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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:彼氏が学会員だった。考えがわからない。)

彼氏が創価学会員であることに悩んでいます

このQ&Aのポイント
  • 彼氏が半年間付き合っていた頃に創価学会員であることを告白されました。彼の言動に疑問を感じており、悩んでいます。
  • 彼は二世で、親が創価学会に入会させたそうです。彼自身は社会人になってから少しずつ関わり始め、健康回復を目的としているようです。
  • 彼は勧誘はしてこないし、一緒に住む場合には仏壇だけを置くように頼んでいます。しかし、彼の考えが純粋な信仰なのか、利用されているのか分からず混乱しています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • skypee
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回答No.11

創価学会の信仰の問題は、「これが絶対に正しい」とか「この信仰で必ず幸せになれる」などと過度に依存してしまう狂信者を生むような指導をしていることです。 信者に「勝て!」「強くなれ!」「自信を持て!」などと、煽るような指導と共に、「これが正しい」「素晴らしい」という強い価値観を植えつけることで、信者を学会の活動(寄付や勧誘や選挙)に夢中にさせます。 同じ目標や敵(敵対する宗派や批判者)を持つ仲間と学会の活動に励むことは、多くの信者(特に主婦層)にとっては生き甲斐となっていたようです。 それは依存ともいえますが、ある意味では生きる励みとなりますから、それを「信心の力」「信じた結果」と理解してしまう人も多かったのでしょう。 本来、生きるための信仰が「信仰のために生きる」状態となってしまうわけです。 創価学会がここまで大きくなったのは、他人に迷惑をかけてでも、夢中になって活動してきた熱心な信者がいたからで、同時に多くの恨みや憎しみも作ってきたわけです。 だからここまで批判が多いのです。 その依存は、他人に信仰を押し付け人間関係を壊したり、信仰に依存することで、いくら強く信じても願いが叶わない(思う通りの結果が出ない)ことが、自分の心を追い詰め精神を病んでしまうなどという問題を起こす場合があります。 ただ、学会員には色々な人がいます。それは信心の度合い、信じる強さの違いであり、それは個人の人間性にもよるのだと思います。他人に勧めてもさほどしつこくしない人もいるでしょう。 つまり、過度に夢中になってしまうようなタイプの人にとっては非常に危険なものとなってしまうのです。 しかし、指導側も信者も、「問題を起こす信者は一部であり、その人の人間性に問題があるんだ」という解釈をしてしまい、指導に問題があることには一向に気づきません。 宗教は心を教えるもので、当然、指導者は心や精神を極めた人(つまり悟った人)と言えます。しかし「私は指導者だ」というような勘違い指導者がいい加減な指導をすれば、信者を殺すことも殺人鬼にすることもあるのです。 オウムのように「殺すことが相手のためだ」と信じてしまえば、人を殺すことも正義となってしまいます。 ですから、今までの価値観を壊すことを教えることはあっても、指導者が「これが正しい」などという価値観をいつまでも信者に指導しているなどということは、まともな宗教家、指導者ならあり得ないのです。 しかも創価学会のように他の信仰を認めない排他的な信仰で、「右か左か」「勝つか負けるか」「敵か味方か」というように非常に偏った考え方を指導することは、必ず周囲と対立を起こしたり、信者を苦しめることになります。 そもそも、このような教団が「宗教法人」であることが最大の問題であり、社会にとっては非常に弊害が多くなります。お金の力でマスコミの批判も許さないほどの権力を持ったり、自殺、犯罪を増やすような信仰を指導する教団が、政党を作り「福祉だ、社会保障だ、平和だ」などと言っているのです。 子供を勝手に学会員にして、現実の出来事を何でも信心に結び付けて解釈させる「信じたおかげ教育」は、絶対に止めるべきです。子供の心を抑圧し、いじめ、差別、ひいき、虐待などにも繋がります。 宗教は、「これが正しい」と信じるようなものではなく、「これは正しい」と拘ってしまう「心」を学ぶものです。 彼も狂信的信仰の被害者と言うことができます。もちろん、親御さんが悪いわけでもなく、指導者が悪いのです。そして創価学会がここまで大きくなってしまったのを許した私たち国民の責任でもあります。 実に根の深い社会問題だということをご理解ください。

mmmk444
質問者

お礼

 彼のことを見て、いま自分が一番しっくりくる解答でした。  なにかやっぱり人より上を目指すというか勝ちたいとか結果がすべてとかなんでそんなに生き急ぐのかなと思ってしまいました。  参考にさせて頂きます。ありがとうございます。

