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なぜ、学校では役に立たないものを教えるのか?

僕は高卒ですが、前々からふに落ちない事がありました。 学校の勉強は社会に出てから役に立たないものが多い。 理科や歴史や因数分解みたなものなど、社会に出てから 何の役に立とうか? 学校では、ものすごく無駄な事を生徒に教えている。 歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である。 数学も日常に困らない程度のものをものを身につけたら いいだけで、難しい公式などはな~んにも必要あるまい。 英語もそう。そんなものが必要とする仕事は一部である。 要するに社会にでてから、まったく役に立たないものを 長い時間をかけて教えている。 それよりも、法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会に でてから役に立つものがたくさんあるではないか。 なぜ、そういうものを教えず、無意味な授業が多いのか、 その理由を知っている人は、いませんか?

みんなの回答

noname#221368
noname#221368
回答No.16

 順番に行きますが、その評価はそちらでお願いします。 >僕は高卒ですが、前々からふに落ちない事がありました。 学校の勉強は社会に出てから役に立たないものが多い。・・・  一つの理由は、日本が明治時代(19世紀)にヨーロッパ型の教育を導入してしまった、という事があります。19世紀のヨーロッパ型教育は、その人が将来な何になるかは知らないが、とにかく役に立ちそうな事は何でも「素養」として講義する、というものでした。その「素養」が必要かどうかは、本人が判断し、要らないなら捨てても良いよと・・・。  捨てる自由のないところが、今の問題なんですけど、今よりもっとのんびりしていた19世紀のヨーロッパにおいてさえも、捨てるには、けっこう勇気が必要だったみたいです。捨てなかった人達が「常識」を作るからです。  上記の体制は、理系で言えば自然科学者、文系で言えば哲学者や文学者を育てる事を、究極の目標としたものです。それに対して工業化しなければヨーロッパに勝てなかったアメリカでは、工業が(実用性が)が目標とされ、技術者を育てる事が重視されたので、そこでは逆に「既存の数学や物理」がとことん「徹底」されます。文系範囲では法学が重視され、とにかく「裁判に勝てる技術」が大事になります。いずれにしろ日常感覚で言えば、「やりすぎだろう」です。  日本はアメリカにも十分過ぎるほど影響されているので、ヨーロッパ方式とアメリカ方式の「良いとこ取り」は出来なかったのか?となりますが、たぶん無理なんですよ。教育委員会と言わず、いったん成立してしまった組織の御役所仕事を改善するのは、非常に困難です。 >学校では、ものすごく無駄な事を生徒に教えている。 歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である。  これまで大部分そう思って来ました。しかし例えば、竹島や尖閣諸島を思う時、肯定的にしろ否定的にしろ、それに対して明確な意見を持てるためには、やはり歴史の「素養」は必要だと思います。明確さを持つためには、実用的に1970年代の竹島・尖閣周辺事情だけでは駄目なんですよ。これらには、琉球(沖縄県)の帰属問題さえ歴史的に関係するからです。 >数学も日常に困らない程度のものをものを身につけたら・・・中略・・・英語もそう。そんなものが必要とする仕事は一部である。  それは認めます。自分も英語は全く駄目です。しかし日本は「そんなものを必要とする仕事」で技術立国し、いちおう食ってるんです。「そんなものを必要とする仕事」をやってる人口は、けっこう多いと思いますよ。そうでなければ、今こうして書いてられる訳が無い。某国のように、内戦状態になってたかも知れない。  その意味で「そんなものを必要とする仕事」は一部でないし、小・中・高校段階で、その一部の仕事に就ける人間を決める選抜試験はやらないよ、そんなエリートは認めないよと、公式には決めたんですよ。これはヨーロッパ方式の良い点だと思います。逆にフランスはヨーロッパの中でアメリカ方式を受け入れ、子供の頃からその人の将来が決まります。良いか悪いかは本人次第ですが、自分は嫌です。 >要するに社会にでてから、まったく役に立たないものを長い時間をかけて教えている。 >それよりも、法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会にでてから役に立つものがたくさんあるではないか。 なぜ、そういうものを教えず、無意味な授業が多いのか、  社会にでてから、まったく役に立たないどうかは微妙なんですよね。思わぬところで役に立つ事もあるし、教えられたほとんどが役に立たない、というのも実情だろうとは思います。  法律に関しては、やってやれない事はないと思いますが、やりすぎるとアメリカのような事態になります。  倫理に関してもそうです。倫理社会を頑張ると、戦前の日本のようになるのではないのか?、と恐れる人達の意見は、そんなに的外れではないと思います。  最後に子育てのイロハ・・・。これこそ、嬰児を殺す母親がいかにいようと、教育機関の踏み込めない最たるものです。何故ならそこに踏み込んだら、学校(国家の代弁者)が、人格形成を統制する事につながるからです。  だからNPOがあるんですよ。子育てや、色々理由があるなら、そこに行って欲しいなと、思います。

