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脳死は人の死?
A案が可決され脳死から回復した事例があるのになぜとゆう気持ちで一杯です。 1、脳死の回復の可能性が摘まれてしまわないか。 2、脳死が人の死と定義付けられてしまったことで、回復を待つ脳死の方の家族が肩身の狭い思いをしないか。(臓器提供を迫られるなど...) 3、延命より臓器移植の価値が高まり脳死の治療がおざなりにならないか。 以上3点が特に不安に感じることです。人間生きている限り脳死になる可能性も移植を待つ側なる可能性どちらも起こりうるとは思いますが複雑な気持ちです。この点はしっかりフォローされるのでしょうか?ご意見を聞かせてください!!
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A~D案までありましたが、どの案もそれぞれ支持者がおり可決された段階で悲しむ人がいるのは当然な事です。脳死についての判断は現状の医学水準と海外での臓器移植が規制される現状ではA案が良いのではと個人的に思いますが、自分が当事者になった時に受け入れられるかは別問題です。ただ脳死からの回復手段が確立できるほど医学が発達した段階でその都度法改正すれば良い事だと思います。法律は時代に即した解釈がなされるものです。現状では臓器移植を熱望する人が多く存在すると同時に、現在の医学では回復の見込みが絶望的な患者も多くいます。倫理的に認めるのは偲び難いし言葉は大いに不適切ですが、現在の医療技術の中で国内で対応できるように需給のバランスを考慮した判断がなされた議決だと思いますね。法律で人の生命を判断する事には道義上違和感がありますが、救える命があるというのであれば受け入れなければならないと思います。日本の法律上低年齢での臓器移植は無理なので海外での移植のために資金繰りに苦労している患者の家族がいますが、多額の負担を強いられながらも海外で臓器移植手術を受けられるのが認められるのであれば、国際的に認められる医療行為お国内で出来るのであれば患者の家族の経済的な負担は減るという事も認識すべき事項だと思います。街中で募金活動する姿は心痛みますが、誤解を恐れずに言えば浮浪者が生活費を恵んでくださいと懇願してるのと同じです。そんな活動をさせる日本の法解釈に基づく医療がおかしいと思いますね。
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- usotukizok
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脳死は人の死です。 脳死の定義は「少なくとも脳幹部分の機能が不可逆的に停止した状態」を言います。 脳死判定基準に誤りがあってその後回復する事はありえます。又、判定した医師のミスで脳死になる場合もありえます。 この事から脳死は概念として回復する事はありえません。 尚、アメリカでは脳死で臓器提供が有るとの連絡を受けて臓器摘出チームが(移植を受ける患者さんの入院している病院の医師達)出発してから、脳死判定が間違いで有ったとの連絡が入り引き返す事が良くあります。原因の多くは治療薬の影響で脳の機能が一時的に停止するからです。
お礼
ということは私が今までに聞いた脳死から回復したという事例は、正しくは脳死ではなかったということになりますね。脳死でないのに脳死と診断されてしまうことが起こるんですね。まだまだこれからの分野なのでしょうか。発展を期待したいですね。色々教えていただきありがとうございました。
脳死が死亡判定のなる事と臓器提供は別の話です、支度ないなら拒否する権利は有ります。 それこそ、臓器提供を医師と言う臨床現場の人が言う事が賄賂とか臓器売買斡旋になるのを、第三者委員会(倫理的見解で)と言うそれを冷静な判断から見届けと言う立場の存在も必要です。 臓器提供を求める家族も居るだろうか、残された家族当然亡くなった方の意思も残されて居るかなど、故意に奪い取る横暴な打診が入るならそれは、臓器は一商品と同じでは無いでしょうか。 売買で臓器を売り買いをするブローカーの行脚も横行する事も危惧されます。 脳死から回復とありますけど、昏睡状態が3日でも有れば意思が戻る事はかなり厳しい所です、自発呼吸出来て居るから生きて居るなら植物状態です、これが本当に人として生きて居ると言えるかです、自分の意思決定も出来ない、生かされて居るその物では無いですか。 人工呼吸器などを付けて生かされる事でどれだけ多くの医療費が掛かるかです、それは国民の税金も投与されて居ます。 