- 締切済み
3.11大震災におけるモルモン宣教師の行動
東北大震災後、モルモンの専任宣教師は日本各地に避難した。 http://okwave.jp/qa/q6610662.html 避難することは勝手です。自由です。そのことに対してどうこう言うことはできないと思っています。 モルモン四大聖典の教義と誓約4章に次のように書かれています。 http://scriptures.lds.org/jpn/dc/4 信(しん)仰(こう)、希(き)望(ぼう)、慈(じ)愛(あい)、愛(あい)を持(も)つ者(もの)には、その業(わざ)に携(たずさ)わる資(し)格(かく)がある。 大震災で沢山の人々がなくなりました。また沢山の人々が財産を失い、家族を失い、失意の中懸命に耐えていたことが世界中に称賛されたことは記憶に新しいと思います。そんな時、信仰希望慈愛愛を説く宣教師が逃げてどうするのでしょうか? この時こそ本当の愛を示すチャンスじゃないですか。 キリストの精神を態度や行いで示すチャンスです。「命を賭けてでも、被災者のために奉仕してください。」と神から召された預言者からの言葉があってもいいと思います。 教会に入るとか入らないとか関係ないんだと思います。 それをしていたら、今ごろいっぱい改宗者が出てきたと思います。 福島県の場合は例外かとは思いますが、その他の地域に助けに行くことはできると思います。 チャンスと表現しましたが、皮肉が含まれています。 人の弱みに付け込む教会の体質があるためです。どこでも災害や事故痛ましい事件が頻繁に起きます。 チャンスではなくて当たり前だと思います。助け合いの精神を日本人は持っていることを誇りに思います。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yamato2203
- ベストアンサー率25% (1/4)
私はあの地震の3日前にニューヨークから東京へ帰国しました、高校生と中学生の2人の子供たちと一緒に。 主人はまだアメリカにいました。 地震後、たくさんの人からニューヨークへ戻った方が良いと言われました。放射能で子供がおかしくなるのでは?とすごく不安での]不安をさらに増したのが、モルモンの宣教師が大阪へ逃げたという事実です。当時、私はまだ少し、モルモン教を信じていたので、その教会が宣教師を非難させた、それも私たち信者が知らないうちのい、そして信者はおいてけぼり? そんなに放射能の害がすごいの? すごく怖くなったんです。 そんな時、テレビでヒンズー教の人たちがカレーを持って被災地へわざわざ行った、そしてカレーをふるまった、というのを見て”私は何を怖がっていたのだろう?”と目が覚めた思いでした。私は日本人、ここで生まれて死んでいく。日本人でもない人たちが頑張っているのに、日本人の私がおじけずいていてどうするんだ?って。 モルモン教会が私の心に不安を植え付けた、でも、それをヒンズー教のひとたちが取り除いてくれたのです。 これを持って、モルモン教こそが唯一真の宗教ではない、と思っていた私の気持ちははっきりしたものになりました。 モルモン教の宣教師が大阪へ逃げたのは事実です。 その後、モルモンは安全を確認してから福島へがれきの撤去に宣教師や信者を送り、それを大々的にネットで宣伝していました。私はそれを見てすごく嫌な気持ちになりました。逃げたことはかくしておいて、恰好の良いことだけみせびらかすー。 宣教師というのは、その地に自分の意志で趣き、神の使者であるわけですから、地元の人の為に命を投げ出すのが 当たり前です。 しかし、モルモンの宣教師はほとんどが20歳くらいの、日本の文化や言葉などほとんど知らない青2歳です。 又、聖書もろくに読んだことがない少年も多く、ユタの出身で親が行け、というから来た、という子もいます。 日本人の女のこと親しくなってキスしまくっていた宣教師、布教活動は嫌でいつも教会でビデオを見ていた宣教師、日本人にちやほやされて食事におごってもらうことを楽しみにしていた宣教師。 宣教師訓練センターでたった2か月、日本語と聖書を勉強しただけで、もう、誰でも宣教師になれるんです。考えてみれば、非常におかしい。 19歳のモルモンの男性はみな宣教師になるようにと預言者から言われているので多くの若者が自費で宣教師になります。彼らを使って信者を得、その信者から献金を取り、それでリーダーたちはビジネスを展開している。 モルモンの他の名称は LDSコーポレーションという、大会社なのです。 モルモンの宣教師たちに慈愛を求めること自体が無理だということですね。 この前、多摩センターの駅前で宣教師たちに声をかけられたので、”私は輪廻が好きだから”と言ったら、その宣教師たち、 ”輪廻だって!”と鼻で笑って私のことを馬鹿にしてました。 そうやって、他の宗教や考え方を見下す人がたくさんいます。 こういう信者がたくさんいるということは、教えに問題がある、と思うしかありません。
