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noname#145704の回答

noname#145704
noname#145704
回答No.1

他で焦っているという質問を拝見しました。まぁ、こういうときは、よく眠り、美味しいものを食べることです。 適当なことを言っていると思うかもしれませんが、考えてもみてください、テストとは限られた時間で瞬発力を出さなければなりません。精神的に弱って、ふらふらの状態で会場に行って御覧なさいな。敗けてしまいますよ。どんなに頭がいい人でも、ろくろく食事もしていなくて、眠ってもいなければ、はなっから負けてしまいます。ステーキとか焼き肉を食べて、八時間以上は眠って会場にお行きなさいな。 高校受験でしょうけれど、小論文を読んだところ、ミスをしなければ勝てるレヴェルにはなっていると思います。 さて、作文ですが、よく書けていますよ。しかし出だしが、あまり明快ではありませんね。構成は ・最初に結論を書き、 ・それに予想される反論を書き、 ・「しかし、」と自分の意見を強調したいわけです。 説得力のある、いいアイディアだと思います。では、この構図に照らして、読み直してみましょう。 私は、仲間とはお互いを高め合うことが出 来る存在であると考える。なぜなら、同じ目 標に向かうという点で、時にライバルである からだ。例えば、部活動は部員皆が一つの目標に向 かい練習している。その中で、一生懸命練習 していた仲間が良いプレーをしている姿を見 ると、自分も負けていられないという闘争心 を持つようになる。お互いの頑張りを見るこ とで、良い刺激になるのだ。 ここで「なぜなら」以下が、「仲間とはお互いを高め合う存在だ」という理由の説明になっていません。というのも、「なぜなら」以下は、仲間とは競い合い、蹴落とし合う存在にもなってしまう、と書いていると読めるからです。そこで次のように書きなおしてみました。 私は、仲間とはお互いを高め合うことが出来る存在であると考える。確かに、同じ目標に向かうという点で、仲間は時にライバルであり、敵であるとさえ言い得る。例えば、部活動は部員皆が一つの目標に向かい練習している。その中で、一生懸命練習していた仲間が良いプレーをしている姿を見ると、自分も負けていられないという闘争心を持つようになる(最後の文章は削る)。 すると、次の「しかし」が論理的に筋が通るはずです。  しかし、このような意識をすることだけが 仲間ではない。仲間とは、お互いを支え合う 関係でもあるのだ(……)。 あとは、大丈夫だと思いますよ。 試験のときは、まずプランを書いてみてください。どのくらい時間があるのかわかりませんが、5分くらい、下書きを兼ねて、どういうプランで自分が書こうとしているのかを考えてみるのです。 あなたのプランは次のようなものになっています。 (1)結論を予告する。 (2)その結論に対して、反論してくる意見を書く。「確かに~という人もいるかもしれない」「なるほど~とも考えうる」という譲歩の表現を使う。 (3)「しかし」と始め、(2)に反論する。 いっそ、まず試験が開始されたら、紙に(1)(2)(3)と書いてしまいましょう。そして(1)の枠に何を書くか、(2)の枠には、と書きこんで行ってみるのです。 こうなると一つのシステムになっていますから、頭が真っ白になっても、ぱっぱと処理して行けることでしょう。システムがあると、ちょっと安心しませんか?

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    題は「スポーツや有名大進学のために県外の遠方の高校へ進学している人がいるが、どう思うか」 です。 近年スポーツのために遠方の高校へ進学する人が多くいるが、果たしてこのような現状は良いことなのであろうか。 私はこの現状に賛成である。 たしかに、遠方の高校へ進学すれば、学費や部活の費用だけではなく、生活費などもかかってしまい、親への経済的負担が より大きくなる。また、わざわざ遠方の高校へ進学せずとも、自分の出身都道府県にもスポーツに力を入れている高校や、スポーツが盛んな高校はあるはずである。 しかし、たとえ遠方の高校であっても、自分の尊敬する指導者がいれば、その人から直接教えを受けることができるし、 自分に合った練習方法を見出すこともできるであろう。伝統ある高校ならば、全国から強い志を持った者が集まり、高いモチベーションの中で仲間と共に練習に励むこともできる。他にも、親元を離れることによって、自立性や自主性を身につけることにもつながる。 私の在籍していた高校でも、スポーツをするために、遠方から進学する人が数多くいたが、なぜこのような人々が見受けられるのだろうか。 私は、より良い成績を残すためではないかと考える。やはり名門校では、練習環境が整っているだけではなく、指導法にも定評があり、毎年安定した結果を残しているように思われる。また、より高いレベルの大会へ出場できる可能性も高くなる。そのような大会で結果を残すことができれば、部活動の成績を利用して、有名大学へ進学するチャンスもあるであろうし、実業団へ所属し、 競技を続けるという選択も可能になってくるであろう。また、自分に自信をつけることもできる。 よって私は、本人の意志と家族の支えがあるならば、より高度な指導を受けるためや、整った環境で練習を行うために、遠方の高校へ進学することに賛成である。 文の構成についてや言葉がおかしいところ、誤字などを見ていただきたいです。 題はスポーツ系ですが、社会学部の過去問なので、かくまでも意見をいただきたいです。 お願いします。

