• 締切済み

勉強しても成果でない

勉強が好きなのに問題が全然出来ない。 理系の男子大学生です。僕は去年浪人して大学に入りました。 現在数学の線形代数と微積分の授業が好きで、よく勉強をしています。 もともと勉強は 嫌いではなく、むしろわからなかったことがわかるので楽しいです。何のためにこの公式を使うのか、なんのためにこの定理があるのかわかった時はすごく楽しいです。浪人の時もそのような気持ちで勉強していました。 ここからが本題です。僕は勉強しても全然成果が出ないことに悩んでいます。 勉強したはずなのに問題を前にすると、わからなくなったりします。 説明や解答をみればわかるのですが...。 例えば、数学の文章題などは着眼点を間違えたり、変な方向にアプローチをしてしまいます。 解答を聞いた後で、見ないでまたその問題をもう一度解くのですがその問題が出来るようになっても、それと似た類題や発展ができません。 大学入試の過去問などで一つの大問に小問4つあったら、2つめか3つめでつまづいてしまうような感じです。 また浪人の頃は、勉強をやってもやっても全然結果が出ないのが精神的負担になりました。 必死に勉強をしても、それ相応の点数ではなく、すごく泣きたくなりました。 最初は勉強のやり方がダメなのだと思い、先生に言われた通りの方法でしましたが、それでも成果は出ませんでした。 14時間近く勉強したのに、全く成果が出なかったのは才能がないからでしょうか? 今でも成果がなかなか出ないで、何か自分に根本的な問題があるのではないかと思いますが、何が悪いのか本当にわかりません。 中学の頃は勉強は出来たので、なおさらどうしてそうなったのかわからないです。 一体何が原因だと思いますか? 回答よろしくお願いします。

みんなの回答

  • ikuzecia
  • ベストアンサー率26% (364/1363)
回答No.6

>中学の頃は勉強は出来たので、なおさらどうしてそうなったのかわからないです 中学の時すごく野球が上手くて高校では名門野球に入ってもレギュラーさえ取れない人は 多くいますというよりほとんどです。 ゴルフのレッスンプロとラウンドしたことがありますが、飛距離はすごく出る 小技は上手い、しかしトーナメントで上位入賞どころかシード権も取れない でレッスンプロとして飯を食っている人も多いと言うよりほとんどです。 それと同じです。 好きで努力しても結果が出ない人はたくさんいます。 才能が無いのです。 生まれつき持ってるものが無いのです。 数学の才能が無くても生きていくのに困りません。 逆に数学の才能が無くては生きていけない世界の方が稀です。 そういう世界に進まなければ良い話です。 貴方の前には進む道はたくさんあります。 わざわざ、向かない世界に進む必要は有りません。 別に気落ちしたり悩む必要は無いでしょう。 すべてがすべて努力で解決できるものではありません。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 要するに「勉強方法」を誤解しているんじゃないかな、と思われます。歴史学を専門とする僕の話ですので数学には門外漢から見た話とでも話半分程度に理解いただければ幸甚です。  >むしろわからなかったことがわかるので楽しいです。何のためにこの公式を使うのか、なんのためにこの定理があるのかわかった時はすごく楽しいです。  これ高校や予備校の時までの話ですよね?。高校や予備校での授業やテストは大学入学者選抜のためのものです。ですから「答に至るまでのパターン」を示しているにすぎません。そして殆どの受験生が「これで実力がついた」と勘違いしてしまっています。実際には大学で学ぶ学問の入り口にすら立つことにも至っていません。  高校や予備校で得た「知識」は考える材料ではあっても、それが学問の終着点であることにはなりません。知識は記憶することで得ることもできますが、学ぶことは記憶することでは叶いません。  デカルトが「我、思う。ゆえに我有り」という言葉を残しました、これは知識ではあってもデカルトの言葉を理解したことではないのです。  質問者様の実力を言葉として説明するならば「計算を解く能力」には長けているけれど、「立式する能力にはやや見劣りがする」といったところでしょう。恐らくは「国語」が苦手だったとも推察されます。国語が「論理の読解力」や「説明力」を見る科目といえば、質問者様には図星といえましょう。論理を理解できなければ設問趣旨に的確に答える術はありません。  ですから、これからは「数式を解いて答を出す」とのスタイルから一歩アップグレードして「これはどの様な意味を持つのか」との論理過程を答の一部とする問い方へと勉強の形を進化させることを考えてみては如何でしょうか。  少なくとも数学はエレガントな性質の学問です。それは恰もモーツァルトの楽曲や芭蕉の句などに通じるところもあります。それが「論理と創造」の関係ともいえます。  

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.4

表現の仕方はいろいろありますが、一つの表現として、成果を急ぎすぎる?。 必要条件、十分条件というものがあります。 >14時間近く勉強したのに、全く成果が出なかったのは 言葉尻を捕まえるようですが、「14時間近く勉強」は必要条件ではあっても「十分条件」ではありません、天才は別として良い結果を得るためには努力が必要です、そのためには時間も必要です、言い換えれば、当たり前なんです、あたり前には褒美もなにもありません(良い結果は保証されません)。 具体的にはたとえば >説明や解答をみればわかるのですが 内容にもよりますが、ただ分かるだけでなく、別のやり方に興味を持てるか・・・が一つの分かれ道かとも思います。 あるいは、遊び心(遊学なんて)、答えが分かってもそれで終わりにしない、ほかのやり方を探して遊ぶ余裕が理解力、応用力を広げます。 成果を急ぎすぎると、この遊びがなくなります。

回答No.3

難しいとは思いますが、 覚えなければいけないと思うから覚えられないのでは? よく暗記をするときは 勉強をしたら寝る! これは効果的なのは受験をした方なら良くわかるはず。 忘れるような勉強が覚えるコツ。 人 それぞれですが 人生長いのですから 自分に合ったやり方をマスターするのも楽しいですよ!

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

一浪して東大の理科一類に入りました。 今で言うところのセンター試験、当時は共通一次といいましたが、数学と物理と化学は満点で、東大の二次試験も6割程度はできたと思います。 浪人中は一日3時間程度の勉強でした、なんせ高校の段階で受験内容の学習は終わっていたので、新しいことを学ぶこともなかったので。 大学に入って数学がチンプンカンプンだったので、ありゃ?と思いましたが、実は大多数の同級生がしっかりとは理解できなかったらしい。 テストはクラスの「落ちこぼれ対策委員会」が作った模範解答をもとにすり抜けました。 数学の授業の後、昼飯中に「さっきの授業での証明の仕方は、あんまりよくないなぁ」と、言っていた同級生は、現在数学の教授になっています。 まぁ、大学の数学なんて、そんなもんでないかい?

  • master_gk
  • ベストアンサー率16% (61/365)
回答No.1

>解答を聞いた後で、見ないでまたその問題をもう一度解くのですがその問題が出来るようになっても、それと似た類題や発展ができません。 この部分から、解法を習得できていないことが分かります。この部分ができるようになって初めて「理解した」と言えるかと思います。 1+1=2 と教えられて、 1+1=2 と覚えるのではなく A+B=C と覚える感じです。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう