『1Q84』カルト信者と精神疾患の関係

このQ&Aのポイント
  • 大人になってからの青豆は宗教の信者ではありませんでした。
  • カルト信者であることが原因で、同級生との精神的な断絶や対立を生じていきました。
  • カルト宗教を強く信仰する人々の中には、統合失調症に似た問題を抱える人もいるのではないかと考えられます。
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『1Q84』カルト信者と精神疾患の関係

大人になってからの青豆は宗教の信者ではありませんでした。しかし小学生時代の彼女はカルト信者であり、それを周囲に誇示することで同級生との精神的な断絶や対立を生じ、周囲から気味悪がられていく様子が描かれています。 私は「精神病」や「統合失調症」には詳しくありませんが、 「カルト宗教を強く信仰するあまり、その教義を日常生活で押し通すことで、周囲との衝突を繰り返す人」がいたとすると、それは「統合失調症患者」のイメージに合致するのではないかと思います。 カルト宗教の信者であっても常識に沿った行動をし、周囲との調和を図る人間がほとんどだと思います。しかしそうすることを放棄した人間や、そうすることのできない子供もいます。 また普段は自分の信仰している宗教のカルト的な側面や、周囲と相いれない危険な思想を隠している人でも、一旦それを表に出すと周囲から「精神的におかしい人」と思われるリスクがあります。 このように排他的な宗教を信仰する人間が、 「精神を患いやすい傾向にあるのか」ということや、 「何らかの精神的な疾患を疑われるリスクを抱えているか」ということについて、皆さんはどう思われますか? 以下第三巻89頁から抜粋 『もともと社交的な性格ではない。長期間にわたって誰と会わなくても、誰と話さなくても、不便は感じない。小学生のときには級友とほとんど口をきくことさえなかった。正確に言えば、必要のない限り誰も彼女とは口をきいてくれなかった。青豆はその教室にあっては「わけのわからない」異分子であり、排除され黙殺されるべきものだった。青豆にはそれは公正ではないことに思えた。もし彼女自身に落ち度や問題があるのなら、排除されても仕方ないかもしれない。しかしそうではない。小さな子供が生き延びていくには、両親の命令に黙って従うしかないのだ。だから給食の前には必ず大きな声でお祈りを捧げ、日曜日には母親と共に町を歩いて信者の勧誘をし、宗教上の理由から寺社への遠足をボィコットし、クリスマス・パーティーを拒否し、他人のお下がりの古着を着せられることにも文句ひとつ言わなかった。しかしまわりの子供たちは誰もそんな事情を知らないし、またわかろうともしない。ただ気味悪がるだけだ。教師たちだって明らかに彼女の存在を迷惑に思っていた。 (中略)そんなに私を気味悪がりたいのなら、好きなだけ気味悪がればいい。青豆はそう思った。お祈りを続けることはむしろ彼らに対する挑戦になった。公正さは私の側にある。』

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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

周囲から「精神的におかしい人」と思われるリスクは当然あります。ひとつは、ごく身近にそういう人がいた場合、信頼できる人に相談すると「相手にするな」「その人は精神的におかしいんだから」と言われて納得はしてなくても了解せざるをえないからです。

wjgbt
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • urax2
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回答No.1

引用部分に「両親の命令に黙って従うしかないのだ。」とあります。自分が生き延びるために周囲から奇異な目で見られ、育ったことが描かれていますね。特異な行動をとることが周囲からの孤立を招くということで、宗教活動が精神疾患や精神疾患のリスクを招くという意味ではないと思います。

wjgbt
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 仰る通り特異な思想を持つ団体は宗教活動に限ったことではありません。たとえば極左・極右的な団体などもこれにあたります。それらは共通して、信仰・信条が周囲の人間から見て「現実離れしている」「危険である」と思います。 『彼女はお昼の給食を食べる前に、必ず特別なお祈りを唱えなくてはならなかった。それも大きな声で、誰にも聞こえるようにはっきりと唱える必要があった。当然のことながら、周りの子供たちはそのお祈りを気味悪がった。(中略) 『天上のお方さま。あなたの御名がどこまでも清められ、あなたの王国が私たちにもたらされますように。私たちの多くの罪をお許しください。私たちのささやかな歩みにあなたの祝福をお与えください。アーメン』 『現在の世界にどれほど多くの滅びのしるしが表れているかという事実を、人々にわかりやすく説明する。』 『恐ろしい世界の終わりを宣伝して回ったりする』 これらは立派な教義ですが、普通の人からすると、危険ではないにしろ現実離れしています。 青豆と関わる天吾に対して、 『その少女と関わることによって、汚れがいくらか伝染したと思われたのだろう。』 このように彼女はクラスメイトから「(精神的に)汚れた」存在と思われていました。 信仰・信条が「現実離れしている」「危険である」団体に属する人間が、それを日常生活で堂々と表現することによって、周囲からは「精神的におかしい人」という印象を持たれるリスクがあると思うのですが、いかがでしょうか?

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