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人生が終わりに近づくにつれて楽になる?
- 人生が終わりに近づくにつれて、(何も成し遂げていなくとも)気持ちは楽になるものなのでしょうか。
- 10代の頃に描いた青写真が叶わず、20代の頃は焦りを感じていたが、30代半ばの現在ではそれほど気にならなくなった。
- 20代の自分の行動を振り返ると愚かだったと気づき、成長を感じている。無用なこだわりが取れていく感じ。
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質問者が選んだベストアンサー
ご質問者様こんばんは。 ご質問者様の気持ちの変化は、社会や世間といった実体のない影からのプレッシャーからの解放されたことに起因するものかもしれません。~歳までに何々をしなければならないという思い込みからの解放です。 ご質問者様は「諦め」とおっしゃいましたが、ご自身の意図せぬ力が入って硬くなって緊張していた身体や精神が、肩の力が抜けたように無駄な力が抜けて、穏やかに、健やかに、素直に身体や精神が柔らかくなったのではないでしょうか。時間と共に人間として成熟されたのだと思います。 ご質問の人生が終わりに近づくにつれ気持ちが楽になるのか?ということを考えてみると、「どんな気持ちでこの世界を見るのか?」の一点に問題は集約されてしまうような気がします。ある出来事に対して、「暗く」「否定的に」「非生産的に」対応すれば、この世界は何とも辛く、苦しく、つまらない経験になりますが、「明るく」「肯定的に」「生産的に」その出来事に対応することが出来れば、学びがあり、喜びがあり、感謝の気持ちを持つことが出来る経験になるのではないでしょうか? 「諦め」ということの真髄は、「自分」を諦めることにあります。 自我や自分、己というのは人間を一人にするものです。他と分けて孤独感を高めるものですね。自分本位の考え方や生き方は、自分勝手であり、わがままであり、貰うことだけにこだわる生き方です。人間はいつかはそうは生きられない日が必ず来ると僕は信じています。そうでなければ自分で自分の首をいつまでも締め続けなければならないですからね。 自我や自分や己を諦めることは、相手本位に物事を考えることのはじまりです。相手の喜びに不思議と自分の心が感動したり、相手の悲しみを自分のことのように悲しんだりする経験を重ねると、相手との一体感を感じることが出来るようになります。人間の人生そのものはそうした経験の中にしかなく、本当の意味で人間が生きている時間なのだと思います。 僕もご質問者様と同年代の人間として、もう今まで生きて来た以上の時間は残されていないと感じることはあります。あっという間の歳月で本当に寂しいことです。でも、若い頃よりも生きることがもっと不思議で輝いて感じることがあります。生きる限り人間は変化して行きます。ときには自分の想像を超えるような変化が人生には起こるものです。それを拒まず、愛を持って受け入れることで、それらの出来事は驚きや感動となって、人生を豊かにするのではないかと思います(^-^) ご参考になれたら幸いです。
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- anndoromeda
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>>人生が終わりに近づくにつれて楽になるものでしょうか 言っている意味がよく分からないです。 人生が終わりに近づくって? 私は60才を過ぎましたが、人生が終わりに近づいたか・・などと思った事はありません。 もっとも、同年代の人の死亡記事などを読むと年相応かも・・などの感想はあります。 つまり、皆々何歳になっても、自分が人生の終わりに・・などとは思わないのでしょう。 だから、生きて行けるとも言えます。 さて、楽とは何を指して言っているのでしょう。 あなたの思う楽とは? 私の思う楽とは・・ 風呂に入ったときに・・ああ楽だなあ~ と思う、あるいは言う「楽」が楽です。 今風に言えば、リラックス・・ですね。 しかし、このリラックスが出来ない人が多いです。 これは年齢には関係無く・・ >>客観的に自分を見ると、20代の頃より現在の方が、状況は深刻です。 しかし、なぜか焦りなどはありません。 これは、単にあなたの感性が薄まった、あるいは弱くなっただけの話と思います。 現実逃避・・ >>自分がこれまで持っていた、無用なこだわりが、どんどん取れていっているような感じです 普通では、加齢だけでその様な事はあり得ません。 