• 締切済み

すごく失礼な質問なのですが。。

私の母は、昔から、常識の無い人とか、ちょっと変わった人っていますよね・・ そんな人が現れたら、「あの人、違うんじゃないかな?(部落の人なんじゃないかな?)」と 言いました。 私は、部落のことがよく分からず(今でもよく分かってません)、 何でそんな差別する言い方をするのか、理解できませんでした。 未だに理解できません。 部落出身であろうとなかろうと、性格の変な人はいるだろうし、みんな同じ人間なのに、そこまで差別をする理由が分からなかったのです。 ネットで検索したりしても、「彼女が部落出身と分かった・・・結婚放棄したい」などと書き込んでいる人が居て、びっくりしました>< しかし最近、何故部落=変わった人になるのかと、疑問を持つようになりました。 でもこんなこと不謹慎すぎて誰にも聞けません。 なので、ここで質問させてもらうことにしたのですが・・・ 部落差別という言葉を聞いたことはありますが・・・なぜ、そこまで差別する必要があるんでしょう? 部落の人は、そんなに変わった人が多いのですか・・・? 良ければ教えてください。

みんなの回答

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1224/4399)
回答No.4

 変わった人 という言葉で思い出したことがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%9F  変わった=かわたという風な差別用語も、つい○十年前まで普通にありました。  明治時代に平民になったとはいえ、それまで受けてきた差別・・・いや、これは非常に難しい問題で、人の嫌がる仕事を一気に引き受ける立場の人は確かに差別されてきましたが、その階級の中でももちろんピラミッド型のようにヒエラルキーがあるのはわかりますね?いまでは同和利権などと言う言葉にかわってきていますが、たとえば大阪市職員の多くは、いわゆる被差別部落の出身の人です。  今は水洗トイレとなりましたが、大阪市内でも40年前まではほとんど汲み取りでした。今で言うところの環境局(清掃局)の仕事や、斎場管理(隠亡などと言う言葉もあります)、現代でも人の嫌がる仕事は優先的に被差別部落出身者が多いです。しかし、彼らは公務員なので被差別部落内でもエリートなんですね。今は民営化されましたが、郵便などのしごとにも多く携わっています。映画「おくりびと」のなかで広末演じる彼女が「おくりびと」の彼に対し「汚らわしい!」と言うセリフがありましたが、あんな感覚です。 また公務員ではないですが、家業として精肉屋、靴屋、カバン屋、太鼓製造業などの動物を扱う仕事に多く従事しているのも事実です。  40年くらい前までは普通に「勉強しなかったら、汲み取り屋かゴミ収集しか仕事がないで!」などと差別されてました。しかし、今思えば彼らは公務員です。最近大阪では公務員のいれずみ調査をしていましたが、環境局に多いっていうのも、大阪市民は口には出さないものの「やっぱりなぁ」って思ってしまうのも事実です。  なぜ「変わった人」と思うのかというと、やはり代々教育面にお金をかけられなかったこと。そして部落内での婚姻が多く、結果として血が濃くなって障がい者が生まれる確率がめちゃ多かったこと。 もちろん、その部落内のルール(冠婚葬祭)が一般とは違ったこと。  いろいろな理由が挙げられますが、親子孫くらいの3代くらいではなかなか現状が変わらないということです。「四民平等」と言う身分廃止制度は明治2年に行われましたが、まだ140年ほど過去の話です。我々の世代の4代5代前くらいでしょうか。間に戦争がありましたが、明治初年頃のお金持ちの家系は今でももちろんお金持ちです。貧乏人は今も尚余程のことがない限り貧乏人のままでうよね?  なのであと100年もすればずいぶん今とは違うでしょうが、結局は人の嫌がる仕事は当然残ります。その仕事を被差別部落に優先しない限り、ずっと差別は続くのかもしれません。

  • BODYCHANGE
  • ベストアンサー率21% (229/1053)
回答No.3

こんばんは。 なかなか社会の病理についての質問なので回答する側も責任重大ですね。 >部落の人は、そんなに変わった人が多いのですか・・・? もちろんそんな事はないでしょう。変わり者がいても、比率は非部落と同じでしょう。 昔、聞いた事あるのですが、怪しい記憶なので信憑性は自信ありません。 江戸時代くらいの士農工商の下に、「えた」「非人」という身分を作って「あいつらはお前たちより身分が下だぞ」と言い、抑圧的政治から目を逸らせたといいます。彼らは住む場所も自由にならず、決められた場所で、動物の死骸など人の嫌がる仕事に従事させられたそうです。その事から「穢れ意識」が生まれたのではないでしょうか? その意識が今まで続いていると私は考えます。結局彼らがどうこうではなく、人間の意識の問題ですよね。 >何故部落=変わった人になるのか? 私はこう考えます。 彼らは部落として差別されて来ました。意識としては、「私達は全うな人間だが、彼等はそうじゃない」。そこから発展して「彼等は私たちとは違う、得体が知れない。」となったのではないでしょうか?「得体が知れない→変わってる」と考える人もいるのではないのでしょうか? また部落の人と結婚すると「こちらも穢れる」と考える人もいるようです。 …私も歴史を勉強した訳ではなく、聞いた話を繋いで自分の考えも織り混ぜているので正しいかどうかはあまり自信がありません。真実をしりたいなら図書館か歴史書がみれる場所へ行くことをお勧めします。 まあ、いつの時代も人間は権力に溺れているんですよね。テストで点が悪くても「最下位」じゃなかったらホッとするもの。あの意識が暴走したものかも知れませんよ?「出世欲」も「人の上に立ちたい」という観点からすれば「絶対的に差別とは無縁だ」とも言い切れない気がします。 「出世欲」は人間の本能ですから…。 >でもこんなこと不謹慎すぎて誰にも聞けません。 「臭いものには蓋をしろ」よりかは健全だと思いますよ。質問者さんは純真なのですね。こういった「タブー的な問題」に触れる事も必要だと思います。 長文失礼しました。

  • pusai
  • ベストアンサー率38% (451/1162)
回答No.2

江戸時代の身分制度「士・農・工・ 商」をご存知ですか? 何故この身分制度では「農民」が「武士」に次いで偉いとされたのでしょうか? それは「農民」より下に「工・商」の2つの身分を作ることで、農民たちに「自分より下の奴が居る!」と思わせて不満を解消するためです。 さらに「士・農・工・ 商」の更に下に「非人」「穢多(えた)」という身分があり、農工商の身分の者たちの不満の解消対象とされました。 彼らの子孫が「部落出身」と呼ばれる人々です。 > なぜ、そこまで差別する必要があるんでしょう? 日本の教育の基本は「絶対評価」ではなく「相対評価」です。 その結果、日本人は兎にも角にも「自分より下の人間」を作りたがり、「自分より下の人間」が居ることで「自分は他人より優れている」と「己の自尊心を満足させる」傾向にあります。 「勝ち組・負け組」「大学名による学歴社会」「有名企業・下請け業者」・・・ しかし、どうにも「自分より下の人間」を作ることが上手くできない(他人より秀でた所がない)人間も居ます。 そういう人が最後にすがるのが、歴史的に「下の人間」と蔑まされる「非人」「穢多(えた)」部落の人間です。 例え自分になんら秀でた所がなかったとしても、彼らならば「自分より下の人間」と根拠もなく(根拠は江戸時代の身分制度?)見下し、「自分は彼らより優れている」と「己の自尊心を満足させる」ことができるわけです

  • 7964
  • ベストアンサー率29% (222/757)
回答No.1

ぴったりの回答がありますよ。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4165227.html

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