延命治療も治そうとするクランケの意思次第ですし、意思がない段階で延命をして何処まで闘病させるか・・・・ 脳死を人の死を判断するなら、一医師の判断では無く他者の確認などきちんとしたチェック機能が入る(出来た段階で無いと断言は出来ない)事で初めてGOサインになると思います。 そのチェック機能が稼働しない限りは従来通りの心臓停止に判断は継続されると思います。 尊厳死と言う、自分の死生観で脳死段階で臓器提供カード持参ならそれはその方の意思を尊重されて然りでは無いですか。 それも親族の同意がありきです・・・・・ 臓器を待つ家族の思いも分かりますけど、先ずは送り出す側の本人の意思があるなら尚の事、遺族の思いが傾かない限りは提供は進行出来ないとも思いますけど・・・・・
お礼
ありがとうございます。 おっしゃるように移植移植と人間を臓器の入れ物みたいに…少し怖いです。まさに商品です。移植を待つ罪のない子供が頑張っていることを思うと胸がしめつけられますが人の最期、死の瞬間をこんなに合理的に片付けてしまうことに違和感を感じるのです。
- marumets
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>脳死判定をうけた後8年の間にも背が伸び体重も増え成長を続けているお子さんの話 脳死判定というのは、現行では臓器提供を前提とした場合にしか行わないことになっているはずですが。その話は正確な情報ですか? 脳死判定を最後まで行うと本当に死亡(心臓死)してしまう危険があるからだそうです。 テレビ等で出ているのは、「脳死状態」と医者に診断された患者さんだったと記憶しています。(なかには脳死に近い状態と言われていた方もおられたように思います) 脳死判定を受けた「脳死」と、いわゆる「脳死状態」とは違いますよ。 今話題になっている法改正で「脳死は人の死とする」という場合の脳死というのは、脳死判定の結果脳死と判定された場合を指します。 また、この脳死判定は家族等により拒否することも認められています。 ですから、現在延命措置を受けておられる方については、直接的な影響は全くありません。(廻りからのプレッシャー等は変わる可能性がありでしょうが) ですから、この法改正により劇的に臓器提供者が増えるとは、私には思えません。 (だって、自分の身内が脳死状態だといわれても延命装置を外してほしいなどとは私には思えないからです) 将来的に医療が進歩して現在の脳死判定では問題があるようになった場合には、その判定基準を変更すれば良いのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 脳死が人の死となったことで研究者がいなくならないのでしょうかね。脳死も回復可能なくらい医学が進歩する日がやってきたら本当にいいですね。
補足
失礼しました。脳死判定基準を満たしたと診断されてから…と書くべきでしたか。少し言葉が違うだけで内容は全く違うものになってしまうんですね。ご指摘ありがとうございます。
正解はいまのところない。 なら、より現実に即した方へ動くのがいいのではないでしょうか。 少しでも救われる可能性の高い患者をしっかり救う方向なのだというのが大方の見解です。 脳死患者のご家族の思いも複雑ではないかと私は思います。 必ずしも現状を望んでおられるわけではないと思いますし。 これは現代科学の袋小路、高額医療、あるいは老人医療の望ましい思想的大転換になるかもしれないと私は思います。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。どうなっても悲しむご家族は必ずいらっしゃるのですから。それなら少しでも悲しむ人が少ない道となると現段階ではA案が最善ということなんでしょうか。
- code1134
- ベストアンサー率20% (703/3370)
(1)その可能性(否危険性)絶無と迄決め付けないけど、サッカーW杯で日本が優勝する椿事(!?)並みの低さだと私は思わざるを得ない (2)その家族の死生観(or哲学)にもよると思う。家族も明日否深夜には我が身かも知れないし (3)延命したとしても限度有(人間の最高齢が頑張った所で概ね120才なのだから) 要は医学(との産業)で"臓器移植"が新規事業に加わっただけの話 恰も電話で1980年代迄は線がなければ掛からない固定タイプが主だったのに(2009年6/20)現時点でケータイ(携帯式)がその座にあるのと私にはダブって映るのです。
お礼
1は飛躍的な例えですがわかります。本当に低い可能性だってことが。でもだからこそ期待が入りますね。偶然に偶然が重なり奇跡が生まれるんじゃないかと。なんだか哲学的なお話しで私の足りない頭では正直難しいところもありますが興味深いですね。ご意見ありがとうございました。
