• ベストアンサー

法華経の文献学

NemurinekoNyaの回答

回答No.3

No1のお礼の質問への回答です。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ どんな人たちが法華経のグループになったのか? ~~~~~~ No2で紹介した岩本裕 仏教入門 中公新書には、 ~~~~~~  『法華経』を読むと、まず、相当に迫害された事実が知られる。第十二章「忍耐』の章(『妙法蓮華経』では第十三「観持品」)の最後に、次のように記される(原本は詩形であるが、ここでは意味をとって散文体に記す)。 「われわれは、ブッダがなくなられた後の怖ろしい世に、この最高の経典(『法華経』)を宣揚しよう。そしり罵られようと、脅かされようと、また杖を振り上げられようと、われわれは愚かな輩のあらゆる迫害を耐え忍ぼう。愚かな理性をもち、不正直で、意地悪い心を持つ高慢な輩、美食にあこがれたり、家や財産のことばかり考えている輩、われわれのことを「利益と尊敬とを得ようとして、自分勝手な経典(『法華経』をさす)を編纂した」と、非難するだろう。われわれが外道の(佛教徒以外の者)の言葉を語ると、王・王子・大臣・バラモン・長者などに向かって非難しよう。しかし、われわれはブッダを尊敬する気持ちから、どんなことでも耐え忍ぼう。われわれは身体も生命も惜しまない。僧院から追われ、数々の悪口を色々と言われようとも、われわれは悲鳴をあげずに、顔をしかめながらも、何度でも耐え忍ぼう。……」 と繰り返して迫害に耐える決意を述べる。それと同時に、『法華経』を信じない輩がどのように悲惨なものであるか繰り返し述べている。たとえば、第三章「たとえ」の章に 「〔『法華経』に説かれた〕勝れたさとりを嫌う人々は皮膚に腫瘍が生じたり、疥癬に罹るだろう。頭の髪が抜けたり、痩せ衰えよう。駱駝や驢馬になって荷物を運ばされ、鞭や棒で叩かれようし、片目で醜い犬となって村の子供から土塊を投げつけられよう。たとい人間に生まれ変わっても、不具者・癈疾者となり、どんな薬も効かない病気に罹って、癒ることはないだろう。……」 などと述べ、「この経典を捨て去る者の災難を数え上げるとすれば、いくら数えても最後に達しないだろう」という。この脅しの言葉はまさにインフェリオリティ・コンプレックスの表現そのものであり、あたかも小児が竹棒を持って強がりを言うのに類するといっても言い過ぎではない。『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体によって受け継がれていることは、よく知られていることである。  さて、『法華経』に見られる迫害と、それに対する脅迫の羅列は何を意味するであろうか。『法華経』を生み出した教団ないし団体が弱小であり、さまざまな迫害にさらされたということである。そして、前にも述べたように、この教団は後にデーヴァダッタの一派と連繋したと考えられる。このような事情を考えると、このような弱小教団は他にも数多くあったと考えて差し支えないであろう。これらの弱小教団は単に上座部一派のように修道団的な自利のみを目的としていては、伝統的な力を持つ彼らに対抗することはできない。そこで、自己防衛手段として自利の他に利他をうち出し、教勢の拡張を図ったのではなかったかと思われる。こうした手段が佛教を宗教として育成させ、伝道宗教として発展させることになったと言わざるをえない。 ~~~~~~ とあります。 デーヴァダッタ教団と法華経との関係については ~~~~~~  しかし、これは佛教のいわば正統派の伝えるところであるから、そのまま受け取れない。デーヴァダッタの一派はそののちも永く続き、5世紀に中国の法顕がインド旅行をしたとき、ベンガル地方にこの一派がおり、特殊な信仰を持っていたと伝えている。また、7世紀に中国の玄奘も、この一派が独自な戒律を保っていたことを伝えている。  デーヴァダッタの一派はいわば佛教の異端であり、デーヴァダッタはその開祖なのであるが、彼について後代の経典に興味ある記事が見られる。彼はブッダに反逆したのであるから、ブッダから見れば彼は異端であり敵対者である。それにもかかわらず、ブッダがデーヴァダッタに感謝したというのである。『法華経』を見ると、ブッダが 「僧たちよ、デーヴァダッタは実に余の善き友人である。そして、デーヴァダッタのお陰で、余は六波羅蜜を完成したのであり、大きな慈しみ、大きな憐れみ、大きな喜び、大きな根気、ブッダとしての種々の特性、偉大な神通力、十方における一切の生物を救う力、このすべてをデーヴァダッタのお陰で余は達成したのだ」 と語って、デーヴァダッタが遠い未来においてブッダになると予言したことが記されている。  この記事は『法華経』にあとから付け加えられた部分に見られるのであるが、元来は独立した経典であったと考えられている。この独立した経典はデーヴァダッタをブッダが讃嘆するという形式から見て、デーヴァダッタの一派と特別な関係がある、あるいはこの一派で作られた経典であると考えられよう。そして、それが「法華経』を生み出した教団と特殊な関係にあったのではないかと考えられるのである。しかし、そのほかのことがまったくわからないので、それ以上のことが言えないのは残念であるが、わが国ではあまり研究されていない『大宝積経』などが研究されると、インドの佛教史についていろいろ興味ある事実がわかるかもしれない。 と述べています。 ~~~~~~ と書いてあります。 どちらの記述も参考程度に。 正統的な仏教教団、異端的な教えを持つ人たちを殺害したり傷つけたりと、結構、ひどいことをやったらしいですよ。 世親は説一切有部の学説に対して少し批判的なことを倶舎論で書いたら、悟入尊者から「あなた、狙われちゃいますよ。今のうちに逃げた方がいい」とか言われ、カシミールから逃げたとかいう伝説もあるくらいなんで。 この伝説が本当であるかどうかは分かりませんが、こうしたことが実際に起きていたことだけは確かなんじゃないですかね~。般若経の六波羅蜜に《忍辱波羅蜜》ありますんでね~。こうしたことからも、初期般若経の作者集団は、結構、ひどいことをされたことが窺えるのではないでしょうか。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ なぜわざわざそういったことまで経典に書き残しているのか? ~~~~~~ 法華経を読むと、法華経の功徳と法華経を悪くいう人への仏罰(?)とは表裏一体の関係だからでしょう。 今でもそうでしょう、新興宗教やカルト的な宗教などでは、「この教えを信じると救われる。信じないと地獄行きだ」みたいな脅迫紛いなことを言って、入信させたりする。そして、この脅迫めいた部分は、信者脱退の抑止効果も合わせ持つ。 「この壷や印鑑を買うと。。。。」ってのもありますし。。。。

