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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本語というのは一文を漢字のみで書けるものですか)

日本語の一文の漢字のみでの表現について

このQ&Aのポイント
  • 日本語の一文を漢字のみで表現することは可能なのでしょうか?この質問では、解決済みの他の質問を参考にしながら、その可能性について考えています。
  • 仮想的な回答の中で、「求人広告」という例を挙げながら、一文の定義や文章の表現方法について考察しています。数式と同様に一文として扱えるのではないかという意見も示されています。
  • この質問では、国語に詳しい方や興味のある方に対して意見を募集しており、前の質問の質問者や回答者の意見を特に求めています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 35to1
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回答No.5

 予想していたところが突っ込まれたので。  まずANo.4さんの回答はバランスがとれていて  僕はかなり納得できました。  仮に反論?しようとするなら 「句点」と同じで「文」という定義だって  何時できたのか怪しい、詩や句点の無い小説は 「文という定義によらない言葉の集まりで表現されたもの」  という説明で十分だ、とか言い張ったかも知れません。  でもANo.4さんの回答をもとに、  僕の回答の変な点を正したいとおもいます。すみません。  なぜなら用意していたし、僕もそう思うので。  なぜ句点(または略)が文の要件の様に思えるのか。  それは句点こそが 「まとまった考えや気持ちを表したもの」だ  という書きての宣言だ、と思う(習う)からです。  つまり文の真の要件は(句点ではなく)繰り返し挙げた 「まとまった考えや気持ちを表したもの」だということ。  これが解りさえすれば句点は要らないのです。  詩も小説もそのジャンル自体が 「まとまった考えや気持ちを表したもの」だ  ということをほぼ保証しています。  一方、[単語のみだし]や[単語の表示]は 「まとまった考えや気持ちを表したもの」とまではかんじにくく  そのまま「単語」とおもえてしまうので「文」とかんじないのです。  ANo.4さんが挙げられている状況はどれも  正にこういうことだとおもいます。  だからこそ書きての宣言である句点が(こういう場合には)  大切になります。  というワケで現時点ではANo.4さんがベストげふんげふん。  ところで、  句点が無くても文と言えるからと言って    学経年不問。月二十万以上可。委細面談。  これが文章では無いとは言えません。  付属語が省略されていても、主語が省略されていても、  この場合はすくなくとも句点があるので 「まとまった考えや気持ちを表したもの」だと  言えるからです。

WiredLogic
質問者

お礼

ご回答、大変ありがとうございました。 質問して1週間ほど経ち、「国語」カテゴリーだけでも、 奥の方に沈んでしまっていますので、そろそろ、締切と いうことにしたいと思います。 「文章でない」と考える方が、文章である要件を、 どういうふうにとらえているのか、にも興味があり、 場合によっては、宗旨替え^^してもいいつもりで の質問だったのですが、そういう回答がなかったのは 残念です。 35to1さん、kogotokaubeweさんのご回答は、 考えの基本線は、私の考えと近いものでしたが、 自分で気づいてなかったり、感じても説明が できなかったりした様々な点で、勉強になる ものがありました。 お二人をベストアンサーにして、10ポイントずつ のようなシステムがあるといいなぁ、と、切実に 感じましたが、現実にはそうもいかないので、 今回は、先に回答してくださり、修正・補足で 都合2度の回答をくださった、35to1さんを、 ベストアンサーということにさせていただき たいと思います。 また、何かありましたら、よろしくお願いいたします。

その他の回答 (4)

