精神科病院の現状と適切な対応

このQ&Aのポイント
  • 6歳未満の子供が脳死と判定され、臓器移植のため臓器の提供とのニュースがあります。脳死とは言え人の死によりますが、病床より苦しんでおられた方に新しい希望が受け止められようとしています。
  • 精神病院での現状には問題があります。春先から潮干狩りが盛んで、海水浴客による賑わいが増えますが、先月末から2週間余りの間に9名の患者さまが亡くなりました。特に認知症病棟の患者数が増えており、リカバリー室の定床も足りていません。家族の希望により他院への転院も行われています。
  • 精神科病院では入院患者が安定収入となり、在院日数が長くなる傾向があります。病院の経営方針が囲い込み医療である場合、退院や転院が難しいこともあります。また、精神病院の患者の現実は家族にとっても大変なものであり、面会にも来ない場合や存在を隠すこともあります。適切な対応としては、定床の増加や病院の経営方針の見直しなどが考えられます。
回答を見る
  • ベストアンサー

人の死について

6歳未満の子供が脳死と判定され、臓器移植のため臓器の提供とのニュースがあります。 脳死とは言え人の死によりますが、病床より苦しんでおられた方に新しい希望が受け止められようとしています。 私は愛知県にある、精神病院で勤務しています。 春先から潮干狩りが盛んで、もうしばらくすると海水浴客で休日などは大変な賑いとなります。 とても景色もよく、療養には持って来いのロケーションです。 ただそんな環境とは裏腹に、先月末から2週間余りの間に9名の患者さまが息を引き取りました。 認知症病棟の方々です。 体調を崩された方はリカバリー室に移動となり、より注意をし看護にあたります。 リカバリー室の定床は4名です。そこに5人も6人も詰め込んでの医療現場です。 精神科では入院患者は安定収入であります。 在院日数も長ければ10年・20年、それ以上の方も見えます。 病院の経営方針が囲い込み医療であった場合、なかなか退院、転院はできません。 ましてや認知症の方。自分の本心をなかなか声に出来ない。 言葉は悪いですが、家族にしてみれば世話のかかるお年寄り。 現実はなかなか患者さんには厳しいことが多いようです。 面会にも来ない、結婚相手、結婚相手の家族にはその存在さえも隠すこともあるのが精神病院で入院されています患者さんの現実です。 もちろん家族を大切に面会に足を運ぶ方々も多数おみえになることも忘れてはいけません。 そんな家族の方の希望で、他院へ転院されて今回の難を逃れ、命をつないだ患者さんもみえました。 4人床を5人、6人にて使用する現実。もちろん違法です。 次から次へと息を引き取る患者さん。 原因についても、病院の対応についても異を唱える看護師がいたことも事実です。 ただ上が取り合わないのです。 このような場合、精神科病院の現状も踏まえ、どのような対応が適切であると考えられますでしょうか? よろしくお願いします。

  • 医療
  • 回答数1
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • green351
  • ベストアンサー率43% (185/430)
回答No.1

 MSWをしております。  私の勤務する病院は精神科の単科ではありませんので、明確なお答えは出来ないでしょうが一般論としての回答とお考えください。  精神科はいまだに誤解や偏見から完全に解き放たれたわけではありません。特に医療関係者にその傾向が根強いようで、入院は実質的に“収容”という形で運用されているのも事実です。  高木兼寛先生の“病気を診ずして、病人を診よ”の言葉を借りるまでもなく、本来は患者本位の医療を提供するのが医療者の責務であることは言うまでもありません。しかし現実はあなたの理想とは違うためにそのギャップでお悩みなのだと思います。しかし経営陣はどのような状況に陥ろうが、まずは経営の安定を図ることに目がいってしまうのです。  経営者的な立場からいえば名目だけリカバリー室を増やせば事足りる問題です。しかしスタッフの増員などの裏付けがなければ容易に破綻する方法ですし、スタッフも納得しないでしょう。つまり今の状況は八方塞がりの状況であり、どこにも持って行けない問題なのです。  私も医療関係者ですから、ご質問の文面から病院内で何が起こっているのかは容易に想像が出来ます。ここには書きませんが病院も特定できます。しかしここで公表したところで全く意味を持ちません。  このような質問が出てくる度に私は回答させていただいているのですが、このような内容をこのような場所に持ち出さないように留意してください。私のように“ああ、あの病院か”と思い当たる人間がいないとも限らないのです。どうしても誰かに相談をしたいのなら、是非とも他の病院のMSWなどにご相談ください。医療関係者は横のつながりの構築が非常に下手です。適切な相談相手がいないためになにげなく書いてしまったのでしょうが、守秘義務はこのようなことから綻びていくものです。

jackbondo
質問者

お礼

病院もお金儲けの一企業なんですね。医療人である限りお金よりも医療を優先させたいものです。守秘義務に関するご指摘もありがとうございました。

関連するQ&A

  • 看護師の方、教えてください。

    看護師の方、教えてください。 私は今、看護学校で臓器移植についての論文を書いています。 昨年出された臓器移植法改正案では、 「脳死患者からの臓器提供の決定権はその家族にゆだねる」となっています。 こうなると、脳死患者の家族には大きな精神的負担がかかり、精神的ケアが必要になると考えています。 このような「精神的ケア」に対してグリーフワークなどの活動も行われていますが、 看護師だからこそできるケアについてまとめていきたいと思っています。 そこで今、病院での「看護師の現状」について調査中です。 具体的に知りたいことですが、実際の医療現場で、医師等に看護師が意見できる場はあるのでしょうか? 患者や家族の身近な医療者である看護師が、家族の精神状態などを考えたときに、 医師の行動などに対して「こうした方が良い」などと言える状況にあるのでしょうか? 看護師は医師から下に見られている、という話を読んだことがあります。 私は、今回の改正案の臓器移植法が施行されたときに、 もちろん医師やその他の医療従事者は重要な存在だと思います。 しかしそれ以上に、脳死という受け入れがたい死に直面している家族と直接向き合う 看護師の存在は大きいものだと思うのです。 脳死という死の受容や看取りなどを考えたときに、やはり看護師は重要な存在だと思います。 よりよい臓器移植のために、「看護師を中心とした臓器移植」というのを この論文でまとめていきたいと思っています。 病院の中での「看護師の現状」や、その他意見・アドバイス等、 寄せていただけたら本当に助かります。よろしくお願いします。

  • 脳死は人の死?

    A案が可決され脳死から回復した事例があるのになぜとゆう気持ちで一杯です。 1、脳死の回復の可能性が摘まれてしまわないか。 2、脳死が人の死と定義付けられてしまったことで、回復を待つ脳死の方の家族が肩身の狭い思いをしないか。(臓器提供を迫られるなど...) 3、延命より臓器移植の価値が高まり脳死の治療がおざなりにならないか。 以上3点が特に不安に感じることです。人間生きている限り脳死になる可能性も移植を待つ側なる可能性どちらも起こりうるとは思いますが複雑な気持ちです。この点はしっかりフォローされるのでしょうか?ご意見を聞かせてください!!

  •  改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?

     改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?    現行では、脳死の患者がいて、治る見込みがまったくなく、家族も希望しているのに尊厳死は認められていないと思います(そのように理解しているのですが、もし尊厳死が認められる方法があればあわせて教えてください)。したがって、患者もそのままだし、家族も治療の精神的、経済的負担はそのままずっと続いていくと思われます。  ところが改正臓器移植法により、患者が明示的に臓器移植を拒否していなければ、家族の同意で臓器移植が認められるようになりました。これにより、尊厳死が自由にできるようになったと思われます。  すなわち、家族側にしてみれば、「治らないなら、さっさと治療を中止したい。でも尊厳死をお願いすると医者から同意されない」という場合、同法により治療中止の要件が整ってしまうことになります。「そういえば、父親は大昔に、自分が死ぬときは臓器を提供したいといっていたような気がしないでもない、証拠はないけど。」といえば、それだけで実質的に当初希望していた尊厳死が実現できてしまうことになります。  何かとても怖い気がします。家族が脳死患者をもう不要だと思えば、家族の意思で患者を生かすも生かさないも判断できるように法律が変わってしまったとしか思えません。臓器提供しなければ尊厳死が認められないのに、本人の明示的な意思がないのに、家族の一言で(臓器を提供することにより)尊厳死が認められるというのは違和感を感じますが。かなり直接的な言い方をしていますが、家族も患者も臓器提供にはなんら関心は無い、でも早く延命治療を中止したいので、臓器提供を理由にするということにつながらないでしょうか?  それとも、脳死患者の場合、今まで尊厳死が認められなかったが、家族の負担、治療に要する国庫負担など総合的に考え、やむをえないということなのでしょうか?  もちろん、今回国内初の例となった方々のことを言っているわけではありません。ただ、今回の事例をみていて、今後、臓器提供を理由に延命治療中止件数が急増するのではないかと素朴に思っただけです。  

