『立正安国論』は正しいのでは?

このQ&Aのポイント
  • 日蓮は『立正安国論』で、人々が正法を信じずに邪法を信じていることが問題としている。
  • 現在も同様に正法を忘れ、唯物論思想に溺れた国民国家は滅びる可能性がある。
  • ただし、正しい宗教団体も存在するため、日蓮の指摘だけでは一概には言えない。
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『立正安国論』は正しいのでは?

日蓮は、『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難したが、現在はこれにに似ていないか。 当時は元の侵略、天変地異、現在は中国・北朝鮮の侵略、天変地異である。 確かに、浄土宗には明確な正義がない。もし、法華経が正法であればそれを信じる門徒が宗教を否定する中国共産党を礼賛することは間違いであろう、しかし、間違った宗教団体もある。 ただ、日蓮の『立正安国論』の趣旨自体は現代に照らし合わせても正しいのではないかと思われるが、どうだろうか? 信仰を忘れ、正法を忘れ、唯物論思想にまみれた国民国家は日蓮の指摘のように滅びに至るのだろうか。日蓮の『立正安国論』が正しければ、そのようになるはずであろうと思われるが、どうだろうか?

  • mmky
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  • skypee
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回答No.6

創価学会や似たような教団の方々は、そのように「だから自分達の信仰は正しいんだ」と言うわけですが、それは『立正安国論』?とやらを信じている人にしか通用しない話であり、都合のよいこじつけです。まさに狂信です。 「法華経」などの言葉を使わなくても後からなんとでも言えることです。 そもそも信仰は「正しい」とか「正しくない」などを論じるような性質のものではありません。つまり、そのような宗教(正確には宗教ではない)こそが邪教ということです。 例えば、教団(または宗教)ごとに違う「幸せ」や「真理」があるでしょうか?もし、違う「真理」、違う「仏法」などがあるとしたら、それらは相対的な判断によるものであり、絶対的な神でも真理でもないということになります。 相対的に判断して「こっちが正しい」と言っているのです。 指導者やその信者が「こっちが正しい」と言っている時点で、(真理を求めている、知っている)宗教ではないということです。

mmky
質問者

お礼

回答ありがとう。 信仰あって間違う者、信仰を否定する者、いろいろですね。 でも絶対正義はあるんですよ。絶対正義に照らして因果の理法が働くものです。 日蓮の論は決して正しくはありませんが、絶対正義に照らして国民、国家のありようとしてはそのようであるようにも見えるということですね。

その他の回答 (5)

noname#175361
noname#175361
回答No.5

かなりビミョー。状況的には合致するけれど、そういうことは、日蓮でなくても書けたかもしれません。つまり話の流れとしては、俺の言うことを信じないと、天変地異がくるぞー、敵が襲ってくるぞー、嫌なら信じろーという恫喝に聞こえるんですよ。似たことは麻原さえいってそうです。もう少し距離を置いて考えるべきではないでしょうか。日蓮を貶める気はありませんが、質問者さんがカルトに嵌りやすい性格なのかなと思って、投稿してみました。

  • wiz0621
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回答No.4

では立正安国論の一説から。 辛きを蓼葉に習い、臭きを溷厠に忘る。 善言を聞きて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑うて悪侶に擬す。 其の迷い誠に深く、其の罪浅からず。 私の目から見れば、すべての坊主(当然、立正安国論の著者も) これにあたると見えるのです。 もし質問者さんが私の言葉を悪言や邪法と思うのであれば、 その迷いは誠に深く、その罪は浅からず、と言えるでしょう。 ではまず、宗教学的観点から。 立正安国論の場合、自分はバカじゃないよ!という根拠を各経典に求めてますよね。 では何故、今が誤りで過去の経典が正しいのでしょうか? そもそも宗教学的に見ても、人間の思想の悪性や政治の混乱によって天変地異が起きる、 という天命思想自体が仏教の中国伝来時に加味されたものであって、仏教における正法と 呼べる代物じゃないです。 その根拠を原典にではなく、漢訳された仏典に求めている時点で、世界の小ささも 見えてこようかというものなんですが、まぁこれは当時の日本の限界なので 著者の責任ではない、しょうがないですね。ですが同時に、世界の絶対的な正しさを 示すものではないのです。 すべてではないにせよ、より世界の遠くまで見通せるようになった現代で同じ理由を 言う人がいるなら、ちょっとは便所から出ないと自分が便所臭くなるよ、 とアドバイスしてあげた方がいいと思います。 次に本題。その思想がもたらす結果について。 誤りを犯したときに地震が来ると言う思想は、社会の関係を悪化させるのではないでしょうか。 仮に全く正しい生き方があったとしましょう。 そして人が正しく生きようとしたときに、それでも地震が来れば、その人の行動は誤りとなる。 結果として、全く正しい生き方であったとしても、それを人々は誤りと認識するのです。 いや、世のすべてに因果があり、正しく生きれば地震は来ないのだ、と強弁するのは もちろん自由ですが、その思想によってもたらされる結果を考えてみてはいかがでしょうか。 因果を示せないから因果は存在しうる、という思想は、 実際には因果が無いから因果が示せなかっただけの場合において、世に致命的な損失を招くのです。 人が認識できない真実の領域において、太陽や地震が、人の因果から外れていた、 ただその一点だけで、人の世で正しい生き方は全く実行されなくなるのです。

mmky
質問者

お礼

回答ありがとう。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

mmky様、こんばんは。 裁判所でも「宗教の信仰の、教義自体の是非」にまでは、立ち入りません。 >「正しいのではないかと思われるが、どうだろうか?」 信教の自由とその限界、ですね。 >「正しければ、そのようになるはずであろうと思われるが、どうだろうか?」 多分、論理的に間違いですね。

mmky
質問者

お礼

>「正しければ、そのようになるはずであろうと思われるが、どうだろうか?」 多分、論理的に間違いですね。 ○回答ありがとう。 この質問の締めは1年ほど後にしようと思ってます。予測命題の良否には時間がかかりますからね。中国・北朝鮮、天変地異(次は、火山の大噴火)の出方を見るしかないですからね。 どうなるかはそれからでもいいでしょう。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.2

創価学会 壮年部の者です。 >日蓮の『立正安国論』の趣旨自体は現代に照らし合わせても正しいのではないかと思われるが、どうだろうか? 仰る通りです。 第二次世界大戦当時、軍部は日本国民に“神風”を吹かせる目的で、神札を強要しました。その結果、他国浸逼難が先に起きて、後に自壊反逆難が後から起きたそうです。   >信仰を忘れ、正法を忘れ、唯物論思想にまみれた国民国家は日蓮の指摘のように滅びに至るのだろうか。日蓮の『立正安国論』が正しければ、そのようになるはずであろうと思われるが、どうだろうか? もう既に、日本には御本尊が存在します。滅びるということはありません。

mmky
質問者

お礼

回答ありがとう。

  • sayuliy
  • ベストアンサー率16% (207/1282)
回答No.1

こんにちは。 存在しないものをあるかのように人を惑わすのは間違いです。

mmky
質問者

お礼

回答ありがとう。

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