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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『死』が怖い。ちょっと苦しい。真剣な悩みです‥)

『死』が怖い。ちょっと苦しい。真剣な悩みです‥

このQ&Aのポイント
  • 最近『死』が怖く感じるようになった。過去の死の経験や夢に影響されているかもしれない。家族や大切な人たちが死ぬことを考えると胸が締め付けられるような感じで苦しい。この感情から、今を一生懸命生きるべきだという思いにもなるが、死=無であることに虚しさも感じる。死後の人とのつながりや自分の存在が無になることが怖い。
  • 涙が止まらず、食欲も落ちる状況になる。自分の大切な人たちが死んで会えなくなること、自分が死んでも大切な人たちや子どもたちが忘れてしまうことが切なく虚しいと感じる。将来、年を取った時や子どもが生まれた時には感じ方が変わるのだろうか。死は避けられない現実であるため、どのように考えるべきか悩んでいる。
  • 死に向かって生きているため、死への恐怖は必然的な感情である。しかし、割り切って考えることは難しい。アドバイスを求めており、年を重ねたり子どもが生まれた場合の感じ方についても知りたい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • lv4u
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回答No.6

>>「だから今を一生懸命生きるべきだ」という考えにもなりますが、『死=無』『転生するとしても前世の記憶は無くなる』と思うと、虚しいような感じにもなります‥ 前世の記憶は生まれたとき無くなるとしても、「あの世」にいる時は、復活しています。だから虚しいとまではいえないと思います。 また、絶対とはいえませんが、死んだときは、先に死んでいった方たち、つまり自分の両親や兄弟、祖父母、子供たち、友人・知人に会えます。もしかすると飼っていたペットに再会する可能性もあります。ただ、動物の場合は、転生の間隔が短いから、会えないかもしれませんが・・・。 まあ、普通の死に方なら、死んでから49日までは、魂が地上に留まることを許されていますから、自分の葬式風景とか、残された家族たちの様子、あるいは職場風景を見ることができるし、彼らに会うことも可能でしょう。 でも、生きている方には、言っている言葉は聞こえませんし、姿も見えません。例外として、霊能者というか、「視える」方には、見えたり、言うことが伝わったりします。 >>また、自分が年を取ったとき、 学生時代のことや今のことを思い出したら、懐かしくもあるけど切ないんだろうなと思ってしまいます。 それは、そうでしょう。 >>どう割り切って考えていけば良いのでしょうか? 人生は、ひとときの旅、あるいは、劇に出演して割り当てられて演技をしている役者ってところでしょうか? 前者のたとえなら、その旅はいずれ死とともに終了して、故郷(あの世)に帰る。 後者のたとえなら、その劇はいずれ死とともに終演を迎え、自分は観客席(あの世)に移動する。 >>また、年齢を重ねたり子どもが生まれたら、感じ方は変わるものでしょうか? もちろん変わりますよ。いくら美しい美女で、世界の男性のあこがれの女優であっても、年を取れば、それ相応の容貌になります。肌の艶は落ちるし、白髪になったり抜けたりするし、髪の毛は細くなる。 男性でも頭髪に白髪が交ざり、禿た部分が増えてくる。視力や聴力も低下する。 場合によっては、怪我や病気で身体の自由が効かなくなるし、記憶力が低下し、呆けが始まる。 そうなってくると、地上への執着は薄れて、早く「あの世」に戻りたくなったりします。 そして、死を迎えるしばらく前から、準備をしてもらおうと、お迎えの方たちがちょくちょく現れてくるようになります。「今、死んだ父さんに会ったよ」なんて言葉が出るようになれば、その日が近づいているって兆候でしょうね。 死んでしまえば、肉体という物理的な制限から解放されるので、自分の姿は思うままです。一般的に女性は若いころの姿になり、男性は、壮年とか威厳のあったころ(老人?)の姿を希望するようです。 >>どうしようもないですが、 アドバイスをいただければ嬉しいですm(__)m 簡単にいえば、勉強して「悟り」を得ることでしょう。もっとカジュアル感覚でいえば、「心境を変化させる」ってことでしょうか? 例えば、もの凄く好きな人がいて、寝ても覚めても、その人のことを想ってしまう。その人の全てを知りたい!と思うようなことがありますよね? でも、その憧れの人が、鼻毛を抜いているのを偶然見てしまうとか、まあ、何かのきっかけで、一瞬で恋が冷めてしまうことがあります。 それが「心境の変化」でしょう。友人・知人から「あいつはやめとけ!」など、いろいろと忠告されても、変わらない心が、ある時、一瞬で変化する。 テニスのスピンサーブで、何度練習しても、あさってのほうにボールが飛んだりして全然、サービスエリアに入らない。でも、何ヶ月も練習を続けていると、ある日突然スピンサーブが打てるようになり、サービスが決まる。 こんなものでしょう。 私は幸福の科学の会員ですし、会員になって20年以上となります。沢山の書籍を読んで、大川総裁の講義を何度も聴くし、DVDも何度も観ました。 でも、一番最初に教わった「人間は永遠の魂を持っている」って言葉がそれなりに理解できたのは、そんなに昔のことではありません。 数学でいえば、いろんな「定理」は、「公理」をベースに長ったらしい証明作業をして、初めて「正しい」とされます。 でも、心境の変化があると、その「定理」だったものが「公理」になるんです。証明不用なものとして信じることができるようになる。 いずれにしても、変に納得しないで、解決できない疑問を持ち続けるってことは、良いことではないかと思います。 「死が怖い」っていう気持ちを、誤魔化すことなく持ち続けて、それを解決するため、いろいろと勉強されれば良いと思います。 あの仏陀は、「人生への疑問」の解答を得ようとして、王子の位と妻と子を捨て、城を出て、長い修行をしたのです。 数学の答えを得るように、「読めばすぐ解る」ってものではなく、長い時間、勉強・修行をしないかぎりわからないものだと思います。

