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韓国語の過去形の使い方について
- 韓国語で過去形を使う場合、~ましたか?/~ましたっけ?などで過去の経験について聞きますが、本に例文が少なく過去形を使うもの、語幹につくものの違いがわかりません。
- A. 그 사람 바쁘던가요? …忙しかったですか? 누가 갔던가? …誰が行ったっけ? B. 그 애는 회사에 잘 다니던가요? …ちゃんと通ってましたか? 그때 누가 계산했던가요? …誰が払いましたっけ?という文の違いについても教材の練習問題の解答ですが、よくわかりません。
- 日本語から韓国語に翻訳する際には、過去の経験について聞く場合には~던가요?/~했던가요?としないことがありますが、具体的にどのような違いがあるのか辞書にも例文が少なくて理解できません。詳しく教えていただけますか?
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トン は、 過去回想のトン と呼ばれるのは既に御存知ですよね。 過去を表します。 トン の中に過去を表す意味が含まれています。 普通の過去形(アッss、オッss、等) + トン にすると、 これも過去を表しますが過去を表す意味が強くなります。完全に過去、っていう意味が出ます。 どちらも使える、どちらを使ってもかまわないという場合が大部分です。 過去であることを強く言いたい時は、 過去形 + トン のほうで言うと良いです。 が、過去のことであることを強く言う必要がない時、普通は、どちらでも OK。どちらで言っても同じ意味を表すことになります。 例えば、 生きる・生きている・暮らす・暮らしている・・・などの意味である サルダ(サrダ) で例を作りますと。 サrドン サラmドゥルン (暮らしていた 人々は) サラットン サラmドゥルン ( 〃 ) 1-1、 高速鉄道が出来るので、ここで サrドン サラmドゥルン 政府から移転保証金をもらって引っ越して行きました。 1-2、 高速鉄道が出来るので、ここで サラットン サラmドゥルン 政府から移転保証金をもらって引っ越して行きました。 どう違うか。どちらで言っても大きな違いはなく、かまわないのが普通ですが、使う状況の違いをあえて掘り起こして見ると。 1-1 の情景だと、 人家があるのに人影がなくて不思議に思った人が地元の人に「どうして住民がいないのか?」と尋ねたのに対して答えている。 空き地が続いているのを見た人が地元の人に「この空き地は何か?」と尋ねたのに対して答えている。 目の前の土地にもうすぐ高速鉄道が建設されると聞いた人が地元の人に尋ねている。 ・・・・ などの状況が有りえます。 1-2 の情景だと、 ここで暮らしていた人々が政府から移転保証金をもらって引っ越して行ってからかなりの時間が立っている状況、 です。ですので 空き家がどれもボロボロで、長いこと放置されているのが見た目にもわかる、廃墟の町が広がっている。 家々を撤去し、サラ地になったところに雑草が生い茂って、サラ地にはしたけど鉄道の工事自体は長いこと行なわれていない。 ・・・・ などの状況が有りえます。 会話する人たちの目の前に広がる光景がこのように違うことが考えられます。 2、 (弥生時代の遺跡発掘現場で) ここで サラットン サラmドゥリ こういう道具を使っていたんですねぇ。 サラットン サラmドゥリ 暮らしていた 人々が これを サrドン サラmドゥリ 暮らしていた 人々が と言ってもいいですが、 弥生時代はあまりにも昔で、今となってはよくわからないくらいに昔なので、 サラットン というように 過去形 + トン で言うほうを選ぶ場合のほうが多いでしょう。 これが、(江戸時代の大名屋敷の発掘現場で)だとすると(六本木ヒルズは昔江戸時代に大名屋敷があった所で、発掘調査を行なったあとに建てられたそうですね。大名屋敷で使ってたお茶碗とか、発掘でいろいろ出て来たそうです。)、 ここで サrドン サラmドゥリ こういう道具を使っていたんですねぇ。 ここで サラットン サラmドゥリ こういう道具を使っていたんですねぇ。 どちらでもOK。 話し手が「江戸時代だから今よりちょっと前ね。」という気持ちが心をよぎったら、 サrドン(暮らしていた) にしたらいいし、 話し手が「江戸時代だから今よりすごい前のことね。」という気持ちが心をよぎったら、 サラットン(暮らしていた) にしてもいいです。 何も考えずにどちらかを選ぶことも多いです。 反対にわざと、意味の違いを込めてどちらかを選ぶこともあります。 ある行為を、 ずっと前に・ずっと昔にしていた のか、 つい最近までしていて、過去形になったのが最近なのか、 の違いを表すことが出来るため、話す人の都合によって、 最近までしていて、過去のことになったのがつい最近の事を わざと 過去形 + トン で言って、「ずっと前の話」「完全に終わってしまった過去の話」であるかのように表現することが出来ます。 逆に、話す人の都合によって、 「ずっと前のこと、ずっと前に終わったこと」を トン だけで言って、 それほど古い話ではないかのように、最近までやっていたことであるかのように言うことが出来ます。 例がなかなか難しいですが、最近の話題から言うと(ことばの例として挙げるものです)。 生活保護費を もらっていた のは、・・・・・・。 パットン ゴスン ・・・・・・。 パダットン ゴスン ・・・・・・。 パッタ(パtタ)(もらう、受ける) という単語を使います。 両方とも過去を表しますが、 過去形+トン の パダットン だと、 トン だけを付ける パットン に比べると、 もらっていたのがずっと前の話・もらわなくなってから随分経つ ようなニュアンスになります。 パットン だと、 過去にもらっていたのはもらっていたけど パダットン に比べると割と今に近い過去(つまり最近)までもらっていたかもしれない。 もし韓国語で「・・・・ パダットン ゴスン 事実ですが・・・・・・。」と言ったとしたら(万が一です)、 「ウソつけッ。4月分までもらってたのに。まるでかなり前にもらい終わった話であるかのようにごまかすんじゃないぞッ。」「ごまかし、言うなッ。」ということになります。 自分に都合の良いように ごまかしことば、ことばのごまかし に使えるのがこの ただのトン と 過去形+トン の違いを利用することです。 ただし、聞き手(聞く人)が話し手の意図通りにごまかされてくれるかどうかはわかりません。上記の例の「ごまかし、言うなッ。」のように、即座にことばのごまかしを見破られるかもしれません。
お礼
さっそくお答えいただいてありがとうございます。 意味の違いに大差はなく、韓国語の話し方の習慣、 ということで理解してかまわないでしょうか? 詳しく言うならば、周りの情景・話し手の意識をくんで 使い分ける・・・ 例は「いいのかな?」と思いましたが、 わかりやすかったです。 ありがとうございました。