- ytakashi
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こんばんは、 まだ参議院議員の承諾が残っていますが、参院で否決されても自民、公明の衆院での強行ごり押し採決が可能ですので心配です。 脳死の子供や脳死の家族と一緒に賢明に生きていらっしゃる家庭の方々の事が心配です。 >1、脳死の回復の可能性が摘まれてしまわないか。 と言うよりも、脳死は人の死であると定義付けされた場合は、死んでいる人に医療費の支給や医療費補助は出なくなると思います、高額な生命維持装置などの全てを全額自己負担でまかなう事は困難になると思います。 お金が払えなければ治療は続けられなくなり、生命維持装置を外して殺すしかなくなってしまう。(やむを得ず装置を外して殺さざるえない状況に追い込まれる可能性が有る) (自民党としては死んでいるのだから問題ないと言うかもしれませんが) ここで私が問いたい事が一つ有ります。 医療技術の進歩によって、今までは救う事が出来なかった命を臓器移植によって救う事が出来るようになった。 (だからこそ、15歳未満の臓器提供者を増やす事が大切なのだ。A案) ちょっと待って下さい。 医療技術が進歩して臓器移植で命が救えるようになった、医療技術の進歩は目ざましく日進月歩で発達しています。 だったら、いまは脳死で回復の見込みがない子供達でも、生命維持装置を付けて一生懸命に生きていれば、もしかしたら将来になって脳死からの回復を可能にする医療技術が開発されるかも知れませんよね。 脳死は人の死と決め付けて生命維持装置を外して殺してしまっても良いのでしょうか。 心臓が動いていて温かな血液が循環していて、日々成長している子供を賢明に介護して育てているお母さんやご家族の方々に、その子はもう死んでいます、もう人間じゃないから捨てて下さいって、そんな馬鹿な。
お礼
ありがとうございます!そうです。私が一番恐れるのは臓器移植を待つ子供を救いたい一心の今の流れが、0.1%でも回復にかけて頑張りたいと思っている脳死の子供の家族が経済面などの理由も含めて臓器提供をしないといけない状況に追い込まれるのではないか、という事です。脳死判定をうけた後8年の間にも背が伸び体重も増え成長を続けているお子さんの話をご存知ですよね。A案が可決されたらこの子の人工呼吸器も外すことになるのでしょうか?あまりにも残酷な気がします。
- pmmp
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脳死判定は、一回だけではありません。 脳死と判断されたら、一定時間を空けてから脳死判定作業に入ります。 何故、今この様な議論がされたかを御存知ですか? 臓器移植を待つ子供が、日本で移植が出来ないから海外で移植を受けるのを規制されるからです。 脳死になった場合、回復する可能性はまずありません。 脳細胞は、活動を停止したら死滅の坂道を下りだします。 呼吸や心臓が、脳死しても動いているのは、まだ脳幹が死滅していないからで、死滅するのは時間の問題です。 昏睡と脳死は、全く異なり、昏睡では刺激に対して反応が脳波に現れ、脳死では反応が現れません。 脳死とは、脳波や痛みの反応、光への反応等への生命反応が無くなる事から判定を開始します。
お礼
ありがとうございます。 脳死の回復はまずないとの事ですが、私の記憶違いでなければ若いほど回復の可能性が高いと耳にした覚えがあります。全体として極めて低いのがもちろん前提ですが。。。
そもそも、脳死とはどういう状態を指すのかですよね まだ、解明されて無いと思うのですが、自分の子供だとしたら とか考えると何ともいえない気持ちですよね、ともかく、医学の 進歩と全容解明が待たれますね、時期尚早だと思いますが 臓器提供を待つ人も居るので、倫理観の問題ですよね 延命措置をするのにお金も懸かりますしね、難しい問題ですね 本人の同意書があれば良いのかも知れませんが 今の所、解無しですね
お礼
ありがとうございます。 臓器提供はしないという本人の同意書はあるようですがいつ書くんでしょうか?臓器提供を待つ子供達が国内で手術を受けられるようになってほしいけど脳死判定を受けて延命措置をとっている子供達の可能性も私は捨てられません。天秤にかけたらどっちも同じくらいの重さのはずですよね。
お礼
ありがとうございます。 あの法外なまでの医療費を検討するべきですよね。専門的な事はわかりませんがなぜあんなに高額なのですか?いくら提供可能な年齢に制限がなくなってもお金が払えなければなにもできないのでは本末転倒ですね。