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「頭でっかち」が「恋」をするためには・・・
わたし自身,恋愛関係については,今までその経験がありませんでした。そのような機会も,まったくありませんでした。 学生時代は,勉強に明けくれたものです。そして,社会人となって数年が経ったのですが,ここ数年になって,「恋」を強く意識するようになりました。なぜならば,多くの人々がそれを学生時代などに経験したわけですが,わたし自身は,「恋」とは無関係の学生時代を送ったからです。 もしかしたら,「本来のあるべき姿」においては,学生時代に「恋」と縁のある生活をすべきだったのかもしれません。しかしながら,そういった「縁」,「関係」,「つながり」は一切ありませんでした。 現在,30代をむかえ,「今までの人生とは,何だったのだろうか?」と考えてしまうことがよくあります。勉強をとおして,たくさんのことを知ったこと,理解したこと,それらは,ほんとうに素晴らしいものではありますが,わたしは「さらに素晴らしいもの」を失ったような「気持ち」になっています。それは,たとえば、いわゆる「お金の亡者」とよばれた人々に代表されるとおもいますが,「お金」は手にいれることはできたけど,「お金以外の大切なもの」を次々と失ってしまったような,「喪失感」を感じているようなものでもあります。 だからといって,「喪失感」のために,「パートナー(彼女)がほしい」,というわけにはいきません。そのようなことをしたからといって,彼女がやってくるわけではありませんし,そういった<関係>は,誰もが望まないものです。非常に不謹慎なものではありますが,「誰でもいいから,1年間だけでいいので,わたしの“彼女”になってください,それができたら,わたしは死んでもいいくらい,幸せになれます!」ということを考えてしまったこともありました。 勉強は大切ではありますが,恋愛という面においては,「頭でっかち」はあまり良くないとされています。では,「頭でっかち」の人が恋愛をするためには,どうすればよいのでしょうか?恋愛をしないという<人生>へと,ベクトルを大きく転換させるか,あるいは,サリバン先生のような,ナイチンゲールのような存在を必要とするのか,さまざまな「提案」があると思います。
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- toumeipapa
- ベストアンサー率23% (88/382)
周りの人に 興味を持つ事だと思います。 「頭でっかち」という人は勉強の方が好きであった為に人間などには興味なく勉学に励まれた方だと思います。 数学と違い人間同士では1+1が3であったり5であったりするものです。 同じなんて事はあり得ないのは貴方様もご存知の事。 例えば、「この人は素敵だな」と思う人がいれば、まず話をしたくなります。どんな人なんだろう?と興味を持つ訳です。 その過程で、自分に合うのか合わないのか、わかるようになります。 自分と全く反対の意見の人とは、いくら素敵であっても価値観が合わないので辞めておきましょう。 自分と考え方が全く一緒なんて事も無いに等しい為、共に妥協する事が必要になります。 これが全く妥協出来ない場合は恋愛でも結婚でも難しいと思います。 考える事は良い事だと思いますが、まずは、人間watcherから始めてみてはいかがでしょうか。 会社の飲み会でも良いし、友達に誘われていくのも良いでしょう。その時間を惜しまず人間について勉強してるんだと思えば良いのです。 今までと違った観点で物を見ると、目から鱗という事がありますよ。
- neutral_law
- ベストアンサー率40% (8/20)
30代既婚男性です。端的に申し上げます。 「資格」を取っても必ずしも就職できるとは限らない これと 「勉強」ができたり「英語」を操れても恋人ができるとは限らない 「」にはスポーツなどでも当てはまります。 似ていると思いませんか? 英会話が操れるのはアピールポイントの一つであって、決定打ではありません。 言い方が悪いですが、貴方よりも能力がずっと劣ったどうしようもない人でも 恋人がいたりします。 就活するときに何をアピールしたか、「資格」だけをアピールしたわけじゃないです よね? そういうことです。
お礼
回答ありがとうございます。 恋愛について考えるとき,それは,就職活動のような,「ロジカル」ではないものと考えています。ですから,よく恋愛にかんする言説のひとつとして取りあげられますが,「なんであいつに彼女が,彼氏が!?」,ということが起こることも,わたしは理解しています。 「好きな人には,いろいろとつくしたい。」 そういう「気持ち」があっても,そういうところは評価されずに,「表面的な部分」だけで他者が評価されることに,恋愛における「問題」があると,わたしは考えています。
- 33sunflower
- ベストアンサー率29% (41/137)
貴方、他者に共感する事ができる? 恋愛するなら、恋愛って最も矛盾と非合理に満ちたものだけど、 それは、共感があっての事だと思う。 前の方の質問にもあったけど、仕事関連以外で、趣味を楽しんだり、意見を交換することのできる友達います? 貴方は女性に何をもとめているの?もっと素直に、「この人いいな?」っていうのないの? 背が高い人がいい、優しい人がいい、ふっくらしている人がいい、一緒に料理できる人がいい。 自分と一緒にピアノコンサート行ってくれる人がいい、そこで色々と感想を言い合える人がいいとかさ。 貴方の文章、人間味が無い。 バイリンガルであり、ピアノも弾ける。そこまで、自分に多様性があるとおもっているのなら、それでも良いけどその程度の人は他にも沢山居ると思うよ。 理詰めで考えるのがいいなら、理詰めで自分自身を理解したら良いと思う。それを放棄した頃、自分にであえるかもね。とっくにご存知だと思うけど、ジョハリの窓というのがあるでしょう?思っているほど、自分の事は分かっていないものよ。
補足
多様性を持つ人々は,たくさんいます。このようなことは,「当然のこと」です。 また,あなたはわたしが「共感」というセンスをあまりもっていないと思っているようですが,わたし自身,社会,政治,芸術,思想,科学,そういった<話題>であれば,すんなりと他者と「共感」することができます。 あなたが示したところの「共感」とは,どういうことでしょうか? わたしがコミュニケーションにおいて求めているものは,上に挙げたような<話題>です。なぜならば,こういった<話題>の特徴は,持続可能なコミュニケーションができるということです。考え方,物事にたいするスタンス,多様性があって当然です。わたしのそれと,他者のそれが異なることも当然です。しかしながら,どこかで,お互いが理解できるところがあるだろう,そういうところをわたしは「期待」しています。それを見つけるのが,わたしにとっての,コミュニケーションのあり方のひとつです。 また,人間とは,論理的思考の実践できる存在です。論理的に物事を考えることは,コミュニケーションにおいて,重要なことであると,わたしは考えます。 さらには,あなたは「人間味」という言葉を使いましたが,それは,どのような<意味>ですか?論理的であっても,「人間味」があるのではないかと,わたしはそのように考えます。 わたし自身は,多様なバックグラウンドを持つことから,自分自身と向きあうことは,いつものことです。わたし自身も,「盲点」があることは知っています。しかしながら,わたし自身は,みずからと向きあうこや,他者とのやりとりをとおして,それらをひとつひとつ,「解明」するようにしています。
- mathammy
- ベストアンサー率30% (336/1097)
自分からいかないと友達できないですよね。 やる気あるかどうか あとは共感できるのかどうか。 友達いる?