加齢と共に、それがあるなら、あなたは特別な人なのでしょう。 世にもまれな。 私・・色々な事をしました。 50才少し前から・・ 内容は書きません・・ 書いても、どうせ、多くの人は、何の行動も取りませんし、何より、挫折が多いので。 私が行いつつもありますが・・その様な事を実践して初めて、心の平安なるものが訪れます。 加齢だけでは、今まで通り。 何もない・・と思えるなら、本当は悩み苦しみの中にいても、それを感じない様にしているだけでしょう。 感性が鈍った。 が、それもまた良し・・無理に現実と向き合わない・・幸せもあります。 でもこの様な質問をしている・・と言う事は、心の奥底では、何かが違うと感じてはいるのでしょう。 多くの人と同じ様に生きるのもよし。 心の平安・・多分あなたが言われる「楽」を感じられるまでの道中は大変ですからね。 現状のまま時を過ごされるのが、あなたに取っては一番・・の様に感じます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考とさせて頂きます。
成るようになる、成らないようにはならない これを理屈ではなく体感したからではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 そうなのかもしれません。
還暦過ぎのオジサンです。 > 人生が終わりに近づくにつれて、(何も成し遂げていなくとも)気持ちは楽になるものなのでしょうか。 『成し遂げる』なんて100年にも満たない人間の一生で私のような俗人にして凡人には出来ることではありません。世の中には偉人・賢人がたくさんいるらしいですが・・・・・・ まぁ、強いて言えば60年を下らなく生きてきたことくらいでしょうね。でもこんなことは誰にでも出来る。 『気持ちは楽になるものなのでしょうか』ったって、人生のそれぞれの段階で悩みなんてあって当然。私の場合はそれをどう“逃げる”かだけを考えてきた。 今お蔭様で何一つ不自由のない暮らしをさせて頂いていますが、この四月からは一人娘が大学を出て就職です。就職先が大企業で総合職となれば何処へ行ってしまうか分らない。そうなれば女房殿を亡くしている私は『独居老人』。友人には『贅沢な悩み』と言われますが、私にとっては切実だ。これは娘に就職を諦めさせるしか“逃げ道”はない。そこで私は今友人・知人に婿さん候補を頼んでいます。何も23万位の月給で私が『独居老人』になる必要もない。旦那が出来れば娘は念願の専業主婦。喜んで辞めるでしょう。 なんとも逃げ場のない悩みと言えば後10年くらいでスッキリと息を引き取ること。これは友人の医者にも拒否された。こればかりはどうにもならない。血糖値では命に関係ないと言われてしまった。「なんとかしてくれ」と女房の仏壇にお願いしている。「来るな!」って言ってるかな? こんな人生でも楽しいと思えば楽しい“瞬間”もあるし、苦しい“時期”もある。そんなモンですよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 順風満帆な方にも苦があるのですね。 参考となりました。
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 人生は、何を成し遂げたか。ではなく楽しい人生だったかです。 >人生が終わりに近づくにつれて、(何も成し遂げていなくとも)気持ちは楽になるものなのでしょうか。 そうですね、一人住まいのせいもあるでしょうが、ストレスも拘りもなく生活しています。 仕事は未だ何とか今のところしていますが、後数年が良い所でしょう。 今まで培った趣味を楽しみに変え、ささやかに生きるだけです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 今の自分に満足したいと思います。
まあある種の開き直りでしょうね。 元から多くの人は大した人間じゃない。 それに気がつけば楽にはなります。 自分は20代後半ですでに悟っておりました(笑) あれから何も変わってないです。 自分もまだまだ40代後半ですから偉そうに言える立場ではないですが、そんなもんじゃないでしょうか? どう、もがいてみてもなるようにしかなりません。 だからと言って努力をしないって訳ではないですが、出来なかった事を数えるより出来た事を数えた方が良いかとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 今日、3億年前の隕石の衝突によって生じたクレーターが発見されたとニュースを見ました。 宇宙からすれば、人間の一生など一瞬ですよね。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
