無視してください。 それと、この質問を見た私の第一印象としては、 どちらかというと、「意見の表明」に近いのかな、と思いました。 「お礼」を見ていてもそう感じます。 ・新聞(メディア)の公平性について問うているのか、 ・「産経抄」の公平性について問うているのか、 ・「大儀」の問題について問うているのか、 もう少し焦点を絞った質問の方が回答を得られやすいかと思います。 以上、私の意見(アドバイス)でした。
お礼
>今回に限って、ちょっとオーバーリアクションじゃない? たまたま今回この記事をあげただけなんですが・・。 >どちらかというと、「意見の表明」に近いのかな、と思いました。 そうですね。僕の意見を聞いていただいて、「そんなに言うほどのモンじゃねーだろ」なり「確かに許せん」なり他の方の意見というか「感覚」を聞いてみたかっただけなんです。 >要領を得ない文章に丁寧に答えていただいてありがとうございました。
- nes_
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いや、産経の従来どおりの主張だと思います。 それをわかりやすく茶化しただけでしょう。 日米同盟という主張は一貫しているので、 いちいち重箱の隅をつついてやろうとも思いません。 私が思うに、 質問者さんは最近の産経の主張に批判的でおられるために、 つい感情的になってしまわれたのではないでしょうか。 だとすると、私はその気持ちはよくわかります。 私はずいぶん前から新聞を読まなくなりました。 公平性はあくまで理想であるとしても、 あまりにバランス感覚が悪いからです。 これは、イラク戦争からハッキリとしてきました。 最近は、西部邁氏も朝日新聞に登場しているようですが、 論壇も、イラク戦争あたりから少しずつ混乱してきているんですよ。 だからこそ冷静な議論が必要なのですが。 (西部氏がおかしいということではありません) 質問者さんのように、常に批判的な目でみながら 自分で思考し、判断していくしかないですね。 でも、第三の権力である新聞の性格が偏りすぎていると、 読者の頭も固まってしまうでしょう。 政治家ではないのだから、 いろいろな視点から物事を見ていかなければなりませんよね。 戦争=悪、国益=日米同盟。 こればっかりじゃ、バランス悪いです。 質問者さんは、保守のような気がしました。
お礼
お返事ありがとうございます >いや、産経の従来どおりの主張だと思います。 えと、別に産経の主張が変わったとは一切言っていないつもりですが・・。 >質問者さんは最近の産経の主張に批判的でおられるために、 つい感情的になってしまわれたのではないでしょうか。 はい、感情的になっていると自分でも認識していますし、それでいいんだと思っています。 >あまりにバランス感覚が悪いからです。 これは、イラク戦争からハッキリとしてきました。 そうですね。イラク戦争が無ければここまで各紙にここまでの差は出なかったと思います。個人的には読売くらいがバランスとして妥当かと思っています。 >常に批判的な目でみながら 自分で思考し、判断していくしかないですね。 やはりそうなんでしょうか・・。僕は基本的にはマスメディアを過度に信用する方が悪いと思っていますが、さすがにこれは「程度の問題として」ひどい気がするんですよね・・。 >質問者さんは、保守のような気がしました。 自分も友人もそう思っていますが、今回の文章ではそんな印象は出ていないように思うんですが、にじみ出てしまうものなんでしょうかね(笑)。 ご意見ありがとうございました。
- tama4622
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#2の方のいうとおりで、質問者さんは文意を読み違えて「情けない気持ち」になっているだけでは? よーおおく読めばちっとも情けない気分ではないですが、、、? このコラムの結論はこうです 国家が戦争をするしないの判断基準はずばり国益。大義ではない。政治家はそこをきちんと見抜いて国益に沿った判断をせにゃならん。不毛な大義論はやめてもらいたい この結論を導き出すために「戦争はどっちもどっちで誰もが自分の方に大義があるという」という記述を否定的に取り上げているわけです。 仮に北朝鮮が「占いを理由にテポドンを打ってきた」らサンケイのこのコラムの筆者はどうするか? 「日本の国益を最優先に考えて、ためらわずに果敢な抗議なり反撃などをすべき」と主張するでしょう。 決して質問者が書いておられるような「自分に大義があるという北朝鮮の主張を認めて日本は抗議をしない」という主義主張ではありませんので、ご安心めされ