noname#195588
質問者

お礼

忍辱波羅蜜がそれまでの正当の仏教徒からの 弾圧、迫害に対する異端者の抵抗のことだったとすると 大乗仏教の起源のイメージが変わってきます。 分裂といっても、もっと穏やかなものだと思っていました。 仏塔崇拝がどうとか言われてますけど、 新しい思想に対して迫害や殺害まであったなんて 驚きです。 利他行や慈悲もそれまでの智慧に対する価値転倒、 奴隷道徳ではないのかなどと考えてみたり。 もしかして、大乗仏教は迫害されたもの、 虐げられたものたち、異端者たちの思想だったのかなあ。 まあ、どうしてそういう新しい思想が出てきたのか ということも問題でしょうけど。

関連するQ&A

  • 法華経

    うちの母方は『法華経』なのですがイマイチどういう宗教?なのか分かりません。 うちの母は『法華経だから!』と言って『法華経は鳥居をくぐれないから神社には行けない』とか『法華経はお守りをもたない』『法華経の神社はお賽銭箱はないの。お金をとらない。拝む時は手を叩いたらダメ』とか言います。これは本当なのでしょうか? また、唱え方が『創価学会』と同じですが、『創価学会とは全く違う!』とか創価学会を毛嫌いして母は言います。 それは私も何となく分かりますが…どこが違うかよく分かりません。 旦那の所は、『南無阿弥陀仏』と唱える宗教?なのですが、その宗教(うちの父方も)を嫌います。 ちなみに、『法華経』を説明しても周りに知っている人がいません。 私も小さい頃から法華経を母から言われ唱え信じていますが…正直イマイチ分かってません…。 今さらなのですが、どなたかこんな無知な私に分かりやすく『法華経』を教えていただけないでしょうか?

  • 法華経が優れているのはなぜですか?

