• 締切済み

人はみな公平に産まれてはいない

30年ほど前、某経営セミナーに参加したときに、講師が以下のようなことを話されました。 「産まれた人の20%が優良、30%が中庸、残りの50%はそれ以下である。即ち2:3:5の法則が連綿と支配している。 従って20%の人は徳を積みリーダーとしての志を持ち、30%の人は社会の仕組みを維持改善することに励み、残り50%は人としての生活の型を覚えてそれなりの生活をする」 この2:3:5の法則は会社経営において、組織として良くあてはまると思っていますし、また社会を見ると概ねあたっているかと思われます。 一方、西欧では神のした、法のしたでは平等が基本的仮定(哲学・概念)となっており人の命の重みは地球より重いといった観念になっているようです。 但し、0.1%の天才が世界を動かしているといった考えもあるようです。 どちらも一理あって、それなりの文化、思想の底流をなしているともいえます。 さて、最近思い直して前述の2:3:5の法則の引用もとを知りたいのですが、儒教の本か?中国古典か?分かりません。 どなたかご存知の方教えて頂けますと幸甚です。

みんなの回答

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.2

「パレートの法則」でしょうか? 違ったらごめんなさい。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

 それとはちょっと違うかも知れませんが、80%の法則というのがあります。人間が作る集団では必ずその中の80%は殆どその集団に貢献することがなく、その運営は20%のメンバーがこれを執り行うということのようで、これは何も人間ばかりではなく、蟻や蜂などの集団生活を行なう動物にも当てはまる法則なのです。  しかし面白いのはその80%が無能なのかというとそうではなく、20%が仕事をしやすいように敢えて無為に過ごしているということです。それが証拠に、その20%の働き者を取り除くと残りの80%の中の20%に当るメンバーが仕事をするようになるというのです。つまり、集団が先導多くして船山に登る事態が起きないように仕組まれたからくりだということで、80%は敢えて無能になっているということのようです。  太平洋戦争で敗れた日本政府は公職追放が行なわれて要職にあったほとんど全ての官僚が辞職させられましたが、残った官僚の中から有能な人材が輩出して無事に危機を乗り切ったのもこの法則が効いたからだと言えるでしょう。  面白い実験を行なった心理学者がいます。幼稚園でお片付けをする園児がやはり20%しかいないそうなのですが、その子供達を部屋から連れ出してしまうと、残りの園児の中から20%の働き者が必ず出て来るのが観察されるのだそうです。  つまり、20%の人間が有能なわけでは決してないということですよ。

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