補足
お返事ありがとうございます。よーーーく読んでみたつもりなんですが、イマイチよくわかっていませんので再度質問をさせていただきます(笑)。もしよろしければもう少しだけお付き合いください。尚、No2の方の所にも僕の考えを書いていますのでよろしければごらん下さい。 >「日本の国益を最優先に考えて、ためらわずに果敢な抗議なり反撃などをすべき」と主張するでしょう。 決して質問者が書いておられるような「自分に大義があるという北朝鮮の主張を認めて日本は抗議をしない」という主義主張ではありませんので、ご安心めされ 国益と大義は完全に別のものでしょうか?例えばアメリカがイラク戦争の際にもう少し各国との根回しをするなりして「大義」を得られればもっと多くの国が参加をした(更に言えば「せざるを得なくなった」)わけであって、現在の統治ももっともっと楽にできたわけですよね。これは「国益」とは言えないでしょうか?また、「日本の国益を最優先に考えて」抗議なり反撃をするとおっしゃられますが、これは単純に「北朝鮮の攻撃に大義が無いことを理由に」抗議・反撃をすると言って何か不都合でもあるのでしょうか?僕は殊更に大義大義とわめく管・朝日も嫌いですが、かと言って完全に無視するのも極端な話ではないですか?というか大義を完全に不要とする理由(利点・必要性)がわかりません。あるにこしたことはないでしょうに。 また、大義を完全に無視してまともな国を作れるのでしょうか?それにこの産経の主張を皆が支持するのは正直気持ち悪い国になってしまうように思います。 「国益」について考えてみる。 今考えた僕の中の勝手な理解なんですが、僕は大きな概念として広義の「国益」を使います。そしてその「(広義の)国益」の中が「(狭義の)国益(=利益。産経新聞の言う国益)」と「大義」とに分かれると理解しています。そして更に言うなら実際の外交においてはそのバランスは(かなり当事者のパワーバランスにもよりますが)大雑把に言って「(狭義の)国益:大義=8(7):2(3)」くらいかと思っています。 >質問者さんは文意を読み違えて「情けない気持ち」になっているだけでは? そうなのかもしれません。たまに暴走することがあるような・・(笑)。でも「大義はいらない」と完全に言い切ってしまうのはいくらなんでも感情として納得できないんです。
- emsd
- ベストアンサー率50% (27/54)
>その公共性ゆえに最低限の公平性・信頼性などなどが必要 理想的にはおっしゃる通りですが、中々理想と現実にはギャップがある様ですね、残念ながら。 >記事が言っているのは「アメリカに大義が無い→フセイン>の「平時における独裁・虐殺」に大義がある」などとふざ >けたことを言っている・・。 菅党首や朝日新聞が正義か否かの二元論的論調に終始しているので、敢えて二元論を展開することの問題点を明確にする為”二元論ではこんな馬鹿な結論”になってしまうよ?と説明しているのですよね?ここで主張しようとしているのは二元論への批判であって、独裁・虐殺は大儀だったとは謳ってはいませんが、ご不快になっておられるのはどこの部分なのでしょう....?? >これは結果のみを述べているだけだ。結果としてはそりゃ >あ湾岸戦争におけるイラクにだって理屈はあっただろう。 >しかし過程の段階で大義を一切考えないというのはあり得 >ない話だ。だいたい明日北朝鮮が「占いで今日は何事もう >まくいくって言ってた♪」なんぞの理由でテポドンを打っ >てきてもそれを当然だと受け止めて一切の抗議をしないの >か?? 戦時における戦争の大儀は、兵士の士気を高めたり、世論をまとめたりするのに不可欠なものですが、国をして開戦へと踏み切らせるのは国益である事は間違えないでしょう。 少なくとも国家戦略がある国であれば国益を考えて外交を行い、その外交の延長線に武力行使がある訳ですから。 >占いで今日は何事もうまくいくって言ってた♪という理由ではミサイルは打たないと思います。何しろ通常弾頭でも一発外国の領土に打ち込んだら、北鮮現政権はお終いです。そんな理由で、自分の首をかけないと思いますが...? ”情けない”と思われた部分をもう少し詳しく解説願えませんでしょうか?(ちなみに私は、赤旗や正教新聞の様な機関紙は除いた一般誌では朝日新聞が一番偏向していると感じますし、ここで朝日が主張している事も「何が言いたいの?」と感じてしまいますが...それが情けなくなってしまった原因では無いのですね?)
