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かすかな記憶の父との再会
今日は、院生として研究する女性です。よろしくお願いします。 私は、母の実家で祖父母に見守られて育ちました。母は仕事はしていますが、経済的には実家の大きな支えを受け、大変豊かな生活をさせていただいています。と言うよりは祖父の大家族のようなものです。私が母子家庭なのにのうのうと大学院で研究できるのも祖父母の強い愛情と期待と支援があるからです。そのことについては大変感謝しており、優れた研究者になることで報いる積りで頑張っています。 ところが、子どものころからずっと心に陰があります。それは父が居ないと言うことです。居ないと言うよりは、かすかな父の記憶があり、何時から父が家から居なくなったのかが分からないのです。そのかすかな父の思い出が時々、ふっと頭に浮かぶのですが、途中でその景色が消えてしまいます。その後に忍び寄る寂しさはたとえようもありません。 家では父は行方不明になったと聞かされ、信じてそれ以上に深追いはしませんでした。又、父方の親戚との付き合いも全くないのですが、行方不明になったので親戚づきあいが無くなったとも言います。 父への思いが何故か強くなり、戸籍などを辿ってみましたところ、父の氏名が判りました。余りない名前で、高名な人です。書籍などで写真を見ると私の眼がそっくりで、確信しました。 この状態は、何か事情があると思いましたが、会いたい気持ちが強く、父の居る大学の住所に手紙を送りましたところ、大変丁寧な返信があり、連休の土曜日に父の家で会うことになりました。 父は立派な家に独りで住んでおり、そこで私は生まれ、育ったとのことでした。父は学者らしい人格を滲ませ、その品格と知性に打たれました。駅まで迎えに来てくれて、家に入った時、懐かしさはありませんでしたが、何故か感極まって涙があふれました。父は静かに頷いて肩を抱いてくれ、「長かったね、立派に成長してくれてうれしい、とても美しい」と眼にキラリとするものがありました。 その後は、長い会話があり、再会を約束して家を後にしました。 何故、両親が別れたのかと言う話題は出ませんでしたが、それは私の関与すべきことではなく、むしろ、父の存在を知ってしまった以上、母達にどう伝え、どういう関係を持っていけばよいのかに悩みます。多分、複雑な事情があったと思います。 矢張り、母に断ってから、父に連絡すべきだったのかも悩みますが、元には戻れません。 母にどう話を切り出したらよいでしょうか。私としては父との関係を再開させたい一心です。 ご助言、ご意見をいただければ幸いです。
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- papur-snow
- ベストアンサー率47% (62/130)
・全文読ませていただきました。そして、運命的なものを感じています。 つらい決断の後、苦しくさびしい人生を送ってきた人には、 せめて「記憶だけでも穏やかなものにしてあげたい」と思って動いています、 ・今、あなたの近くに、苦しくつらい決断をしてきたふたりの男性とひとりの女性がいます。 そして、あなたはその「中心」にいます。運命的なものに導かれて・・・。 あなたがためらいながらも行動したことによって、ふたりの方の思いが浄化され始めました。 その事実に喜び、感動さえ覚えたのです。そして、普通ではありえない運命の予感も・・・。 あなたは今、三人の方のつらくさびしかった記憶を穏やかにできる、そんな場所にいます。 もし、つらくなければ、そうしていただけませんか? あなたは聡明で、やさしい方です。それができる人と思うのです。 ・人生とは厳しいものです。 ふとしたことで魔がさしたり、つらい立場に追い込まれたり、 その結果、逃れられない運命の中で苦しむしかない人生を送らされてしまいます、 多くの人は、ほぞを噛む苦しさとさびしさを抱えたまま、消えていくのです。 でも、そんな三人の方の中心に、あなたがいる! あなたが行動したことで、ふたりの方のつらくさびしかった人生に、明るさが見えました! これは、3000人以上の方と出会い、カウンセリングをさせていただいた私の経験でも トップにあげられるほど、奇跡的なことなのです。 ・会ってあげるだけで、優しい言葉をかけてあげるだけで、みなさんのさびしさは消え、 わだかまりに、苦しさに、ひかりが差し込むでしょう。 そして、あなたを含め、生きてきたことの意味と目的、耐え忍んできたことの意味を 知ると思うのです。 ・私自身は、本当の親を知らないままここまできました。 両親とも弟たちとも違う血液型と知ったのは、小学生の時でした。 戦中戦後の混乱の中では、仕方のないことだったかもしれません。 たった1枚の写真を手がかりに、何度母を問い詰めたことでしょう。 今は、その母も他界し、父は、痴呆の中にいます。 でも、安心してください。大学のころには、探すことをやめたのです。 父には強い虐待も受けましたが、両親は自分を愛してくれている! それを理解したからでした。 さびしい気持ちはわずかにありますが、このままでいいと納得したのでした。 ・『愛はすべてを結ぶ帯である』・・・といいます。 あなたが行動したことで、停滞していた人と人とが、喜びのうちに結ばれ、 そのつらかった記憶が、和らいでいます。 どうぞ、みなさんに、やさしい言葉をかけてあげてください。 そして、人生が、ただつらく悲しいものではないことを、感じさせてあげてください。 生きていて良かったと思える人生、これからの生きやすくなる人生の喜びに 導いてあげてください。 あなたの明日にステキなことがありますように。