わたしも同年代女性です。 心の満足感は、あれこれ手に入れる事で一時的に満たされるかもしれないけれど、 「足るを知ること」が一番の早道で、おびやかされることもなく最強だと思うようになりました。 >自分がこれまで持っていた、無用なこだわりが、どんどん取れていっているような感じです。 すばらしいことだと思います。 角がとれて、人間がまるくなってきたんですね。 わたしも、まだまだですが多少は角がとれ、肝もすわってきたと思います。 なんかこの、肝が座った感じが、すごくいいんですよね。 安心して落ち込んだり、安心して苦しんだりできる感じです。 昔はもっと、少しのことで心底一喜一憂していましたが、あれは疲れました。 こういう風になれるのは、むしろ困難がたくさんあって、乗り越えてきた人の方だと思います。 順風満帆の人は、外的状況をうまくやっているけれど、内面的に強くなったわけでは、ないのかなと見えます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。
- naniwa0003
- ベストアンサー率10% (40/365)
今40前半です。20代から30少し過ぎまでは何か焦ってたり他人に八つ当たりしたりが多かったかも…諦めって言うか、思っても身体が動かないって言うか。しんどい時と楽な時の波はあると思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。
- jamamono2
- ベストアンサー率25% (117/463)
人間が生きる上で必ず付いて回る4つの苦しみを釈迦は生老病死と言ってます。 質問者様が仰りたい事は現実を知らず理想だけを追い掛けてたのが現実を見据え今有る自分に出来る最善を尽くすしか無い…腹が決まったのでは?… 良く言えば現実思考で状況に柔軟に理論的に… 悪く言えば冒険心、発想の転換、遊び心が?…つまり心のゆとりや視野を御自分で狭めて納得させてる…。 全く苦しく無いか?…と言えば疑問なのでしょうが有る面で気持ちは楽ですよね。 無邪気な純粋な見知らぬ子供を見て昔を懐かしむ…子供の行動を理解出来る…そんな人に成って貰いたいですね。 つまり心の視野だけは広げる事をお勧め致します。 心が楽な事と心の栄養を養う事は違いますね。 何故釈迦は?…考えて見て下さい。
お礼
ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。
- inudog2
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楽になる?じゃないでしょ。ぼ~っとしてたら死んでるのと同じ。 楽にするんです。人生楽しんだもの勝ちですよ。せっかくこの時代のこんなにすばらしい国に生まれたんだから。世界には知らないことばかりですよ。知らない土地、文化、人。探せば楽しいことたくさんあるでしょう。 いつからって? 今でしょ。 すみません「今でしょ」言いたかっただけです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。
- fuefue12
- ベストアンサー率38% (457/1192)
祖母が90代です 客観的に見ていて「楽そう」には見えませんね。 祖母也に一生懸命生きていた90年です 悔いはあまりないそうですが やはり体の老い、頭の老いなど 10年前だったら出来た事が出来ないストレスがみちみちているみたいです。 老いたから、人生の終盤だから「楽になる」って事は 私は無い気がします。 私たちが感じている悩みを感じなくなる部分はあるみたいですがね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに私は過去、とんでもなく身勝手だったと、日々痛感しています。 >自我や自分や己を諦めることは、相手本位に物事を考えることのはじまりです。 >人間の人生そのものはそうした経験の中にしかなく、本当の意味で人間が生きている時間なのだと思います。 とても感銘を受けました。 >もう今まで生きて来た以上の時間は残されていないと感じることはあります。 同感です。しかし、終わりが見えてきたゆえの余裕がでてきたようにも思います。 何一つ思うままにならない人生でしたが、それゆえに学べたことがあるということに意義を見いだせたら、と思っています。