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キリシタン弾圧で拷問を受けた人々について

(1)キリスト教の宣教師派遣の際には商人たちが同行するのが常で、その利益のうちいくらかは教会に還元されるシステムになっていたと聞きます。 (2)1586年、豊臣秀吉は九州に出兵し、住民の強制的なキリスト教への改宗・神社仏閣の破壊・ポルトガル人が日本人を奴隷として売買しているという事実を知ります。 このとき長崎はイエズス会の所領になっていたともいいます。 このため秀吉はバテレン追放令を出しました。 (3)1612年、江戸幕府は禁教令を出しました。カトリック教国の植民地政策を排除するのが目的でした。 (4)1622年、元和の大殉教で、幕府はイエズス会司祭や日本人信者など55名を処刑しています。 (5)島原城主の松倉重政は三代将軍徳川家光に呼び出され、「キリシタンの対応が甘い」と注意を受け、キリシタンに拷問を行うようになりました。 (6)1637年に島原の乱がおこりますが、このとき一揆軍は寺社への放火、僧侶の殺害などを行っているようです。 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-386.html (2)秀吉がバテレン追放令を出した理由(強制的なキリスト教への改宗・神社仏閣の破壊・日本人を奴隷として売買した) (6)島原の乱で一揆軍が寺社への放火、僧侶の殺害などを行った。 (2)(6)とはわけて、(4)元和の大殉教(5)松倉重政のキリシタン拷問 を考えてください。((2)(6)と(4)(5)を混同しないでください。) (4)元和の大殉教(5)松倉重政のキリシタン拷問で拷問を受けた人々は、放火や僧侶殺害のような悪いことをしたから、拷問を受けたのでしょうか? ソースなども提示いただけるとありがたいです。

noname#234227
noname#234227
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みんなの回答

  • tak7171
  • ベストアンサー率40% (77/192)
回答No.3

>(4)元和の大殉教(5)松倉重政のキリシタン拷問で拷問を受けた人々は、放火や僧侶殺害のような悪いことをしたから、拷問を受けたのでしょうか? 元和の大殉教は、幕府の禁教令に従わずに出国しなかったポルトガル人宣教師とその関係者・日本人信者を処刑したもので、禁教令に従わなかったために拷問されたのでしょう。 松倉重政・勝家及び寺沢広高・堅高が行った拷問は、改宗しなかったキリシタンへの弾圧もありましたが、苛斂誅求を行っていたため、年貢を収められなかった農民に対しての罰と脅しのためかと思います。島原の乱の舞台となった松倉や寺沢の領地は痩せ地で不作の年も多かったそうで、松倉は4万石程度の石高にも関わらず幕府に10万石の普請を願い出、その奇特を賞されて6万石に加増されましたが、その負担は全て領民にかかることになりました。松倉領内の苛斂誅求ぐあいは「鍋島勝茂公譜」やオランダ商館長ニコラス・クーケバッケルの日記等に記されています。 また、天草地方の寺沢領は、島原の乱後、幕府の直轄領となりましたが、赴任した代官鈴木重成が調査したところ、4万石とされた石高が実際にはその半分の収量しかなく、年貢の減免を求めて自刃したほどの痩せ地。実際の収量の倍の年貢を求めては当然重税になり、年貢を収められない場合は拷問、と、松倉と同様なことかと思います。 >放火や僧侶殺害のような悪いことをしたから、拷問を受けたのでしょうか? 一揆が寺社を襲い、僧侶や神主を殺したのは乱勃発後です。拷問されたのは上記の状況が原因であって、質問者様のおっしゃることは順序が逆かと思います。彼らはキリシタンにとっては唾棄すべき異教徒であり、幕府や藩による改宗強制の手先になっていたため、その憎しみが集中したためかと思われます。

noname#234227
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 一揆が寺社を襲い、僧侶や神主を殺したのは乱勃発後です。拷問されたのは上記の状況が原因であって、質問者様のおっしゃることは順序が逆かと思います。 はい、そのとおりです。 (1)~(6)の番号は、一応年代順に並べたつもりです。 (5)の松倉重政のキリシタン拷問のあとに、(6)1637年の島原の乱 ですね。 順序は逆にとらえてはいません。 質問の仕方が悪かったかもしれません。 >幕府の禁教令に従わずに出国しなかったポルトガル人宣教師とその関係者・日本人信者を処刑したもので、禁教令に従わなかったために拷問されたのでしょう。 ウィキペディアなどを読んでもそう書いてありますね。 彼らはただ禁教令に従わなかったというだけで処刑されたのでしょうか。 日本人を奴隷として売買したり、寺社を破壊したりということはなかったのですね? >松倉重政・勝家及び寺沢広高・堅高が行った拷問は、改宗しなかったキリシタンへの弾圧もありましたが、苛斂誅求を行っていたため、年貢を収められなかった農民に対しての罰と脅しのためかと思います。 こちらもウィキペディアに同様の内容が記されていました。 このうち、キリシタンへの弾圧についてですが、彼らも単にキリスト教を信仰していたというだけで拷問を受けたのでしょうか。 他に寺社に放火をした、僧侶を殺害したというようなことがあったから、拷問を受けたということではないのですね? 先日ある人と話をしていたら、「元和の大殉教、松倉重政のキリシタン拷問は彼らが日本人を奴隷として売買したり、寺社に放火したりしているので自業自得」というようなことを言われたので、本当なのだろうか ひとりひとりの具体的な拷問にいたる経緯を知りたいと思いました。 説明が下手ですいません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32959)
回答No.2