- miki0126
- ベストアンサー率44% (101/229)
56歳の兼業主婦です。 私は、お母様に話された方が良いと思います。 「戸籍」で調べられたのなら、ご両親が結婚さていた時の「子」か、婚外子にしてもお父様が「認知」をされている「子」と言う事ですよね。 お母様がどんな理由を付けて「父親の存在」を隠したとしても、「子」で有る限り、お父様がお亡くなりに成られた時に「連絡」が来て、貴女の知る事に成るのです。 普通に考えて、お母様も「何時かは・・・」とお思いだったのではないでしょうか。 もう充分に「大人」の貴女が、お父様の事を調べてお会いになる事は、充分予想出来る事ですので。 ただ、お母様の知っている「連れ合い」としてのお父様と、今回貴女がお会いになった「父親」としてのお父様では、多分に評価が違うのではないかと想像します。 お母様と二人の時に「調べて会った」と此処にお書きの様に話されれば良いのではないでしょうか。 淡々と。 まずは、お母様の「お父様に対する感情」を大切にしてあげて下さいね。 貴女から「こんなお父さんだった」は積極的に話さない方が良いでしょう。 何度も書きます。 お母様のお父様に対する評価(感情)と 貴女がお父様に対する評価(感情)は 「違う」事を忘れてはいけません。
お礼
miki0126様 有難うございます。 母の心の中が分かるような気持がして、うれしいです。 筋道立ててれば、ご指摘のようになると思いました。 未だ、母に話す勇気が持てませんが、何時までもこのままには出来ないとは考えます。 ご指摘のように、母の父に対する感情と私の父に対する感情との峻別は本当に重要だと思いますので、心致します。
補足
母に辛い話をさせてしまいました(皆様へのご報告です) 皆様には、ご親切なアドバイスやご意見、暖かいお言葉をいただきまして本当にありがとうございました。面と向かって相談するのはとても出来ないことが、存じ上げない方々がこのようにご親切に相談に乗って下さることに今更ながら感謝いたしております。 昨夜、予期しないことで、母と話すことになりましたが、アドバイスをいただいた皆様にはご報告すべきと考え、長くなりますが書き連ねました。そうして、新たな悩みも出てきおりますので、出来ましたらお言葉をいただきたいと存じます。 夜、祖父母が寝室へ引き上げた後で、母とお茶をしていましたが、母が何時もとは別な雰囲気で「このところ、何かあったの?」と言われ、恋愛のことも無いし、瞬間、女性の勘で父とのことが見抜かれたかと心臓が高鳴りました。 しかし、皆さまのアドバイスが支えになって、思い切って父に会いに行った経緯を冷静に話せました。 同時に母への感謝と変わらない関係、父とは折々に会いたいことを伝え理解を求めました。 母は、辛そうな表情で聞いていましたが、「矢張りそうだったの」と言ってから急に泣きだし、「ごめんなさい、私の所為で皆を不幸にしてしまった。貴女を父無し子にしてしまったのも、元夫を独りにしてしまったのも全部私の不始末」と泣きやみませんでした。考えたくなかったものの少しはその可能性を感じていたことが話されて、何故か落ち着き、母に自分を責めないでと声を掛けて落ち着かせました。一時してから、涙交じりに母が話した内容を並べます。 1.私は父母の子として出生した。 2.しかし、その後、私が父の子ではないことが判明し、母も認めたが、父は母を許し、私を実子として愛しんで育てた(3歳の頃とのこと)。その時点では相手とは別れていた。別れて始めて父の価値が分かったが、自分にはもったいないと人だと今でも思う。 3.母を決して責めようようとしない優しい父へ自責の念に耐えられず、離婚を願い、父の強い反対も押し切って、離婚になり、その後は独身を通した。(物心ついてから母に男の影は皆無に感じます)。相手はその後、他界。 4.父からの再三の私との面会の要求も拒絶し、会わすことはなかった。 5.父はその後、鬱状態になり、自殺を図ろうとしたが止められ、その後は再婚することもなく、研究に没頭したとのことなどを共通の知人からされた。 6.そのこともあって、父実家から絶縁を申し渡され、今日に至る。 7.私が成人したので、いずれ話すべきと考えていた。 8.離婚後、20年も過ぎ、お互いに50を超える歳になっていることなどを考えて、そろそろ元夫に謝罪に行きたいと考えていた。しかし、勇気がなくて未だ出来ないでいる。 と言うことでした。 母は何度も何度も、私に詫び、自分の恥ずべき行為の数々を恥じ入り、許してもらえないと思っているとも言いました。 