補足
あなたが考えている以上に,わたしには「つながり」がある人々がいます。 あなたが考えている以上に,わたしには「共感」というものを理解しています。 ただ,わたし自身が,「いろいろと複雑」なので,その「扱い方」に苦慮してしまうことが,あるだけです。
価値観の軸を増やしたほうがいいと思う。 勉強のベクトルは、つまり、社会の評価が大きいもの良いものというスケールなのよね。 でも恋愛に必要なのは、他人の評価ではなく、むしろ、個人のある意味「勝手な好み」なのです。 自分勝手な好みの開拓ということが必要。 そのためには、いろんなことをしてみて、好きと嫌いをきちんと身につけること。 効果的なのは、音楽や絵画、演劇、スポーツなどの分野。自分がなんとなく気持ちがいいもの、もっと言えば、感動するもの。 そういう経験をすれば、感性はできてきますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 さきの回答者さんへのコメントと同じ内容にはなりますが, わたし自身,母語は日本語ですが,英語を母語と同じ程度に操ることができます。日本語で裁判員ができますし,英語で陪審員もできます。(外国の市民権があれば,の話ですが,言語スキルという点においては,可能です。) また,ピアノも少しではありますが,弾きます。ベートーベンのソナタ,ショパンの即興曲などを弾くこともできます。ですから,回答者さんがおっしゃったところの「感性」を,わたしは持っていると思います。 わたし自身,恋愛には「矛盾の要素」があって,それを克服できる人は,ごく,ひとにぎりの「運の強い人」だけだと思うときがあります。また,〇〇ができるとモテる,〇〇ができるとモテやすい,〇〇をやると出会いのチャンスが増えるというものは,「ウソ」であると考えています。もしも,そういったものが「本当」であったならば,わたしにはすでに,「彼女」がいるはずです。
- mathammy
- ベストアンサー率30% (336/1097)
頭を使ってきたんなら からだを使えばいいのではないでしょうか。 ジムに通う マラソン愛好会に入る 人の集まるところで汗していると、自然と出会いが来ると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 いわゆる,「スポーツクラブ・スポーツジム」での「出会い」は,ほんとうにあるのでしょうか? また,人が集まるところに行ったからといって,それが必ずしも「出会い」につながるわけではありません。 わたし自身,母語は日本語ではありますが,母語と同程度に英語を話します。そのような「バックグラウンド」があることもあり,さらには,「ピアノを弾くこと」も出来るため,〇〇ができるから,あるいは〇〇をやるから,〇〇をしているからといって,それが「出会い」,「モテ力」,「彼女をつくりました!」などにつながるわけではないと,そのように考えています。
お礼
回答ありがとうございます。 わたし自身,当事者とのつながり,当事者との相互行為をとおした歴史の勉強をしたことがあります。そういった「縁」があったので,他者と共感すること,こういうことについては,それなりに理解していますし,実践をすることもできます。 また,回答者さんがおっしゃったところの,人間ウォッチャーでもあります。 しかしながら,わたし自身の考えることではありますが,多くの人々は,「ほんとうに話したいこと」があるにもかかわらず,「他人とあわせなければ」ということばかりに気がとられ,「どうでもいいこと」ばかり話していると,わたしはそのように考えます。 「ほんとうに話したいこと」が話せる人を,わたしは求めています。なぜならば,そのほうが,当事者にとっても,相手にとっても,有益だからです。 そして,「語る」ことのプロセスにおいて,食い違いなどがあることは,当たり前のことだとおもいます。しかしながら,そこから,さらに語りあうことで,一定の理解に達するものと,わたしは考えます。(このことの典型的な例として,いわゆる戦争問題にかんする「和解」の問題が挙げられます。) わたし自身の「トピック」が狭いのでは,そういった「指摘」があったことは確かです。その点については,わたし自身も,頑張って,いろいろなことに触れるようにしています。 一番気になるのが,わたしのことを「もっと話してみたい」,そのように思ってくださる方がいるかどうか,です。