  • 脳死の臓器提供についてですが、

    脳死の臓器提供についてですが、 自分や家族の場合を考えいろいろ調べたところ ちょっと怖い内容を目にして混乱しています。 出来れば移植の実際の様子をご存じの医師の方にお聞きしたいです。 下記のようなことは事実なのでしょうか?デマなのでしょうか? 1)脳死になるだろうと予測できる状態の患者がいた場合  脳死判定がきちんと行われて脳死が確定する前に  治療のための措置ではなく、臓器移植に備えた処置が行われる。 2)脳死判定が出て、脳死という宣告を家族が受けて、  臓器提供について悩んでいる間に、すでに治療から  臓器移植に備えた処置に切り替わっている。 3)脳死判定に必要な「無呼吸テスト」を実施したために  脳死になってしまう症例がある。 4)脳死状態の患者の臓器を取り出すときは暴れたり血圧が上がったりするので  モルヒネを打つことがある。 素人の自分としては上記のようなことは行われていないと思いますが、 自分の意思を登録する前にハッキリさせておきたくて質問しました。 よろしくお願いします。

  • 脳死臓器移植法に関して悩んだことです。

    ある研修医が脳死臓器移植法改正について若手医療従事者の意見を求める、行政機関主催のアンケートを受け取ったとします。 質問にはドナーカードのフォーマット、脳死判定を開始する条件や手続き、関係者のプライバシーの保護など様々な問題が含まれています。 中でもその研修医が回答に最も苦慮した質問は「脳死患者が書面で臓器提供の意思を明確に表示している場合には、患者家族(遺族)が臓器摘出・提供を拒否しても、当該脳死患者から臓器提供が出来るように法改正をすべきだろうか」というものです。 1997年施行の臓器移植法ではたとえ臨床的に脳死状態に陥っているとして、その患者が書面で臓器提供の意思を表示している場合でも、患者家族の拒否があれば正式な脳死判定は行えなくなっています。 私個人の意見としては臓器はやはり脳死患者のものであり、本人の意志を尊重するべきでそれが理に当ると思います。ただ、そこで悩むのは、法改正をして家族の拒否が無効になった場合を考えるとして、もし突然愛する家族の一員を失った時に、遺族の思いを考えると拒否は出来ないのですからすんなり提供に踏み出せるのかどうかということです。しかし臓器を待っているレシピエント候補の方の存在など勘案すべきことが多いのです。 そこでみなさんの意見をお聞きしたいと思い今回投稿しました。 質問を簡潔に書きますと、 (1)上記に述べたように法改正には賛成か反対か、またその理由。 (2)脳死患者の臓器は一体誰のものだろうか。 (3)移植に関して誰の希望が最も優先されるべきか。 以上の3点についてご回答をよろしくお願いいたします。

  • 脳死と臓器移植について。

    高1女です。 高校の課題で、脳死と臓器移植についての小論文を書くことになりました。 インターネットでいろいろ調べてみたのですが、 脳死や臓器移植についてあまりよくわかっていません。 今は、臓器提供をする意思があるときのみ 脳死判定をしているんですよね? あちこちで「脳死を人の死とするか」が議論されていますが、 それは脳死の患者、もしくはその家族が決めることではないのですか? そういう議論がされていること自体の意味がよくわかりません。 なぜこのような議論がされているのでしょうか? 教えてください><

  • 自殺 尊厳死 と 臓器移植について

    私は精神疾患です。最近は特に心身共に調子が悪く、不快感を与えるこのような質問をするご無礼をお許し下さい。 自殺も尊厳死も当人は良いですよね。本人は死にたいのですから。希望通り死ねるのですから。『自分なんか生きていても、家族のお荷物だから』とか『自分はいない方が家族のためだ』と、自殺志願者、尊厳死希望者は言います。そうですね。私もそう思って自殺を図ったことがあるものの、生きています。 だけど残された家族、人の気持ちはどうなるのですか?『自殺に追い込んだ』『尊厳死を選ばせた』と、一生悔いて生きていくのでは、ありませんか? 先日。脳死状態の特集を観ました。 死んで脳死と判定されたけど、本人が生前に脳死状態に陥った場面、臓器提供をする意志表示をしてなかった場面が多いと、有りました。 ふと思いました。故意に脳死となる方法はないのかと。自殺をすることで家族が嘆くことには、変わりはない。だがこの世には生きたくても、臓器移植をする他に助かる方法がない人がいて、臓器提供者を待っている状態の人もいる。 自分の家族に自殺を選ばせたけど家族の誰かが自殺しても、それが脳死状態での自殺だったら、、、他の人を生かせる自殺だった。 大切な人に死を選ばせたことは悔やまれるけど、他人を生かすことが出来る自殺だったと、家族は思えないのでしょうか。 自殺をする場合は必ず脳死状態になれるように行い、臓器は必ず移植すると意志表示をして、自殺をすれば、助かる人が増えて良いんじゃない? と、ここまで考えて、そもそも故意に脳死状態になることは出来るのだろうか?と、思いました。また、突然家族の誰かを失う悲しみは、同じなのではないか? 尊厳死も確か日本の法律で、まだ認められていないのではないか? 例え認められていたとしても、その人に臓器提供の意志があっても、、、と思うと、思考が迷宮入りしてしまいました。 そもそも故意に脳死状態を、引き起こすことが出来るのだろうか? 今の私は自殺志願者ではないけど、人間いつかは死を迎えます。私は最後くらいは他の人の役になる死に方をしたいと、思っています。 目茶苦茶で憤慨する内容の質問を、最後まで拝読してくれて、有り難うございます。