私の身の回りで起きたことは現実とは思えませんでした。しかし、人間社会であれば、そのようなことは起きうることとして、そのまま受け入れることにしました。それが私たち家族(父も含めて)の縁であり、運命だったと思います。 母は、このことをずっと心に仕舞い、悩み悲しみ続けてきて、それが私の話で一挙に解かれたと思います。とても辛い思いをさせてしましました。でも母に対する怒りや恨みなどはなく、よく話してくれたと思います、 また、短い期間でも育ての父は私のかすかな記憶として消えることなく心の中に居てくれたし、これからもずっと父親です。 もう一人の父親に行き当たりたいと言う気持ちが、別の感情として湧いてきて抑えられません。母にお墓参りだけでもしたいと言って、その人のことを聞いても、それだけは許して欲しいと絶対に応じてくれませんでした。大分、応酬がありましたが、最後は母が泣き崩れて、後味の悪いことになりました。 母を責める積りは無かったけれども、結果としてはそうなり、軽率を悔やみます。 一睡もできず、考えがまとまりませんでしたが、明け方から少しずつ心が鎮まりかけて来ました。 血を分けてくれた方を知らず、弔いに行けないことも恨まないで、心の中でその方に感謝と悼む気持ちを送り、縁を感じて生きて行きたいと思うようになりつつあります。 母には改めて、これまでの感謝と変わらない母娘でいたい思いを素直に伝えようと思います。私がここに居るのは、いろいろな形で関わってくださった方々皆のおかげであり、皆に感謝したいこと、その中の一人として父も居ることを母に伝えたいと思います。 又、母のこれまでの行ったことは時間の中に埋没してしまっており、皆でそれを乗り越えたことをお互いに感謝し、今を喜びたいと伝えようと思います。そうして全部話してくれたことに感謝の気持ちを伝えます。 このような私なりの気持ちの整理になっていますが、アドバイスなどをいただいて更に考え、再度、母と話したいと思いますのでよろしく願い申し上げます。 長くなりまして、失礼いたしました。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
お父さんに会えてよかったですね。それまでに何となくあった心のつかえのようなものがスーッと抜けさる様な気持ちになったのではないでしょうか。ご自分のアイデンティティのルーツが分かり生き方に更なる自信がもてるようになったのではないでしょうか。 さてこれからのご両親との関係についてです。 あなたのご両親が結婚され、あなたを授かられたにもかかわらず離婚された。この事はあなたが仰っているとおり、あなたの感知する余地のない、両親の事情です。両親の事情によって離婚された。そして、あなたは母方で生育された。これらの事情と、あなたが実の父親と関わっていきたい、という気持ちは別の問題だ考えれば良い様に思います。 つまり、生きていく上で(生活をする上で)色々と旨く行く事情も旨く行かない事情も発生するのだ。その事情を解消(=解決)出来なくて別々の道を歩む選択を余儀なくされる夫婦もある。しかし、夫婦は別れても、夫婦の間に産まれた子供は、どちらかの親の元で養育される。これも子供からみると親子を分断する夫婦の事情から起こったものである。夫婦は別れれば他人になるが、親子の関係は両親が別れようが同居しようが親子に変わりは無い。と、いうことに基づいたアドバイスです。 ややこしいことを書きましたが、両親の事情と、血の繋がりを断ち切ることが出来ない親子の心情を別々に考えれば、おなたが母方に恩義を感じていらっしゃる問題と、血縁故になせる父親の存在を知り、ご自分のアイデンティティをハッキリさせたい、という気持ちを分けてお母さんに説明されればお母さん側にもご理解頂けるのではないでしょうか。 お母さんには、私が今日この様な暮らしが出来るのはお母さんのお陰だと言う事は十分分かり、感謝している。しかし、私はお父さんがいないことで何となく気持ちの中に空白のようなものを感じていた。年を重ねれば重ねる程そういう思いが強く働く様になった。このままお父さんのことをほって置いてはいけないと思って調べてお父さんを知った。自分勝手に取った行動だったが、お母さんに心配をかけたくない思いでの行動であった。 お父さんの住所を知り、あった今、お母さんとお父さんにどの様な事情があって別れたのかは知らない。しかし、私は両親の子供として父親を知りたかった。知った今、私の気持ちはスッキリした。これからは、お母さんもお父さんも大切にしていきたいと思う。お父さんに会えたせいか、更に充実感を感じることが出来た様に思う。お母さんの気持ちを大切にしながらお父さんとも適度に会いたいと考えている。この私の気持ちを理解して欲しい。 と、いうように正直にお父さんを探したくなった気持ち。探し当ててあったときの気持ち。今後、あなたと両親との関わり方。等々をお母さんに伝えられるのが良いでしょう。お母さんに感謝しながらあなたの気持ちを正直にお母さんにおっしゃれば、反対はされないでしょう。 逆に、あなたを橋渡しにしてご両親は過去のわだかまりが解消されて、お互いを尊敬し合える関係になる可能があるかも知れません。何はともあれお父さんを捜し当てられて会えたことは、あなたは人生の指針を得られたのですから、今後のあなた、人間的により大きく成長されることでしょう。大変よかったですね。