sun0set
質問者

お礼

「あの世」‥今までも聞いてきた言葉ですが、なんだか、信じられない気もするのですが、信じたい気もするんですよね。 『科学の証明』が全てではないと思いますし‥ ≫場合によっては、怪我や病気で身体の自由が効かなくなるし、記憶力が低下し、呆けが始まる。 そうなってくると、地上への執着は薄れて、早く「あの世」に戻りたくなったりします。 そういえば、そういう可能性もありましたね‥。 自分や周りの人たちが老いれば、やはり体の自由がいつまでも利くとは限らないし、呆けもあるかもしれない‥そうしたら、自分や周りの人たちにとって『生きること』が幸せとも限らないですよね。 今は、私はまだこれから成人で、親も年齢的には若くはないですが肉体的にはまだ若いほうですし、友達や今まで世話になった人たち等、周りの人たちも当たり前ですがまだ元気です。 だから辛いなと思っていたのかもしれません。 自分や親、周りが年齢とかではなく本当の意味で老いた時、また分かることがあるのかもしれませんね。 そう思ったら、少し気持ちが楽になりました。 事故などで急にいなくなってしまったら、もちろん悲しいですが。 自分の人生は一度きりなので、その一度きりの『旅』、または『人生という舞台での劇』を終えて戻る時に後悔する事がないようにしていきたいです。 出会いを大切にして、一度きりの人生をなるべく楽しんで、これから生きようと思いました。 ご回答ありがとうございました!とても参考になりました。

その他の回答 (9)