回答No.4

 まず初めに、この回答は真理を究めんとする気持ちからのものであって、他の方へのベストアンサーを阻止することを目的としたものでないことをお断りしておきます。(笑)  質問者がお尋ねの求人広告に関しては、文であり文章といっていいと思います。  しかし、「思います」と書いてしまうためらいが心のどこかにあるのも事実ですが……。  たとえば「委細面談」という題のブログがあって、タイトルとして示されている「委細面談」は文だとは思いません。  逆に「委細は面談の上で話しましょう(決めましょう)。」は紛れもなく文と考えてよいですよね。  「委細は面談の上」も上記の省略形と判断していいと思います。  「委細面談」は……。  誰かに向かって吐き捨てられた「愚か者」という言葉は、「お前は愚かな人間である」という意味内容を持ち、「愚かである者」という意味だけの存在ではないので文としていいと考えます。  では、もし「安価美味」という言葉があったらどうか? 何かを食べた感想としてつぶやいた「安価美味」なら文と考えてよいと思いますが、店の看板に書かれていたら……。  「踏切注意」は踏切に注意せよとのメッセージ、「踏切」は場所を表すだけの表示?  合格のお守りと安産のお守りが並べて売ってあるとき、「合格祈願」「安産祈願」は単なる表示、絵馬に「合格祈願」と書けば、これは神への訴え? それとも、これは安産祈願の絵馬じゃないからねという目印?  まあ、このあたりは生物の分類におい新発見された生き物を、既知の生物の別種とするのか、同じ種の中の亜種とするのかみたいなもので、明確で厳密な線引きは難しいようにも思いますが……もう少し考えてみます。  そして、私が今、はっきりと言えるのは、句点の有無でについてです。文に句点が必要かどうかは、あくまでも表記法の問題であって、文とはなにか、の本質ではないと思うのです。  たしかにに中学校では「。」までが一つの文と教えるでしょうが、それは学問的精密さよりも分かりやすさを優先したものであって、「水を流す」など「を」を付けて用いるのが他動詞、と教えるのと同じでしょう。  まず、最近の小説等では、会話文の終わりは 」 だけが多く、 句点を用いて 。」 とするのは少数派ではないでしょうか。 http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&newwindow=1&rlz=1T4SUNC_jaJP387JP387&q=%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E6%96%87%E3%80%80%E5%8F%A5%E7%82%B9&oq=%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E6%96%87%E3%80%80%E5%8F%A5%E7%82%B9&aq=f&aqi=g1&aql=&gs_sm=3&gs_upl=92801l97375l0l98081l21l21l0l0l0l0l579l2800l10.7.5-2l21l0 「やっぱり、あんたたちは鬼だったのね」    (荻原規子『空色勾玉』32ぺージ) まあこれは、 」 があるし、句点が省略されたもので、本来はあるはずなのだとしておきましょう。  次に、詩では通常、句読点を用いません。  たとえば中原中也の『山羊の歌』の http://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/894_28272.html 最初の詩「春の日の夕暮」の冒頭の2行は、   トタンがセンベイ食べて   春の日の夕暮は穏かです と、句点も読点もありません。  だからといって「春の日の夕暮れは穏かです」は文でないとはいえないでしょう。  「山羊の歌」には、句点のある詩もありますが、「サーカス」の冒頭の   幾時代かがありまして     茶色い戦争ありました にも句読点はありません。  まあ、これは詩という特殊なジャンルだから、ということしておきましょう。  さらには、歴史的に見れば、広く句読点を用いるのはそう遠くない昔のことです。 http://www.informe.co.jp/useful/character/character20.html  我々が読む古典の作品の多くは、もとは句読点がありません。注釈者が便宜をはかって入れたものです。これはジャンルを問う問題ではないはずです。  文に句読点が必須であるならば、『源氏物語』に文と呼べるものはなく、ひいては『源氏物語』は文章とも呼べず、単なる単語の羅列にすぎないということになります。 http://blogs.yahoo.co.jp/brightblink3000/4509121.html  もちろん一方で私は、辞書の見出し語としてある「句読点」という語まで、文だ、というつもりはありません。しかし、  「文章の区切りに使う点や丸のこと、なんて言ったっけ。」  「句読点。」 というやりとりの中で使われた「句読点」という語は、「学校文法」が思考の基準になって(しまって)いる私は、丸があろうがなかろうが、カギ括弧で括られていようがいまいが単語でありかつ文でもあると考えます。

WiredLogic
質問者

お礼

ご回答、大変ありがとうございました。 質問して1週間ほど経ち、「国語」カテゴリーだけでも、 奥の方に沈んでしまっていますので、そろそろ、締切と いうことにしたいと思います。 「文章でない」と考える方が、文章である要件を、 どういうふうにとらえているのか、にも興味があり、 場合によっては、宗旨替え^^してもいいつもりで の質問だったのですが、そういう回答がなかったのは 残念です。 35to1さん、kogotokaubeweさんのご回答は、 考えの基本線は、私の考えと近いものでしたが、 自分で気づいてなかったり、感じても説明が できなかったりした様々な点で、勉強になる ものがありました。 お二人をベストアンサーにして、10ポイントずつ のようなシステムがあるといいなぁ、と、切実に 感じましたが、現実にはそうもいかないので、 今回は、先に回答してくださり、修正・補足で 都合2度の回答をくださった、35to1さんを、 ベストアンサーということにさせていただき たいと思います。 また、何かありましたら、よろしくお願いいたします。

WiredLogic
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ためらう部分^^も含めて、実例も解りやすく納得できる回答でした。 特に「句読点」についてのご説明は、何か気になる部分ではあったのですが、自分でハッキリとは気づいていなくて質問に出てこなかったモヤモヤを、すっかり晴らしていただいた感じです。ありがとうございました。

  • 35to1
  • ベストアンサー率30% (45/146)
回答No.3

 では興味枠で参加します。  文に句点(またはそれを兼務する記号)は必要ですよね。  句(読)点などを漢字に含めないとするなら  漢字だけで文を作るのは無理でしょう。  句点などを使っていいのならば  引き合いに出されたベストアンサーで  解決するのではないでしょうか。  このかたは よくよむと(本問のNo.1さんも言及していますが) 「文や文の集まりは文章なのだ」  と言っています。[一つ以上]で文章なのです。  そして「まとまった考えや気持ちを表したもの」か否かは  書きての問題です(ここは議論しません)。  つまり、書きてが[まとまった考情(の表現)だ]と言えば  これらはこうなりますよね。   駄目  … 単語(熟語)。   駄目。 … 文。かつ文章。  わざわざ文を3つまとめなくてもよいのです。 「文とは」や「文章とは」で調べてもそう出てきます。 「主語が省略されることもある」とも出ています。  主語が無いから文ではないという事にはなりません。 「体言止め」も文のテクニックですから、  体言止めだから文ではないという事にももちろんなりません。  逆に言えば 「単語」には[主語の有無]や[体言止めか否か]のよちはありません。 「文」だから体言止めだったり主語が省略されていたりするのです。  学経年不問。月二十万以上可。委細面談。  これは文章です。