その他の回答 (10)

noname#183132
noname#183132
回答No.10

創価の人の考え方は「信仰すれば幸福になり、信仰しなければ不幸になる」です つまり結婚しても家庭に幸福を呼ぶのは彼で、不幸を呼ぶのはあなた、と言うことになります 彼が「お爺さんが末期癌なのは信仰してないから」と言うのも その考え方に根ざしています あなたはそれに耐えられますか? 風邪を引いたら「信仰しないせい」 子供が風邪を引いたら「信仰しないあなたのせい」 風邪が治ったら「祈った彼のおかげ」 彼の中ではそれが常識なのです 他にも創価の活動をする人は幸福になる この信仰に関わらせるためには嘘をついても良い などの「常識」があります あなたはそんな違う世界の人と一生暮らせますか? あなたが病気で苦しんでるときに「お経を上げたら楽になる。しないから苦しいんだ」 とか言われる生活できますか

mmmk444
質問者

お礼

本当にそうなったら、とても一緒にはいれないです。 そうなる前に判断はしたいですね…

noname#212854
noname#212854
回答No.9

 《彼の考えは宗教の信仰として合っているのでしょうか?》  現代日本での宗教のイメージは、在来仏教やキリスト教信仰になりがちですが、それらだけが宗教ではありません。  新しい宗教には、新しい在り方があり、それが既存社会の生き方と違うことは良くある普通のことです。  創価学会の場合は、昭和30年前後に2度に渡って、関西地区を中心に大量の入会者があったことや、その社会背景に付いて考えることなしには、捉えられません。だから、学会にとっては公明党は必然だったのです。  病気とその治癒は、信仰の問題ではあっても、宗教の問題ではありません。  信ずるものは救われます。どのような宗教でも多少の違いはありますが救われます。  

mmmk444
質問者

お礼

病気に関しては学会員だけが救われるなんてことはないですもんね。他の宗教でも平等だというのは納得です。すっかり抜け落ちていました。ありがとうございます。

回答No.8

私は、島田裕巳さんの本で、創価学会を多少でも理解したつもりでした。しかし、ここのOkWaveで時々創価学会の人の書き込みを見ると、やっぱり島田さんの書く内容がキレイ事なんだなって思えてくるのでした。 別に創価学会の人個人に喧嘩をふっかけるつもりは毛頭ないのですが、創価学会の過去を含めた活動をみると、今は、新しい公明党になったとしても、どうしても、私は、政治と宗教のつながりに、モヤモヤっとしたものを払拭できないでいるのです。私の記憶では、彼らは、昔と今では、180度言っている内容が違うのです。 私は、仏教には強い関心があるのですが、でも、創価学会は、私の知っている仏教というか、私の知っている日蓮宗とは違いすぎるし、日本仏教の多くは、他の宗教と喧嘩などしません。それに戦後、折伏運動など、あまりに過激な活動をしてきた印象が、拒否反応をしてしまうのです。特に、私は、中国共産主義との結びつきについて、疑問視せざるを得ないし、また、外国人参政権運動を、なぜ、創価学会がそういう活動をしなければならないのか、そういう関係性に、訝しげてしまうのです。 私の知り合いからも、お題目で病気が治った話を聞かされましたが、仏教というのは、そういうものなのかしら?と思うのです。そういう所で、宗教のありがたさ(おかげ)を問うのは、次元が低過ぎないかと思いました。その癖、何か悪いことがあると、すぐに、「仏罰だ」とか言われたら、なんともやるせなく感じてしょうがないのです。 >「末期癌になったらどうするの?少しでも治せるものか試せるものがあったほうがよくない?」 日蓮宗をはじめ、多くの日本仏教では「死は一定」という言葉があります。 私は、日蓮上人がおっしゃったというのは、かなり後で知りましたが、人は、どんな信仰を持とうとも、絶対に人は死が訪れるのだ、というのです。延命してどうするのでしょうか?何をどうするのかは、人の命がどうこうできるのは思い上がりのような気がしてならないのです。 宗教というのは、究極的には、「死のあり方」を教えるものだと思うのです。 >「自分が健康でなければ人も救えない」「自分が幸せじゃなかったら人を幸せにすることなんてできるか?」 三島由紀夫さんが、生前彼の著書の中で、「健康な肉体に健康な精神が宿る」というのは誤訳で、「健康な肉体に、健康な精神が宿ってほしい」という願いだと書かれていました。だから、その彼の話は、単なる一般論であって、宗教としての本質的な部分は何も触れていないし、単なる、とば口にいるだけに過ぎないのではないかと思うのです。人が人を救うなんていうのは、人間の小賢しい知恵のような気がしてならないのです。仏教では、大悲という言葉がありますが、人の心の悲しみは、悲しさの分かる人間が初めて理解するような気がします。 私も、新興宗教の世界は知らないわけではありません。しかし、最初に感じた疑問が、一時は、そこに熱心にやったとしても、やがて何年か経って、ぶり返してくるのを知りました。多くの宗教団体で、何の疑問もなく入信する人は続くのですが、ご質問者さんのモヤモヤ感のくすぶりは、長い間には、大きくなると思います。

