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学校とは何をするところ?

最近思うのですが、基本的に学校とは何をする所、何を学ぶ所なんでしょうか? それぞれ基本的な考え方があるので、教えていただきと思います。また現実とのギャップは何処にあるのか、それを知ってらっる方、よろしくお願いします。 (1)小学校 (2)中学校 (3)高校 (4)大学、大学院

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • domi_rb
  • ベストアンサー率39% (60/152)
回答No.1

こんにちわ。 近年、多くの人が投げかける質問ですよね。 私も、大学に進むときに、「なぜ、大学?」と悩んだものです。回答というより、私の価値観でお話させてください。 (1)小学校 (2)中学校 以上の2つは、義務教育であることからもわかるように、勉強の基礎だけでなく「社会」というものを知るところだと思います。人間関係、先輩、後輩。楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、辛いこと、怒りを覚えること等を、他の人と共有すること。「人として生きていくうえで必要なこと」を学ぶのだと思います。 勉強のことで言えば、リテラシー、つまり、昔で言えば、「読み書きそろばん」といったところでしょうか。 (3)高校 こちらからは、高等教育となるので、「勉強をしたい」という意欲のある人が行けば良いと思います。といっても、世の中、多くの人が高校へ進学しますね。ここでも、「人間的社会」を学ぶこととなりますが、小学中学ほど、重点を置いていません。 高校では、「手に職をつける」「高校以上の教育を志願するものへの教育」でしょう。高校を出て、就職する方も、多いですしね。 (4)大学、大学院 こちらはもう、「研究」といってもいいのではないでしょうか?実際、私は、大学まで進みましたが、「勉強」というより「研究」でした。1つの分野に深く興味を持ち、その知識を深めていく。これはもう勉強の範囲以上だと思います。世の中、遊んでいる大学生はたくさんいますが、私は、それなら大学にいく必要はないと思っています。大学は、研究(勉強)するところです。やる気がないのならば、行く事はないでしょう。 さて、大学院ですが、こちらはもう、マスターですから、スペシャリストへの第一歩でしょう。私も大学院を志望しましたが、経済的理由から、現在は、職に就いておりますが、お金がたまったら、院へ行くつもりです。やはり、自分の興味を持った部門を深く極めたい方が行くところでしょう。ここではもう、「人間としての社会勉強」的要素は、少ないです。というか、ここで出来上がってないのは問題ですよね。 といったところで、私の意見ですが、反論もあるかと思いますが、一応「教職免許」と取った身としての考えです。なにか、お役に立つ一言が、このアドバイスの中に入っていればと思います。

simpliytanuki
質問者

お礼

なるほど、基本的には、小・中学校では社会性を学ぶことに重きが置かれているのですね。それで今の教育現場では混乱が生じているだといえますね。ご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

基礎的な勉強を学ぶところです。社会は、応用的な実践ですので、沢山の道の基本的な一部分だけを学ぶ場所が学校です。 (一生勉強ですので、学校を卒業しても勉強が必要です)。

simpliytanuki
質問者

お礼

そうですね。基礎的な勉強を学ぶところですが、最近の親御さんは、何か違う物も求めているようです。ご意見ありがとうございました。

回答No.2

 私も#1さんに同感です。ただ現在の教育内容には大いに疑問がありますね。そこがsimpliytanukiのおっしゃるギャップにあたるのでしょうか。  性、税、サバイバルなど義務化すべきものは沢山あり、逆に不必要なものや多すぎる応用科目などもあります。  ただ、私のある恩師が「不必要だとわかった上で勉学に励んだ者こそ、企業はその努力と性質を欲しがる」と言ったのを覚えています。  しかし、学生にとっての学校はやはり集団で時間を共有する事の意義を得る場だと思います。自宅学習や家庭教師には教えてもらえない部分はそこだと思います。  「社会性」に尽きるのではないでしょうか、結局。  無人島ではおきるはずのないこと、自分以外の人間がいることによって起きること、感情、そこで得るべき知識、理性、倫理などで持っているのが「社会」だと思います。

simpliytanuki
質問者

お礼

社会性が大きなウエートを占めるようですね。ありがとうございました。

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