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自分の気持ちがわからない | 孤独の辛さと生きる道
- 私は高1女です。学校でも独りが多く、孤独を感じています。勉強を頑張ってきたけれど、気力を失ってしまいました。毎日悲しくなり、泣いてしまいます。自分の悲しみの理由がわからないです。コミュ障で将来が不安で、死にたいと思っています。でも生きるしか道がなく、どうしたらいいのかわかりません。
- 私の気持ちがわからなくて困っています。学校では友達がほとんどおらず、本当に孤独です。勉強を頑張ってきましたが、もう頑張る気力がなくなりました。夜になると急に悲しくなり、毎日泣いています。自分の悲しみの理由がわからないので、将来が不安で死にたいと思っています。でも生きるしか道はありません。どうすればいいのでしょうか。
- 私は高1女です。学校では友達がほとんどおらず、孤独を感じています。勉強を頑張ってきましたが、気力が失せてしまいました。夜になると急に悲しくなり、毎日泣いてしまいます。自分の悲しみの理由がわからないので、将来が不安で死にたいと思っています。でも生きるしか道はありません。どうしたらいいのでしょうか。
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文章を拝読致しました。 自分を卑下する癖がついてしまっているようですね。 私は中学生の頃からうつ病になり、高校にもほとんど行けずに過ごしました。 学生時代の友人なんていません。 当時は孤独だ死にたいとずっとそれしか頭にありませんでした。 ひとりぼっちは嫌、 でもいざ誰かと接すると自分を押し殺してしまい、 誰かに嫌われる事を極端に恐れ、異常なほどストレスを感じ、 またうつに陥ってしまっていました。 だけど、そのうち気づきました。 あらゆることは適当で良いんだって。 友達がいない=ダメ 勉強ができない=ゴミ そんなわけはないんです。人それぞれなのです。そして量より質です。 0か100かではなく、自分の尺度を持つことです。 あと、孤独はけして悪いことではありません。 ひとりの時間がたくさんあるなら、 興味のあることをとことんやってみても良いかもしれません。 なんでもいいです。 いろんな本を読んだり、いろんな音楽を聴いたり、 もしアルバイトができる環境なら、 年末年始の短期なりバイトをして、そのお金で行きたいところへ行ってみたり。 独りって自由ですよ。 わたしは今でも、独りでどこでも出かけます。 休日には映画や観光や神社やお寺、いろんな場所へ出かけます。 ヒトカラにもいっぱい行きます。 家にいる時には本をたくさん読みます。 独りだと、誰に相談もせず、どこまででも行けるのです。 もちろん、ふとしたきっかけで知り合った関係は大切ですから、 あなたはそのいつか出会う誰かと、自信を持って接せられるように、 今は孤独の味をかみしめてみるのも、良いのではないでしょうか。 コミュ障とおっしゃってますが、 これもある程度、経験で補われるところもあると思います。 長文になりましたが、 辛い経験はけして無駄ではありません。 世界は広くて、ゴミクズなんて人は存在しません。 そしてどんな時でも自分を肯定してあげられるのは自分自身です。 ゆっくり考えてみましょう。
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- hyuuma8579
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孤独かそうでないかは、紙一重の差だと思います。 人は皆、程度の差こそあれ、あなたと同じような思いを感じたことのない人はいないでしょう。 自分と他人を分けて考える・・・自他分離・・・ここに孤立化の始発点があります。 「私には私の人生があり、あなたにはあなたの人生がある」のように考えることは、その典型ですが、これを相対的自我というのです。 確かに自分は自分、人は人・・・決して嘘ではありません。 しかし、これだけでは、本当の自分を知ることはできません。 自分を他人(外界)から切り離した瞬間から、孤立化が始まるのです。 孤立化すれば、人は誰でも、自身を失い、希望を失い、恐れを抱くようになるのです。 自分・自分・自分・・・まさに自分という狭い鳥かごに入れられてしまったようなものです。 相対的自我の弱点は、自分が自分を一番知っているのだと、大きな勘違いをしてしまうことにあります。 では、本当の自分はどこにいるのでしょうか。 本当の自分を知るには、いくら自分で自分を探してみたところで、生涯かかってもわからないことでしょう。 