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なぜ、学校では役に立たないものを教えるのか?

僕は高卒ですが、前々からふに落ちない事がありました。 学校の勉強は社会に出てから役に立たないものが多い。 理科や歴史や因数分解みたなものなど、社会に出てから 何の役に立とうか? 学校では、ものすごく無駄な事を生徒に教えている。 歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である。 数学も日常に困らない程度のものをものを身につけたら いいだけで、難しい公式などはな~んにも必要あるまい。 英語もそう。そんなものが必要とする仕事は一部である。 要するに社会にでてから、まったく役に立たないものを 長い時間をかけて教えている。 それよりも、法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会に でてから役に立つものがたくさんあるではないか。 なぜ、そういうものを教えず、無意味な授業が多いのか、 その理由を知っている人は、いませんか?

みんなの回答

noname#249334
noname#249334
回答No.26

学問、つまり教養というものは実学ではないからです。そしてある程度の教養を持った人間だけが参加できるものが、社会だからです。 逆の視点から言えば、質問者さんの仰る役立つ学問は、大学で教えてくれるはずです。これを教わる権利は、最低限度の教養を持つ人間だということです。 考えてみて下さい。もしも仮に「学びたいことだけを学べばいい」という制度で赤子の頃から育てられたとしたら、その子供は一体何に興味を持ったらいいのでしょうか。広く一般的なことを教える教育の重要性は、ここにも現れています。 また歴史的な観点から見ます、文明開化後、日本が西洋式の教育方針を取り入れたということも一因となるでしょう。 もっとも多少リンクしているものはありますよね。質問者さんが仰る「倫理」「法律」に関しては、現代社会や倫理政経の時間に。「子育て」に関しては保険体育の時間に。時間割の中に『実学』も含まれていることは確かです。

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.25

法律を教えないのは、小学生に憲法や刑法の本当の意味を知られると困るからでしょう。 子育てについて勉強したければ、高校の「保育科」に行けばよかったのではないでしょうか。 男性の生徒も存在しています。 >そんなものが必要とする仕事は一部である。 数学、理科などはまさに、これに当たるでしょう。 技術職では必須です。

  • vantice
  • ベストアンサー率18% (42/227)
回答No.24

ピラミッドというと、真相は不明だが、 お金のピラミッドを維持している、世界で。 そのための教育とも言える。 論理的に考えるようになるが、「お金が存在するのは正しい」と、逆に思い込んでしまう。 「自分は小中高大学と学んできたから、自分の考えは正しい」と、思ってしまう。 学校の授業は、意味のないものも多いと思う。今思えば。 しかし、国語の漢字とか、読み方とか、そういうのは必要だと言える。 国語と算数だけあれば、良いのかもしれない。もしかしたら。 もっと、専門学校のように、仕事に特化した勉強が行われる様になった方が良いと思うが、 教育を決定する人達は頭が堅いから、不可能だと思うでしょう。 高校までの勉強を、暗記する、記憶力を増すための勉強だとすれば、まだマシなのかもしれない。存在意義。 そんなわけで、個人的に、世の中にお金が必要か?という気がしてくる。

noname#183245
noname#183245
回答No.23

東大を中心としたピラミッドを維持するため。 そう考えています。 教育について決めている官僚は、ほとんど東大生。 自分たちに有利なように、 暗記重視。 聞かれたことに答える。 先生の求めた答えを言う。 このようなシステムを崩さないのです。 だって、官僚になった彼らこそ、そういう教育方針のおかげで、 丁重に扱われたのだから。

  • UROIUSH
  • ベストアンサー率17% (41/239)
回答No.22

こんにちは その役に立たない内容を万人に詰め込んだ結果、 今では世界第三位の経済大国です。 あなたが役に立たないと思うのは、必要ないからです。 必要ないのは、誰かが変わりに難しいこと、高度なことを引き受けてくれているからです。 例えば因数分解、 これはデジタル通信の暗号に利用されています。 もしこれが無かったら、スマフォの通信は第三者に筒抜け、メールも電話も盗聴し放題です。 ネット通販でクレジットを使うと、カード情報が漏れ、悪用し放題、銀行では、他人の口座から預金を盗む事も可能になります。経済崩壊です。 法律や倫理は、学習するのに高い基礎教養が必要です。大学まで行けば授業があります。 子育てのイロハなんてのは、孫のいるお婆ちゃんはみんな専門家です。お婆ちゃんに聴けばいいことです。 しかし、学校で習うことは誰でも教えれるとは限りません。 教えれる人は、大学まで行ってしっかりトレーニングを積んだ限られた人です。 そんな難しいことを、学校が変わりに教えてくれてるんです。 おかげで、海外から資源を買って、それを加工し輸出して外貨を稼ぎ、食べていけてるんです。 資源の無い日本では、知の価値は非常に高いですよ。 高度な知識、もしくは高い専門技能の無い人は、いつの時代も苦労しますよ。