noname#184692
noname#184692
回答No.10

誰でも死は怖いですよ。 半年とか余命宣告された人はもっと怖いでしょう。 でも誰も避けられません。 今生きている人は100年後にはほぼ誰も生きてはいないでしょう。 生まれた以上必ず死ぬのです。 まあ自分もなんとか人生半分程度は死なずに来ました。 残りは折り返しです。 ご質問者さまより年齢からすれば、より近づいていると言えます。 残り少なくなると残された時間はより大事な物だと思います。 その大切な時間を死の恐怖を常に感じながら生きるか、その日その日を精一杯生きるかでしょう。 まだ死んでないから生きているのです。 死は明日訪れるかも知れないし、60年後かも知れません。 それは誰にもわかりません。 わからない事、いくら悩んでも答えの出ない事を悩むだけ時間の無駄だと感じます。 ある意味で現実逃避なのでしょう。 余命宣告された人はこの現実を突きつけられる訳ですから、それこそ怖いと思いますね。 元々宗教には死の恐怖を軽減するという目的があります。 宗教を拠り所にするってのも手だと思いますよ。 もちろん妙な宗教に傾倒するのは考えものですが…。 近所のお寺とか教会にでも行って、お坊さんや神父さんに相談されてはどうでしょう。 それが彼らの仕事ですから、親切に貴方の疑問を解いてくれると思います。 その答えに同感するなら、その宗教の教えを取り入れても良いかと思います。

sun0set
質問者

お礼

その通りですね(^^; この質問をしてみて、今を精一杯生きること、これがやはり大事なことだと改めて思いました。 宗教ですか。 なんだか最近の悪い宗教ばかり目立って自分の中ではマイナスなイメージが強く付いてしまっていますが、元々はそういう目的のものなんですね。 仏教とかですかね。 お坊さんや神父さんとかとお話する機会があったら、是非お話してみたいです。 良いものは自分に取り込んでいこうと思います! ご回答ありがとうございました。参考になりました!

  • nantamann
  • ベストアンサー率30% (342/1138)
回答No.9

子供や若い人の死は身近な人にとって残酷です。でも見ず知らずの人に死には無関心です。生まれたら死が待っています。生物の宿命です。避けられません。死と言う苦痛から逃れるために先人はいろいろ考えました。魂、天国、極楽すべて死にゆく者、残された者に対する慰めです。 死と言う恐怖(知性をもった人類の不幸というべき)から逃れたいのに逃れることはできないと知ったときの絶望感は若い人ほど強い。そのため自殺する人さえでてきます。考えてください。なぜ、生きているのですか。生かされているのですか。死の恐怖を味わうためですか。この世に生を受けたときから使命が課されているのです。使命はただ一つ、子孫を残すということです。これは生物の本能です。使命を果たしたとき用が済んで死を迎えます。死は子孫繁栄のためです。 >また、年齢を重ねたり子どもが生まれたら、感じ方は変わるものでしょうか? 恋愛すれば死神は遠くに行き、活力がみなぎります。子供が生まれればもっと活力がでます。孫ができても同じです。でも年をとれば老化し行動も考え方も穏やかになり枯れるように死にます。立ち枯れです。 私は3度死の淵に立ちました。最初は6歳、池に落ちたときです。この時は死ぬ思いはまったくありませんでした。助け上げられなかったら苦痛も感ぜず死んだでしょう。目の前を泥の塊がゆっくり沈んでいったのを覚えています。2度目は8歳の時百日咳きで1月高熱が続き親は死を覚悟したと言っていましたが私はそう感じませんでした。体はガリガリに痩せました。3度目は50歳の時医療ミスで大量出血で死の一歩前まで行きましたが苦しいとか痛いといった記憶はありません。遠くで医者がなにか言っているという感じです。死が差し迫っていても意外と落ち着いているものです。現在は本当の死を迎える段階です。恐ろしいかといわれればその時はしかたないという諦念です。諦念はお釈迦様も言っておられます。諦めなさい。イスラム教の神は偉大、神の思し召しのとおりという言葉は諦めなさいに通じます。 >死んだ瞬間相手は記憶も無くなり自分のことを忘れてしまうのか、 墓はなぜあるのでしょう。生きた証拠の記念碑です。でも本当のすばらしい記念碑は人の心に残ることです。墓ではありません。墓などどうでもいいのです。むしろ強欲の記念碑かもしれません。善行を積み人の心の中で生き続けることを心掛けたい。 質問者さんは若くこれからの人生は長いので一生懸命するべきことを見つければ死の恐怖から逃れ楽しい人生が訪れるでしょう。恋愛は特効薬です。