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    高校の受験に小論文があるので 練習のため、「信頼」というテーマで書きました。 添消お願いします!!  お互いを信じ、認め合うことができた時にうまれるのが信頼だ。  人はなぜ信頼し合うのだろう。それは、信頼し合うからこそ強くなり、何かを高めることができるからだ。  団体スポーツが良い例だ。一人がチームメイトのことを考えず、自分だけでプレイしようとしてもチームは強くならない。団体スポーツでは、チーム全員が信じ合い、助け合うことで強くなれる。そのために必要なのが信頼だ。信頼できるからこそ自分のことを相手にまかせることができ、言葉で言わなくても、目・行動を見て何をしようとしているのかが伝わってくる。  信頼はとても大切なことだ。私は生きていく中で一番大切な事だと思う。だから、相手に信頼してもらえるようにまずは自分から相手に心を開き、信頼しようと思う。

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    テーマ:こだわり  こだわりとは、個性を表現することであり自分にしか持っていない考えや感情のことであると私は考える。こだわりをもつことで、相手に自分の気持ちや考えをわかりやすく伝えることができる。相手のこだわりを知ることで新しい個性を発見することにもつながる。そのため相手との距離が近くなり、親密な関係になることができる。  私のこだわりは自分の意見を相手に理解してもらうまで伝えることである。中学生の時国語の授業で一つの課題について討論する授業があった。課題は相手に気持ちを伝える場合、手紙と電話のどちらが良いかである。クラスの中で二つの意見に分かれ討論した。その時私は手紙の意見の立場として最後まで自分の意見を貫き通した。自分の意見を相手にわかってほしかったからである。自分の意見を最後まで貫き通すことで相手に自分がどんなことを普段考えているかを知ってもらうことができた。この体験を通して自分の思っていることや感じていることを相手に知ってもらうことの大切さを学んだ。相手のこだわりを知ることで相手の気持ちや感情を知ることができた。個性を言葉で表現することで、自分の存在を相手に伝えることができる。  料理屋には店長のこだわりがたくさんつまっている。内装やメニューや味である。店長の思いがたくさんつまっている。お客さんは、こだわりの味を求めてやってくる。それが忘れられない味となる。一方で最近、個性を見失っている人が多い。個性を表現する手段の一つに服装がある。だが雑誌の流行に流されて、周りの人と同じ服装を身につける人がいる。それでは自分の個性を表面に表すことができない。服装に個性を表現することで、お互いの趣味や感情を受け取ることができるのである。  以上のことを踏まえ、こだわりは個性を表現することであり、他の人にはない自分だけの考えや感情のことである。今後、貴学に入った際には学業や行事やサークル活動に積極的に取り組み人と人とのふれあいを大切にしていきたいと思う。 添削おねがいします。