noname#181644
noname#181644
回答No.21

私も高卒ですが、大人になって一層子供の頃の勉強の大切さが身にしみてわかりました。私と質問者様の、この違いは何であるでしょう。 実際の社会の形態が、勉強してきたような事柄によって成り立っているからです。少なくとも私はそう見てます。高度な数学や物理、深い歴史、詳細な地理、化学、国語、外国語、etc...。 法律、倫理や子育てなどはとても大切なことです。どれくらいの時間をかけるのか、見直されても良いかもしれないですね。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9727/12099)
回答No.20

>なぜ、学校では役に立たないものを教えるのか? ⇒なるほど、言われてみれば、答えるのがむずかしい問題ですね。 こんな風に考えてみました。一見無意味に思えるものを学校で教えるのはなぜか。それは、(1)実用的基礎を教える、(2)思考力・判断力を養成する、(3)教養・文化を身につけさせる。以上のことをトータルに目指しているためではないでしょうか。順に考えてみましょう。 (1)実用的基礎を教える:人間は、人間に生まれるのではなく、人間に「なる」のだと言われます。我々は、生まれただけでは人間でなく獣にすぎない、と。アマラとカマラは生まれてすぐ捨てられましたが、何と、狼に育てられました。つまり、生きてはいました。ただし、その生き様はまさに「獣としてのそれ」でした。しかも、発見されるのが遅かったため、救出後に教育を施そうとしましたが、とうとう人間になれませんでした(『狼にそだてられた子』家政教育社)。ここで言えることは、我々とても、もし教育を受けなければ、アマラやカマラと大差はないだろう、ということです。「獣のままで、人間になれないだろう」、ということです。質問者様も言及しているように、学校教育の根幹は「人間として生きるために必要な実用的基礎を教える」ことにあると言えそうです。 (2)思考力・判断力を養成する:ご指摘のように、例えば数学の証明問題ができても、現実の生活には大した足しにならないかも知れません。では何のためにやるか。おそらくそれは、「考える力を鍛える」ためでしょうね。人間の脳細胞は150億個くらいあるそうですが、20歳頃からは、そのうち一日平均20万個くらいずつ死ぬそうです。しかも脳細胞は、肝細胞などと違って新しくできることはないので、減る一方なんですね。この脳細胞の死は、阻止することはできないまでも、死ぬ数を減らすことはできるそうです。どうするか。=頭を使う。そのために、例えば数学の問題を解く。ではそのことで、どうして脳細胞の死ぬ数を減らすことができるか。=問題を考えるときに、個々の脳細胞同士がつながって回路ができるんだそうです。脳細胞と脳細胞がつながると孤立するものが減って、死にづらくなる(孤立している脳細胞は死にやすいものの典型)。何でも、「使われないと退化する」ことはよく知られていますね(廃用症候群)。早い話、頭を使わないでいると、それだけ早く脳ミソがやられて、痴呆などになるってことでしょう。ということで、「思考力・判断力を養成する」ことも学校教育の重要な使命なのだと思います。 (3)教養・文化を身につけさせる:学校教育のうち、実用にならないものほど、逆に、教養を高めるのにはよい、という面があるようです。ヨーロッパのリベラル・アーツなどはその典型例といえるでしょう。何のために教養・文化を身につけるか。=「自前の認識・見解・世界観を持ったり、それを磨いたりする」ため、と言えるかも知れません。フランスの図書館などによくDiscendo liberior.などと書かれています。「学ぶことによってより自由に」というような意味です。学ばない状態の我々は、いろんな迷信や妄念に取りつかれているので、学ぶことによってそれから解き放たれ得る、ということのようです。このように、学校教育には、「より人間的であるため、より豊かな人間性のために教養・文化を身につけさせる」という側面もあると思われます。 一見無意味に見える学校教育には、以上のような存在理由があるのだ、と主張したいのです。特に、(2)(3)は、忘れられがちですが、人間として大事なことだと思います。考えてみれば、学校教育というものは、「人類が英知を集め、営々長い時間をかけて築いてきた制度」ですので、それなりの意味や重みがあるに違いありません。ですから、学校教育の内容は、時代の変化に伴って若干の手直しが必要になることはあるかも知れませんが、根本的な意義までひっくり返されるほど脆弱なものではないだろう、というのが私の結論です。