sun0set
質問者

お礼

≫魂、天国、極楽 すべて死にゆく者、残された者に対する慰めです。 確かに慰め、気休め程度のものかもしれませんね。 それで気が楽になるのも事実ですし‥。 『子孫を残すこと』今まで強く意識はしてませんでしたが、やはり大事な使命の一つなんですね。 私は女ですから、余計に。 その使命を強く意識し、自分としての生きる意味や目標も探していきたいと思います。 三度も死の淵に立ったことがあるのですね‥意外と落ち着いているものなのですか。 『諦め』も、時には必要なんですね。勉強になります。 今まで、お墓は死んだらたてるものくらいにしか思っていなかったですが、その人がこの世に生きた証拠という考えもありましたね。そして、心にも残ると。 大切な人たちの存在をしっかり自分の心に残し、私も人の心に生き続けられるような存在になりたいです。 今は、今を一生懸命生きて、親や友達やお世話になった人たちとの時間を大切にして、過ごしたいと思います! 恋愛も、片想いですがしているので、後悔のないようにしたいと思います。 ご回答ありがとうございました!とても勉強になりました。

回答No.8

『色即是空』の意味が分かったのですから。 『空即是色』の意味も理解すれば救われます。 とりあえず、生活の中に、『行事食』を取り 入れたり、近所を散歩して木々を眺めて季節 や時間の変化を積極的に感じることをお進め します。 自然のサイクルがどういものか、体で感じら れるようになってくると、人も停滞する時期 に何をすればいいのかが分かってきますよ。

sun0set
質問者

お礼

色即是空と空即是色‥意味を調べてみますね。 そうですね、積極的に自然を体で感じてみたいと思います。 今しか出来ないこと、たくさんやってみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。参考になりました!

回答No.7

あなたの心がホントにホントに痛いほどに分かります。 私の先週の投稿を見てもらえば分かると思いますが私は21歳男性で全く同じ悩みを抱えています。 私自身そのことを悩み過ぎて自分の頭がおかしくなるのではないかと思うほどでした。 しかし今では半分心の中で決着したように思います。 きっと質問者様はこの悩みを解決した方からの意見を聞いて安心したいのだと思います。 私がこの2週間で考えたことを伝えたいと思います。 私は2週間の間、『この恐怖を乗り越えよう』、『向き合おう』、『考えないようにしよう』、と考えてきました。 そのためにネットで死について調べたり、考えすぎないという本を読んだりさまざまなことをしました。しかしそのうちに生きることに何の意味があるのだろうかと思うこともありました。 しかしこのようなことを考えても結局意味がないのですよね。 答えなど出るはずもないのですから。 でも、そうとは分かってても考えないことは難しいことですよね…… さきほどあげた生きる意味について、答えが出るはずがないと述べましたが、 それはあくまで人間という大きな括りで見た場合です。 私個人としては生きる意味?目標?として ・精一杯親孝行して親を悲しませるようなことをしない ・愛する人を守りぬく ・大好きな人達に囲まれて最期を迎える ということを掲げました。 そのために自分の命を燃やしつくそうと決めたのです。 そのことが私にとっての生きる意味になりました。 もちろん最初から死のうなんて思ってはいませんでしたが……(怖いですからね笑) やはり自分にとっての生きる意味というのは大事だと思います。 >『死=無』『転生するとしても前世の記憶は無くなる』と思うと、虚しいような感じにもなります とありますが、このことについてはホントに考えなすぎないほうがいいです。笑 俺もすごく怖くて虚しくなります。 私自身はきっと天国でまた会えるのだろうと気楽に考えてるようにします。無理矢理にでもそう思ってます。 >死は逃れられないし、死に向かって生きているので、今考えて恐怖を感じても仕方のないことだらけですが‥どう割り切って考えていけば良いのでしょうか? きっと割り切る必要などないっていう回答がつくと思いますが、割り切らなくては心が壊れてしまいますよね。割り切るというよりはできるだけ考えない方法ですが、やはり大切なもののことを考えて過ごすことでしょう。『こんなことを考えてるなら好きなもののことを考えよう』。と切り替えるわけです。何度でもこれをやります。 今このような思いをしていることは一生の財産になると思うのです。 一度死の恐怖を考えたなら、無駄に人生を過ごすことなどないと思います。 だから、今を楽しんで忘れましょう!体を動かして、頭を使って! 私自身この悩みを完全に乗り越えられたわけではありませんが、乗り切れると確信しています。 きっと恋でもするのが一番の特効薬なんでしょうね。 同世代で共通の悩みを持つ者として一度思いっきり話してみたいですね~ 一緒に頑張りましょうね(*^^)v

