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共依存症について

共依存症とは、アルコール依存症だったり、薬物依存症の患者と共に生活している家族が、陥りやすい心の病のことですが、アルコール依存とか薬物依存ではなくても、たとえば、すごくわがままな人や暴力的な人、言葉が喧嘩ごしだったりする場合、相手に振り回されて、自分を見失い、自分の意見が通らない場合にもなるとおもうのですが、共依存症とはいえなくても、少なからず、生活していると、相手に振り回されやすいタイプの人は、相手に困らされていると思いやすいのですが、実際は、自分の方が、本心を言っていないこともあると思っています。自覚を持ったとしても、自分の心の中の症状は重い感じがします。自分の意見を言っても自分の声が小さいわけでもないし、相手の耳が悪いわけでもないのです。相手がこちらに対して、無関心なだけなこともわかっています。少しの説明で理解できないかもしれないですが、このような経験があった方、どうやって乗り越えたか教えてください。参考にして実行しようと思います。

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  • ynyn
  • ベストアンサー率62% (5/8)
回答No.4

こんにちは。cutclipさんの補足やお礼のコメントを見ていますと、すでに色々な事を知識としてお持ちで、ご自身のことも客観的にこういう状態だ、と認識していらっしゃるように感じます。 >知識ばかり増えて・・・頭でっかちになっちゃったけれど。 と書いておられるように、ご自身が満たされない分、知識で埋めようとしていることもお気付きかと思います。 しかし、この知識依存もとても厄介なものです。今cutclipさんの状態と言うのは、ある意味で本の中に書いてある内容を頭(思考)で理解しており、沢山知っている分、今の自分の現状と比較し、「まだまだ私ってダメね」と自ら追い込んでいる状態ですね。 「揺るぎない自分、自己信頼、というものが確立されれば、人や何かに依存して、満たしてもらうというパターンから解放されることが出来る」ということも多分知識的には十分知っていらっしゃるとも思うのですが、現実の行動では、逆へ逆へ、いわゆる自分で自分を攻撃してさらに自分を分離感へと追い込んでいるようにも感じられます。 ほとんどの方が自分で自分を追い込んでいます。 それをまずは止めてみると良いと思います。 どれだけ表面的に理想の自分になろうとしても、『怒りや恐れ、不安、苦しみ、悲しみ』は確実に自分の中にあるんだ。と言う事実と現実を受け入れてあげることです。これらを否定することは、自分の一部を否定しているのとまったく同じ事です。 自分を否定している人は、自分の中に欠けを感じます。そしてその部分を人と関わったりすることでどうにか埋めようとしたりします。 また、その欠けの元となった怒りなどのキッカケをつくった相手や対象のものに対して、責任の転嫁をしようとするのです。 これが依存のしくみです。 大切なのは『怒りや恐れ、不安、苦しみ、悲しみ』は自分の中にあっても良いんだ。と存在を認めてあげることです。消さなければならないものなんて一切存在しません。全部必要として存在しています。 しかし「自己否定をしないで、全部認めてあげて。」と言っても、それもまた頭だけで理解しようとすると、今度は、「まだ自己否定をしてしまう自分がいる」と責めはじめて、もとのパターンにもどってしまいます。 そんな時は、思い切って「まだ自分を裁き、責めている私がいる。思い通りじゃない私が居る。共依存の私が居る。でもそれでもいいじゃないか!これが私の現実なんだし。それでも私だけは、私を裏切らずに見守っていてあげよう」という大らかな気持ちで自分自身を包み込んであげてください。 自分自身を自分で満たしてあげること、誰に認めてもらえなくても、自分だけは自分を受け入れてあげることが、共依存からの解放に繋がります。 プロの方にキッカケを作ってもらうのも良いと思います。 が、「私が治してあげますよ、癒してあげますよ」的なところは、また依存関係になりやすいので、しっかりと自分の体験を通して自分と向き合わせてくれるところが良いと思います。 参考になるか分かりませんが・・・ http://www.la-sophia.co.jp/

参考URL:
http://www.ilukanchi.com/
cutclip
質問者

お礼

ありがとうございました。 >自分自身を自分で満たしてあげること、誰に認めてもらえなくても、自分だけは自分を受け入れてあげる。 こういう時って、時々あります。するとすごく気が楽になるという経験もしました。 自分で自分を癒す。そんな感じです。 これを少しづつ繰り返していこうと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#2140
noname#2140
回答No.3

私も自分が供依存のように感じています。私の家は父が勝手な性格ということもあり、私は母とお互い助け合ったり 慰めあったりして育ってきたように思います。一卵性親娘 という言葉にも近いかもしれません。社会人になっても、家が自営のため手伝いをしています。外に勤めた時期が短かったのですが、そのころに「供依存」かもしれないと自覚しました。自分に当てはめて考えれば、外の世界を広げて、友達付き合いや趣味や他に夢中になれる物を探してみることは良いことだと思います。参考になるかどうか分かりませんが講談社+α文庫というシリーズから出ている「いつだって誰かがいてくれる、スヌーピーたちは無理をしないで生きている」A.J.ツワルスキー著/笹野洋子訳を読んでみると何か分かるかもしれません。ツワルスキー氏はアメリカで有名な精神科医です。