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    AO入試を受けます。自己推薦する活動や経験を具体的に詳しく書かなければいけません。添削お願いします。学んだ事は後に1000文字程度で書きます。 私は小学生の頃からサッカー部に所属している。サッカーに夢中になり、部活動を一日も休む事はなかった。中学生までレギュラーであり、市の選抜にも選ばれ自信を持っていた。全国大会出場という夢を持ち私は大阪の強豪校に入学した。所属するサッカー部は伝統的に体が大きく、持久力がある選手が試合に出場した。入部当初の私は体が小さく、練習についていく体力もなかった。もちろん試合に出場できなかった。中学生までレギュラーだった私には初めての経験であり、とても悔しかった。試合に出ることはできず、サッカーへの情熱は冷めていた。しかし私と同じようなタイプの仲間が努力 する姿に刺激を受けた。天狗になっていた自分の愚かさに気付いた。その日から持久力を養い、強いフィジカルを得るために毎朝3km走り、夜には筋肉トレーニングをした。一年間毎日欠かさず行い、私は80間走れようになり、体重も7kg増え、レギュラーになる事が出来た。 三年生の時にチームは問題を抱えていた。真剣に練習に励む者もいれば、冗談混じりに練習する者もいた。この事がきっかけに人間関係が上手くいかず1人が退部を決意した。しかし二年間共に汗を流した仲間を失うのは惜しく、私は退部を思い直してもらおうと説得した。チームの亀裂はプレーにも影響した。それは連係プレーのまずさであった。互いにプレーを批判し、それを試合中に持ち込むため、連係プレーが出来なくなる。ミスを連発し結果を残せないのだ。それを感じた私はチームを変えようと考えた。チームの中で温度差があるのはチームの目標が統一出来てないからだ。私は1人1人と話し合い、時には自分の意見を述べるミーティングを行った。すると問題を解決しようと意見を述べ、チームの明確な目標が統一された。それは全国大会出場だ。退部を決めた部員も考え直し、目標に向かいチーム一丸になった。今も私たちは全国大会に向けて練習に励んでいる。

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    AO入試を受けます!添削してくれる人が近くにいません。お願いします! 自己推薦したい活動、経験を詳しく、具体的に述べなさいというものです。下手な文章ですがよろしくお願いします!この経験から学んだ事は次にまた1000文字程度で書きます。 私は小学生の頃からサッカー部に所属している。サッカーに夢中になり、部活動を一日も休む事はなかった。中学生までレギュラーであり、市の選抜にも選ばれ自信を持っていた。全国大会出場という夢を持ち私は大阪の強豪校に入学した。所属するサッカー部は伝統的に体が大きく、持久力がある選手が試合に出場した。入部当初の私は体が小さく、練習についていく体力もなかった。もちろん試合に出場できなかった。中学生までレギュラーだった私には初めての経験であり、とても悔しかった。試合に出ることはできず、サッカーへの情熱は冷めていた。しかし私と同じようなタイプの仲間が努力 する姿に刺激を受けた。天狗になっていた自分の愚かさに気付いた。その日から持久力を養い、強いフィジカルを得るために毎朝3km走り、夜には筋肉トレーニングをした。一年間毎日欠かさず行い、私は80間走れようになり、体重も7kg増え、レギュラーになる事が出来た。 三年生の時にチームは問題を抱えていた。真剣に練習に励む者もいれば、冗談混じりに練習する者もいた。この事がきっかけに人間関係が上手くいかず1人が退部を決意した。しかし二年間共に汗を流した仲間を失うのは惜しく、私は退部を思い直してもらおうと説得した。チームの亀裂はプレーにも影響した。それは連係プレーのまずさであった。互いにプレーを批判し、それを試合中に持ち込むため、連係プレーが出来なくなる。ミスを連発し結果を残せないのだ。それを感じた私はチームを変えようと考えた。チームの中で温度差があるのはチームの目標が統一出来てないからだ。私は1人1人と話し合い、時には自分の意見を述べるミーティングを行った。すると問題を解決しようと意見を述べ、チームの明確な目標が統一された。それは全国大会出場だ。退部を決めた部員も考え直し、目標に向かいチーム一丸になった。今も私たちは全国大会に向けて練習に励んでいる。

