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肉食系について

よくわからないので教えてください 1 自分の事を肉食系と言う人はどんな人ですか? 2 肉食系男子のイメ-ジが私自身よくないので、たとえば、たらしとか遊び人なのですがどうなんですか? 3 肉食系が草食系に変わることはありますか? 4 肉食系男子と恋愛経験なしの女性との相性はどうですか 5 もし(仮定)2人で会うことになったら気をつけることはありますか? 肉食系男子という意味もあまりわからないのでお聞きします ちなみに、同じ年の学生同士です わたしは好意を持っています

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noname#240995
noname#240995
回答No.1

1 恋愛とかに対して積極的な人を肉食系って言うんじゃなかったかな 2 たらしとか遊び人の人も含まれているだろうけど必ずしもそうではないと思います 3 少なからずあると思います 4 重点を置くべき点はそこではないと思うのでそんなに気にすることではないと思います 5 よっぽど悪いうわさとかを聞いていないのであれば特に気をつけることもないと思います 

noname#177448
質問者

お礼

回答ありがとうございます 参考になりました

その他の回答 (3)

回答No.4

わたしの思う肉食系男子は、良く言えば引っ張ってくれる人。 悪く言えば強引な人って思います。 そして肉食系の人も草食系の人も、その人の基本的な性質なので、よほどのことがない限り変わることはないですね。 わたしもそうですが、女って安全な人よりも、ちょっと危険な人に惹かれちゃいますよね。 もしそのお相手が、あなたの思う肉食系の遊び人タイプなら、会わない方がいいかもしれません・・・

