• 締切済み

私はどんな家柄の娘ですか?

ふと思いましたので、質問させて頂きます。私の家は、南北朝時代に今川から別れた○○貞兼という武士が始まりということだそうです。私の姓は貞兼さんと同じで、本家(祖父の実家)は、貞兼さんが住んでいた浜名湖沿岸にあります。あと、わかっているのは、戦争中でも白米を食べていたこと、山や田畑を持っていたことです。本家の裏には古いお堂のようなものがあります。情報が少なく申し訳ございませんが、大体どの様な家柄なのでしょうか?エタ・非人でないことは確かなようですが。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 ♯6の方のご見識に対する補足として一言。 「卑賤身分」は必ずしも貧困層であるとは限りません。中世の「非人」とは「秩序としてのオオヤケ若しくはそれが作動する『公界』からの離脱した者」を総称する身分です。  例えば、山門で隔てられた寺院や鳥居で隔てられた神社に奉仕する供御人や神人などの形で商業活動に携わり利益を得ていた者もいます(この辺は今堀日吉神社文書や離宮八幡宮文書などにその足跡を知る事もできます)。  そして世俗(幕府や朝廷)と寺社を隔たるのが「坂(=境目)」であり、それは空間的な相違と同時に「秩序」や「観念」からの隔たりも意味する用語とし日本の中世史研究者の間で使われています。  また「穢れ」の対極にあるものは「聖なる者」であり、日本の社会構造を歴史的に説明する概念の一つでもあります。江戸時代の士農工商に対する卑賤身分のことではありません。士農工商の中に寺が含まれていないことにお気付きでしょうか。もしそれが含まれていないならば、それはなぜだ?と問うことも質問者様ご自身が質問に答える方途ともなりえますので、ご一考なさることをお勧めします。

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。ただ思い付いただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格から由来します。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 現行憲法下では「家柄」や「身分」には意味などありません。全ては「人品骨柄」卑しからぬ人、として個人が評価の対象となります。お間違えのないように。  また「苗字」が今川さんであってもそれが直ちに今川義元にまで遡るとはいえません。幕藩体制が崩壊しシンセ府(明治維新体制)になって以後、苗字を持つことは平民身分にも認められた「権利」でした。ここが「イエ社会」と「近代社会」の最大の相違点です。  戦時中でも白米を食べていた、このことは地方だったから可能だった事実であり、これが都市部では適わないことだったのは「物資が配給制だった」ことに起因します。身分の問題ではなく、生産地だったから可能であり、それが消費地だったから商品としての流通ではなく配給の形となっただけの問題です。  質問者様のご先祖は小作人ではなくとも恐らく名主クラスの方でしょうね。

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。私はただふと思い出して気になっただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳御座いませんでした。

noname#159327
noname#159327
回答No.6

No.4さんの回答にもある通り 江戸時代:農民 明治以降:平民 でしょう。 つまり,貴方は「お武家さんの家系ではない」と言う事です。 その根拠として,No.4さんが挙げた事の他に 「南北朝時代に云々」のくだりです。 「南北朝時代の○○氏(貴方の場合だと今川氏)から分かれた(○○氏の傍流として,○○氏を本家とし,等)」 というのが始まりにある家系図は,多くの場合 「『家系図・家系由来の作成屋』によって作り上げられた,架空のもの」 (但し,作成依頼者の親・祖父・曾祖父の代辺りは事実通りのもの) であるものなのです。 そして,そういった「架空の家系図・家系由来」は 「富農」「豪農」「地主」といった「裕福な農民階級」が 「自分達への箔付け(「ただの平民じゃないぞ!」という見栄)」 の為に求めました。 仮に「○○貞兼」当人は「武士」(とは言え「徒士」「郷士」「足軽」かも知れないが)だとしても 「その子孫(貴方の家)」が 「南北朝時代から引き続き,江戸時代に入っても武士階級だった」のであれば 「家臣として仕えた藩」と「○○家としての身分や石高」等も伝わっている筈です。 明治期までに「自らの意志で武士階級(明治以降なら士族)を退き,帰農した(商いについた,等)」場合は 正式な文書を届け願い出た後に許されるものなので そういった事情も伝わっている筈です。 そういった「江戸期」「明治期」等の 「古い家ならば,特別な家柄でなくても比較的古文書が残っている時期」 の家の身分・事情等が定かでなく 「南北朝時代」という 「江戸・明治期ですら,古文書も物品も限られたものしか残っておらず (大名家や公家,皇族,古刹などに於いて位と思われる) 現在一般人である家の開祖由来の真偽確認が困難な時期」 に「開祖(○○貞兼)が現れる」のは,如何にも「作り物」らしい。 そもそも 「江戸時代」「南北朝時代」という呼び方は後代に付けられた呼称。 「明治」が元号である様に 「江戸時代」にも様々な元号があり (慶応や安政,元禄等は良く知られている) 「南北朝時代」にも当然元号はある。 だから, 「○○(元号)二年」の様な記述・口伝で無く 「南北朝時代」という記述・口伝であるならば 「後の時代に作られた家系図・家系由来」 という可能性が非常に高いという事です。 (1)江戸時代に仕えた藩,身分,石高。 (2)江戸時代の先祖名も全て或いは複数或いは単一。 (1)(2)があれば,手間暇かかりますが「武家階級」として実在の人物かどうかは調べられます。 但し,「徒士」「郷士」「足軽」等の下級(事によると「武士」として看做されない)身分であれば,話は別です。     又,江戸時代の初期の帰農についてはNo.4さんの回答にある通りですが 中期以降に「武士でなくなった」場合だと 「(所謂)リストラ」 「不始末を起こし,家名断絶」 等「不名誉な事情」が考えられますが,貴方の家は山や田畑を持っていたそうなので,この線は薄いでしょう。 もしかすると 「武士だったが下級で,石高が低くて生活が苦しい」 「土地の豪農・地主の家に娘しかおらず,跡取り婿を求めていた」 「『食えない武士』より『食える農民』の方が遥かに良い」 という事で,「婿入りによって武→農」という家柄かも知れませんが どんなに困窮していても「名のある家」「身分なる武士」ならば (「身分」が高くても生活が苦しい武士は全国諸藩いくらでもいました) 「自分が死んで家名断絶」はまだしも 「自分がぬくぬくと生きる為に家名を捨てる」或いは 「息子・孫をぬくぬくと生かす為に家名を捨てさせる(武士でなく農民に婿入りさせる)」 というのは,当時の感覚では一寸あり得ない(皆無とは言わないが珍しい)でしょう。 ですから,「貴方の家柄」は 江戸時代:農民 明治以降:平民 現在・現代:一般市民 という,「ありふれた,何の特別性も無い,普通のもの」である可能性が極めて高いのです。 最後に,蛇足ですが。 「穢多」という存在・階層は中世~鎌倉時代に文書等に現れ 「非人」も鎌倉時代には既に存在している。 (「南北朝時代」と呼ばれる時期は,鎌倉時代後) そして「農業に従事している穢多」や 「裕福な穢多」という存在もある(これは,特殊業の占有や納税を免れている為か)。 明治時代「四民平等」で一緒くたに「平民」とされた事に不満を覚えた人々が 「以前は穢多・非人だった人々」を「新平民」として差別した事もあり 「旧来の身分・先祖を偽る・誤魔化す人々」 「平民だが,『我が家系は“武士”が開祖である(穢多・非人の流れは無い)』と言いたい人々」 等が「由緒正しい家系図・家系由来」を求め, 「それなりの・如何にもな家系図・家系由来を作成してあげる商売」が潤った。 こういう歴史・社会事情があります。 なので,貴方が >エタ・非人でないことは確かなようですが というのが「本当に確か」かどうかも,その根拠によると言えるのです。

