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おばあちゃんが亡くなりました
- おばあちゃんが亡くなりました。私の服の仕立ては全ておばあちゃんの手作りでした。
- おばあちゃんの死により私は深い悲しみに暮れています。おばあちゃんとの思い出は今でも涙を誘います。
- おばあちゃんの葬儀には多くの人々が集まり、その人望の厚さを感じました。どうか少しでも慰めの言葉をいただけないでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
お風呂場で全裸で倒れられたとのこと。 産まれたときと同じように、この世の物は一切持たずに天国に行かれたんですね。 実に潔く、正しい死だと思います。死に様は生き様といいます。本当に「人のために」 と生きてこられたおばあちゃまだったのではないですか。 心の痛みを感じるのも生きているからこそです。今は静かに悲しみにくれていていいと 思いますよ。おぱあちゃまの色んな姿や言葉を思い出して、たくさん悲しんで下さい。 ただ生きている人間は、生きている世界の優先順位を守らなければなりません。 今はテスト中ということですから、まずはそれに集中!それがおばあちゃまの供養になります。 そしてまた落ち着いたら悲しんで下さい。悔やんで下さい。生きてるからこそ泣けるんです。 質問者様は存分に「生きている」ということを実感して下さい。 しばらくすればまた必ず元気になります。 おばあちゃまも、きっと側で見守ってくれてますよ。安心して下さいね。
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- chocolatusagi
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わたしの周囲ののお年寄りは 「小さい頃から可愛がってきたのに、 孫が大きくなったら口もきいてくれない」と こぼす人が多いですよ。 亡くなってからもお孫さんに心から悲しんでもらえるおばあちゃんは 本当にお幸せな方ですね。。 これからもご家族で仲良く元気に暮らしていくのが おばあちゃんの願いだと思います。 いつまでも忘れないであげてくださいね。 ご冥福を心からお祈りします。
お礼
回答ありがとうございます。 正直言うと、おばあちゃんが亡くなった今になって自分の気持ちに気づきました。 私はおばあちゃんのことを心底好きだったんだな・・・って。
- papanda26
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私も半年前、祖母を亡くしました。 私にとっては母代りとも言える、大事な大事な人でした。 悲しい、ショックな気持ちももちろんあります。 けれど、何かする度に、私には祖母の声が聞こえました。 こういう時、祖母なら何と言うか、祖母ならどうするか…手に取るように分かりました。 ああ、私の中に祖母は生きてるんだ。一緒にいるって、今でも強く感じています。 質問者さんも、泣きたい時は大いに泣きましょう。 でも、落ち着いた時に、自分を見つめてみて下さい。 こんなちっぽけな自分が「こんな自分でもいいんだ」ってどこかで思えるのは、おばあ様がかけ続けてくれた善の言葉のおかげではないでしょうか。 質問者さんという命の歴史の中に、おばあ様は生きているし、絶対に離れることはないのです。 そんな風に愛してもらった自分は幸せだし、そんな風に亡くなっても誰かの中に生き続けられるおばあ様だって、きっと幸せだと思います。 亡くなったから、悲しい・淋しい・虚しいだけではない。 どこかに出かけた時、嬉しい事があった時、一緒に楽しんで喜んでくれてるんだって、私は思ってます。 そしたら、なんだか、晴れやかな笑顔になれて、自分の人生もっと楽しめるようになった気がします。 気持ちの整理は無理に急ぐことないですよ。少しずつ、ゆっくりで大丈夫。一人じゃないですよ★
お礼
回答ありがとうございます。 私の歴史におばあちゃんが存在してくれたことは私にとって大きな幸福です。 同様に、おばあちゃんにとっても私の存在が幸福であったことを祈りたいです。
- wolfdad
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今のお気持ちを大切にする事、、、それが一番の供養です。 合掌。
お礼
回答ありがとうございます。 おばあちゃんのことを想いながら生きていきます。
- REN-KAIRE