- inkyoasahikawa
- ベストアンサー率0% (0/2)
僕もその辺を詳しく取材?しましたが、正式な回答は以下のようだったと思います。 宣教師は志願制ですが、最終的に宣教師として承認するにはここの教会の最高責任部署、3人で構成される「大管長会」です。そして大管長会は送り出した家族から宣教師の生命を預かります。 余談ですが生命保険にも入ると聞きました。 そして大管長会が宣教師を家族から預かった以上、全責任を負うそうです。 震災の結果、大管長会が責任を負いきれないと判断した場合、宣教師を本人の意思とは全く関係なく安全な場所に退避させるそうです。その命令は絶対服従なんだそうです。 宣教師の中にはこのまま留まり、命をかけて、万が一のことがあっても死をいとわないという覚悟を持った人もいるでしょう。 しかし、本人たちの意思とは関係なく、大管長会の判断で異動させられると聞きました。 彼ら宣教師が悪いわけではありません。 ここからはまた聞きですが、大管長会はこのような緊急避難措置を取った後、安全性を再確認し、一時異動させた宣教師の大部分を元の被災地に再赴任させたようです。 僕個人としては、巨大組織運営とリスク管理、博愛の精神のバランスをとった上層部の最善の行動・判断だったと思います。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
どの教派の人はどういう考えでどう行動するかは自由でしょ。それが正しいと判断すれば公表もするでしょう。 一方でそれに反対の意見があるのも自由。 自分は反対だからと言って、公表したことに異議を唱えるのは、反対派だからとしか言いようがありません。 公表すること自体が不謹慎でもなんでもない。要するにそれを受け止める人個人の評価だけです。 私の妻の知人のご両親は大震災に遭いながらも踏み留まってモルモン教ではないですけど教会活動を維持しています。妻の友人、つまり踏みとどまっている牧師さんのお子さんはそれを支援しながら、自らも何度も赴いて活動をされていますし、我が家をはじめ多くの友人が僅かながらですが助力しています。 踏みとどまるも意思ならば避けるのも意思、そこの正邪の区別などありません。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
宗教家の多くは、職業として宗教家を選んでいる だけです。 心の底から、神の教えを信じ、実践していこう なんて人は極めて少数派です。 彼らに、そんなことを期待するのは酷というものです。
- e_16
- ベストアンサー率19% (847/4388)
>避難することは勝手です。自由です。そのことに対してどうこう言うことはできないと思っています じゃあ >宣教師が逃げてどうするのでしょうか? と疑問にするなよ。 自己矛盾を人に問いても答えは出ないよ。
- Epsilon03
- ベストアンサー率24% (868/3495)
被災地にとってはその様な人達に入られても迷惑ですね。 質問者殿も質問文に書いて居られるではないですか、『沢山の人々が財産を失い、家族を失い、失意の中懸命に耐えていたこと』と。 質問者殿は被災直後の被災地や被災者をテレビや新聞などで見た程度で実際を知らないからその様な事を書けるのでしょう。 現実を間近で知っていればその様な事は書けませんよ。 と回答している私自身は幸い被災はしませんでしたが、直ぐ目の前まで津波が来ていますし、直ぐ側まで被災していますので目の逸らしようの無い状況下に居ましたから、何をすれば良いのか判らない様な宣教師に入って来られても迷惑でしかありません。
- tsline
- ベストアンサー率21% (275/1260)
福島を例外にしちゃいけないね。「命を賭けてでも・・・」と矛盾しますよ。 ・・・・で結局質問は何なんだろうか?