cutclip
質問者

お礼

ありがとうございます。やっぱり本を読むと言うことですね。本も読みあさり、知識ばかり増えて・・・頭でっかちになっちゃったけれど。結局自分を変えるしかなことにつきますか。。。 自分の主張が通らないと、身体を震わせて、顔は引きつり、すごい形相で怒鳴る主人に困っていました。そんな時、共依存ということを知りその本を買って読み、こんなことが書いてありました。『自分を見つめることの「おそれ」を他者に投影し、他者への「おそれ」が生まれ、そこに他者からつけ込まれるという隙が生じる。最も根っこにあるのは、自分の権利を守るすべを知らない悲しみである。そうであるからその回復には、自分の存在が守られるべきものであること、自分の権利は守られるべきであり、同じように人の権利を守られるべきであるという信念を、自分のなかで育てていくことが求められるのである。』と書いてありました。 自分の姿がそのまま書いてあるようで、「私はもっと相手に怒ってもいいのだ、怒るべきだ」と行動しました。 相手も実は、恐れや不安、自信のなさに憤慨しているのだと気づきました。自分の中の否定的な感情は自分で処理するしかないのに、相手が怒らせたと言う自分の信念が違っている事に気づくまで、時間がかかりそうです。 お互いに長い間積み重ねてきた信念はそう簡単に変えることはできないのですね。私の父は、優しい人で怒るということを知らない人でしたから、怒鳴りつけられるという私の経験がなかったために、私に「怒ることは悪いこと」という信念ができあがっていました。今、自分の子供を叱ることができない親が多いと聞きます。どこで叱ったらよいのかわからないから 主人も大人になりきれない子供、どこで叱るべきか、私への勉強の機会を与えてくれた人なのかもしれません。 ゆっくりと自分が自分を育てていこうと思います。

  • kojo
  • ベストアンサー率28% (69/238)
回答No.2

この質問に少し興味があったのでチェックしていたのですが、あまり回答がないようなのでお邪魔致します。 全くの素人意見ですが御了承ください。 質問内容が少し抽象的なので解りにくい部分もありますが、言おうとしている事、ニュアンスは多少伝わってきますが、とても難しい問題だと思います。 たとえ“私はこうして乗り越えた…”というような回答、アドバイスが来て実行してみても、cutclipさんにも適した方法なのか分かりませんし、そういったことはケースバイケースで人それぞれ適した方法が必要ではないかと思ったりします。 cutclipさんはご自分の受け止め方に問題があると、どうやってさらっと受け流すことが出来るかとおっしゃっていますが、なかなか人は簡単に変われませんし、cutclipさんの感受性を変えようとしても難しいと思います。頭でこうしようと思っても、心がついてゆかなかったり…しませんか?それにはゆるぎない自分を持つこと、他人に影響されない本当の自分を持つことではないかと思うのですが、これもまた簡単には手に入らないように思います。 今は精神世界に対する関心が強まっている時代だと思うのですが、沢山の人がゆるぎない自分・本当の自分を見出そうとしているように思います。そしてその方法も宗教だったり、瞑想だったり、呼吸法だったり…と人それぞれだと思いますし、自分で探してゆく他ないと思います。 本屋さんに行けば沢山の精神世界に関する本が並べられてますし、ちまたではセッションなどが沢山行われていると思います。カウンセリングやセラピーを受けてみるのも良いかも知れません。 まずは色々な本を読んでみるというのはどうでしょうか。 金井系一郎の「すべてを受け入れて自由になる」という本はオススメです。 全然アドバイスになっておらず申し訳ないですが URLも参考にしてみてください。 http://mentalclinic.com/ http://www.tku.ac.jp/~takaira/HP/book/kyoizon.html

参考URL:
http://members.tripod.co.jp/OfficeGen/new_page_11.htm
cutclip
質問者

お礼

ありがとうございます。回答を楽しみに何度もみていたのですが、質問の内容があいまいなので質問を取り消すことできるのかなと思ってきてみましたら。私が伝えたかったことをkojoさんにはよく理解していただいて、うれしかったです。 『共依存症いつも他人に振り回される人たち』という本を読んで共依存という言葉を知りました。 人間って、都合のいいことはいつでも受け入れることができますが、嫌なことはなかなか受け入にくいから・・・ 金井系一郎の「すべてを受け入れて自由になる」という本を読んでみます。

  • kaochan
  • ベストアンサー率2% (1/34)
回答No.1

 実は私の長男にも当てはまる質問なので、ビクッとしました。情緒障害を持っている為に、自分を見失うことも多く、パニックに陥ります。自分の判断でやったことが、失敗に終わったり、認められなかったりすると、自慰行為といって、自分を拳骨で叩いたり…  そんな時には、距離を置いて、また、時間を置いて、気分転換をすることでしょうか。  また、折に触れて「あの時は、どうしたの。」と、きいてみたり、「この間はこうしたかったんだ.」と、言ってみてはどうでしょうか.  私の場合は、乳児の定期検診の時に、終わるたびに、大声を出して泣きました.そして、日記にあらん限りを書きまくりました。それから、何でも話を聞いてくれる友達を持つことでしょう.それも、、全部聞き終わるまで黙って聞いてくれる人を…

cutclip
質問者

補足

インターネットって、ほんとに情報の早さに思わず、驚きます。午前中に投稿した返事が食事をしている間に届いていて、アドバイスうれしく思います。 私の知り合いに、自閉症児を育てている方が見えるのですが、どう接してよいのか、お母さんまでパニックになると言ってました。その方のご主人は子供や奥さんに対して関心がなく自分のことだけで奥さんの支えになってはくれないそうで、一人で頑張っては見えるのですが結局は支えになってくれる人が誰でもほしいと思いますね。 私の場合は少し違っていて、きっと、私の受け止め方に原因があるのではないかと思っています。相手は姑だったり、ご主人だったり、会社の上司だったりと、一般の誰にでもある人間関係をどうやってさらっと受け流すことができるか。ということと、私の話を全部聞き終わるまで黙って聞いてくれると思っていた(期待した)人が実は、私に甘えた人だと気がついて、お互いが自立した大人になっていく方法が欲しいのです。お互いが愛着し過ぎて窮屈なのです。

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