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今はいっぱい泣きましょう。少し気持ちが落ち着いたら。それは何日先か何ヶ月先かわかりませんが。今度は笑って沢山の思い出話をしてあげましょう。それが一番の供養だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 はい。たっぷり泣きました。 でもまだ少し気持ちが落ち着いていません。 今は大学のテスト期間中ですので頑張って勉強することにします。 おばあちゃん、見守っていてね。
- ikuchan250
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いろんな考え方があるでしょうが、心筋梗塞という、ごく瞬間だけ 苦しまれて亡くなられただけ幸せだったように思います。 今は医療が発達して管だらけに成りながら生きながらえている よりはより良いと思います。 老健施設で飲み込みが不自由な為、ご飯をミキサーに掛けて それを食べさせられている時、ぞっとしました。あそこまでして行きたくない。 とは良いながら自分では選択出来ない。 そういう意味ではあなたのおばあちゃんの最後の幕引きは圧巻、といえます。 わたしもそうありたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 おばあちゃんは心筋梗塞で亡くなりましたが、風呂場で倒れたため全裸で発見されました。 大きな苦しみを味わなくて済んだかとは思いますが、せめて衣服を着た状態でいてほしかったです。 うちの母親も「無駄に長く生き長らえさせるよりもマシだったかも」と言っていました。
- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
お祖母さんも貴方のような心優しいお孫さんがいて 充分に幸せな人生だったことと思います。 私にも、(まだ3歳ですが)孫がいますが、貴方のように 私を慕ってくれるかどうか、、。 貴方のお祖母さんが羨ましいです。 貴方が20歳ということは、お祖母さんは、80歳くらいかな? こんな、いい孫が持ててお祖母さんは、本当に幸せな人生でしたね。 祖母孝行が出来て良かったですね。 あなたのこれからの人生で、なにか困ったこととかあったら、 お祖母さんが見守って下さってますよ。 毎日、一度は仏壇の前で「今日も一日頑張ります。見守って下さい」と ご挨拶しましょう。 貴方のお祖母さんを思う気持ちは、充分に伝わってますよ。 亡くなられた後でも。 それから、これは、注意ですが、もう、二十歳過ぎたら おばあちゃん、、、でなくて、「祖母」と書きましょう。 身内同士ならおばあちゃんでもいいですが。 世間の人、他人には「祖母」と言われた方がいいですよ。 貴方が、おばあちゃんのことを思い出してあげることが 一番の供養です。
お礼
回答ありがとうございます。 いつでも天国から見守ってくれていると信じています。 仏壇は母方の実家にありますので毎日拝むことは不可能ですが、たまには足を運んで拝みたいと思います、 >おばあちゃん、、、でなくて、「祖母」と書きましょう。 もちろん心得ております。 しかし、昔のことを思い出していると「おばあちゃん」という言葉が頭から離れません。 「おばあちゃん」という言葉には私の数えきれないほどの思いが含まれているのです。 ご理解ください。
- 植松 一三(@jf2kgu)
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お婆さんは貴女の様な孫がいる事が、幸せだったのです 日本には貴女に贈る言葉が有ります 出会いは別れの始まり 別れは出会いの始まり お婆さんとの別れは、これから出会う奥さんや子供の出会いの為でもあったのです 別れをいつまでも行きつずける事は、お婆さんも望まないはずです 忘れることは貴方が死ぬまで出来ないでしょうが、何時までも悲しむ事をお婆さんは望まないと思います
お礼
回答ありがとうございます。 >お婆さんは貴女の様な孫がいる事が、幸せだったのです こう言っていただけると気持ちが楽になります。 これから訪れるであろう出会いを大切にしていきたいです。 ちなみに私は質問に書いてある通り男です。
お礼
回答ありがとうございます。 >ただ生きている人間は、生きている世界の優先順位を守らなければなりません。 確かにそうですね。 6日のテストが今回の山場なのでもうひと踏ん張りしてきます。 テストに向けて頑張ることも「生きている」と実感できる一つですね。 テストが終わってからおばあちゃんの家に拝みに行きたいと思います。 自分のために頑張ることがおばあちゃんの供養になるなら、こんなにウマい話はないですね!