sun0set
質問者

お礼

同じ悩みを持つ方からの回答、 心強く思います。 そうですね、安心したいのもあります。 私もネットで死についてや、死後の世界のこと等を調べました。 調べたら調べたで、同じく生きることに何の意味があるのか‥余計モヤモヤしたりしました(^^; 考えても、分からないことなら、仕方ないですよね‥。 生きる意味は、人間としては子孫を残す為なのかもしれませんが、それだけでは、自分としての生き甲斐がないような気がします。 私も、自分の生きる意味や目標をよく考えてみます! 確かに、『死=無』『転生するとしても記憶が無くなる』とか、今考えていてもどうしようもないですもんね(苦笑 こればっかりは、気楽に考えていたほうが良いですね(^^) ≫割り切らなくては心が壊れてしまいますよね。 そうなんですよ、私もそう思って自分を落ち着かせる為にもここに質問してみました。 色々な回答をいただいて、質問する前よりは、気持ちがだいぶ軽くなりました(^^* 確かに、こんなことを考えるより今は好きなもののことを考えるほうが良いですよね。。 でも私も、死について考えて、無駄なことは何一つなかったです。おかげで、今を一生懸命生きて、出会いを大切にして、親や友達やお世話になった人たちとの時間を大事にしようと改めて強く思いました! この悩みを乗り越えたら、またひとつ成長出来そうな気がします。お互い、今を一生懸命頑張りましょうね(*^O^*) ご回答ありがとうございました。参考になりました!

noname#196134
noname#196134
回答No.5

思春期以降、物事に敏感になるんですね。 それはそれで必要な事だと思います。 その年代で色々なものを吸収しなければいけませんし。 年齢を経る度に全てに対して鈍感になります。 またそれも生活する上で必要なんですね。 思春期で吸収したものを小出しにして生きていかなければいけないんですね。 その年代で敏感だと仕事や恋愛・結婚でも、うまく出来なくなります。 鈍感な方が生活しやすくなるんですね。 誰でも思春期の時は、死についてや宇宙について考えます。 でもいくら考えても分からないんですね。 死んだことも、宇宙に行った事もありませんし。 そうなると考えるのを諦めるんですね。 脳の中のゴミ箱ではなく、一時保管場所に入れておくんですね。 考えられる時に考えた方が良いと思います。 そのうち、異性や仕事など、もっと興味があるものが出てきて、考えたことをすっかり忘れてしまうんですね。

sun0set
質問者

お礼

確かに、今は敏感になっているのかもしれません。 年を重ねていくごとに鈍感になっていくとしたら、今しか考えられないことはしっかり考えておいたほうが良いのですね。 ならば、あまり気落ちしない程度に『死』などについて、今考えるだけ考えておこうと思います! いくら考えても答えは分からないんですけどね(笑) ご回答ありがとうございました。参考になりました!