noname#158122
質問者

お礼

ただ気になっただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳御座いません。有り難うございました。ハンネは自分の性格等からきております。

  • tacoru
  • ベストアンサー率38% (100/260)
回答No.5

武家の子孫にあたる家柄を旧家と言います。 ですから一般的に貴方は「旧家の息女」ということになります。 (お嬢様とは言いません。息女とは、身分ある人の娘に対し使います) 現在ではあまり厳しくはありませんが、少し前までは旧家では、家族が、いわゆるお客様に日常的に頭を下げる商売、販売等の職につくのを反対したり、学校などもそれなりの格を重んじ選んでいました。 貴方のご両親、また祖父母もそれなりの格を備え、お仕事、生活もそれなりでいらっしゃれば、貴方はまさに旧家出身ということです。 経済状況はもとより、まず格を重んじ、自らを律する家風、これが旧家が旧家たる所以です。

noname#158122
質問者

お礼

旧家ではございません。ふと気になっただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格に由来します。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

江戸時代 農民 明治以降 平民 1 江戸時代初期に兵農分離が進みます 兄弟で 兄が街に出て下級武士、弟が農家を継ぐというのはよくあるパターン。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%81%E6%BE%A4%E6%A6%AE%E4%B8%80 んで、豪農とか言われる。 といっても、村の有力者レベルです。渋沢家の事績がわかるのは渋沢栄一が出たから。 江戸時代 66,000くらい村があって、人口2,600万人とすると 400人くらい村の人口 家の数で 100軒くらい その中に有力農民というのが5~10くらいあったらしい。 ※ うちの実家は、「村で○○門」と屋号のある3軒の一つだ!と親に言われました。で、確かに江戸初期から400年くらい続いているのですが、まぁ濃度というか比率的には村の有力者(だったことがある)という程度。 2 戦争中の白米 これも親の話ですが農家ですので、普通に白米を食っていた。お弁当で街場の子がかぼちゃ飯を食っているのが羨ましいと思ったそうです。 歴史は都会で語られるので、 戦争中は“極楽”だった―記憶ファイル・村の1940年代 [単行本] 木村 哲人 (著) なんて 本もあります。 総合して言えるのは まぁ普通の家

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。ただ気になっただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格から由来します。

  • kentkun
  • ベストアンサー率35% (1106/3092)
回答No.3

あなたの家柄は 「エタ・非人でないことは確かなようですが。」と こういうサイトで堂々と書ける家柄の人です。

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。ただ気になっただけでして、嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格に由来します。

回答No.2

「家柄を語って、みんなが驚くほどの家柄ではない」 --という感じですね。 要するに「ごく普通の日本人」だってことです。

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。ふいに思い出して書き込んだ質問ですので深い意味等はございません。嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格から由来します。

  • k-863
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.1

元武士 明治以降 平民 一つ言える事は、「エタ・非人」だとか、そうでない事はどうでもよい事では? 元武士だろうが、そうでなかろうが現代社会においては特に意味はありません。 一番は、今のあなた自身です。

noname#158122
質問者

お礼

有り難うございました。ただ、ふいに思い出して書き込んだ質問ですので、深い意味はございません。嫌な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。ハンネは私の性格から由来します。

関連するQ&A