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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宮沢賢治の「疲労」という詩について。)
宮沢賢治の詩「疲労」- 質問と解説
このQ&Aのポイント
- 宮沢賢治の詩「疲労」についての質問と解説です。
- 賢治が農作業をしていた時に書かれた詩で、南の風の酸っぱさや穂麦の光り具合について疑問があります。
- また、「黒い大きな立像」と「風な三人」についての意味も知りたいです。
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今、賢治が農作業をしている「下ノ畑」は、下根子桜の別邸の崖の下にあり、北上川のほとりに位置した20アールの砂地です。 この砂地の開墾の厳しさ、植え付けた菊芋の水遣りも重労働。 疲労で身体に乳酸も溜まります。 だから、涼やかなはずの南風もどこか酸っぱいのです。 「岸までくれば またあたらしいサーペント ……水を汲んで水を汲んで……」 (大正十五年五月「水汲み」より) また、開墾した麦畑での雑草取りでは、屈みながらの作業の連続で、また青く元気な穂麦にもちくちく刺され辛いものです。 そんな野良仕事の労苦から手を休め腰を伸ばして、崖の上を見上げれば、聳え立つ木々とその木漏れ日がありました。 それは心象において、疲れ果て諦めに襲われている賢治には、崇拝する阿弥陀三尊像のように姿を成した木々が見守り、木漏れ日はあの眉間のルビーのように輝き、その「疲れを知らない…三人」の姿こそ、賢治の心を癒し励ましてくれるかのようです。 脇に取り巻くようになびき湧いている雲を、数珠のように手に取って、感謝のお祈りを捧げたいものだなあ。弱虫の自分にお言葉を賜りたいものだ。ビリリと来るような霊感を忘れないでいたいものだ、と。