noname#201242
noname#201242
回答No.4

人生の中のどこかの段階で「死」について考えてみるのは良いことなんじゃないでしょうか。 古今東西の思想家や文学者、芸術家などが生死について考え続けて来ているでしょう。 それと、人間というものはこういうことを考えるから、死後の世界とか宗教的なものを考えて来たんじゃないでしょうか。無ではない、と。 実際どうなのかは死ななきゃ分かりませんが、そういう風に仮定して考えておくと、日頃の行いに気をつけようとか、あちらの世界に行ったらこうしようとか、今のこれも意味があるのかもとか、視野は広がるかもしれません。近年流行りのスピリチュアリズムもそのように使うならば意義があると思います。 私は、自分が死んだ後もあの山はずっとあるのだろうとか、あの木はまだ生き続けているのかも、などと考えるとちょっと気楽になる気がします。これも実際にはどうか分かりませんけどね、隕石が落ちてくるかもしれないし~。 好みによるでしょうが、若い女性だったら、よしもとばななさんの小説とかどうでしょうかね。生死で思い浮かぶのは、『ハネムーン』『不倫と南米』など。 (恐らくタイトルからイメージするのとは違う内容だと思います・・・後者は短編集です。不倫は出てくるけど、それが主題ではないのでご安心を^^;)

sun0set
質問者

お礼

皆、誰しも一度は考えることなんですよね。 生きるのも死ぬのも分からないことだらけだし、不思議ですね。 無ではない‥と私も信じていたいです。 「どうせ死んだら何も無い」って考えて生きていくのと、 「肉体は無に還るけど死んでも自分の魂は有って、今の出会いや出来事、行いも意味のあることだ」と考えて生きていくのとでは全く違うのでしょうね。 後者の考えのほうが、死んだ後がどういう世界であれ、良い自分の人生を送れそうです。 小説ですか、機会があったら読んでみたいと思います! ご回答ありがとうございました。参考になりました!

  • parts
  • ベストアンサー率62% (6366/10151)
回答No.3

近年は、寂しい時代ですね。本来は、家族を心配する気持ちというのは、ネットではなく親に率直に向けた方が良いのですよ。そもそも、今の社会では死を意識することは、ほとんどないですけど、私は何度か死の瞬間を見たことがあるので・・・。命は常に明日かもしれぬというものです。例え若くとも。 まず、食事が落ちるほど悩むのは良くないですよ。逆に言えば、質問者様が親や周りを心配して、病気になればなるほど親が苦しみます。即ち、親が弱るのです。そのため、親御さんと長く人生を歩みたいなら、早期に精神を落ち着けて、しっかり励むことです。(どうしても、精神的に落ち込むなら、かかりつけ医などに気分の落ち込みを相談しましょう) 本題です。 世の中には、名を残す人もいれば、残さない人もいます。 もし、質問者様が自分を後世に残したいなら、世間でも尊敬される立派な人になるしかないでしょう。 そこまでは考えないが自分の子や子孫に残していきたいと思うなら、それは子供を作り育てるか、養子でも良いので子孫残すことになるでしょう。そして、その子にしっかり家系を話すことです。 私は、基本的に今の時点で自分自身の死は恐れていませんが、やはり家族を亡くすのは怖いです。 だからといって、それで泣いて、ドキドキでということはありません。なぜなら、それをやっても現実には変わりませんから、むしろ周りを心配させ状況が悪化する可能性の方が大きい。今の社会情勢においては、結構質問のような内向きの人が多いですが、それらは結果を生み出すものではありません。ただ、某映画で言えば、ダークサイド(暗黒面)を強く感じているだけです。そこに堕ちれば、這い上がるのは極めて困難です。 とりあえず、重要な点として、死を考える場合、それを守るという姿勢と行動がまず一つ大事となります。要は生きるということ、そして生きてほしい人を守るということです。 そして、もう一つは親や年上の家族は、亡くなるものであるという前提で、今のうちに学べることを学ぶという姿勢を育て、実践することです。これは、わが親に教わったことですけどね。(全く別の会話で出てきた話ですけど。) 本来は、質問者様が両親にそれを相談しそこから教わることです。 最初に書きましたが、 自分の中にそれをただただ蓄えて、いなくなってからあの時○○していれば、と思う人は多いと言います。たとえ一緒に接していても、そういうものですけど、後悔することを減らすには、その人と話したいときに、たくさん会話し、その人との記憶を残すことが大事です。もちろん、辛い時に、辛い内容を打ち明けるのも大事です。直接、死なれては困るという気持ちを話しても良いのです。親ですから・・・。 年を重ねても、私の知る限りでは、ここの過去の質問でも見られますが、この悩みから決してすべての人が解放されるとは言えません。断言はできないのです。あとから、そういう波が何度も押し寄せてくる人もいますからね。 しかし、世の中にはそこを強く悩まず雑草のように生きる人もいます。それらの人が、心がないわけではない。実際には、悲しんでいる、哀しんでいるかもしれません。しかし、前を見て生きているのは、親の姿を見て、親のように一生懸命に生きたいと思うからです。 その姿で、「ああ、あの人は、お父さん(お母さん)によく似ているな(顔形に限らずしぐさなどで)」と思うのです。即ち、忘れられたとしても、その子が、その親に訓えられたことを、体で示すことで、その人を見せることができます。それって、幸せではないでしょうか?私がその子の親なら、一番の幸せかもしれません。質問者様の親御さんが何を望むかは分かりませんけど。 親が望む記憶が必要なら、それを体現しましょう。質問者様が親のためにしたいことがあるなら、それをすることです。そして、割り切ってどうにかすべきかは、ご自身で決めることです。 人生は、考え方を変えれば、たくさん可能性があります。問題は、自分が乗り越えるべきそれに、絶望し泣き続けるか(決して泣くのが悪いことではありませんが、堂々巡りは良くありません)、それとも考え方の可能性を探り、現実で試すか?その違いです。 まあ、試すと失う恐れもあるので、そこで前向きか後ろ向きかが問われるのです。感じ方が変わるのを待つのではなく、変える方法を探ることが大事ですよ。