noname#177448
質問者

お礼

女性から優しい回答ありがとうございました 参考にさせて頂きます

  • st1315
  • ベストアンサー率20% (9/43)
回答No.3

肉食系男子ってしっかりと男らしく自分の気持ちを伝えられる男って感じがします。 あと、恋愛に対して前向きで女性の事が気になる事をアピールする人種のイメージです。

noname#177448
質問者

お礼

回答ありがとうございます 参考になりました

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

“肉食人種”とか“狩猟民族”という言葉がよく使われる。実に曖昧な用語であり、日本独特の思考パターンの象徴という気がしないでもない。いい加減な論理であるにもかかわらず、皆で楽しそうに、さもこれが当然の如く語るからだ。 言うまでもないが、この用語は、欧米人は“肉食人種”で日本人は“草食人種”という感覚で使われる。最近は、若い男を草食系と見なすこともあり、用法は色々ある。  これは間違った認識ではないか。  一つは原因と結果をまぜこぜにしている点。インド上流階級のベジタリアンを除けば、普通は裕福になれば肉を食べるもの。そうなるには、民族全体として相当な努力が必要だということで、積極的な性向であれば肉食できるようになりがちというに過ぎまい。ただ、世界的に見て裕福にもかかわらず日本が肉食にならないのは特殊な珍理的要因があることと、規制を設けて牛や豚の価格と高く設定しているから消費量が進まないだけのこと。牛丼やハンバーガー消費を見ればわかるが、安価ならとうの昔に肉の消費はもっと伸びていた筈である。  まあ、それは現代の話。  はなはだしい誤謬は、歴史的に欧米人を“肉食人種”あるいは、“狩猟民族”とみなす考え。どの国でも、気に喰わない輩を蔑視したくなると、文化の違いを持ち出すものだが、これは日本人が特殊な食文化に浸っていることを忘れさせるための潤色に近い。  と言うことで、ご説明しておこう。  ともかく誤解の大元は、西欧はもともと肉食文化だという決めつけ。  常識で考えれば、そんなことなどあり得まい。牛、羊、山羊、のどれをとっても産まれる子供は一匹。食料があり余る状態にならない限り、食肉型牧畜に踏み切れる訳がないではないか。  基本は乳食であるのは当たり前の話だ。肉食できるようになったのは、食料生産力が飛躍的に伸びた結果である。  実際、乳食感覚は現在まで引き継がれている。西欧料理の基本はバター調理。そして、上等な肉とは子羊や子牛だ。昔から、乳生産活動に不要な牡を食べていたから、その美味しさになれている訳だ。さらに、肉の煮込み料理が家庭料理として人気なのもわかる。もともと、乳が出なくなった廃雌牛は食用になっていたに違いないからだ。肉食はあくまでも例外的なごちそうだった筈である。  日本の肉食の最高峰は霜降り肉料理。油脂分がとてつもなく多い肉である。霜降り肉化させるためには、ヒトの食糧にもなる穀類を食べさせる必要があり、昔の西洋でそんな贅沢をするなど余程の余裕でもない限り考えられなかった筈。従って、しいて食べたいと考える人は例外的ではないか。  乳食人種なら、油脂分摂取は乳からとるバターが基本だ。余裕が生まれて肉食化しても、ラードの利用で十分ということになろう。ともかく、餌が人と競合しないからこその家畜という感覚は残っていると思われる。  実際、そんな習慣が米国人の肉の好みに残っていそうだ。肉の美味しさは、草食牛の肉の香りと感じる人は少なくないからである。   こう考えると、 日本人 こそ、遅れてやってきた正真正銘の 肉食人種 なのかも知れない。どのような肉をどう食べると一番美味しいか、とことん追求しているからだ。 そんな民族は他に見かけない。  こんな話をすると、西洋は羊を生贄にしており、日本にはそんな習慣などなく、これこそ正真正銘の肉食人種と言う人が必ず登場する。これはさらに間違った見方と言えよう。  日本の神に食物を供える行為と西洋の生贄を混同しているからだ。両者は水と油。共通点は無いと考えるべきもの。  日本の場合、お供えした品々を神と共に食べたり飲んだりする。神を喜ばせ、神と交流することで、そのお力を頂戴することに意味があるからだ。厳格な儀式になることもあるから、楽しいお祭でないものも少なくないが、天の岩戸の例もあり、大騒ぎして楽しんでも一向にかまわないのである。  生贄はそうはいかない。日本人的感覚からすれば凄惨な感じさえ与える儀式である。  旧約聖書創世記を読めば、日本の供物とは似ても似つかぬものであることがすぐにわかる。なにせ、アブラハムは、息子イサクを生贄として捧げる決意をするのだから。要するに、一番大切にしているものを神に捧げるのが生贄なのだ。自己犠牲あってこその生贄。アダムとイヴの息子アベルは羊飼い。一番大切なものだからこその、生贄としての羊ということ。  従って、儀式終了後、生贄を食べて楽しむのは本末転倒。自己犠牲の精神を示す必要があり、生贄の肉は焼却するのが正式なやり方だろう。後世になれば、一番大切なものが羊ではなくなったから、羊を捧げて皆で食べて楽しんめるようになったにすぎまい。  しかし、それなら“肉食人種”はいないかといえば、そんなことはない。多産型の動物の肉を食べる民族がいるからだ。  そう、哺乳類で言えば豚を飼う民族だ。紛れもなき肉食人種と言えよう。豚は食用以外に考えられないからだ。豚は10匹程度は産むから、食肉動物となるのである。  ご存知のように、ユダヤ教とイスラム教は豚肉食は禁忌。その理由は重層的なようではっきりしないが、肉食用家畜を嫌っていた可能性もあろう。ともあれ、聖書の民は豚肉食民族ではないのである。  そうそう、家畜化した鳥類を食べる民族も肉食人種と言えよう。鳥類の産卵数は半端ではないから、餌の効率が良いなら、肉の生産には最適である。現代でも、ブロイラーは、生まれてから肉として出荷するまで、ほとんど工場生産で行える。鳥類の肉食を始めた民族こそ、先頭を歩んだ肉食人種とは言えまいか。  それでは、どの民族が肉食人種と言えそうか考えてみよう。  それには、家畜の発祥地で見ればよい。これには、色々と説があるようだが、推定は以下のようなものが当たらずしも遠からずでは。    ・羊---メソポタミア小麦生産草原地区    ・山羊---上記周辺の山岳地帯    ・豚---揚子江流域の稲生産地区    ・鶏---東南アジアの芋生産地区    ・家鴨---黄河流域の粟・稗生産地区    ・瘤牛---インドの稲生産地区(南)と小麦生産地区(北)    ・牛---欧州の麦類生産地区    ・馬---南ロシア~中央アジア  砂漠のラクダ、アンデスのリャマ/アルパカ、ヤク、ロバと他にも色々あろうし、トウモロコシや雑穀食地域もあるが、この辺りで留めてもよかろう。  こうして並べてみれば、どう見たところで、肉食人種の発生は東アジアということになろう。そして、その肉食習慣は東アジア全域に広がったのは確か。その例外は日本だけ。  日本は食用家畜を毛嫌いしたのは間違いない。その理由を仏教伝来と考える人もいるが、他の仏教国にそんな風習は見られないからおそらく間違い。それに、肉食が当たり前になっても、内臓食は好かれないままというのも、不可思議である。鹿児島の黒豚料理は歴史があるようだが、お隣の沖縄が内臓料理だらけなのにもかかわらず、メニューには登場しない。家畜を殺した実感が湧かない肉なら喜んで食べるということなのだろうか。もっとも、住居の側で不浄な血を流したくはないという単純な話かも知れないが。  それは、古代の感覚であった可能性もありそう。なにせ、「礼記」では君子・大夫・士なら家畜を殺したりしないものとされているのだから。ただ、そう言いながら自分で屠殺しなかった家畜の肉は食べていたに違いない。日本ではそれはできなかったということか。     そうそう、日本は生贄は早くから廃止していたようである。ただ、血をみない人柱という形なら気にならなかったようだが。一方、中国は延々と生贄儀式を続けた。もともと、孔子がこの儀式が大好きだったからだろう。労役牛の子が生贄に選ばれることは名誉なことと、弟子に吹き込む位だから恐るべし。名称は同じでも、日本の儒教は教育だが、中国の儒教は生贄儀式まで含む宗教なのである。    こんなことを考え始めると、西欧を狩猟民族と呼ぶ表現がおかしいことに気付かされる。澱粉質の植物と、肉あるいは乳として蛋白質を供給する家畜飼育が組み合わさることで、文化的な生活が送れるようになるのである。そこで、ようやく狩猟生活から足を洗うことができる訳だ。  逆に日本の方がいつまでも狩猟を続けていたのでは。ずっと、蛋白源としての家畜を取り入れようとしなかったが、肉は食べていたのだから。だが、家畜飼育を否定した訳ではない。農耕用の牛馬や、時を告げる鶏は飼っていたのである。にもかかわらず、それを食料とすることは避け続けたのである。  それなら、肉食禁忌のベジタリアンと考えたくなるが、そうではない。そんな時期もあったがほんの一時にすぎない。鹿・猪・兎といった野獣や野鳥の肉は、大昔から大いに好まれてきたのである。 鶴の肉など絶品だったようである。 野生の動物を食べることについては、何の躊躇もなかったのは明らかだ。仏教からくる、屠殺回避とは違う理由で、家畜を食べなかったようなのだ。  

noname#177448
質問者

お礼

回答ありがとうございます いろいろわからないことを丁寧に書いて頂きました 読まさせていただき勉強になりました ベストアンサ-に選ばせて頂きたいほどなのですが・・・ また、今後ともよろしくします

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