お礼
783KAITOU 様 有難うございます。 先をどうするか、俄かに決めにくいのですが、ご指摘のように父母との関係をどうするかをキチンと整理しないと、感情に任せたり、その場しのぎになったりしそうです。 矢張り、私の場合には、父との関係と母との関係は生育の特性から、普通家庭のものとは異なるので、ご指摘いただいたような視点で考えます。 確かに、20年の間、ポッカリ空いていた空洞が少しずつ埋まり始めているような希望があります。ただ、希望だけですが、それだけでも今は幸せです。 もし、これが切っ掛けとなって、両親(と呼びたいのですが)が気持ちの撚りを戻してくれればと、ご指摘のお言葉にすがりたい気持ちです。
補足
母に辛い話をさせてしまいました(皆様へのご報告です) 皆様には、ご親切なアドバイスやご意見、暖かいお言葉をいただきまして本当にありがとうございました。面と向かって相談するのはとても出来ないことが、存じ上げない方々がこのようにご親切に相談に乗って下さることに今更ながら感謝いたしております。 昨夜、予期しないことで、母と話すことになりましたが、アドバイスをいただいた皆様にはご報告すべきと考え、長くなりますが書き連ねました。そうして、新たな悩みも出てきおりますので、出来ましたらお言葉をいただきたいと存じます。 夜、祖父母が寝室へ引き上げた後で、母とお茶をしていましたが、母が何時もとは別な雰囲気で「このところ、何かあったの?」と言われ、恋愛のことも無いし、瞬間、女性の勘で父とのことが見抜かれたかと心臓が高鳴りました。 しかし、皆さまのアドバイスが支えになって、思い切って父に会いに行った経緯を冷静に話せました。 同時に母への感謝と変わらない関係、父とは折々に会いたいことを伝え理解を求めました。 母は、辛そうな表情で聞いていましたが、「矢張りそうだったの」と言ってから急に泣きだし、「ごめんなさい、私の所為で皆を不幸にしてしまった。貴女を父無し子にしてしまったのも、元夫を独りにしてしまったのも全部私の不始末」と泣きやみませんでした。考えたくなかったものの少しはその可能性を感じていたことが話されて、何故か落ち着き、母に自分を責めないでと声を掛けて落ち着かせました。一時してから、涙交じりに母が話した内容を並べます。 1.私は父母の子として出生した。 2.しかし、その後、私が父の子ではないことが判明し、母も認めたが、父は母を許し、私を実子として愛しんで育てた(3歳の頃とのこと)。その時点では相手とは別れていた。別れて始めて父の価値が分かったが、自分にはもったいないと人だと今でも思う。 3.母を決して責めようようとしない優しい父へ自責の念に耐えられず、離婚を願い、父の強い反対も押し切って、離婚になり、その後は独身を通した。(物心ついてから母に男の影は皆無に感じます)。相手はその後、他界。 4.父からの再三の私との面会の要求も拒絶し、会わすことはなかった。 5.父はその後、鬱状態になり、自殺を図ろうとしたが止められ、その後は再婚することもなく、研究に没頭したとのことなどを共通の知人からされた。 6.そのこともあって、父実家から絶縁を申し渡され、今日に至る。 7.私が成人したので、いずれ話すべきと考えていた。 8.離婚後、20年も過ぎ、お互いに50を超える歳になっていることなどを考えて、そろそろ元夫に謝罪に行きたいと考えていた。しかし、勇気がなくて未だ出来ないでいる。 と言うことでした。 母は何度も何度も、私に詫び、自分の恥ずべき行為の数々を恥じ入り、許してもらえないと思っているとも言いました。 私の身の回りで起きたことは現実とは思えませんでした。しかし、人間社会であれば、そのようなことは起きうることとして、そのまま受け入れることにしました。それが私たち家族(父も含めて)の縁であり、運命だったと思います。 母は、このことをずっと心に仕舞い、悩み悲しみ続けてきて、それが私の話で一挙に解かれたと思います。とても辛い思いをさせてしましました。でも母に対する怒りや恨みなどはなく、よく話してくれたと思います、 また、短い期間でも育ての父は私のかすかな記憶として消えることなく心の中に居てくれたし、これからもずっと父親です。 もう一人の父親に行き当たりたいと言う気持ちが、別の感情として湧いてきて抑えられません。母にお墓参りだけでもしたいと言って、その人のことを聞いても、それだけは許して欲しいと絶対に応じてくれませんでした。大分、応酬がありましたが、最後は母が泣き崩れて、後味の悪いことになりました。 母を責める積りは無かったけれども、結果としてはそうなり、軽率を悔やみます。 一睡もできず、考えがまとまりませんでしたが、明け方から少しずつ心が鎮まりかけて来ました。 血を分けてくれた方を知らず、弔いに行けないことも恨まないで、心の中でその方に感謝と悼む気持ちを送り、縁を感じて生きて行きたいと思うようになりつつあります。 