補足
お返事ありがとうございます。こちらの文章が大雑把だったため混乱させてしまったようですね。申し訳ありません。今回はこれを反省して、始めに簡単に僕の考えを記したいと思います。尚、No3の方の所にも僕の考えを書いていますのでよろしければごらん下さい。ただ、かなり長くなりましたので簡潔にお答えいただいてかまいません。ほんとすいません(汗)。 (1)理論どうこうではなく「感情として」どうにも納得いきません (2)今考えた僕の中の勝手な理解なんですが、僕は大きな概念として広義の「国益」を使います。そしてその「(広義の)国益」の中が「(狭義の)国益(=利益。産経新聞の言う国益)」と「大義」とに分かれると理解しています。そして更に言うなら実際の外交においてはそのバランスは(かなり当事者のパワーバランスにもよりますが)大雑把に言って「(狭義の)国益:大義=8(7):2(3)」くらいかと思っています。ですから基本的には国益を重視すべきだが、無視までしてはいけないものという主張の持ち主です。ということで僕にとって大義を「全く」いらないものとするこの記事は感情として我慢ならないものでした。決して「大義が無ければ何も出来ない」などという考えの持ち主ではありません。この点読売は「大義だけでは語れない」という姿勢だと理解しているので最もバランスとしては妥当なのかと思っています。以上ごちゃごちゃとした書き方で申し訳ありませんがご理解いただけるでしょうか? (3)僕は管党首がいる限り日本は本質的には二大政党制にはならないと本気で思っています。また、朝日新聞は戦後の日本をミスリードしたと言っても過言ではないと思っています。 以下質問 まず確認になりますが、産経は大義が(たとえ表現上のことだとしても)「不要」と言っていますよね? >戦時における戦争の大儀は、兵士の士気を高めたり、世論をまとめたりするのに不可欠なものですが、国をして開戦へと踏み切らせるのは国益である事は間違えないでしょう。 回答者さんは「国益のために」大義を「必要」ではなく「有用」とおっしゃっておられるのですね?ということは大義を語ることに一定の(あくまでも補助的な機能ではあるでしょうが)意義を認めておられるように思うのですが。とすると産経の主張とは異なるのではないですか? >独裁・虐殺は大儀だったとは謳ってはいませんが そうなんですか?とすると産経曰く管・朝日の主張を突き詰めると「独裁・虐殺は大儀」だったとなってしまうという意味なんでしょうか?僕はそうは思わないんですが。 >アメリカの方に大義がないとするとイラクに大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい 二元論についてはネットでちょっと見ましたが正直理解に不安があるので二元論という言葉を抜きに話をさせて下さい(あほなもので許してください)。前回の繰り返しになりますが、やはりこの産経の記事曰く「管・朝日の主張は『アメリカに大義が無い=イラクに大義がある=フセインの独裁やクルド人の虐殺は大義や正義』となる」と読めてしまうのですが、間違っていますでしょうか?それとも皮肉や誇張表現なんでしょうか?そうであればまあかまわないのですが・・。尚、参考までに僕なりの理解を記します。管・朝日曰く「アメリカに大義が無い。しかしイラクにも大義は無い(もしくはイラクのアメリカ軍への抵抗については大義がある)。当然フセインの平時における虐殺は許せない。イラク戦争に大義が無ければ、イラク復興は大義の無い戦争に荷担することになるので許されない」という主張。 >占いで今日は何事もうまくいくって言ってた♪という理由ではミサイルは打たないと思います。 皮肉のつもりですよ・・。さすがにそこまで救いようの無いアホじゃないです・・。というか冗談でしょうか・・。 >”情けない”と思われた部分をもう少し詳しく解説願えませんでしょうか? 産経があまりにも「公共性ゆえの最低限の公平性・信頼性などなど」についての配慮が足りないと思うからです。