  • TANUHACHI
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回答No.15

 追記です。 一つ言うとね、日本のそれもジジイ達の世代の基本的価値観の根幹を為す物が「集団主義」であり、それは近代以前と何ら変わらない部分です。  これに対するものが「個人主義」ですが、日本では「個人主義=利己主義」と意図的に?勘違いされて喧伝されてもいます。  元々の「個人主義」とは「個人を一人の独立した社会的人格として扱う」ことですから、相手を大切にするとの意味であって、日本での解釈はこうした理解の仕方を歪めているといえます。  殊に安倍さんはこうしたヨーロッパ的な「個人主義」を敵視してるご様子ですので、安倍さんに期待するのは全くの筋違いであり、またシステムを壊すこととして日教組をやり玉に挙げている方もいらっしゃいますが、日本の戦後教育行政を扱ってきたのは文部省および自民党の文教族です。事実誤認ではありませんか?。  本題に戻りますと、「今、学校で勉強していること」はものごとを判断するための基礎的な材料であり、その材料がなければ、自らの眼で現実を見て判断することが困難であるからです。  もっともジジイ達が最も嫌うのは「自分で考えることのできる人間」です。疑問があったらそれを表明したりすることがタブー視されるのが「日本」ですから。

noname#176011
noname#176011
回答No.14

 一つは科学技術力を挙げて金儲けしたいという政府の願望が顕著に表れていると思います。なのでその教育をやたら推し進めるんですよ。  二つ目は危機回避です。軍事力が上がれば防衛機能が高まりますから安心です。そのためにはの科学技術が必要という訳です。医療では病気や怪我等で苦しみたくないという気持ちの裏返し。  3つ目は欲望です。ある欲望を満たすためにどうしても必要になるのでとりあえず科学を教えてなんとか欲望を満たすというものです。  どれを挙げても底辺の人からするとまったく無駄な教育にみえてなりませんよね。それは良く分かりますし、私もその底辺位で仕事してる身分ですので最後の>法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会にでてから役に立つものがたくさんあるではないか。>は全くもってその通りだと思います。今の文科省などに訴えても良いくらいです。安部さんが変えると言ってますので個人的には期待してますが、ご自身が提案として文科省にメールでも送ったらいいのではないでしょうか?多分まともな社会がやってくるでしょう。

回答No.13

基本的に、学校で学んだ事が、直接社会で役に立つ事は 稀である。 しかし、記憶力や学ぶ姿勢、社会性や適応力は、社会に 出てから学ぶ上でも役に立つ。 そもそも、子育てを教えれば役に立つといっても、一生、 役に立てる機会のない人も多い。 法律や倫理も同じ事。 それらが人生において役に立つ確率は、歴史や数学より 大きくはないのだ。 自分の生き方が決まっていない時点で、「将来も役に立つ」 実用的な知識を教えた所で、なまじっか専門に絞ると、全く 役に立たない(応用もきかない)ものになる可能性が大だ。

noname#177582
noname#177582
回答No.12

実は私もあなたと同じことを思っていました。 私は素材に関する開発を行っていますが、学校で習った知識などまったく関係ないですね。 例えば数学では、ルートや方程式くらいは使いますが、微分なんて使わないし。 使うのは、その分野に特化した新しい知識、製品を販売するに当たってのさまざまな法律的知識。 日常では、プロパンガス高すぎる、都市ガスにしたいけどマンションそのもの変えなきゃ、とか。 一つの理由、というかこれが一番でかいのですが、指導のカリキュラムがすでに国により決められてしまっているからです。 じゃあ国がカリキュラムを変えればいいじゃん、と思うでしょうが、これがそう簡単に変えられるものじゃないんです。 教育に限ったことじゃなく、何かを変えるには何十枚もの書類を提出しそれが承認されないといけません。 私は社会人ですが、客が国の仕事となると物凄いめんどくさいんです。 書類の提出料半端ないし無駄が多すぎる。。 そして何かを変えることができないのは日本人の性質でもあるんでしょう。 日本人には自分の意見が無い。そして悪いことに何故か欧米の流行や逆輸入されたものを高く評価する風潮がある。 集団の中で生きるために個性を殺すことを美徳としている時点で、変革の意志を捨てている。 日本で既存のものを変えるには、一度それを完全に壊す必要があるとさえ思っています。 …日教組とか。。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.11

”歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である。”    ↑ 学校教育の意義が判っていないようですね。 学校教育というのは、第一に、国民意識を醸成 する為に行われているのです。 これが無いと、国民は国民になれません。 国家は、ただの人の集合体になってしまいます。 税金を使って、オリンピックや国体を実施するのは 国民だ、という意識を持たせるためです。 その為には歴史は必須です。 歴史に対する共感、共有こそ国民意識を育てる 最適なツールなのです。 この国民意識の育成に最初に成功したのが 西欧です。 だから、彼らは強くなり、アジア、アフリカを侵略 して、豊かな国になれたのです。 国民国家は、国家の力を総動員できるので強いのです。 アジアで最初に成功したのが日本です。 中国は大きく遅れ、大正時代でも、留学生すら中国人 という意識はほとんどありませんでした。 学校教育にはこのような意義があるので、税金を投入 してやっているのです。 ”数学も日常に困らない程度のものをものを身につけたら いいだけで、難しい公式などはな~んにも必要あるまい。”      ↑ 国民の知的レベル向上の為に必要です。 その人には役に立たないかも知れませんが 難しい公式を覚え、理解している国民が多いことは 国家の力になるのです。 途上国は、まず高等教育に力を入れます。 だからいつまで経っても途上国のままなのです。 これに対して、日本は初等教育に力を入れました。 だから、すんなりと先進国になれたのです。 ”英語もそう。そんなものが必要とする仕事は一部である。”    ↑ 順序が逆です。 必要とする仕事だから英語を勉強するのではありません。 英語が出来れば、できる仕事が増えるのです。 職業の選択肢が広がるのです。 それは、理科や高等数学も同じです。 ”社会にでてから、まったく役に立たないものを 長い時間をかけて教えている。”     ↑ 1,その人にとっては役に立たなくても、国家には  役に立ちます。  皆に理科や数学を教えておけば、その中からノーベル賞  やフィールズ賞を受賞する人が出てくるのです。 2,役に立たないのは、そういう仕事を選択した人間の  責任です。 ”法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会に でてから役に立つものがたくさんあるではないか。”      ↑ 法律は大切ですが、中学や高校で教えるには難し過ぎます。 倫理は学校でも教えているはずですが。 子育てのイロハなどは家庭で教えれば十分です。 『すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなります』   すぐに役に立たないものは、後々、長く役に立つのです。 学校はそういうことを教える場です。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.10

 それは「科目毎」にしか学問領域をとらえていないことに起因しますね。 たとえば数学でも一つの問題に対して様々な形で答を導き出すことも可能です。そうした「筋道の立て方」や「ロジック」を自らで検証し、それが合理的であるかどうかを見出すのが学問を学ぶ本当の意味です。  こうした過程は高校程度で身に付けることも適いません。高校までの課程で身に付けるのは「そこに行くまでの入り口」と「そのための基礎的なデータ」でしかない。  全てが日常生活に帰着するとの考えに依るならば、為替の変動が様々な商品価格にどの様に反映されているかも事例として成り立ちます。  倫理といっても、それが従来の道徳的価値観を教科書的にインプットするのではなく、自らが考えて判断することがより大切であり、そうした倫理思想が「どの様な歴史的背景を基盤として成立してきたか」を理解するならば「歴史に関する知識」が必要です。  “Want”という英単語一つをとってみても、元々は「欠如・欠落」の意味があって「成り立っている」単語です。「ない」だから「必要であり、欲しい」との人間の意識や行動過程に基づいて成り立ってもいる。  こうした「背景」や「意味」を問うための基礎学力を身に付ける、これが「教育」の意味であり発想です。余り短絡的にお考えにならないことですね。

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.9

学校の勉強には、確かに無意味なものが多い。しかしそれは、形の上では、あらゆる人が、どの進路でも選べるように、基礎的なことを学校で教えているわけだ。 数学なんかの公式を教えても、その分野に進まない人には関係ないというが、どちらの道に進むとしても、最低限ここまでは教えておかなければならない、ということが義務教育の段階で教えること。高校では、理系、文系に分けて、最低限必要なことを教える。 しかし、最も重要なことは、勉強の仕方、覚え方を身につけることだね。 社会人になって、覚えないといけないことは、山ほどある。子育て一つをとってみても、学校で教えてもらうよりも、いざ必要となったときに、自ら勉強することができれば、心強い。仕事をする上でも、学校で勉強したことが役に立つことはほとんどないが、勉強の仕方がわかっていれば、それでよい。

回答No.8

上級公務員試験に合格してもらっては困るからです。

noname#176157
noname#176157
回答No.7

「役に立たない」のではなく、あなたが「使えない」だけ。