母には改めて、これまでの感謝と変わらない母娘でいたい思いを素直に伝えようと思います。私がここに居るのは、いろいろな形で関わってくださった方々皆のおかげであり、皆に感謝したいこと、その中の一人として父も居ることを母に伝えたいと思います。 又、母のこれまでの行ったことは時間の中に埋没してしまっており、皆でそれを乗り越えたことをお互いに感謝し、今を喜びたいと伝えようと思います。そうして全部話してくれたことに感謝の気持ちを伝えます。 このような私なりの気持ちの整理になっていますが、アドバイスなどをいただいて更に考え、再度、母と話したいと思いますのでよろしく願い申し上げます。 長くなりまして、失礼いたしました。
- vintagewine
- ベストアンサー率53% (76/143)
先ずはお父様との再会、おめでとうございます。少し涙が出ましたよ。良かったですねお父様が常識人で。 個人的にはNo.1さんとNo.2番さんに同意します。 ですので、少々のご説明だけ。解りきっていることだとは思いますが、人から言われて再確認するものって少なからずありますから。 嘘には二通りあります。一つは自分の保身目的のためにつく極普通の嘘。そして二つ目は、相手を思い相手を傷つけないためにつく"白い嘘=White lies”です。そしてここから少し亜流になりますが三つ目として、相手に伝えぬまま自分の中に留めおく事実というものも存在すると思うのです。この三つ目は嘘ではありませんが、真実を伝えないという点では嘘と共通しており、従って亜流と書いた次第です。 お母様から尋ねられてもシラをきりとおす場合、白い嘘となるでしょう。そしてこのままずっと、もしくわ時期到来となるまで、御自分の中で保留されることも充分選択肢としてありえますし、そうであっても誰も責めませんし、責められません。貴女が成人なさっているからであり、しかも理由あっての行動だからです。 さて、貴方はどれを選択なさいますか?という問題に過ぎません。選択が2か3である場合、それ即イコール祖父母様とお母様を裏切ることにはなりませんよ。絶対に探すな!会うな!と言われているのなら、話は別。。いや、それでも同じでしょう。貴女が今でもお世話になっているとはいえ、成人しているのですから。 ご両親様の間で何があったのか、知ることもこの先無いかも知れませんし、いつか明るみになることもあるやもしれません。しかし大切なのは、御互いの意思が続く限り、失われた時間を埋めるのではなく、これから先のお父上との関係を築いていかれることではないでしょうか。偶然にも同業者。血は争えないとお父上も貴女が帰えられた後、微笑まれていたことでしょう。本当に良かったです。 どうか暖かい父娘関係をこの時点から築いていかれますよう。ご多幸を祈ります。
お礼
vintagewin 様 ご丁寧にお書き頂きまして有難うございます。 又、暖かいお心遣いをいただき恐れ入ります。とても、気が晴れたように思います。 母への思い遣りが大切なことをお教えいただきまして有難うございました。 母の今までを思い、父の悲しみを思いながら、夫々に痛みが無い様にして、大人になりながら双方に子として向き合って参ります。
補足
母に辛い話をさせてしまいました(皆様へのご報告です) 皆様には、ご親切なアドバイスやご意見、暖かいお言葉をいただきまして本当にありがとうございました。面と向かって相談するのはとても出来ないことが、存じ上げない方々がこのようにご親切に相談に乗って下さることに今更ながら感謝いたしております。 昨夜、予期しないことで、母と話すことになりましたが、アドバイスをいただいた皆様にはご報告すべきと考え、長くなりますが書き連ねました。そうして、新たな悩みも出てきおりますので、出来ましたらお言葉をいただきたいと存じます。 夜、祖父母が寝室へ引き上げた後で、母とお茶をしていましたが、母が何時もとは別な雰囲気で「このところ、何かあったの?」と言われ、恋愛のことも無いし、瞬間、女性の勘で父とのことが見抜かれたかと心臓が高鳴りました。 しかし、皆さまのアドバイスが支えになって、思い切って父に会いに行った経緯を冷静に話せました。 同時に母への感謝と変わらない関係、父とは折々に会いたいことを伝え理解を求めました。 母は、辛そうな表情で聞いていましたが、「矢張りそうだったの」と言ってから急に泣きだし、「ごめんなさい、私の所為で皆を不幸にしてしまった。貴女を父無し子にしてしまったのも、元夫を独りにしてしまったのも全部私の不始末」と泣きやみませんでした。考えたくなかったものの少しはその可能性を感じていたことが話されて、何故か落ち着き、母に自分を責めないでと声を掛けて落ち着かせました。一時してから、涙交じりに母が話した内容を並べます。 1.私は父母の子として出生した。 2.しかし、その後、私が父の子ではないことが判明し、母も認めたが、父は母を許し、私を実子として愛しんで育てた(3歳の頃とのこと)。その時点では相手とは別れていた。別れて始めて父の価値が分かったが、自分にはもったいないと人だと今でも思う。 