mmmk444
質問者

お礼

最初は仏壇ぐらいなら…と思ったのですが、いろいろ調べるごとにモヤモヤしていって今に至る感じです。火の無いところに煙はたたないというか、100%ネットの情報を鵜呑みにするつもりはないのですがやっぱりモヤモヤします…。 知識と情報ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。

  • popolare
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回答No.7

「仏壇だけは」ということは、信仰が続くという意味ですね。 気のあう人と会うだけならば仏壇に固執しないはずです。 信仰の形は、人それぞれなので正誤は判定できません。 宗教は、大きな壁でも乗り越えさせます。 禁煙できない人が簡単に禁煙したり、 言葉も通じない初対面の人と結婚したり・・。 今後、問題が発生した時に 信者の彼氏は我慢できても、信者でないmmmk444さんは苦労します。 また、問題が発生しなくても、 独自の価値観を次第に押し付けられるでしょう。 宗教は「救い」です。 大切な人を救いたいと思うのが自然です。 結婚前は勧誘しないから結婚後もしないという保証はありません。 創価学会が良い悪いというのではなく、 どこの宗教の信者でも、 信者でない人とは歯車がかみ合いにくいというのが事実です。 私の周囲でも献金されて困っている人が数名います。 「自分で稼いだカネだ!」と言われても・・。

mmmk444
質問者

お礼

自分自信に宗教といったものの理解があまりないので そこが大きな壁のような気がします。 彼にとっては頼るべき大事なものなんですもんね… いまの私には我慢にしかならないので生涯となると不安でたまらないです。

  • yuxtupii
  • ベストアンサー率30% (36/118)
回答No.6

お友達に学会の子がいます。 彼氏さんの考え方は、宗教の教えが強くても そうでなくても、彼氏さんの口から発している言葉 なので、はやり、いろいろ含め、 彼氏さんの考えということになると思います。 宗教の自由はありますが、もし、結婚を見据えての お付き合いをされているならば これは、冷静に考えなければならないことです。 その、友達の旦那さまは、奥様の宗教には一切 かかわらないというのを前提に結婚したようです。 なので、夫婦仲にはそこまで影響はしておりませんが 結婚して、お嫁にいきますと彼氏さんのご両親も 信仰してあるのであれば、なかなかきつもがあるのかもしれないですね。 もちろん、理解して結婚されるならばいいのだと思いますが。 私は、主人がキリスト教です。私は真言宗で どうしても、キリスト教徒になるのが嫌で 主人のご両親は、宗教は自由だからとわかってくれる方で 洗礼はうけずにいます。 しかし、実際、子供が生まれるとどうするかとか、お墓の問題やら・・・ いろいろと問題はあります。 宗教が心のよりどころになるのは悪いことではありませんが、 人に自分の意見をおしつけるような会話になってくるようだと やはり、人は不快感を感じるでしょうね。 うまくやっていくには、お互いの歩み寄りが大切ですね。

mmmk444
質問者

お礼

結婚を前提に付き合っています。 やはり最近の会話がそんな感じです。 うちの母親が昔似たような宗教に入って、 病気も治らなかった&信心が足りないせいと言われて止めて家族も理解がないです。 お互いが歩み寄れるかですよね…。考えてみます。