具体的には「朝日をここまでカルーイ表現でコケにした」点や「大義不要という主張をした」点などですね。ということで今回僕がかなりわめいているのは僕の「価値観」が原因です。僕が勘違いをしているのであれば別ですが(可能性があるところが恐いですが)特に議論をしたいわけではなかったりします。それで他の人の価値観ではこれはどうなんだろう?納得できるのか?を聞いてみたいと思ったのがことの発端です。僕の考えが堅いんですかね・・。 またかなりわかりにくい上に長い永い文章になってすいませんです・・。もっと簡潔にすべきなのはわかっていますが、眠いのでちょっと限界です・・。
- 100Gold
- ベストアンサー率27% (284/1018)
産經新聞の意見は右に傾斜していることは広くしられていると思います。またマスメディアは決して公平ではありません。例えばテレビ局はジャニーズ事務所の不祥事について報道しませんし、地上派デジタルへの移行において多額の補助金が拠出されることに関しての批判的意見を紹介することはありません。 新聞社も再販制度に関しての批判的意見は取り上げませんし、そのせいで東大の三輪教授などはメディアから干されています。 マスメディアもWebで発表される個人の意見も、様々な利権によって左右されているという前提の上で検討して、自分なりの真実を判断するしかないのではないでしょうか。
お礼
さっそくのお返事ありがとうございます。利権の関係については参考にさせていただきました。ただ、今回は利権のからまない場合についてのご意見をお聞かせ願えるとありがたかったのですが・・。もしよろしければまたご意見下さい。ありがとうございました。
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お礼
>(あくまで可能であって「そう理解するのが自然」ではないですよ) おっしゃるとおりです・・!!無意識に自分の都合のいいように解釈していました・・。お恥ずかしい・・・・。 >メディアの質を問うことは、国民の質を問うことです まったくもってそのとおりだと思います。NEWS STATIONを見て全てを知ったようなことを言う人が周りにもいますが、この言葉を聞かせてやりたいです。 >なぜなら、今回のこの質問&回答のような議論こそ、メディアリテラシーを身につける最も実践的な方法のひとつだからです。 本当にまったくもって非常に(笑)共感します。それに単純に全ての基本であるコミュニケーション能力の鍛錬にもなりますよね。 >多数決でどちらが正しいか決めようというのではないですよ。 えと、僕もあくまで解釈ですので「正しい」を決めたいわけではありません。単純にどう解釈する人が多いのかを知りたかったんです。 >いいたいのは、質問者さんは「このコラムは逆効果であり、新聞として最も意識すべき「現実の厳しさに触れにくい主婦やおっちゃん」を惑わすのではないか」と感じ、私は「多数派の読者に逆効果を与えるほど有害なコラムであったとは思わない。主婦やおっちゃんも含めて読者の多数はコラムの主旨を理解したと思う」ということです。 端的に質問に答えていただいてありがとうございます。でも、(まあここのような話ではなくて「アンケート」に近い話でしたので)勿論あくまでも到底統計などと言えたものではありませんが、周りの人にもちょっと見てもらったところやっぱり僕側の解釈の方が明らかに多いんですよね(11人中七人・「よくわからない」と回答棄権二人)・・。ちなみに母親は激怒でした(笑)。それでも回答者さんのようにきちんと理解されている方の判断は真摯に受け止めなければいけないと思いました。 最後に 拙い質問に過不足無く端的にお答えをいただけたことに感心しました。相手の質問に答えながら且つ自分の主張もしっかりとしていらっしゃいますね。自分はどうも考え無しに(むしろ反射?)動くところがありますので見習わないといけないと強く思いました。今回の質問内容にとどまらず勉強になりました。本当にありがとうございました。