sun0set
質問者

お礼

母親には、実は話したんです。 親に、親の死などを心配してるとかを話すのは、ちょっと気が引けましたが‥ 母親はざっくばらんな感じなので「そんなこと考えちゃダメよ~」とか、言ったことはそれだけではありませんが、まあ母らしい軽さで答えをくれました(笑) でもやっぱり、そこから感じられたのは、私を心配してるなということでしたけど‥。 ここに相談したのは、他にどんな考えがあるのかとか、こういう不安に思いすぎる自分の気持ちを静める為で(^^; あまり人前では落ち込んだりしないほうで、もしかしたらここで不安を吐き出すような形なのかもしれませんが、こういう場でも相談しないよりは相談したほうが良いかなと思って、質問させていただきました。 自分的に、親の死や大切な人の死を一度も考えないよりは、実際自分で今考えてみて一度は考えたほうが良いのかもという風に思いましたが、あまり考え過ぎて、親を心配させるのは確かに良くないことですよね‥。 他にもまだ心配させてる部分はありますし、早く自分が精神的にも自立して、心配を掛けないようにしないといけないですよね。 自分の死からは逃れられないし、周りの大切な人たちの死もいずれやってくる現実ですが、 この質問をしてみて色々な回答を見て、やはり今を大切に生きようと改めて思いました。 自分の意志でなるべく後悔の無い道を選んでいって、出会いを大切にして、親や友達やお世話になった人たちとの時間を大切にして、自分も大切にしていきたいです。 父のように素直に、母のように強く生きていければ良いなと思います! ご回答ありがとうございました。参考になりました!

回答No.2

 10代の頃、尊敬する先生が病気で亡くなり、私は死について本気で考え、うつのようになっていました。  諸行無常、何をしても結局は無意味、無駄なのだという考えになった時期もあります。  でもよくよく考えると、皆、自分という存在がどこかに残るように、子孫を残し、業績を残して生命を全うするのだと思います。  自分という存在自体も、先祖の残した遺物だし、亡くなった先生の遺訓を受け継ぐ存在なのです。  結局はそういうことです。    死が恐ろしい、怖いなら、人の心の中に自分自身が存在し続け、家族が自分のことを語り継いでくれる、そういう生き方をすればよいのではないでしょうか。  そうすれば少なくとも2、3代は、家族親族の中であなたのことは語り継がれるでしょう。  自分に命と思想を遺してくれた人たちのためにも、頑張って今の時代を生き抜き、次の世代にそれを受け継ぐ。  それができれば、役目を達成することができれば、自分の生命が終わっても、自分という存在は形を変えて残っていくんだと思います。    志半ばで死ぬとすれば無念だし心残りですが、それが達成できれば、臨終の瞬間、多くの家族親族に看取られながら「やることはやった」と満足できるなら、それはそれで悪くないと思います。