3.母を決して責めようようとしない優しい父へ自責の念に耐えられず、離婚を願い、父の強い反対も押し切って、離婚になり、その後は独身を通した。(物心ついてから母に男の影は皆無に感じます)。相手はその後、他界。 4.父からの再三の私との面会の要求も拒絶し、会わすことはなかった。 5.父はその後、鬱状態になり、自殺を図ろうとしたが止められ、その後は再婚することもなく、研究に没頭したとのことなどを共通の知人からされた。 6.そのこともあって、父実家から絶縁を申し渡され、今日に至る。 7.私が成人したので、いずれ話すべきと考えていた。 8.離婚後、20年も過ぎ、お互いに50を超える歳になっていることなどを考えて、そろそろ元夫に謝罪に行きたいと考えていた。しかし、勇気がなくて未だ出来ないでいる。 と言うことでした。 母は何度も何度も、私に詫び、自分の恥ずべき行為の数々を恥じ入り、許してもらえないと思っているとも言いました。 私の身の回りで起きたことは現実とは思えませんでした。しかし、人間社会であれば、そのようなことは起きうることとして、そのまま受け入れることにしました。それが私たち家族(父も含めて)の縁であり、運命だったと思います。 母は、このことをずっと心に仕舞い、悩み悲しみ続けてきて、それが私の話で一挙に解かれたと思います。とても辛い思いをさせてしましました。でも母に対する怒りや恨みなどはなく、よく話してくれたと思います、 また、短い期間でも育ての父は私のかすかな記憶として消えることなく心の中に居てくれたし、これからもずっと父親です。 もう一人の父親に行き当たりたいと言う気持ちが、別の感情として湧いてきて抑えられません。母にお墓参りだけでもしたいと言って、その人のことを聞いても、それだけは許して欲しいと絶対に応じてくれませんでした。大分、応酬がありましたが、最後は母が泣き崩れて、後味の悪いことになりました。 母を責める積りは無かったけれども、結果としてはそうなり、軽率を悔やみます。 一睡もできず、考えがまとまりませんでしたが、明け方から少しずつ心が鎮まりかけて来ました。 血を分けてくれた方を知らず、弔いに行けないことも恨まないで、心の中でその方に感謝と悼む気持ちを送り、縁を感じて生きて行きたいと思うようになりつつあります。 母には改めて、これまでの感謝と変わらない母娘でいたい思いを素直に伝えようと思います。私がここに居るのは、いろいろな形で関わってくださった方々皆のおかげであり、皆に感謝したいこと、その中の一人として父も居ることを母に伝えたいと思います。 又、母のこれまでの行ったことは時間の中に埋没してしまっており、皆でそれを乗り越えたことをお互いに感謝し、今を喜びたいと伝えようと思います。そうして全部話してくれたことに感謝の気持ちを伝えます。 このような私なりの気持ちの整理になっていますが、アドバイスなどをいただいて更に考え、再度、母と話したいと思いますのでよろしく願い申し上げます。 長くなりまして、失礼いたしました。
- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
何故、母親に告げないといけないのでしょうか? 母親に黙っていてあげるのも、お母さんへの愛情だと思いますが? 貴女は貴女の考えでお父さんとのお付き合いをされたらいいのではないでしょうか? 母親に内緒にすることが裏切り、、、とかには、ならないと思います。 子供が、父親の存在を知りたがるのは、自分のルーツを確かめたいだけのことですから。
お礼
kurikuricyan 様 有難うございます。 確かに、もう大人ですから自分の意志で父との関係、家族との関係を考えて参ります。
補足
母に辛い話をさせてしまいました(皆様へのご報告です) 皆様には、ご親切なアドバイスやご意見、暖かいお言葉をいただきまして本当にありがとうございました。面と向かって相談するのはとても出来ないことが、存じ上げない方々がこのようにご親切に相談に乗って下さることに今更ながら感謝いたしております。 昨夜、予期しないことで、母と話すことになりましたが、アドバイスをいただいた皆様にはご報告すべきと考え、長くなりますが書き連ねました。そうして、新たな悩みも出てきおりますので、出来ましたらお言葉をいただきたいと存じます。 夜、祖父母が寝室へ引き上げた後で、母とお茶をしていましたが、母が何時もとは別な雰囲気で「このところ、何かあったの?」と言われ、恋愛のことも無いし、瞬間、女性の勘で父とのことが見抜かれたかと心臓が高鳴りました。 しかし、皆さまのアドバイスが支えになって、思い切って父に会いに行った経緯を冷静に話せました。 同時に母への感謝と変わらない関係、父とは折々に会いたいことを伝え理解を求めました。 母は、辛そうな表情で聞いていましたが、「矢張りそうだったの」と言ってから急に泣きだし、「ごめんなさい、私の所為で皆を不幸にしてしまった。貴女を父無し子にしてしまったのも、元夫を独りにしてしまったのも全部私の不始末」と泣きやみませんでした。