本当の自分は実は他人の中にあるのです。 これを絶対的自我といいますが、相対的自我よりもはるかに本当の自分がわかります。 まだ行ったこともない第三国の地で飢え死にする子供たちの気持ちが、まさに我が身の如くわかるようになるのです。 本当の自分は、絶対的自我=自他同一性の中にこそあるのです。 自分を知るためには、他人の心を知らなければならないことが真実なら、その逆もまた真であるといえます。即ち他人を知る道は、私=自分(=あなた)の中にあるのだということになります。 あなた自身の心は、他人の心を反映しています。 なので、あなたの中にあるものはあなたではなく、ある誰かの思いなのだということです。 あなたは今、誰よりも、孤独の悲しみを実感しています。 それは、あなたの中から生まれたものでありながら、他人と無関係ではありません。 あなたさえ、自分と他人とを分けないなら、あなたは、他人の心を知ったといえるのです。 絶対的自我を知らないと、あなたのように、自分が孤独だと思ってしまえば、それが自分だけのものだと思い込んでしまうのです。 自分を他人から・・・切り離し・・・他者や外界と比べてみても、ただそれだけでは、もっと深い真実の自分を知ることはできません。 孤独や悲しみ・・・いつかは人間として通過しなければならない心情です。 しかし、その孤独や悲しみに意味や価値を持たせることができるとしたら、それは決して自分という狭い鳥かごから捉えることではありません。 あなたを知る道はあなたの中にではなく、他人の中にあるのです。 他人は、あなたを映し出す鏡のようなものかも知れません。 自分の外形を自分で見ることができないから鏡を使って見るように、自分の内面を映し出す鏡が他人なのです。 だから、自分と他人は密接な関係にあるのです。 答えになってないかな、かなり難しい内容の話しになってしまいましたね。 ちんぷんかんぷんかもしれません。 本当は、文章よりも直接お会いしてお話した方が、伝わる内容も違ってくると思いましたが・・・ でも、私が知りえる全てを要約したつもりです。 理解できなくとも、何かささやかなヒントになれば幸いです。
ぼくはあなたと逆の悩みですかねー。でも友達が多くても逆に大変だと思いますよ。それを維持していくのもけっこう大変なものです。ぼくなんかはけっこうムードメーカー的役割を友達の中ではしていますが、たまにしんどくて独りになりたくなる時もありますよ。ただ、友人が欲しいなら、いろいろなことに好奇心をもつことです。新聞を毎日読めば会話には困りませんよ。興味のあるタイトルの雑誌を読んでみるとかどうですか?勉強は少し休んでもいいですよ。それより読書はどうですか?読解力がつけば勉強にもいいですよ。雑学に強くなれば会話なんて簡単に克服できます。ラジオもいいですよ。ラジオはしゃべりのプロのかたがやっているので参考になりますよ。以上つれづれなるままに書いてみましたが大丈夫ですよ。少しずつやっていきましょう!
たった、10秒前に、あなたの文章を読んだばかりで、あなた自身のことはほとんど何も知らないのですが、あなたのような文章を書く人に思い当たりがあります。 それは、自分も人も、世の中もすべてを、理想的なものや、最高のものと較べて、劣っていると考える人です。 なぜ理想と較べるのですか? なぜ最高のものと比較するのですか? それよりも、今できること、今やりたいこと、について考えてみましょう。 その今できることが、あなたの理想と較べると、恥ずかしいほど惨めな小さなことでも、良いじゃありませんか。 100点満点だって、良く見れば、5点と10点と20点の組み合わせでしかありません。 たとえあなたが今日、5点しか取れなくたって、5点問題を20個解ければ、100点でしょう。 でも100点なんて考えなくても良いじゃありませんか。 5点なら、5点の給料しか貰えませんが、5点の食事と生活をすれば良いだけのことです。 それで充分です。 理想や最高のものと比較せずに、今自分のできることを毎日繰り返せば良いと思います。 力まずに自分のできることをしているうちに、色々な人々との交流も始まります。 僕たち人にとって、一番重要な空気や水や大地は、誰にも発見されないし、注目されないで一生を終えるのです。 そのものたちと、同じ人生を歩んで、それで良いじゃありませんか。 《親孝行》《就職》《将来》なんて、どうでも良いことです。 僕が高一だった時には、何にもしていなかったのですが、そう言う立派なことは、ひとかけらだって考えたことがありません。 だって、それで良いと思っていましたし、結果的にそれでよかったのです。
お礼
自分と似ていたので ベストアンサーにさせていただきました。 結局コミュ能力って 経験なんですよね..。