sun0set
質問者

お礼

そうですね‥ 自分という存在を遺してくれたご先祖様の為にも今を一生懸命生き抜いて、いずれ子どもが生まれたりしたら、その子が悩んだり苦しんでいるとき、自分が考えたり経験したことを伝えたり、手を差し伸べられる人間(親)でいたいですね。 そうして、そういう姿を見せて、子どもの世代、孫の世代と受け継いでいってもらえたら、やっぱり遺したほうは一番幸せなのかもしれませんね。 この質問をして、少し、死に対してや『死=無?』という考えが、変わったかもしれません。 どうしても死は二度と会えないとか、後ろ向きなイメージがついてしまいますが、怖いことには変わりはないですが前向きにも捉えることが出来るような、そんな気がしてきました。 改めて、一生懸命今を後悔のないように生きようと思えました! 『今』が一番大事ですよね。 不慮の事故や事件に巻き込まれて人生の途中で死んでしまうことがないように、自分を大切にして守ってもいきたいです。 ご回答ありがとうございました。参考になりました!

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.1

あなたはまだ若いので、死というものに対する実感がわかない、 だから、余計に怖いんだと思いますよ。 年を重ねるにつれて、身を持って感じるようになっていきます。 体力が落ちてくるし、体が言うことをきかなくなってくる・・・。 あー、やっぱり、そういうことなんだなーってね。 あなたは、ぴちぴちのピークですからね。 死を実感しろと言ったって、できないですよ。 わからない。 わからないからこそ、怖いんですよ。 人間は、ほんとよくできてます。 徐々に、恐怖が薄れていくようにできているのです。 心配いりません。 おじいさん、おばあさんで、死ぬことを、必要以上に 恐れている人は、あまり見ませんよね。 ある程度、死ぬことを受け入れているかのように見えます。 そういうことなのです。 今、無理に死を意識する必要はないと思います。 年をとってくれば、嫌でも、意識せざるを得なくなります。 でも、それが悲しいかといわれると、そうでもない。 だからこそ、よりよく生きたいと思うようになります。 >また、自分が年を取ったとき、 >学生時代のことや今のことを思い出したら、 >懐かしくもあるけど切ないんだろうなと思ってしまいます。 自分は40過ぎですが、最近ですよ。 死を実感したのは。 覚悟するしかないんだな、と。 でも、覚悟ができると、別に、虚しさや、悲しさはありません。 受け入れるしかないのですから。 むしろ、今までより、気持ちは、前向きになりました。 過去の思い出も、懐かしく、いい思い出です。 いいことも、悪いことも。 切なさはあまり感じませんよ。 あなたの年齢では、死を受け入れることもできないし、 死ぬ覚悟もできないですよ。若過ぎて。 自分もそうでしたし・・・。 今から、過剰な心配をする必要はないですよ。 そんなことより、今を精いっぱい楽しむこと。 後から振り返って、悔いが残らないようにね。 社会に出れば、いろんな経験をします。 楽しいこと、辛いこと。 死とは、その向こうにあるのです。 まだまだ先ですよ、あなたにとっては。

sun0set
質問者

お礼

確かに、そうかもしれません。 自分は若いから実感が湧かない、年齢的な老いではなく本当の意味では親もそんな死が近いと思うほど老いているわけではない、 だからこそ、こういう風に怖かったり、考えたりしているのかもしれません。 他の方の回答にもお礼で書きましたが‥。 なるほど、人間はそんなふうに上手く出来ているのですね。 だったら、若いうちにこういうことを考えて怖いと思うのって、自然なことなのかもしれませんね。 今は、後悔することのないように今を一生懸命生きて、出会いを大切にして、親や友達やお世話になった人たちとの時間を大切にして過ごしたいと思います。 この質問をして、前よりは気持ちが楽になりました。 ご回答ありがとうございました。参考になりました!

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