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お金ってなんでしょうか?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.13

 こんにちは。  すでに投稿したことのある回答ですが 考えるところとして かかげます。  まづ おカネをきたないものとして見たり おカネを持つことがわるいことだと見られていたなら それは 基本的に言って マチガイであると考えます。そのことを先に捉えるという順序にします。        *  おカネは 言わば中立のものだということについて そうであるのに何故そうは見られていないか? その原因ないし理由として:  1. おカネを持っている人は 相当汚いことをしてかせいだのであるに違いないという通念があって それに引きずられている。それは 部分観にしか過ぎない。  2. 自分がおカネを持つと ついついその交換価値(購買力)によってのみ自分の存在感が得られると考えるに到るまでに あたまとこころとが混乱している。  3. 物質よりは精神だ 一にも二にも心が大切だとしきりに唱えるやからがいて これに影響を受けてしまう人びとのあたまの部分がある。見かけないし耳に飛び込むひびきは ちょっと心地よいらしい。    4. 世の中は 人びとの関係性によって成り立っていると考えているにもかかわらず お金は――以上のような通俗的な考え方になびいてしまって―― それを持つ人の人格を左右するとまで思い込んでいる。  5. 人びとは 一般にふつうに勤勉なのであって そう行動し生きるのであるが大きく経済の仕組みに沿って必然的な行動しか出来ない部分がある。ゆえに その《やむを得ない必然性の王国に生きるという条件》を見ないようにしてしまう《耳に心地よい声》が聞こえると そちらになびいてしまう。  6. 言いかえると 《お金は汚いものだ》と思っていたり言っていたりすれば 人間としての人格が守られるのだと思い込んでしまった。  7. それに毛を生やせば 他律ではなく自律だと壊れたレコードのように言い張る声が出て来る。  8. 《汚いところ》があれば――社会人としての互いの存在関係性において社会政策などなどをとおして―― この汚点をも言わば分け合って乗り越えて行くしかない。それほど確かに資本主義経済の歯車は われらの心を突き抜けて走っているものと思われる。  9. つまりわれわれは 弥縫策でしかない社会政策とともにであっても ときを俟つ。のが正解だと考えられる。       *  さて おカネとは何か?  10. おカネというのは 人間どうしの信用関係を 数量で測るという方式で――実際にそれがよいかどうかを別として――決め合ったものです。  11. 人間の信用の以前には ふつうの友情やライワ゛ル関係やあるいは対立や敵対の関係まですべてを含めた意味での《愛》の関係があった。関係性において互いにつながっているという意味での愛です。  そしてそれにはとうぜん 好きと嫌いから始まるような正と負の愛があり そういうヱクトルとしての信頼関係があったと規定できます。  12. やがて――生産のチカラが 稲などの農耕や鉄などの金属器の使用の始まりとともに 上がり――信頼関係が 衣食住を初めとする経済生活に根差した信用量としても捉えられて行き いつしかその量は貨幣で測られるようになった。  13. 言いかえると 一面として信頼関係を破る対立関係に入って 負の信用による敵対関係にまですすみこれが昂じたなら もしそこで戦争をしたなら戦争奴隷が発生しましょうし そこまで行かなくても貸し借りの関係からは債務奴隷となってしまう場合がある。  14. ところで 奴隷は 人身の全部が拘束され制約を受けるのですが もしこの債権債務の信用関係が交換価値としての量によって測られたなら その量までの拘束および制約となります。  15. つまり その側面においては 貨幣による等価交換なる制度をつうじて じんるいは人身の束縛や身分による制約を解放したと言えそうです。  16. つまり 人間どうしの社会関係が 貨幣としての定量的な債権債務の関係に限るのだと取り決めるならば 人間そのものを売り買いすることはなくなります。理論的には。  そして おそらく人間はその生が所与のものだという存在の条件として・その良心にとっても自由意志としても――公理としてのごとく―― ふさわしかった。      17. よって ひとつに ただ単に需要と供給の対比関係を示すしるしだという見方だけによって成り立ったものだとも思われない。  18. ひとつに 数量にもとづく等価交換ほど 民主的な人間関係の仕組みはないとも言えそうです。 それを 互いの心が包み込むことが出来るなら なおよいでしょう。  19. その交換を――等価交換が取り決めあわれているというのに―― 一方の側にだけ有利なかたちで押しつけたりするのは むしろ経済外の政治的な(社会力学的な)圧力によるのだと考えられます。おカネに罪はない。  20. これを・つまり経済政治学的な力学を 人間の心構えとしても仕組みや制度としても どうするかが 問題なのであって おカネは 単純に人を惑わすものだとかと言ったり ただただ物欲への誘因であるにすぎないのだとかと見たりする見方は どうしたものなのでしょう?  21. おカネには 人びとのあいだにおける自由および対等という民主制の《精神》があります。 会社における付加価値の分配あるいは社会全体としての税制などをつうじての配分は いまの民主制の精神にもとづき 取り決め合われて行きます。  その勢力を作り得ないなら それは われわれ市民の責任です。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 おっしゃる通り、1971年までは、この等価交換の性質が成り立つ前提があったのですが、金本位制から脱却した時から、貨幣をいくらでも刷れる社会になってしまい、結果、大量にお金が出回っているにもかかわらず、お金自体を重視するスタンスが誰も変わらないというのが疑問です。

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