  • uedvct
  • ベストアンサー率20% (6/30)
回答No.5

私の父も現役の学会員です(私個人は全くの無関係ですが) 父は高齢で年末病に倒れ、3人に1人は亡くなるであろう病から見事復活しました。 (多分、懸命に題目を唱えていたのでしょう・・・それだけの力に成り得るのです) 心の支えは人それぞれですし、宗教の自由もきちんと保障されています。 相談内容からは、貴方の創価学会に対する偏見や体裁だけが先走りし、肝心な彼の気持ち を無視している様にしか思えません(純粋な信仰心以外ないと思うのですが)

mmmk444
質問者

お礼

たしかに病は気からと言いますもんね。 自分が偏見をもってしまうのにも納得いかないのかもしれません。もう少し考えてみます。

  • y-kirinn
  • ベストアンサー率22% (21/93)
回答No.4

聖教新聞も止めて、学会に転居届けも出さないと言うのであれば、純粋な信仰者ではないでしょう。 それよりも、あなたのことが大事だと思っているのだから、仏壇や題目はフィギアやアニソンのように趣味だと思ってみてはどうでしょう。

mmmk444
質問者

お礼

お互い同じ趣味を理解しあってるので 趣味と思うには逆に異質に感じてしまいます… でも大事にされてるのは確かですね。 純粋にそこを見れない自分が情けなくも思います…

回答No.3

嫌だったら別れたらいいんぢゃ…

mmmk444
質問者

お礼

そうすれば楽になりますよね…

noname#231223
noname#231223
回答No.2

彼に宗教として正しいなら強行して欲しいの? あなたが大切なら全部一切合財棄てて欲しいの? どっちも無理だから、いまの状況にあって、あなたに譲歩しているわけでしょう。 それだけあなたを大事にしているわけだけど、宗教観が異なるということは思いのほか結婚生活に影を落としてくることもまた事実ではあります。 ちなみに日本人の宗教に関する考え方は、新宗教だけでなく仏教徒やキリスト教徒でもかなり「あやふや」な人が多いです。かくいう私も実質的には無宗教のような感じですが、親の葬儀には坊さんを頼むでしょうし、年忌もやるでしょう。 欲のための道具なら、あなたはもちろんあなたの親族にも勧誘を行うでしょう。 信じたい、恩恵を受けたいがのめり込んで面倒を背負い込みたくはない、典型的な最近の(でもないか)若い人の考え方ではないでしょうかね。 宗教にしろ仕事にしろ学校のクラブや委員会にしろPTAにしろ町内会にしろ、熱心にやる人も居れば最低限しか関わらない人もいるし、毛嫌いして避ける人も居れば、ビョーキじゃないかと思うほど拒絶する人も居ますよね。 あなたの書かれている薄っぺらな情報からは、こんな一般論しか言えません。

mmmk444
質問者

お礼

どっぷり浸かっているようなら素直に諦めがつきそうなので… 中途半端なら止めてもいいんじゃとも思ってしまったり…。 自分が白黒つけたがりすぎるのがよくないかもしれません。 自分でも結局どうしたいのかわからなくなっていて、申し訳ないです。

  • ikuchan250
  • ベストアンサー率24% (1063/4275)
回答No.1

一般に一緒になる=夫婦になる、という時は価値観・者の考えが 異なると、おそらくは破綻するのは見えているので、あなたが彼の 世界に飛び込むのは無理と思う。 宗教は根底の部分なので、あなたがどうのこうの言って直る物では なく、また宗教を捨てるのは無理と思うので、一緒になるにはあなたが 入信する意外に道は無いと思う。

mmmk444
質問者

お礼

自分は宗教を必要だとは思わないので何かに入信するつもりはないです。 とすればあまり嫌な未来しか想像できないですね…

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