考えたくなかったものの少しはその可能性を感じていたことが話されて、何故か落ち着き、母に自分を責めないでと声を掛けて落ち着かせました。一時してから、涙交じりに母が話した内容を並べます。 1.私は父母の子として出生した。 2.しかし、その後、私が父の子ではないことが判明し、母も認めたが、父は母を許し、私を実子として愛しんで育てた(3歳の頃とのこと)。その時点では相手とは別れていた。別れて始めて父の価値が分かったが、自分にはもったいないと人だと今でも思う。 3.母を決して責めようようとしない優しい父へ自責の念に耐えられず、離婚を願い、父の強い反対も押し切って、離婚になり、その後は独身を通した。(物心ついてから母に男の影は皆無に感じます)。相手はその後、他界。 4.父からの再三の私との面会の要求も拒絶し、会わすことはなかった。 5.父はその後、鬱状態になり、自殺を図ろうとしたが止められ、その後は再婚することもなく、研究に没頭したとのことなどを共通の知人からされた。 6.そのこともあって、父実家から絶縁を申し渡され、今日に至る。 7.私が成人したので、いずれ話すべきと考えていた。 8.離婚後、20年も過ぎ、お互いに50を超える歳になっていることなどを考えて、そろそろ元夫に謝罪に行きたいと考えていた。しかし、勇気がなくて未だ出来ないでいる。 と言うことでした。 母は何度も何度も、私に詫び、自分の恥ずべき行為の数々を恥じ入り、許してもらえないと思っているとも言いました。 私の身の回りで起きたことは現実とは思えませんでした。しかし、人間社会であれば、そのようなことは起きうることとして、そのまま受け入れることにしました。それが私たち家族(父も含めて)の縁であり、運命だったと思います。 母は、このことをずっと心に仕舞い、悩み悲しみ続けてきて、それが私の話で一挙に解かれたと思います。とても辛い思いをさせてしましました。でも母に対する怒りや恨みなどはなく、よく話してくれたと思います、 また、短い期間でも育ての父は私のかすかな記憶として消えることなく心の中に居てくれたし、これからもずっと父親です。 もう一人の父親に行き当たりたいと言う気持ちが、別の感情として湧いてきて抑えられません。母にお墓参りだけでもしたいと言って、その人のことを聞いても、それだけは許して欲しいと絶対に応じてくれませんでした。大分、応酬がありましたが、最後は母が泣き崩れて、後味の悪いことになりました。 母を責める積りは無かったけれども、結果としてはそうなり、軽率を悔やみます。 一睡もできず、考えがまとまりませんでしたが、明け方から少しずつ心が鎮まりかけて来ました。 血を分けてくれた方を知らず、弔いに行けないことも恨まないで、心の中でその方に感謝と悼む気持ちを送り、縁を感じて生きて行きたいと思うようになりつつあります。 母には改めて、これまでの感謝と変わらない母娘でいたい思いを素直に伝えようと思います。私がここに居るのは、いろいろな形で関わってくださった方々皆のおかげであり、皆に感謝したいこと、その中の一人として父も居ることを母に伝えたいと思います。 又、母のこれまでの行ったことは時間の中に埋没してしまっており、皆でそれを乗り越えたことをお互いに感謝し、今を喜びたいと伝えようと思います。そうして全部話してくれたことに感謝の気持ちを伝えます。 このような私なりの気持ちの整理になっていますが、アドバイスなどをいただいて更に考え、再度、母と話したいと思いますのでよろしく願い申し上げます。 長くなりまして、失礼いたしました。
- AVENGER
- ベストアンサー率21% (2219/10376)
もう成人なのですから、自分の思うように行動して構わないと思いますが。 特に母親に話さなくても構わないかと思います。
お礼
AVENGER 様 有難うございます。 お返事が遅くなり、失礼いたしました。ご意見を頭に置きながら、考えて参ります。
補足
母に辛い話をさせてしまいました(皆様へのご報告です) 皆様には、ご親切なアドバイスやご意見、暖かいお言葉をいただきまして本当にありがとうございました。面と向かって相談するのはとても出来ないことが、存じ上げない方々がこのようにご親切に相談に乗って下さることに今更ながら感謝いたしております。 昨夜、予期しないことで、母と話すことになりましたが、アドバイスをいただいた皆様にはご報告すべきと考え、長くなりますが書き連ねました。そうして、新たな悩みも出てきおりますので、出来ましたらお言葉をいただきたいと存じます。 夜、祖父母が寝室へ引き上げた後で、母とお茶をしていましたが、母が何時もとは別な雰囲気で「このところ、何かあったの?」と言われ、恋愛のことも無いし、瞬間、女性の勘で父とのことが見抜かれたかと心臓が高鳴りました。 しかし、皆さまのアドバイスが支えになって、思い切って父に会いに行った経緯を冷静に話せました。 同時に母への感謝と変わらない関係、父とは折々に会いたいことを伝え理解を求めました。 母は、辛そうな表情で聞いていましたが、「矢張りそうだったの」と言ってから急に泣きだし、「ごめんなさい、私の所為で皆を不幸にしてしまった。