    法華経の価値を認めている方へ質問させてください。 法華経は,数ある経典の中でも優れていると聞いたことがありますが,どのような点で優れていると思いますか。 どうぞ宜しくお願いいたします。 なお,特定の宗教団体の宣伝や,中傷,法華経への非難の書き込みはご遠慮ください。 真摯なお答えのみ,お願いいたします。

  • 法華経

    縁あって法華経を勉強しています。 本は解説本や現代語訳など15冊以上は読みました。 皆さん、法華経に関して何か思う所ありましたらお聞かせいただけないでしょうか?

  • 法華経は何処がありがたいのか

    法華経は何処がありがたいのでしょうか? 心を打つ言葉一つないと思うのですが...。 法華宗の信者。創価学会の皆さん、どうでしょうか?

  • 法華経について

    日蓮上人を祖とする仏教宗派は法華経を唯一絶対の経典と位置づけておりそれ以外の経典は方便の教えであるから正直に捨てなさいと教えます。それが出来ないのであれば法華経を誹謗している事になるので死後阿鼻地獄に落ちると脅します。そして現代を末法の時代であると迷信染みた事を強調し釈尊に次ぐ本仏日蓮大聖人の言葉を素直に受け入れなさい。本門戒壇之大御本尊を拝みなさい。それこそが唯一の成仏への道であると説きます。 非常に狭い物の見方であり危険だと思います。これではまるで釈尊は絶対神で日蓮上人は預言者、法華経は聖書みたいです。 これが中道を重んじられたお釈迦様のお言葉を綴った経典とはとても思えません。 お釈迦様は無宗教者で理論的思考の持ち主だったそうですが法華経を見る限りとてもそうは思えません。何やら分からない不思議な力や祟りがあると書かれており疑問に感じます。 それでは法華経を支持している天台宗や曹洞宗はその昔なぜ摂受だの折伏だのと騒がなかったのでしょうか?日蓮上人だけが暴走してしまったのでしょうか? 南岳大師や天台大師、日本の伝教大師は法華経至上主義を説かなかったのはなぜでしょうか? 弘法大師は法華経を第三位に位置づけて華厳経を理解する前に理解するように説かれたそうで尊んでいたことは間違いないですが最高の教えとまでは言っていません。 また仏典研究をよくしていた南都六宗は法華経をどのように解釈していたのでしょうか? 不思議でなりません。

  • 法華経?

    法華経を唱えれば誰でもが救われると教えた人物は〇〇〇〇です。教えて下さいませ?

  • 法華経

    よろしくお願いいたします。 ほー、法華経、なんちて。 「外」より、「内」を、重視したのですか?

  • 法華経の根本的な矛盾について

    法華経の根本的な矛盾について 私は最近、法華経全巻を現代文で通読してみました。しかしこの法華経の中で法華経自身が語られるという矛盾について、全く納得ができませんでした。お経や読物としての良し悪し以前に、この矛盾は根本的な問題だと感じました。この矛盾に対し、法華経を支持する立場からの論理的な解説などはあるのでしょうか? 現に私たちが手に取り読んでいる法華経を、現・法華経とし、その現・法華経の中に記され語られている法華経を、記・法華経とすれば、これらは明らかに現・法華経≠記・法華経となります。しかし現・法華経において、この≠な関係は曖昧であり、むしろ=な関係であるかのように記述されており、これは法華経の根本的な矛盾だと思いました。現・法華経=記・法華経という関係はあり得ませんから。なので、この矛盾を解明した論説などがありましたら知りたく思います。 Yahoo知恵袋でも同様の質問をしてみましたが、あまり意を得たご回答を頂けませんでしたので、質問の内容を若干あらためまして、失礼ながらこちらでもお願いいたします。   

  • 法華経・・・色んな内容があると思いますが

    法華経・・・色んな内容があると思いますが、 その要旨の代表的なもの、数個教えてください。 法華経を信じなかったり誹謗したりすると身体に障害が出る、法華経を国教化しないと国が滅ぶ、などでしょうか。 しかし↑これも内容ではないので、肝心の「内容」を教えてください。 ちなみにココ http://okwave.jp/qa/q7617671.html を見ると、 自己啓発のような内容です。 これを否定はしませんが、仏教とは違いますね。(笑) ※法華経のどのお経のどの部分に何が書いてあるか、原文と訳をお願いします。

  • 法華経を知りたい

    法華経を深く知りたいのですが、どこから手を付けて良いのかわかりません。 入門書などで、おすすめのものがありましたら、ぜひ紹介してください。