WiredLogic
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 回答者さんの論旨が、自分で想定した大筋と近いから、 ということもありますが、それを抜きにしても、 非常に理解しやすく、納得もしやすい回答でした。 単に、自分の疑問・質問としての投稿だったのなら、 すぐにも、締め切って、ベストアンサーにしたいような 回答なのですが、 どちらかというと、自分の考えと違う、文/文章でない、 と考える方の論拠はどういうものだろう、ということに、 興味を感じる面もあり、むしろ、自分の考えと逆の方向で、 上手に納得させてくださる回答者さんがいれば、その人に、 ベストアンサーを差し上げたい、という気持ちも、片方で あるので、もうしばらく、色んな方のお考えを伺って みたいと思います。

回答No.2

「学経年不問。月二十万以上可。委細面談」は文章ではないです。 「PDCA」「必勝祈願」「落第生」「出場禁止」「コンタドール・ドーピング違反・処分不服」「履歴書持参」「委細面談」「経済特区」「関係者以外立入禁止」「ハワイアンズ全面営業再開」「半導体3社事業統合検討」も文章ではないです。   「文…まとまった内容を表す一続きの言葉」と考えて、 「やぁ」「おい」「Oh」「危ない」「さようなら」「速い!」「注意」「警告」「禁止」「停止」を文と考えるなら「自動車通勤」「国民所得統計」「四字熟語」「漢和大辞典」「初級中級」「ABC」も文になってしまいます。 「立派に、まとまった内容を表し、キチンと人に伝わる」かどうかは、「文/not文」を判別する基準にはならないと思います。   2+3=5を(読むときに、ちゃんと、文のように読む)のであれば、読んだときに文になる/文のように読むのであって、その文字列や記号表記は、その印刷表記状態では文ではないです。 「web検索結果」を「webで検索した結果は、………、となった」のように読めば、そのように読んだときに文になるだけです。   文とか文章とかを、単語、記号とは違う用語で表すのは、「立派に、まとまった内容を表し、キチンと人に伝わる」ということだけではないです。 表や図、グラフようなものも「立派に、まとまった内容を表し、キチンと人に伝わる」でしょうが、それは文でも文章でもないです。

WiredLogic
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ご意見を色々と伺いたくて、質問を投稿したので、私も、挙げた例は、絶対に「文章」であると言い張る気はないのですが… ご回答の内容は、「~だからと言って、文/文章とは言えない」という話だけで、 その根拠や、どういうものが文/文章である、どういうものは文/文章でない、文/文章であるためにはこういう条件が必要である、などの定義に関わる話が一言もないのでは、納得したり反論したりする以前に、理解することすらできません。 ご自身でお考えの定義はどうなのか、あるいは、定説として、こういう定義を採用している、というものがあれば、お聞かせいただけると、幸いです。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.1

広義に定義すれば、相手に意味が伝われば「文」として成立するでしょう。 その「文」で構成された、まとまった内容になれば文章です。 普通は複数文で構成されますが、複数である必要はありません。 「学経年不問。」「月二十万以上可。」「委細面談。」は、これらが個々の「文」で、これらで構成されたものを「文章」と言っても構わないとは思います。 ただ、「言えるかどうか?」のレベルの話しであって、最低限の構成要素は満たしている程度です。 『立派な「文」「文章」』は言い過ぎかと思いますよ。 ご存知かと思いますが、ユーゴーがレ・ミゼラブルを書いた後、売れ行きが気になって、「本は売れているか?」と言う意味で「?」と書いた手紙を送ったら、出版社から「!」(ビックリするくらい売れてる!)と返事が来たそうですね。 これも広義には、お互いに完全なコミュニケーションが出来ていますので、1通1通の手紙が文章と言えるとは思いますし、双方の知性や感性が卓抜していた結果、不世出・最高の手紙のやりとりの一つと言っても良いかと思います。 しかし知性や感性に驚嘆はしますし、「立派に文章として成立している!」とは言えますが、「立派な文章である」「素晴らしい文章だ!」などと言う賛辞は当てはまらないでしょう。

WiredLogic
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 お話の本筋は、よく理解できますし、納得できましたが、 枝葉のことで、1つ質問が… 「立派な「文」「文章」と言って よさそうに思えるのですが…」 を、私は、 「立派に文章として成立している」 という意味で使ったつもりなのですが、 >『立派な「文」「文章」』は言い過ぎかと思いますよ。 と、おっしゃるということは、 私の表現では、 『「立派な文章である」「素晴らしい文章だ!」 などと言う賛辞』としてしか読めない、ということでしょうか?

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