noname#195146
noname#195146
回答No.19

 勉強を学校だけで規定するのは愚かなことです。それは『学歴』と言います。  頭を使うことについて、無駄なことは一切ありません。間違った考えを持ってしまうことすら大事だったりします。間違いを間違いと理解できた後では、ですが。  そういう大まかな話は大まかな話として。  目に見えやすい科学技術を例に取りましょう。日本がこれだけ高度な技術立国ができているのは、ひとえに教育が行き渡っているからです。  愚論の一つに、「少数のエリートだけを育てればいい」というものがあります。それは間違いです。その例としては、明治以降の日本とイギリスを比べればいいです。明治維新以後、政府は初等教育の普及に熱心でした。イギリスは階級社会で、エリート候補以外には教育する気がなかった。  結果、日本は短時日で、たとえば識字率を大幅にイギリス、さらにはヨーロッパを遥かに上回ります。そして、英才も輩出し、英才を支える層も厚くなった。日本が政治方針を誤ったせいにせよ、一時は全世界を軍事的に脅かすほどになりました。戦後も同様ですが、平和教育はいい効果を出しました。  2対8の法則ってあります。全体の利益の8割は2割のメンバーが上げているというものです。比率に違いはあるにせよ、見かけ上少数が利益のほとんどを上げているのは事実です。  では、その優秀な2割だけを選んで、精鋭部隊を作ったらどうなるか。凄いはずだ。やってみたら、違ったんですね。2割から集めた精鋭のうち、8割は成果を上げないようになってしまうのです。  8割の一見は成果を上げない人々は縁の下の力持ちだったのです。その人々が支えてこその、残り2割の華やかさがあったわけです。  しかし、だから教育を軽んじていいわけではないです。2割のスターが上げる成果は、全体の平均の力によって決まります。あるグループ全体の8割であって、そのグループが優秀かどうかは、また別の話です。  平均が上がらなければ、トータルの成果も上がらないのです。後から見れば使わなかったものでも、それは個々人が自分についてだけ言えることであって、まだ自分の将来が分からない間は、将来のあり得る可能性全てに基本は身に着けておかねばなりません。  そうならなくなったとき、日本の本当の衰退が始まります。チャンスがあっても、それを生かす人材がいなくなるからです。歴史上、危機に際して、英雄が現れた事例は多いです。それは、英雄になり得る人材のすそ野が広かったからです。  昨今のニュースを見てみると、水深1000mより深くのメタンハイドレート、水深5000mより深くのレアメタル鉱山が有望との報道があります。これらは、日本だからこそです。一手は悪いですが、経済規模で日本を上回った中国では、そういう捉え方はできません。技術が無いですから。韓国でも無理です。技術を買っても維持が難しく、発展も無理です。  日本だから、そういう採掘の難しい資源も、商用として有望視できる。それは、日本の教育のすそ野が広いからです。無駄になることも多いでしょう。それでも、日本を支えるためには必要最低限だと理解するようにしましょう。学校でなくても学べますが、覚えることに長けているのは若いときで、しかも勉学に時間を取れるのが学生です。  そういう基礎の出来た世代が続いて出て来てくれないと、あたしら老人どもは、後を誰に託していいか、分からないのです。あたしらも、生きている限りはなんとか頑張りますが、あたしらがいなくなった後のことは、よろしくお願いします。

回答No.18

役立つモノを選べなかった質問者の落ち度です。 まあ、今までの投稿がそれを物語っています。生まれ変わって勉強しなおしましょう。

回答No.17

 「本当に大事なことは教科書にのっていない」といわれますが、たぶん社会に出て役に立つことはいろいろあると思われますし、それをよく知っている先輩の方々も多いと思います。(成功者とか) そして人間それほど違いがあるわけでもないので、それを実行すれば成功に近づける安易な方法もいろいろ見つけられているかもしれません。  ただそういう簡単に成功に近づける方法を、何年も苦労して見つけた人がそんなに簡単に明かすということがありうるでしょうか?要は大事なこと、社会でこの自分が他者と区別して生き抜く道は自分で探し出せということではないでしょうか?私もやっと見つけたことをそうそう簡単に出せないことあります。独特な生き方、方法、手段があるからといって特許はとれませんし。(せこいですね)  わかっているけど人に教えられないことも世の中いっぱいあると思われます。要は「甘えるな」「自分で見つけろ」ということですね。本当のところよくわかりませんが・・・

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