貴女を父無し子にしてしまったのも、元夫を独りにしてしまったのも全部私の不始末」と泣きやみませんでした。考えたくなかったものの少しはその可能性を感じていたことが話されて、何故か落ち着き、母に自分を責めないでと声を掛けて落ち着かせました。一時してから、涙交じりに母が話した内容を並べます。 1.私は父母の子として出生した。 2.しかし、その後、私が父の子ではないことが判明し、母も認めたが、父は母を許し、私を実子として愛しんで育てた(3歳の頃とのこと)。その時点では相手とは別れていた。別れて始めて父の価値が分かったが、自分にはもったいないと人だと今でも思う。 3.母を決して責めようようとしない優しい父へ自責の念に耐えられず、離婚を願い、父の強い反対も押し切って、離婚になり、その後は独身を通した。(物心ついてから母に男の影は皆無に感じます)。相手はその後、他界。 4.父からの再三の私との面会の要求も拒絶し、会わすことはなかった。 5.父はその後、鬱状態になり、自殺を図ろうとしたが止められ、その後は再婚することもなく、研究に没頭したとのことなどを共通の知人からされた。 6.そのこともあって、父実家から絶縁を申し渡され、今日に至る。 7.私が成人したので、いずれ話すべきと考えていた。 8.離婚後、20年も過ぎ、お互いに50を超える歳になっていることなどを考えて、そろそろ元夫に謝罪に行きたいと考えていた。しかし、勇気がなくて未だ出来ないでいる。 と言うことでした。 母は何度も何度も、私に詫び、自分の恥ずべき行為の数々を恥じ入り、許してもらえないと思っているとも言いました。 私の身の回りで起きたことは現実とは思えませんでした。しかし、人間社会であれば、そのようなことは起きうることとして、そのまま受け入れることにしました。それが私たち家族(父も含めて)の縁であり、運命だったと思います。 母は、このことをずっと心に仕舞い、悩み悲しみ続けてきて、それが私の話で一挙に解かれたと思います。とても辛い思いをさせてしましました。でも母に対する怒りや恨みなどはなく、よく話してくれたと思います、 また、短い期間でも育ての父は私のかすかな記憶として消えることなく心の中に居てくれたし、これからもずっと父親です。 もう一人の父親に行き当たりたいと言う気持ちが、別の感情として湧いてきて抑えられません。母にお墓参りだけでもしたいと言って、その人のことを聞いても、それだけは許して欲しいと絶対に応じてくれませんでした。大分、応酬がありましたが、最後は母が泣き崩れて、後味の悪いことになりました。 母を責める積りは無かったけれども、結果としてはそうなり、軽率を悔やみます。 一睡もできず、考えがまとまりませんでしたが、明け方から少しずつ心が鎮まりかけて来ました。 血を分けてくれた方を知らず、弔いに行けないことも恨まないで、心の中でその方に感謝と悼む気持ちを送り、縁を感じて生きて行きたいと思うようになりつつあります。 母には改めて、これまでの感謝と変わらない母娘でいたい思いを素直に伝えようと思います。私がここに居るのは、いろいろな形で関わってくださった方々皆のおかげであり、皆に感謝したいこと、その中の一人として父も居ることを母に伝えたいと思います。 又、母のこれまでの行ったことは時間の中に埋没してしまっており、皆でそれを乗り越えたことをお互いに感謝し、今を喜びたいと伝えようと思います。そうして全部話してくれたことに感謝の気持ちを伝えます。 このような私なりの気持ちの整理になっていますが、アドバイスなどをいただいて更に考え、再度、母と話したいと思いますのでよろしく願い申し上げます。 長くなりまして、失礼いたしました。
お礼
今晩は、 お礼が遅くなり、失礼いたしました。連休を利用した研究の集まりで、朝から出かけ、つい先ほど帰宅いたしました。 早速、拝読いたしました。大変ありがとうございます。 ご専門のお立場から数々のことをお教えいただきまして、恐れ入ります。3人の縁のある男女の中心に私が置かれていると言うことをご指摘いただき、少しわかりかてきた感じもありますが、その中心の役割を果たせるかどうか自信はありません。ただ、何とかしてそうありたいと言う気持ちは考えるほどに強くなっています。 ご回答者様ご自身の生き方には心を打たれました。私は、昨日はあのように書きましたが、未だどこかに釈然としない気持ちもくすぶっているのが本当のところです。これから、思いをいたし、祈り、心の縁を深めるしかないのかと思っております。 それにしても、次に父の所へ行く折りに、父との関係をどう言えば良いのかに迷います。連休中にもう一度訪ねたいと思います。 私としては、父との血縁がなくてもずっと心の中に居続けて来た父として何時までも父であって欲しいと思いますが、父にとっては迷惑な話でしょうか。 また、父の眼と私の眼の相似性についても理解できません。父であると言う思い込みでそう見えてしまうのでしょうか。 などと、未だに迷いもあります。 血を分けてくれた父の情報をこれ以上、母に求めるのはよろしくないでしょうか。 未だ迷うばかりです。 有難うございjました。