  • 臓器の技術的・倫理的問題点について

    大学の小論文の課題で「臓器の技術的・倫理的問題点についてあなたの考えを述べよ。」(500字) とあり書いてみたんですけど字数もかなりオーバーしていまい、なかなかうまく書けません。 辛口でもいいので内容、文章構成等アドバイスをください!!  近年、臓器移植の問題が新聞などで話題となっている。欧米では以前から盛んに臓器移植が行われてきたが、日本ではあまり盛んにならない。1996年に臓器移植法ができ、日本でも脳死の状態からの臓器移植ができるようになった。しかしコレでも日本では盛んに行われない。  では、どうして日本では盛んに行われないのか。  まず、臓器移植とは、何らかの理由で臓器が機能しなくなった場合、患者以外の人の正常な臓器をもらい移植することをいう。だが心臓のように唯一の臓器の場合取り出すわけにはいかず、またすでに停止した心臓でも正常に機能するとは限らない。  そこで脳死が問題となってくる。脳死の場合、心臓が停止する前に脳の機能が失われたとしてもほかの臓器は生きている状態なので成功の可能性が高い。だが、脳死の状態でもまだ生きているのだから脳死の患者から臓器を取り死なせるということはある意味殺人的行為だと私は思う。  脳死による臓器移植が一般化すると、医師が死を前にした患者の治療の治療を怠り脳死の状態にしたがるという懸念がある。延命治療よりも臓器移植を成功させるほうが医師にとっても、病院にとっても大変名誉にかかわってくる。脳死になった患者側からも医師に問題があるのではないかと疑いの念を持つようになる。  以下の理由で、問題点を抱えながらも脳死による臓器移植は進んでいくだろう。これからの医療社会では、現状での問題点をよく考慮したうえで慎重に進めていく必要があるだろう。(660字) どんなに辛口でもかまいませんのでどうぞよろしくお願いします。

  • 脳死を「人の死」とする範囲は?

    脳死を「人の死」とする範囲は? 臓器移植法案の改正案が施行されて、家族の同意による移植が増えてますが…。 この「脳死=人の死」という基準はどこまで適用されるのですか? 脳死状態だと生きた死体だから… Q1.健康保険の適用はなくなるの? Q2.栄養点滴せずに衰弱死しても保護者責任遺棄とか    延命装置を停止させても殺人とかの犯罪には該当しなくなったの? と疑問になりました。 それとも… 「脳死判定を受けて“脳死”と確定した」場合のみ「死亡」している。  → 延命装置の停止などは罪にならない。    相続もこの判定時に開始する。 「脳死判定を受けていない」場合には脳死状態だけど「脳死=死亡」と確定しない。  → 従来の三兆候死が訪れるまで「生存」しているものとして    延命装置の停止などは罪になる。 という、条件分岐のようなものがあるんでしょうか。 「脳死判定」の有無によって、死亡の時期が異なるとしたら面倒だと思ったので。 ご存知の方がおられましたらお教えいただけると幸いです。

  • 緊急時の移植に関する質問

    医療の知識はまったくありませんので、おかしな話なのかも知れませんが、もしそうなった場合、という仮定の話で答えを聞かせてください。 ある病院に交通事故の患者Aが運ばれ、脳死と診断された。その病院に別の場所で起こった交通事故の患者Bが運ばれ、Bはどうしても臓器移植が緊急に必要な状態。この場合、Aとその家族に臓器提供の医師があった場合、Bへの臓器移植が優先され、Bに移植されるということは実際に有り得ることなのでしょうか。教えて下さい。