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殺人禁忌の文化が根付いたのはいつ頃から?
sosdadaの回答
- sosdada
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鎌倉時代初期。 それまでは、刑法は、地方自治体や荘園任せでした。 言い換えれば、中央の統治がそこまで及ばない、 及ばせられないほど、奈良や京都から遠かった。 中央からいちいち裁判官を派遣して裁判できない、 文書をかける人がいない、 今も同じく、ムラの事情があって調書など作れない (物を取られたという人がいて、調書を作る段階で 「いやあ、あれはあげたんですよ。忘れてました」 と、ムラの中の力関係でコロコロ変わります。 そういうわけで、その土地任せでした 源平合戦は、その価値観を一変させました 内戦は、捕虜を奴隷として各地に移動させます つまり、文化交流が行われるのです 大規模なものでは、アレクサンドロス大王のマケドニア統一があります あまりにも多くの価値化や文化が交流し合った日本に、 統一価値観が生まれました それまで一般庶民に布教が禁じられていた というか 貴族のステイタスシンボルであった 「仏教」です 平安時代の仏教は 「この世でいっぱい功徳を積むと、死んでから極楽浄土へ行ける」 だったので、10円玉のデザインにもなっている 平等院鳳凰堂のようなテーマパークを作り、 それを功徳としていました。 源平合戦で東大寺まで焼かれたら、 そんな説など信じる人はいません 「みんなが信じられるフィクション」 が、受けました 比叡山延暦寺という「仏教の大学」を卒業した人が 「庶民への仏教布教禁止」をする政府がなくなったのをいいことに 全国を放浪して仏教を広めました。 まったく字も読めない、弥生時代と同じような原始人相手にです。 命がけです その教えの一つに 「むやみに殺生をしてはいけません」 があり、 これは仏陀の教え通りなのですが 「やたらと人を殺すのははいけません」 「なぜだ」 「死んでから地獄に落ちます。地獄はこんな苦しいところです」 (こんなこと、ブッダは一言も言ってはいない) 「殺していいのは何だ」 となったとき、よくわからない坊主が、適当に苦し紛れに 「毛の生えているのはヒトと同類です。むやみに殺してはいけません」 という、生命への差別ができました 坊主みんながみんな 琵琶法師ではなかったのです 結論 1250年頃。
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なるほど、仏教の普及で根付いた。 仏教はなぜ「むやみに殺生をしてはいけません」という教えに したんでしょうかね? 殺すことで苦痛を与えたり家族友人恋人 を悲しませるのはいけないと考えたのでしょうか? ありがとうございました。