  • 小論文の添削お願いします。

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  • 小論文の添削をお願いします。

    もうすぐ保育系の大学受験を控えています。 周りに添削してくれるひとがおらず、困っています。 よければ添削お願いします。 50分 / 600字 題 子どもが幼稚園や保育所といった集団の中で過ごすことの意義についてあなたの考えを述べよ。 幼稚園や保育所は、子供にとって初めての集団生活の場である。幼少期にはだんだん自我が芽生え、そういった子どもたちが集まり生活をすることで、自分の意見を言い合ったり、我慢したり、時には喧嘩をしたりして、他人とのコミュニケーションの方法や思いやりの精神を育てる。 例えば、一つのオモチャを二人の子どもが取り合っているとする。二人はお互いに自分なりの意見を持っていることだろう。初めは上手く言葉にすることができず、喧嘩をしてしまう。しかし、保育者の助けを借りつつ相手の意見を聞き理解し合うことで、初めて相手の気持ちを知り反省し、一緒に一つのオモチャで遊ぶかもしれない。そういった経験を重ねていくことで、一人一人に思いやりの気持ちが芽生え、他人を大切にすることができるようになる。 幼少期の子どもたちは、幼稚園や保育所の中で、自分と暖かく接してくれる保育者との関わりを初めとし、その充実した生活の中で自分のやりたいことに挑戦でき、安心感を持って取り組むことができる。また、友達との関わりの中で嫌なことや嬉しいことなどの様々な経験をしたり、保育者や友だちと同じ空間で生活したりすることで、共に生活することの楽しさや難しさを経験できる。このような理由を踏まえ、私は集団生活の場はとても大切であると考える。

  • 小論文の添削をお願いします。

    受験校は美術系 デザイン学部です。 問題:東日本大震災を契機に「絆」の重要性が広く認識されるようになり、家族の支えあいによる絆や被災者を支援する世界中のボランティアなどの人々による絆など、 被災直後の状況下において盛んにこの言葉が使われた。さらに今後の復興まちづくりにおいては、永続的で日常的な絆、言い換えれば「コミュニティ」の重要性が増してくると考えられている。 問1  東日本大震災の復興まちづくりにおいて、「安全」、「生活」、「生業(なりわい)」の3つの面に対し、「コミュニティ」が果す役割として期待される事柄を、それぞれ100字程度で具体的に説明しなさい。 問2 ある被災地を自由に想定し,問1で答えた3つのうち1つのテーマを選び、その地域が、コミュニティ形成を重視したまちづくりを検討していると仮定する。そのまちづくりの提案を,「想定する地域の特性」,「まちづくりの具体的な内容」,「そのまちづくりが地域にもたらす効果」の3点について,あわせて800字程度で記述しなさい。 問1で選んだテーマ「安全」 今後の対策として、安全な場所へ逃げ込むまちづくりと経路を明らかにし、互いに避難時には近隣住民に声を掛け合う必要がある。日ごろから、地域コミュニティを大切にすることで、逃げ遅れなどを防ぐことが可能であること。 →今回の被災地で多く見られたような、小規模の地方都市で、漁業が産業の中心であり、海岸沿いに位置しているまちを想定する。ここでは、過疎化も進み、高齢者の割合も高い。平地が少ないため、住宅同士が離れた場所に建てられていた。海岸沿いには堤防や丈夫な構造物があったにも関わらず、津波によってまちの大部分の建物が崩壊、浸水の被害を受けた。そこで私は、海岸部から1~2km離れた高所へ住居を集めることを提案する。 この提案によって、津波による被害を回避することができる。津波がとどかない高所であれば、避難する際に逃げ遅れるなどの心配もない。また、近隣の家との距離が、震災前より近くなったことで声をかけやすくなる利点がある。 しかし、元々海岸沿いに住んでいた人の中には、漁業や養殖業に従事していた人も多く、高所で生活することが不便だという問題もある。数十年に一度あるかわからない震災のために、日常生活を大きく変化させることに抵抗もあるだろう。こうした問題を完全に解決していくことは困難であるが、高所で生活することでもたらされる効果もある。 例えば、今までは拡散していた住居を集めることによって、人口が密集する。海岸沿いで個々に営んでいた商店を、人口密集地に集めることで、車で移動して買い物へ行っていた人や高齢者も気軽に買い物が可能になる。また、人が集まれば、今まで関わりのなかった人と出会い、交流をするきっかけにもなる。過去に阪神・淡路大震災が起こった際に、地域コミュニティの希薄化で、高齢者の孤独死が相次ぐ問題があったが、このまちのように、人と会う機会をつくり出す密集地との関わりがあれば安心だ。私は、高所に住宅を集めることでもたらす影響として、地域住民自らが、まちづくりに参加することによって、より安心感のあるコミニュティを生み出せると考える。 私事でありますが、試験が近付いております。どんな回答でも良いので、書きこんでいただきたいです。切実にお願いしたいです。よろしくお願いします。