宗教弾圧だと思うから、考えがややこしくなるのだと思います。これが反乱だったり、反乱扇動罪あるいは反政府活動だったらどうなのかって話です。 反政府活動家に対して激しい拷問が行われるのは、戦前や戦中の特高警察などでも日常的に行われていました。「仲間をどこに匿った。吐け、吐くんだ!」なんてよくあるじゃないですか。 豊臣政権や徳川政権からすると、海外勢力であるバチカンのいうことを聞く(カトリックは上意下達の組織で、神の代理人である教皇の言葉は神の言葉に等しいとされていますので、命じられたらその命令は絶対です)キリシタンは反政府勢力に等しいものです。 謀反を起こして弾圧されたら、見せしめの処刑をされるのも「ベロだしチョンマ」などでお約束ですよね。キリシタンは「秀吉や家康の命令を聞くか、それともバチカン(キリスト教)の命令を聞くか」って迫られたら「そりゃ神様の命令に決まっています」と答えるわけですから、殺すしかありません。 そしてそれが単なる反政府活動ならそれだけですが、こと宗教が絡むとなるとその宗教からすれば「これは宗教弾圧だ!」になるわけですし、処刑された人たちは「殉教者」になります。それはキリシタン弾圧だろうがISだろうがオウム真理教だろうが同じことです。オウムの信者からすれば、教祖麻原らは「その力を恐れた国家によって不当な宗教弾圧を受け、それに抗って殉教された」となるわけです。それこそ、キリスト教の教祖イエスその人が、弾圧を受けて処刑されていますよね。 宗教の信者は結束力がものすごく強いので、時の権力者からするとある指導者の下に鉄の結束を誇る集団というのはとても危険な存在ですから、それはしばしば弾圧になります。初期キリスト教もローマ帝国によって弾圧されましたし、天理教や創価学会も公権力からの規制を受けたときがありましたね。中国では法輪功というのがありました。それこそ戦国時代も織田信長がキリスト教を受け入れたのは経済的なメリットの他に、一向宗の反乱に非常に手を焼いたからでもあります。 そしてまた、権力者と手を握った宗教は、大変な恩恵を得ることにもなります。キリスト教福音派と呼ばれる人たちは、ブッシュ政権と密接な関係を持つことでアメリカ国内でも大きな影響力を持つようになりましたよね。

noname#234227
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >(4)元和の大殉教(5)松倉重政のキリシタン拷問で拷問を受けた人々は、放火や僧侶殺害のような悪いことをしたから、拷問を受けたのでしょうか? ↑は具体的な個々の拷問にいたる経緯を知りたい、という意味です。 言葉足らずでしたら、申し訳ありませんでした。

  • Osric
  • ベストアンサー率17% (280/1578)
回答No.1

高度な質問をされているので、私のちょっと違った見方を書かせて頂きます。 確かにキリスト教の弾圧で、宣教師を含め、多くの人が殺されました。勿論、残酷で罪深い事だと思います。 ただ、キリスト教の宣教師は、単に宗教を教えるだけで無く、西欧の意識も日本人に植え付けようとします。また、母国の宗教の影響力の強化も求めます。そこが日本の為政者の反発を招いたのでしょう。最近でもトルコでアメリカ人宗教家が、捕まっています。

noname#234227
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 >ただ、キリスト教の宣教師は、単に宗教を教えるだけで無く、西欧の意識も日本人に植え付けようとします。また、母国の宗教の影響力の強化も求めます。そこが日本の為政者の反発を招いたのでしょう。 そうですね、私も当時の西欧諸国は、日本の植民地化を考えていたと思います。 ですから、秀吉や江戸幕府が禁教令を出したのは当然のことだと思います。 ヨーロッパ諸国が日本人を奴隷として売買していたのは、たいへん惨酷なことです。 そういうことをした人が、罰せられるのは仕方がない部分があると思います。 そこで、(4)元和の大殉教(5)松倉重政のキリシタン拷問などで、どういった人々が処刑になったり拷問を受けたのかというのが気になってくるのです。 (4)元和の大殉教では、女性や子供も大勢処刑されています。 宣教師をかくまっていたという罪で処刑されたそうですが その宣教師は何か悪いことをしたのか。 宣教師が悪いことをしたなら、時代的にいって処刑やむなし、といえるかもしれません。 しかし、かくまっていた女や子供にまで罪があったのかどうか? また松倉重政のキリシタン拷問を受けた人は、何か悪いことをしたのか。 ただ純粋にキリスト教を信仰していた人はいなかったのか。 そのような疑問があり、ネットでぐぐってみましたがよくわからないのです。

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